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36 雑談8

 この頃、いよいよ自分にとって人生の節目なのではないかと思える状況で、世の中は争いごとが溢れているが、生よりも死の恐ろしさ、孤独になる虚しさを痛感し、もはや仲違いなどしている場合ではないという気がする。そこで人からいくら嫌われようと、人を嫌おうとする気持ちは希薄になり、それどころか、見栄とかプライドとか、競争心すらも無くなって、一人、瞑想の旅路を彷徨っている。しかし、人生を楽しむには、やはりある程度、見栄とか、プライドとか、競争心が必要だと思うので、いつかそういう気持ちが蘇ってくれることを願いたい。


 さて、今日は久しぶりに、自分が好きなものを語ろうと思う。昨日はバッハのCDを購入した。「マタイ受難曲」である。指揮者はリヒターである。リヒターという人はよく知らないが、バッハの権威だと思う。実は、オットー・クレンペラーという指揮者が好きで、クレンペラーのバッハを探していたのだが、このコロナの時期、あまり遠出もできず、地元のCD店でリヒターのバッハを購入したのだ。

 バッハは好きである。否、現在のほとんどの音楽がバッハの築いた大地の上にすくすくと育ってきた子どもたちであろうから、好きとかいう次元の話ではない。もはや信仰対象である。バッハの影響を一切受けなかった音楽は、日本の雅楽とか、アフリカの民族音楽とか、そういう限られたものだろうと思う。

 どんな人でも、バッハはいいね、と言う。たぶん。バッハは俗っぽさがなく、大理石のようだ。それは言うなれば、森鴎外とか、文学で例えるとそういうイメージで、非常に硬質で、不変の美をもっていて、燦然と輝いているように感じられる。

 僕は以前から、グレングールドの演奏しているバッハのピアノ協奏曲が好きで、よく聴いていた。今回、購入したのは「マタイ受難曲」ということで、宗教性も増し、その神々しさ、荘厳さは圧倒的である。……というようなことを書こうと思っているのだが、実際はまだまだバッハのことはよく分かっていない。一生かかっても分からないものだろうが、この機会に一つ一つ、勉強していきたい。

 最近、僕の周囲には、ゴツいものばかりが揃っている。バッハの「マタイ受難曲」を聴きながら、トルストイの「戦争と平和」を読んでいる。勉強としては、五来重先生の仏教民俗学の本を読んでいる。どれも面白いものばかりで、実際には肩が凝るようなことはないのだが、はたからみると、相応お堅い人間と思われてしまいそうな気がする。

 そうそう、この頃、念願だったスヌーピーの漫画を購入した。小さい頃、何度も何度も読もうとしては、内容がまったく分からず、困ったものだった。その頃、友達が大のスヌーピー好きだった。子供の頃、僕はスヌーピーのマグカップを使っていた。やはりスヌーピーは可愛い。今でも、LINEのスタンプは主にスヌーピーのものを使っている。他には、ドナルド・ダックとピングーのスタンプを使っている。ちなみにピングーも小さい頃、大好きだった。この前、映像を見直して、あのほのぼのした世界に遊びに行きたくなった。


 川越の小説を書こうということで、休日は川越に出向いているが、なんということだろう、8月末あたりの投稿を予定しているのに、テーマすら見つけていない。このままではまずい。自分で決めた締め切りだからどうにでもなるが、この作品の予定自体、4月頃に宣言していたものを先延ばしにしてきたものだから、これ以上、だらだらしてしまうといつまで経っても投稿できなくなってしまう。民俗色を出そうとしているのが、間違いの元ではないかという気もするが、歴女の夕紀百合菜と民俗学教授の胡麻博士のコンビなら、川越の歴史や民俗に少しでも触れたいものだ。


 ※このエッセイは、ワーグナーのオペラ「マイスタージンガー」のラスト部分を聴きながら、書いています。興奮しています。


 川越が舞台のミステリー小説! なんと素晴らしい思いつきだろうか。それも夕紀百合菜と胡麻博士のコンビははじめての試み、その後、歴女の百合菜が胡麻博士の弟子になって、いずれは彼女が大学院に進む未来が僕にはぼんやりと見えているのだ。まあ、未来なんてものは誰にも分からないけど。和泉八重が主人公の「紫雲学園の殺人」、田所由依が主人公の「奇術邸殺人事件」に続く、第三弾として今回の川越の短編ミステリーは想定されている。夕紀百合菜が主人公として設定されているのはそのためだ。


 ところで、紫雲学園シリーズは長編三部作の予定である。ここに短編ミステリーはカウントされていない。いつか、八重ちゃんたちが二年生になった頃の物語を描いてみたいが、それがいつ頃の執筆になるかはまったく分からない。僕の物語世界は竜宮城のように時間がゆったりと進んでいる。


 そういえば、海上他界の竜宮城は、日本古来から伝わる常世(とこよ)の変形らしい。これは海に死体を葬る、水葬から来た他界観なのだが、竜宮にせよ、常世にせよ、時間が止まっている世界ということになっているということだ。あるいは時間がゆっくり進むという説もある。


 脱線して、今日のエッセイは終わる。

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