俺は主人公になれないから……
教室の窓から覗く空には、今にも崩れ落ちそうなほどに儚くて。それでいて、どこか幻想的な雰囲気を纏った夕焼けが一面に広がっていた。
「あ、あの……」
「ん?……な、何か用か?」
窓際に立つ金髪碧眼の美少女は少し震えた、そして何処か不安気な声でそう切り出した。それと同時に、彼女は恥ずかしそうに顔を俯かせる。
その顔が紅色に染まっているのは、斜陽が全身を神秘的に照らし出しているせいだけではないのだろう。
一方それに答えた爽やかイケメン男子は恥ずかしそうに――いや、居心地悪そうに身体を竦めた。だが、自分の事で手一杯の美少女はその僅かな動揺を知る由も無い。
「わ、私ね……貴方のこと──」
何とか言葉を続けられた彼女は、先ほど俯かせたはずの顔をゆっくりと元に戻す。相変わらず不安気な目をしているが、今はそこに期待や自信といった色も混じっていた。
そして、上目遣いで相手を見据えている姿に、ただの傍観者であるはずの俺まで思わずドキリとしてしまって──
──しかし、これも全ては計画通り。
実際、晩秋独特の冷気が漂う廊下から一部始終を覗き見ている俺は、新世界の神さながらのゲス顔をしているに違いない。はい、我ながら気持ち悪いと思います。
もっとも、別に人殺しを企てているわけじゃないからな。
そう、俺は今、彼女の告白を見守っているのだ。
この展開も状況も、全て俺と彼女とで仕組まれたもの。彼女の告白が上手くいくよう、俺が根回しして作り上げたシチュエーションだ。
だからこそ少しは責任を負っている俺にも、結末を見届ける義務があるのではないだろうか。ちゃんと彼女に許可も取ってあるし。
軽い対人恐怖症にかかっている俺の気持ちですらこんなにも揺さぶれるんだ。きっと上手くいく――俺はそう確信した。
そして彼女も同じ事を思い見たのだろう。
──だから。
だから彼女は期待を胸に、最後にして核心の言葉を紡ぐ。
ふと、僅かに空いた窓から心地よいそよ風が入ってきて、彼女の艶やかな長い金髪をなびかせた。
その光景は、何処か絵画じみた美しさを醸し出していて──そして、蠱惑的な唇を開く。
「ずっと前から好きで「えぇっ‼⁇ 何だってぇ‼⁇」
――けれど彼の出した答えは。
肯定するでもなく。
否定するでもなく。
「あ、あの…… その、裕麻君。貴方のこと、そんな感じに思って、るの。だ、だから付き合「そ、そうだぁ‼ 俺、急用を思い出したぁ‼ じゃ、じゃあまた明日な、英梨!」
――逃避だった。
彼が急ぎ足で退散し、辺りに静寂が訪れたことで、彼の足音と彼女──柏木の嗚咽が嫌になるほどよく聞こえた。
─────────────────
チャイムが鳴り、昼休憩の幕開けを告げた。それと同時に購買部へ一目散に駆けていく奴もいれば、誰かを誘って他愛もない会話を繰り広げながら向かう奴、はたまた持参してきた弁当を広げて友達と見せ合いっこしている奴もいる。
いつもの教室。いつもの喧騒。何も変わらない、普段通りの日常風景だ。
――けれど、こんな当たり前の光景すら終幕を迎えてしまうこともあるだろうか……
そんな馬鹿馬鹿しい感慨を抱いて――しかし、何処か大切な事のように思えた俺、一色集は現在清々しいほど見事にぼっちである。
俺の周りには綺麗に誰もいない。こりゃ某杖で有名なモーセもびっくりの分かれ具合だな。
こんな状況下に立たされた三流ぼっちは、ぼっちなのを見られたくないからとかで、人気のないところとか便所とかで飯を食うのだろう。しかし一流ぼっちはその程度の事など気にしない。
一つ疑問に思うんだが、何故ぼっちは揃いも揃って自身の境遇を情けなく感じてしまうんだ? 最近の若者は自立が出来ていないとよく嘆かれているが、ぼっちはあらゆる物事を一人でこなしている人種だ。何それ、ぼっちマジ金の卵。
しかも、ぼっち飯は食事だけに集中出来るので、より美味しく頂けるのだ。何それ、ホントぼっち最高。
ということで、普段から俺は自席で堂々と昼飯をとることにしている。結局、先ほどからダラダラと並べ続けている高尚な理由も全部建前で、実際はただ移動するのが面倒とかいう、引きこもり精神が働いてるだけかも知れないが。
──しかし、残念ながら最近はそうもいかないようだ。
何故か。
前席の爽やかイケメン(笑)、はしゃぎすぎだろ。
いや、正確には彼を取り巻く美少女共が、か。
イケメン男子、一条裕麻はかつて俺の親友だった──要は幼馴染というやつだ。初めてにして、最後の友達。まぁ今は友達じゃないんだけどな。それでも先月、裕麻がウチの高校に転入すると聞いた時は結構驚いたが。しかし、驚いたのはそれだけではない。そう、『何であんなにイケメソ君になってんの?』と。
裕麻は本来、言っちゃ悪いがデブスだったはずなのだ。超控えめに言ってもふくよかな男の子としか表現しようがない。少なくとも、あんな細マッチョとは無縁の体系だった。
それが、妹の助言もあって中校生になる前ダイエットを成功させた結果、あの素晴らしい体格とイケメン面を手に入れたらしい。その結果、高校デビューならぬ『中学デビュー』を果たし、それ以来スーパーリア充ライフを満喫しているらしい。
それと妹も記憶している分には超可愛かったし重度のブラコンだったはず。いや、どこのラブコメ主人公だよ。
よく考えたら目の前の光景もラブコメのワンシーンっぽいな。
「ねぇ、あたし裕麻の隣でいいかな?」
「ダメよ。昨日も隣、貴女だったでしょう?独り占めは許さないわよ」
「えぇー だったらさだったらさ、さっきの数学の問題よく分かんなかったから昼休み教えてくれないかな?」
「何を言ってるんですか、超早く解いてましたよね、私よりも早く。嘘はだめですよ、ちゃんと見てる人がいるんですから。それより裕麻君、最近とても美味しいと評判のカフェができたんですが、放課後一緒に――」
「ちょっと貴女、抜け駆けは許さないわよ。もしデートなんかしたらどうなるか――って、あぁーー‼」
「ふっ、あんた達が勝手に騒いでるのが悪いだけよ。私の隣で食べようね、ゆーま♪」
漁夫の利で裕麻の臨席を獲得した金髪碧眼の美少女が、その満面かつ嫌らしい笑みを浮かべたのを合図に、そのほかの3人の美少女は裕麻の奪い合いを始める。
当の被害者は先ほどから傍観者然としていたのだが、ついに無視し続けることも出来なくなったのか、やれやれと言いながら溜息を零した。なんかむかつくな、その態度。
それはいいとして、教室で暴れられると他のクラスメイトにとって迷惑な事極まりない。しかし、あれでもトップカースト達なので、恐れをなしてか誰も止めようとしない。そればかりか、危険を察知した奴らは早々に教室から退散していったらしい。
ちなみに俺はただ面倒なので止めようとしていないだけだ。別に昼食を摂れたらそれでいいし。だから、俺は目の前の光景は気にせず、食事を再開する。
もし昔だったら。
もし見ていたのがかつての集で、ハーレム化していたのがかつての裕麻だったら、きっと集――俺はあの輪の中に、茶化しながら入っていったのだろう。
けれど、もう今の俺に彼らと戯れる資格などない。あの日の至福も、関係も、思考も、全ては記憶の彼方に消え失せてしまったのだから。
今の集と裕麻はかつて友達だった。ただそれだけだ。
かつて何気ない日常が瓦解した時はしばらく悩み苦しんだ。しかし、今ではもう許容しているし、自虐ネタ程度のものとして消化しきった。
きっと、あらゆる関係はいつか消え失せる。どれだけ取り繕うが、いつか擦り切れてしまう。それなら、いつまでも終焉した関係に固執するのは、愚かで滑稽といえるだろう。
そして、もし俺のそんな予想が正解なのだとしたら、目の前の関係も光景も、いつかは結末を迎え、笑い話に変っていくのだろうか。それとも――
─────────────────
内容はすぐに忘れてしまったが、ただ先ほどまで夢の世界に入り浸っていたことは確かだ。しかしその世界からも、南東から遥々やって来た5月独特の心地よい風によって追い出されてしまった。
どれくらい寝てしまったのか気になり窓外を見てみたが、幸い空はまだ明るい。青空の下では、野球部やらサッカー部、陸上部なんかが集まって話し合ったり準備運動を始めたりしている。
その後時計も見てみたが、予想通りまだ短い針は4時を通り過ぎてから大して時間がたっていないようだ。結局時刻が早かろうが遅かろうが、帰宅部の俺はその名称通り帰宅するだけだが。
連日の寝不足が今日響いてきたので、5,6時間目は寝てやり過ごした。あっ、これ毎日の事なんだけどね。まぁそれでも一応テストの点数はある程度取れているので、特に気にせず寝れる。
そう、俺は基本的に優秀なのだ。頭も運動も容姿もクラスではトップクラスといえる。ただ、ちょっとコミュ力というか…… その、人間関係を築くのが苦手なだけで…… いや、それダメですね、はい。
だから、例えばこんな風に突然美少女から話しかけられると、思わずキョドってしまう。
「ねぇ、ちょっといい?」
「うぉっ」
一瞬びくついた後声のした方向へ気怠げに顔を向けると、俺の瞳は一人の金髪碧眼を持つ美少女――柏木英梨を捉えた。先ほど裕麻の隣席を見事確保して見せた女子に違いない。
流れるように滑らかな長い金髪。サファイアのように透き通った、大きな瞳。そして、細くしなやかな体を覆う肌は、雪のように白い。
そんな幻想的とすら思わせるほど美しい柏木に、思わず見惚れてしまい――けれど、彼女の凛とした声で現実に引き戻されてしまう。
「単刀直入に聞くけど、あんたって裕麻の幼馴染なの?」
唐突な質問に俺は一瞬戸惑い、少し目を泳がせる。
確かに裕麻とは昔馴染みの関係だ。だから彼女の質問に首肯するのが筋だろう。しかし――
「ま、まぁそうだが…… それがどうしたんだ?」
「だったら話が早いわ。あんた、私と裕麻の橋渡し役になんなさい」
サラリと髪をかき上げ、最上級のドヤ顔を――なんかむかつくな、その態度。どんだけプライド高いんだよ。
「あ? いや、なるわけねぇだろ」
キッパリとした断言とともに、俺は心底呆れた顔を浮かべた。だが、俺にとって柏木の発言が気に食わないのと同時に、柏木にとっても俺の返答は気に食わないらしい。だから、松岡修造さんも凍え死ぬほどの冷たい目線を向けて疑問をぶつける。
「は? なんで? ちょっと告白の場を設けてくれるだけでいいのに?」
だが、こちらにも言い分はしっかりある。俺はフッ鼻を鳴らしてから、自慢気な口調で理由を並べ始める。同時に浮かべたニヤリと口の端を歪めさせた俺の表情は、さぞかし不快なものだろう。
「まず、引き受けるメリットが俺にはない。俺だってそんなめんどくさそうな役を引き受けるってんなら、それに見合った対価を求めるぞ」
基本的に色恋沙汰というのは、俺の目と同レベルなくらい非常にドロドロとしているのだ。青春とか恋とか聞くと、清楚で綺麗なものだと勘違いしている人が多いが、実際は嫉妬だとか恋敵同士の醜い争いだとか、相当殺伐としちゃってる。
そんな中、俺が柏木に味方でもしたら全女子から白い目で見られる――酷い場合は社会的に抹殺されることだろう。まぁ“最初からお前に社会的地位なんてないだろ”とツッコまれたら言い返せないが。
一方柏木は予想通り対価など払う気もなかったようで、顎に手をあてながら何を対価にしようかと思案する。
「対価?ん~~~ 美少女の私と会話する機会が与えられる……とか?」
「却下」
「は? この私よ? 学校一美少女と言っても過言ではない私と時間を共に出来んのよ? 凄く光栄なことだって思えないの?」
いや、だからどんだけプライド高いんだよ。ちなみに「は?」って脅迫されながら机を叩かれたの、結構怖かったです。これパワハラだ、パワハラ。
「はぁ…… 思うわけねぇだろ。っていうか、どれだけ顔が良くても、そのハリネズミ並みにトゲトゲした性格が全部相殺しちゃってるよ」
性格悪いのは人のこと言えんがな。別の意味で。
そして、不満げな顔をより一層深めた柏木が反論する前に、少し憂いを伴わせた顔を窓の方へ逸らして、核心の理由を告げる。
「それに――あいつとはもう友達じゃない」
全ては既に失われた過去の関係。遥か彼方の出来事だ。あの結末の弁解をする権利など俺にはないし、彼もまた関係修復を働きかけることもないだろう。
既に失ったものに縋るなど、実に空しくて無意味で未練がましい。だから、もう俺は彼と一切関わらないと決めたのだ。それに、ほら。なんか気まずいし。
「だから、橋渡し役なんてできない。これで話は終わりだ終わり。さぁ帰った帰った」
シッシッと手で追い返す。
俺だってこんな下らない話をするくらいなら、一秒でも早く帰りたい。なんせ早く帰宅できるというのは帰宅部の特権だからな。それをみすみす手放すのは実に愚かなことだ。
しかしプライドの高い柏木は「帰れ」という意思表示ではなく、ただの挑発と受け取ってしまったようで。
「はっ? 何よその態度。でもまぁ今友達じゃくてもいいわ。ただの赤の他人ってよりはマシだろうし」
「いや、どっちにしろ今友達の奴に頼る方がいいだろ。ほら、お前裕麻の取り巻き達と仲良いだろ? あの舞鶴翔? って奴とか」
「そんなのとっくに試してるに決まってるでしょ。でもなんか、裕麻がいろんな男子に根回ししてらみたいでね。揃いも揃って、何回頼んでも曖昧にごまかされちゃうのよ……」
いや、俺も絶賛ごまかしタイム中なんですがね…… そこら辺、リア充お得意の空気関知スキルで察していただけないでしょうか……
「どっちにしろ一個目の条件満たせてねぇし。やらんと言ったらやらん」
「はぁ、仕方ないわね……」
すると溜め息を一つ吐いて、急にモゾモゾと恥じらいだし。
「おい、急にどうし──」
「その…… もし引き受けてくれたら……」
少し俯かせた顔はほんのり赤く染まっている。不安そうに震わせながら絞り出す声の合間合間では、熱い吐息をついているようだ。その様子は所謂、恋する乙女そのもので──
そして、顔を恐る恐る顔を上げた柏木は、破壊力抜群の上目遣いと共に。
「デートしても、いいわよ?」
ドキューンという、恋のキューピットの矢が俺の心臓を貫いた音がした。
「あ、あぁ、引き受ける……」
─────────────────
“一時の気の迷い”というのは非常に危険だ。後になって訪れる後悔が半端ない。だが、どれだけ悔やんでも、もう遅い。手遅れ。後の祭。
「さっきからいつまで頭抱えてんの? いい加減キモいからやめてくんない?」
「誰のせいでこうなったと思ってんだよ」
確かに、廊下の窓から差し込む斜陽によだて夕暮れ色に染上げれられた、何とも言い難い美しさを醸し出す廊下。そんな空間で一人、目の死んでいる男が頭を抱えている光景は、気持ち悪いというか奇妙と言えなくもない。ちなみに頭は朝から寝癖がつきっぱなしである。成程、不潔感満載だなこりゃ。
だがしかし、しかしである。この件のせいでもし俺が全女子から本格的に敵視され、下校中後ろから刺されでもしたら、一体誰が責任を取ってくれるというのか。
いや、それより。
「あぁ!夕方のアニメ録画しとくの忘れてた! ちくしょう、優里ちゃんの告白シーンが……」
「何? あんたアニオタだったの? 余計キモッ」
「おい、しれっと人の趣味を貶すのやめろ」
俺は正直結構ムカついたのだが、柏木の方は少し緊張が解けたらしく、表情が和らいでいる。この通り終始強気な彼女だが、先程まで強張った表情をしていたし、意外と繊細なところもあるのだろうか。
それからしばらく沈黙が続いた。そろそろ約束の時刻になるだろうかと、廊下の天井に取り付けられているアナログ時計に目を向けてみたが、まだ約束の6時半まであと20分ほどある。
部活って大変だな。こんな遅くまで活動しなきゃいけないとか、社畜かよ。ちなみに軽音楽部らしい。
そして、その社畜予備軍にして約束の相手とは、例の柏木が恋している一条裕麻である。勿論ここに来るよう取り付けたのはこの一色集だ。
正直過去のいざこざを裕麻がどれくらい気にしているか不安だったが、幸いにもすべて忘れ去っていた――それは演技かも知れないが、少なくとも断られるかも知れないという心配は杞憂に終わってくれた。
そのため、一応いざという時に備えて俺はかれこれ2時間ほど彼女に付き添ってやっている。まぁ俺には何も出来ねぇんだろうけどな。
正直このまま両者無言で時が過ぎるのを待ってもいいが、折角なので少し気になっていることを聞いてみる。
「そういやお前、裕麻のどこが好きなんだ?」
「何? いきなり」
「いや、単に気になっただけだ」
「ふーん……まぁいいわ」
そこまで言って柏木はいったん間を置き、微笑を浮かべながら静かに語りだした。頬が紅色に染まっているのは、夕陽の逆光が彼女を神秘的に照らし出しているせいだけではないに違いない。
「この前、皆とゲームセンターに行ったのよ。それが楽しくって楽しくって…… 夜まで遊んじゃって。それで帰ることになったんだけど、生憎ヤンキーと出くわしちゃったの。人目にも付きにくい場所だったしね、あそこ。何か色々言われて、腕つかまれて、涙まで出ちゃった時」
そこまで言ってから浮かべたはにかみ笑顔は、恋愛嫌いの俺ですら思わず心が揺らいでしまうくらい、ただ純粋に可愛くて。
「助けてくれたの、裕麻が」
「……」
「かっこよかったわ。ボスみたいなのを一瞬で叩きのめして、それでみんな逃げていった。しかも、凄く心配してくれた。それが嬉しくって嬉しくって――いつの前にか好きになってた」
何そのシチュエーション。ラブコメかよ。
「……ここまで言ったんだし、ちゃんと最後まで付き合ってもらうわよ」
「はいはい、分かってますよ」
どうせ裕麻を待ってりゃいいだけの簡単なお仕事だからな。あと5分ほどか…… あいつは約束は守るタイプだし、きっともうすぐ俺の役目も終わるだろう。
さて、彼女の告白の結末を見届けてやろうか。あっ、別に俺、ストーカーとかじゃないからな。ちゃんと柏木にも許可は取ってあるし。
─────────────────
あれから何分――いや、何時間経っただろうか。
そんなに時間を浪費して一体何をしていたのか――答えは簡単だ。何も出来ない。何もしていない。何が出来るのかすら分からない。
既に辺りは暗くなり、三日月が空から俺たちを見下ろしている。その目線の裏に隠れている心意が嘲笑なのか、同情なのか、はたまたその他の感情なのか――それは分からない。
ただ、俺が無力で。無能で。無知で。非力なことだけが、身に染みて感じられた。
俺と柏木は隣同士の席に座っている。他人の席に勝手に座らせてもらってるのはこの際許してもらおう。昼食の時とか、ほとんどの奴が勝手に他人の席使ってるし。
そして柏木は、先程からずっと泣いていた。
柏木が告白した結果。それは受け入れられるでも断られるでもなく、キープだった。だが、それもただのキープではない。そう、逃げられたのだ。柏木の意思を、告白を、彼は見て見ぬ振りをした。
そしてそれは、きっと柏木の心を深く傷つけた。何しろ、失恋した悲しみを抱いただけでなく、自分の尊厳まで踏みにじられたのだから。
でも、俺はそんな彼女に何もしてやれない。何もできない。何故なら、何が正解かわからないから。そもそも俺程度の人間の言葉など、彼女にはちっとも響かないだろう。
だから、ただひたすらに彼女のもとに寄り添うしかなかった。
「ねぇ。いい加減家に帰んなさいよ」
ぽつりと、柏木はようやく口を開いた。横を見れば、まだしゃくりあげてはいるものの一応泣き止んではいるようだ。
まぁこいつも泣き顔とか見られたくないだろうし、もう一度顔を正面に戻す。ホント泣き顔を家族に見られた時の気まずさは異常。
そして、俺も静かに返答する。
「それはこっちの台詞だ。お前も一応女子なんだしな」
「……ううん、もうちょっとここで泣いていたい」
「そうか」
普段の柏木なら「は? 一応って何よ?」ぐらいツッコみそうだが、それもできないということは、やはり相当落ち込んでるらしい。まぁ、当然ともいえば当然か。
心の傷は彼女の言動や表情にも多大な影響を及ぼしているようで、普段の柏木からは考えられないような自虐的な笑みを浮かべる。
「私、情けないわよね。ホント、強がってる奴ほど弱い、とはよく言ったものね」
ゆっくりとゆっくりと、彼女の独白は続く。
「本当の私の心は弱くてもろいから、強がって、見え張って――そんな弱っちくて情けない奴、振る価値もないわよね」
あはは、と漏らした笑みは乾ききっていて。
それに対し俺は、いつの間にか口を開いていた。
「強がるとか見え張るとかキャラ作りとか――確かに俺はそういう類いのもんは大嫌いだ」
「やっぱり私が悪――」
「でも、それが傷ついちゃいけない理由にはならない。だってお前なりにこうやって頑張って、それなのにこんな扱いを受けて。それで笑い続けられる奴がいたら、そいつは人間じゃねぇよ。もはや機械だ」
この独白は、恐らくただの自己満足に過ぎなくて、そのくせやたら長ったらしい。しかも言いたい事もよく分からない。だから、結局出てきた言葉はこんなどうでもいいもので。
「俺なんて、中学生の時は降られただけで、その夜は終始泣きっぱなしだったからな。情けないったらありゃしない」
けれど──
「おい、何笑ってんだよ」
「あはは。いや、何て言うか、私だけじゃないんだなって安心して…… それに、泣きじゃくってるあんた想像したら笑けてきたわ」
「流石柏木。全く、失礼な奴だ」
いつも明るくて清楚で。でも実は強気で、毒舌的。それが、俺の知っている柏木英梨。けれど、それは俺の勝手な勘違いなのかも知れない。大して彼女と接点の無い俺には、真実など知る由もない。
ただ、柏木が笑ってくれた、それだけは揺るぎない事実だから。だから何となく、素直に嬉しい。
「……私、か」
「ん?」
「いや、何でもない。なんかあんたと喋ってると悲しんでるのが馬鹿馬鹿しくなってきた──ってのは流石に嘘だけど、少しは、気晴らしにもなったわ、ありがとね」
それだけ言うと、急に立ち上がって、俺に手を振ってから教室を出ていった。彼女の内情は知らないが、表情と口調は普段通りに戻っていた気がする。
「ホント嵐みたいな奴だな」
急に俺に相談しに来て、急に去っていく。振り回された俺の気持ちも少しは考えてほしい。
それにしても、何故俺は柏木の事を心配したりしたんだろう。
可哀想だったから?──否。
心配だったから?──否。
責任感を感じたから?──否。
約束を守りたかったから?──否。
……好きだったから?──否。
きっとその答えは、優しさとか善意とか正義感とか、そんな綺麗事ではないはずだ。もっと傲慢で身勝手なもの……
そうだ、これは柏木の為を想ってした行いではないかった。
泣き喚く柏木が、過去の俺──小学生の時初恋の相手にはぐらかされ、以来人間不信になってしまったあの時の自分と重なって見えたから。
だから、知らないうちに、俺を慰めていたのだ。柏木など視界にさえ映っていなかった。あの言葉も口述も言詞も、全ては自分に向けられていて。
なら、俺は何を言いたかったのだろう。
なら、俺は何をしたかったのだろう。
なりたいものは確かにあった。改めてよく考えれば夢物語としか言えない、酷く馬鹿馬鹿しい存在だが、昔は確かになれると信じていた。
ただ、俺は主人公になりたかった。
夢と希望に溢れていて、あらゆる努力は報われ、最後はハッピーエンドを向かえる……
でも、俺はそんな存在にはなれない。初期ステータスも足りず、運命にも恵まれない。そう、あの時の出来事で思い知らされた。
だから、何もかも諦めた。何かに挑戦することもやめた。誰かと関わることも拒んだ。
それでも、何故か英梨はどうしても助けたかった。
きっとそれは傲慢ゆえの思考で。
きっとそれは利己主義的な考え方で。
きっとそれは身勝手な行動で。
それなこと、俺が一番分かっている。
改めて宣言しよう。俺は主人公にはなれない、と。
ラブコメの主人公なんて、むしろ一条裕麻の方が全然相応しいくらいだ。
でも、悪役なら。
それも中ボスレベルの脇役程度になら、俺でもなれるのではないだろうか。
─────────────────
それは、例の事件の後日。そして、その日の放課後だ。少し日が傾き始めている中、俺は校門の前である男を待ち伏せしている。勿論、相手はあのラブコメ主人公、一条裕麻だ。
本来なら西空が朱色に染まるまで待たないとやってこないが、きっと今日はもうすぐ──と、もうやって来たようだ。
「よう、一条。今日は早いんだな」
そう少し挑発的に呼び止めると、裕麻は少し顔をしかめて答える。
「それがどうした?赤の他人の君には関係ないことだろ?」
関係ない──つまり、これ以上深追いするなという意思表示だろう。だが、俺はそんなこと気にしない。
「柏木と合うのが嫌なんだな?」
「何故それを? ……そうか、裏から手を回したのは君だったのか。……ホント、余計なことを」
「その事なんだがな、お前に言いたい──」
「何も言うな! ……何も、言わないでくれ……」
俺が目を細目ながら見た先に映る裕麻は、悔しくて歯痒くて、それでもかなり怒っている、そんな顔をしていた。
「どうせ君は僕の事をヘタレだとか優柔不断だとか言って弾劾するんだろう?」
「あぁ」
まさしくその通りだ。
「それを言われちゃおしまいだ。でもな、あれは仕方なかったんだよ」
「どういうことだ?」
「自慢じゃないが、俺はモテる。そして、俺以外女子しかいない軽音楽部員を繋ぎ止めているのは俺だ。なんせ、揃いも揃って皆俺の事が好きなんだからな。笑えるだろ?」
そういうことはあるかも知れない。好きな人と一緒にいたい。だから彼と同じ部活に入りたい。それは普通の、極意一般的な考え方だろう。
「でも、誰かと付き合ってしまったら、それで終わりだ。好きな人が違う奴とイチャイチャしてるところなんて、誰も見たくねぇだろ」
「だろうな、俺もすげぇ嫌だった」
裕麻との関係が切れてしまったのは、他でもない初恋の女子が裕麻と仲良くなり始めたせいだ。
醜い嫉妬、改めて振り返ってみればなんて幼稚な理由かと思わないこともないが、残酷な事に『恋愛』というヤツは理性を狂わしてしまう。
「もしかしたら、それでも一緒にいたいって残ってくれる奴もいるかも知れない。だけど、少なくとも関係がギクシャクしてしまうのは避けられない。今みたいな楽しい空間は、二度と戻ってこない。その事を僕も君もよく分かってるはずだ」
「……」
「だから、ああするしかなかったんだよ」
口調は暗くなり、顔も少し俯かせたみたいだが、それでも彼の独白は続く。
「……あぁそうだよ、僕はカッコ悪い、情けない、どうしようもないヘタレ野郎だ」
「っ、だったら!」
「けどなぁ!仕方ないんだよ!軽音楽部は、あの空間は、僕が頑張って、ダイエットしてコミュ力上げて他にも色々努力して、やっと手に入れた最高の居場所なんだよ!こんなの凄い自分勝手なんだろうけど、それでも壊したくないんだよ、この関係を!」
それは、俺にも痛いほど分かる。初恋の女子や裕麻達との関係を壊さないため、どれだけの年月俺が告白するのを我慢したというのか。でも。
「でも!それならあいつらの気持ちはどうなるんだよ!」
急に大声を出した俺に驚いたのか、裕麻は少したじろぐ。けれど、かまわない。続ける。
「そうだ!お前の考えは全部身勝手なんだよ!お前の利己主義のせいで、柏木がどれだけ傷ついたと思ってる!? お前はあの後、柏木がどれだけ泣いてたか知ってんのか!?」
「知らない!そんな事知らないよ!けど──」
「しかもあいつだけじゃねえ!主人公気取ったお前の自己満足に振り回されてる奴がどれだけいるか、お前は知らないのか!?」
「そんな事、お前の方こそ知らないだろ」
「そんな事はない。少なくとも初恋の相手におんなじことされた俺の方が、お前みたいなゴミクズよりはよっぽど分かって──」
俺はただただ裕麻に罵倒を浴びせ続けた。そして、ついにその言葉が、その暴言が、彼にとっての一線を越えてしまったのだろう。
普段は温厚な顔を猛烈に恐ろしい形相に変えた裕麻は、俺の台詞を遮って。
「お前なんかに、僕の何が分かる!!」
そう声を張り上げて、俺の胸ぐらをつかんできた。更に裕麻は、反撃させないよう、学校の敷地を囲っている壁に俺を叩きつける。いてぇ。
「なんだかんだ皆楽しくやってるのをぶち壊しやがって! 僕が頑張って傍観者気取ってきたのを全部台無しにしやがって! そんなお前に、僕の気持ちなんて分かってたまるか!」
流石に先程から全力で叫び続けて少し疲れたのか、勢いが弱まる。俺は無論この隙を逃さない。
「何だ?自己犠牲してる僕カッケーアピールか?」
「そんな事っ──」
「この偽善者がぁー!」
隙を逃さず、俺は裕麻を思いっきり殴り付けた──!!
─────────────────
「もう一度言うが、お前には一週間の停学と反省文の提出を命ずる。しかと反省するように」
「はい。重ね重ね申し訳ございませんでした」
仏教面で先刻言った台詞を淡々と繰り返した教頭に、俺は再び頭を深々と下げ、職員室を出ていく。何故こんな大層なお説教を受けたかだが、それは勿論裕麻を殴ったのが原因だ。
しかし、はっきり言おう。あれは誤算だった。
まず、手加減して殴るはずだったのが、怒りに任せてしまったせいで本気の一撃になってしまったこと。
それに、あまりにもたくさん俺達の喧嘩を見物するギャラリーがいたことだ。
まぁそうだよな、こんな校門付近でドンパチやってたら誰でも気付くはな。はい、俺がバカでしたすいません。
というかそもそも暴力しちゃいけないよな。ホントすいません。まぁだからと言って俺はあれ以外の選択肢を見い出せるわけじゃないが。
それでも、俺の目的──『柏木と裕麻の仲直り大作戦☆』は成功したはずだ。
ちなみにその内容は、柏木が裕麻の傷心につけこんで好感度アップという、結構せこいものである。少なくとも、助けてくれた奴を無下には出来まい。
実際、今頃柏木は彼を保健室に連れていったり、励ましの言葉を送っていることだろう。それなら俺が不名誉を被ったことも少しは意味があったはず──と思っていたのだが、何故かその柏木が俺の方へ走ってきている。何で!?
「おい、裕麻に付き添ってたんじゃなかったのかよ」
「いや、保健室の先生に追い出されちゃったのよ。邪魔だからで出ていきなさい、って」
成程。一人納得した俺はそのまま帰路につこうとしたのだが。
「ねぇ、ちょっと待ってよ」
「あ?」
俺はめんどくさそうに、というかめんどくさいなぁと思いながら柏木の方を振り向く。
「約束」
「いや、だから何の」
「だーかーらー」
そして、その後に続く言葉は、完全に予想だにもしていないことで。
「今度の土曜日、私とデートしてもいいわよ?」
「はぁ?」
驚愕のあまり目を見開いた俺とは対象的に、相変わらず上から目線な柏木は、余裕ぶった不敵な笑みをニヤリと浮かべていた。
俺の二作目の小説を読んでいただき、誠にありがとうございました。今後ともよろしくお願いいたします。また、よろしければ評価やブックマーク等していただけると幸いです。