表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
9/79

10 友だちについて

           1


 友人について、色々と振り返りたいと思います。


 ある友人は、純粋かつ不道徳な生き方の達人で、しかも、その不道徳であるところは完全に本人の思慮のなさから来ているにも関わらず、なぜか、その生き方はさっぱりとしていて、粋で、人に愛されるというまことに不思議な人でした。僕は、彼を見ると、なぜか一休を思い出しました。友人は周囲の評価に流されることがなく、ただ自分の欲望にまかせて動いているのですが、どれも正直な行動である上に、もともとの性格が純粋で、憎まれることのない人でした。そして、昨日のこともすっかり忘れてしまうという単純さで、思い出話がいまいち盛り上がらないことが悲しいところでしたが、ひたすら今を楽しみ、明日のことは考えないという完全な自由人でした。


 もっとハートフルな僕の友人は、この自由人の友人を薄情だとよく叱りつけていました。自由人の友人は僕と一緒にこの説教をジーンと感動して聞いていました。

 この自由人の友人のすごいところは、気にしないことです。電車で怖いおじさんにからまれて、後ろから怒鳴られて、駅でずっと追い回されても、僕が足を速めているのを見て「どんだけテンションあがってるんだよ(笑)」とさも楽しそうにしているのです。最後まで、からまれていることにすら、気づかないほどです。

 高校時代、彼のズボンは、チャックが壊れているにも関わらず、直さずに、三年間開きっぱなしだったことも、まことに驚くべきことです。ちなみに高校は共学です。工事現場のおじさんに「チャック開いてるよ」と指摘されると「あのオヤジ、どこ見てんだよ」と言っていました。チャック開きっぱなしだったら、そりゃ見るでしょう、と……。恥とか色々なことを考えて萎縮してしまう僕には、その生き方はあまりにも大胆で、惚れ惚れとしていました。おまけに友人は、チャックに銀色のボタンを裁縫してもらって、それで閉じるようになったのですが、先生たちがそれを見て、吹き出していたのを覚えています。もちろん、その後は指導です。

 なんだか、犬のように可愛らしくて、みんなに愛されていました。自由人ですから、ドタキャンも遅刻も多いのですが、善良の極みなので、なぜだか許されてしまうという不思議な人間です。

 彼は製本会社に就職し、僕は大学に入り、よくカラオケに八時間費やしたりしながら、彼のPVをビデオカメラで撮っていました。彼はダンサー志望で、僕は撮影好きですから、そういうことになったのですが、僕がバックダンサーをさせられていたのは黒歴史です。その頃、僕はマイケルジャクソンにはまってましたから、とにかく、面白くしようというので、夜中の公園でビートイットとスムーズクリミナルを踊っていたという、本当に黒歴史ですね。DVDは消去したいと思います。その後は、彼に某アイドルグループを勧められて、そのライブにも何回か行きました。九州のライブを期に、僕は彼を残して、ファンを離脱しましたが、今でも彼はライブに行っているそうです。


           2


 僕は、小学生の頃、学校に上手く馴染めずに、家で悶々としていました。誰かにいじめられていた訳でも、先生に目をつけられていたわけでもありませんでしたが、多感なところのある少年だったので、あの教室という人の意識の集合体を、おそろしく思っていたのでした。


 その頃、仲の良かった友人がいて、学校に誘ってくれたり、教室に入りやすくしてくれました。卒業アルバムでも、友だちランキングという……なんでこんなもの順位づけなんかしているのか謎でしたが……ところで、僕を一位にしてくれていました。いつも、僕を擁護して、学校では一緒に行動していました。

 しかし、僕はその友人のありがたみをあまり感じてはいなかったのです。それよりも、幼稚園の頃からの友人の方が、難しい内容の話題も豊富にできたので、僕にとってはエキサイティングだったのです。

 それに対して、この小学校の友人はスポーツマンで、遊びが僕とは明らかに異なるようでした。それで、始終、追いかけっこをしている感じで、込み入った話もしないし、どこからが冗談で、どこからが真面目な話かもよく分からないし、冗談も度を越すことがしばしばですので、どこか物足らなく感じていました。

 今、振り返ってみると、この友人がとても天然の慈愛から僕をよく思って、接してくれていたのだということが、しみじみと分かります。

 犬みたいに懐っこくって、とても仲良くしてくれたのだと思います。

 僕と仲良くしていたもうひとりの友人と再会して話したのですが、そのもうひとりの友人というのが、小学校六年間で、屋上からの飛び降り未遂を十回も起こしたということでした。

 なるほど、すると、彼は学校に来ない僕とこの飛び降り未遂の少年の二人と付き合っていたのか、ならば、やはり慈愛があってそういう人を選んで、遊んでいたのだろう、としみじみ人の愛情を知るのです。


           3


 三つ目が、僕がミステリーにはまるきっかけであり、辛口批評もしてくれた、幼稚園から高校まで、特に親しかった秀才の友人の話です。

 彼は、幼稚園の頃から、やけに本を読むペースが早く、その度に先生に「みんなと同じペースで音読しなさいよ」と注意されていました。それから、図書館でよく本を借りて読んでいて、読書中に話しかけても、集中しすぎて、ほとんど気付かない人でした。また、ミステリー小説の影響で、探偵や警察官になりたいと思っていたらしく、僕から見ると、本当に博士か探偵のような印象でした。

 それで、僕は小学生の頃、下手くそな漫画ばかり書いていたのですが、彼がミステリーファンということもあって、自分でミステリー小説を書いて読んでもらおうと思いました。それで、とりあえず、適当にトリックを作って、彼を探偵にした短編小説を書いて、彼に手渡しました。


 ところが、原稿を読んでも、彼はなかなか面白いとは言わないのでした。不満げにトリックや文章の問題点を何点か指摘して、面白いなどとはちっとも言わずに、原稿を返してきたので、僕は当てが外れました。そこで、彼をどうにか心の底から楽しませて、面白いと言わせる小説を書こうということが僕の高校までの目標になりました。それで、何やかんやあって、三十作ほど書いて渡したのだと思いますが、彼が面白いと言ってくれたのは、たったの一作だけだったと思います。

 ところが、嬉しいのと同時に、その一作で、念願が叶ってしまったことで、僕の創作の勢いは落ちていってしまったと思います。

 そして、高校に入ってから、彼と会う機会が減り、作品を読んでもらえなくなると、なんとなく手応えのない感じがして、創作が一向に捗らなくなり、僕は文芸部の運営の方に関心が移ってしまったのだと思います。

 彼は、本当に生真面目で冷静な人で、大人に言われた通りに、坦々と勉強をこなす人でした。そして、彼が某有名大学に入学したという知らせを聞いて、僕は、彼はやはり努力家の秀才だったのだなとしみじみと思います。そのへんが怠け者で自由人の僕と違うな、と思うところでもあります。


 ミステリー小説を書くきっかけになってくれたこの友人のことを、小説を書きながら、ふと懐かしく思う時があります。彼は今どうしているだろうか、あまり詮索はしないで、すべては美しい思い出の中に取っておこうと思います。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ