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8 物語について

 僕は幼い頃、変な昔話を聞かせられていました。寝る前に、父親は「うさぎさんと猫ちゃんが山に登りました」という非常にシンプルな物語をわざとらしく語って、間もなく「ゴォーッゴォーッ」といびきをかいて、自分が先に寝始めたものでした。僕は、赤っぽい灯りを見つめながら、幻想的な心地にかられて、そのまま夢を見たものでした。

 母親は、物語を持ち合わせていなかったので、昔話の本を取り出して、朗読風に読んでくれたと思います。分厚い本がありまして、そこには怖い話とか、ひょうきんな話とか、ほらふきの話とか、色々ジャンル分けして書いてありました。

 僕は幼い頃、聞かされた昔話こそ、想像力の源のように思っています。あとは絵本でしょうか。当時読んでいた本を読み返すと、いかに幼き自分が自ら世界を想像して、楽しんでいたかが分かるように思います。つまり、僕がずっと懐かしく思っていた世界がそこには何も書かれていなかったのです。

 昔話のおじいさんは、どんな風貌の人だったのか、どんな道を歩いて、どんなおむすびを食べたのか、それどころか、おじいさんが住んでいる家の間取りや、おばあさんとの何気ない会話など、幼き自分は書かれていない部分まで想像しながら読んでいたらしいのです。

 それが、今の僕にはできなくなってしまったように思っています。小説に書かれていないことは、いくら考えても所詮は間違いだから、想像しようとも思わなくなってしまいました。

 幼き頃のように、自分の想像の世界で、ドラえもんのような本の中のキャラクターと一緒に旅行をすることもなくなりました。自分がのび太とクラスメートになったりするという妄想もしなくなりました。それは何故かと言えば、本編に書かれていないような飛躍的な妄想は、ただの間違いだと判断するようになったからです。

 そのため、自分の想像の領域は、年々減っていっているように感じています。自由ではなくなってきていると感じるのです。これは、絵本を読んで夢想することが好きな少年から、学術書を読んで文を正しく判断する大人へと成長できた証でしょう。

 ただ、それこそが、文学を創造しようとする人間からすると大変、悩みどころになるのだと思います。

 いつしか、僕たちはプロットを立てて、物語を考え出すようになりました。でも、物語とは本来、妄想するようにして出来てくるべきものです。それが、どこかで忘れ去られてしまったような悲しさがあるのです。

 夢を見るように物語を紡いでいた少年時代に戻ってみたいとは思いませんか?

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