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43 雑談15

 コロナ禍のため、休日の遠出をまったくしていないので、エッセイに書く話題がほとんどない。


 ただ、最近はインド映画の「ムトゥ踊るマハラジャ」を観たおかげで、インド映画にハマり、いつも以上に首を横に動かしている。そのあと、インド映画つながりということで、「プレーム兄貴、王になる」を観た。これもなかなか面白かったが「ムトゥ」の方が僕の好みだった。

 この映画の特徴といえば、やたら踊るミュージカル映画ということだが、なんとなく自分の小説の作風に似ている気がして、非常に好みだった。

 まず、固定観念に縛られていない、寛容な意識を持ったコメディだと思った。さらに、主人公の顔が好みだった。僕は小さい頃からの口髭を生やした面白い顔のおじさんが大好きだったのだ。画面の色彩が濃いところも僕好みだ。インド美人が登場してくるところもよい。僕は、ダンスや音楽が大好きで、ミュージカル映画は大好物である。哲学的な聖者が登場したところで、まさにこれこそ自分好みの完璧な作品だと確信するに至った。

 まあ、この映画についてはいずれエッセイで触れるだろう。


 それからインド文学に興味を持って、何冊か、インド文学を購入し読んでいる。クリシャン・チャンダルの「ペシャーワル急行」を読んだ。これは壮絶な話で、暗く重い物語だが、機会があれば是非読んだ方がいいと思う。

 インド文学は、日本ではほとんど紹介されていないらしい。インド映画の方はまだ紹介されているが、それでも似たような状況だ。それどころか、この日本にいてはインドを感じられるものといえば、まずインド料理屋のカレーライスぐらいのもので、どこへ行っても、インドの仏像なんか見ることできないし、インドの宮殿に入ることもできないし、ヒンドゥーの祭りに遭遇することもない。ましてや、華麗に踊っているインド美人に出会えることなんて、そうそうありはしないのだ。

 日本において、インドカルチャーを味わいことは難しい。こんなことを考えると、日本に釘付けにされていることが不満になるし、日本文化というものが重たく、閉塞的に感じられてくる。


 僕は基本的には日本が好きで、日本文化を愛しているし、日本人は、米と納豆と豆腐と魚と梅干しだけで生きていくべきというものすごく保守的な考えにも陥ることもある人間なのだが、そんな僕でも、インドには憧れがある。

 インドは天竺なのだ。僕が仏教史などを学んでいて、お寺めぐりをしていた頃に、仏教の聖地はやはり天竺インドなのだという考えがあった。中国の仏教にも憧れがあったが、それはあくまでも中間地点で、やっぱりインドの仏教こそ、真の仏教という考えを持っていた。もちろん、今ではインドの仏教と日本の仏教は別ものだという考えを持っている。

 ところが、インドの仏教に憧れている若者であったKanさんにとって、馴染みがあるのは、唯識の大乗仏教が興隆した頃までのインドであり、ヒンドゥー教やイスラム教が盛んになってからのインドについてはちんぷんかんぷんであった。

 今回、インド映画やインド文学を通して、現代インドに接近することができてよかったと思う。


 接近したというより、インドにハマっただけだが……。


 インドにハマっているという今までの話は、ただの近況で、これからジャズの話をしようと思っていたのだが、予想外に近況が長くなってしまった。今からジャズの話をするのもなんであるし、かといって、インドの話を続けようにも、まだそこまで語れる話を持っていない。インドにハマったのはつい二週間前のことなのだ。またここで、インド仏教の解説をするつもりもない。


 そこで、カレーの話でもしようと思う。僕は、インドのほうれん草カレーが好きである。ポークカレーやビーフカレーはあまり好みではなく、大体、チキンカレーか、野菜カレーか、ほうれん草カレーを食べる。ナンでも食べるし、米でも食べる。

 日本のカレーよりも、欧風カレーよりも、インドカレーが好きだ。タイのグリーンカレーも好きだ。ただ、最近は食事に好き嫌いを言わなくなってきている。美味しいとか不味いとかいうことが食事だろうか、と言うことが疑問に感じられてきたからだった。美味しいものだけ食べることができれば幸せになれるのか。つまり美味しいと不味いに優劣はないのではないかと思い始めたのである。美味しいか、不味いかの二元論になってしまうと、味の微妙な個体差が失われてしまう。美味しいと不味い以外の情報を探り出そうと必死になっている。味覚は色彩のようなもので、赤が青よりも感動が大きいということがないように、味わいも、個人的な好みと内容の問題である。だからビーフカレーは僕にとって一時的に不味かったとしても、それ自体に不味いという性質があるのではなく、要は僕にとって不味かっただけで、明日には僕の味覚が変わって美味しくなる可能性もある。だから、インドカレーに美味しい味があるわけではなく、僕にとってふさわしかったから美味しいと感じたにすぎないだろう。また、美味しさは味そのものではない。不味さも味そのものではない。僕とそのカレーの関係の一面を表しているにすぎない。こう考えはじめてから、食べものを美味しいと感じる機会がむしろ減った気がするが……。


 また脱線してしまったが、まあ、こんなところで、今回のエッセイを終わりにしようと思う。

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