26 好きな作家を三人選ぶとしたら
もしも残りの人生で、三人の作家の小説しか読んではいけないとしたら、さあ誰を選ぶ、と神様に言われたら、僕は何と答えるだろうか、と夜道を歩きながら考えていました。
皆さんだったらどうしますか。一人ならかえって決めやすいというものですが、三人というと三人目あたりで悩んでしまいますよね。
まず僕は谷崎潤一郎先生が好きです。だから第一に谷崎潤一郎先生の小説を選びたいと思うんです。
高校の頃に読んだ『痴人の愛』は衝撃でした。その頃というと僕はミステリーばかり読んでいましたから、純文学なんてどうでもよかったし、もっと退屈なものだと信じこんでいました。おばあちゃん家の本棚にある『赤毛のアン』とかO・ヘンリーとか『風と共に去りぬ』とかには目もくれず、横溝正史の破れかけた黒い背表紙を選んで、自宅に持って帰っていました。小学生の頃、怪談が読みたくて、泉鏡花の小説を買ってもらいましたが、内容は理解できませんでした。そういうわけで僕は純文学に縁がなかったのです。それが『痴人の愛』で印象が変わりました。純文学にもこんなにエンターテイメント性があって、スリリングなものがあるのか、というショックが強かったんです。谷崎潤一郎の物語作家としての冴え渡るエンターテイメント性、それと共に圧倒的な文章力、耽美な世界。それから、谷崎潤一郎先生の作品は何作も読んでいますが、どの作品もつまらなかったことがありません。中でも『細雪』は僕が一番好きな小説です。とにかく、これほどサスペンスに満ちて、スリリングで、圧倒的な小説はないと思います。源氏物語の影響を多分に受けた和文風な流麗調の文体で、センテンスが実に長いものでした。確か二百字で一文というところもあったと思います。それが印象を曖昧にして、上品でなよびかな味わいを生み出しているのです。それに人間描写が鮮やかで、本当の知り合いの話のように語れるところが面白みです。とにかく、この小説は三分の一が過ぎたあたりから事態が悪化する一方で、大スペクタルな展開に突入し、困難が降りかかってきて、読者を最後まで離さないのです。登場人物の中でMVPを一人選ぶとしたら、雪子さんと妙子さんで一瞬悩んで、やっぱり妙子さんにするかもしれません。とにかく、大波乱の物語です。ちなみにこちらは谷崎潤一郎の第二期にあたり、第一期は、西洋趣味で悪魔趣味で悪女に踏まれたりする話になります。『痴人の愛』が代表作ですね。短編の名作は『少年』と『秘密』。第二期は、日本趣味で古典趣味で、例えば歴史紀行文風の『吉野葛』とか、盲目の三味線弾き春琴と佐助の悲劇的な愛の物語『春琴抄』とかがあります。
ちなみに谷崎潤一郎先生には『陰翳礼讃』という素晴らしいエッセイがあり、『文章読本』はボールペンでぐちゃぐちゃになるまで勉強させていただきました。さらに先生は『源氏物語』を現代語訳されています。
今、思ったのですが、なんで僕は谷崎先生の作品紹介をしているのだろう……。
三人、選ぼうという話でした。脱線してすいません。でも、二人目から悩みどころです。三島由紀夫先生は尊敬はしているけど、わずかに自分の求めている方向性とは違う気がします。それは宮沢賢治先生も同じです。でも、宮沢賢治先生の『注文の多い料理店』は一番好きな童話ですし、『セロ弾きのゴーシュ』も本当に感動しました。『猫の事務所』も好きです。記念館にも行きました。でも、三人のうちのひとりに選ぶべきかは悩みますね。
やっぱり志賀直哉先生だろうな、という気はします。志賀直哉は短編の名手で、もっとも美しい作品を書かれる方だと思っています。その美しさとは、たとえば、長い年月使い込み、魂の乗り移った茶器のような、じんわりと身にしみてくる美です。『灰色の月』『網走まで』『ある一頁』『小僧の神様』『転生』『冬の往来』『濠端の住まい』『雪の日』『清兵衛と瓢箪』『城の崎にて』などなど、良い作品は沢山あります。僕が好きなのはその鮮明な感覚の美です。文章が極度に圧縮され、つまり文字数が減らされ、内容が濃くなり、余韻という形で強烈な印象が胸に残るわけです。僕は読み始めの頃、淡白な文章と呼んでいましたが、今では濃厚で簡潔で鮮明な文章と思っています。
三人目は誰でしょう。芥川先生の『トロッコ』が好きなのですが、うーん、この場では違う気がします。カフカの『変身』やドフトエフスキーもナツさんの影響で読んでいるのですが、まだ三人目に選ぶほどは読めていませんからね。井上靖先生の『天平の甍』や『敦煌』もものすごく感動しましたが、どうなんでしょうね。僕はわりと名作のつまみ食いが多いので、どの人のも何作かずつは読んでいることが多いのですが、この人こそというのは少ない気もします。
ミステリーなら内田康夫先生のものになるかもしれません。あるいは江戸川乱歩先生とか。乱歩に関してはかなり読みました。一番好きな作品は『孤島の鬼』『黒蜥蜴』、短編だと『鏡地獄』が好きです。あとはありきたりですが『屋根裏の散歩者』とか。はじめて読まれる方は短編集をお勧めします。乱歩も短編の名手なんです。あとは随筆が面白い。『探偵小説四十年』というのが面白いです。ちなみに以前はミステリーとあらばなんでも読みましたが、今では文学性が高いものじゃないと嫌な気がしてしまいます。
ちなみに中学生の頃は高木彬光先生の作品が一番好きでした。高木彬光先生だともちろん『刺青殺人事件』『能面殺人事件』『人形はなぜ殺される』といったものも好きでしたが、たとえば歴史ミステリーの『成吉思汗の秘密』とか『邪馬台国の秘密』とか、法廷ミステリーの『破戒法廷』とか……なんだかもっとあった気がしますが、とにかく作品のバリエーションが多いことに驚きました。そのいずれも面白く、興奮していた僕は、青森のご自宅の跡地まで行ってしまいました。本当に何も残っていませんでした。
なんだか、埒があかないので、三人目は未定ということにします。それでは、おやすみなさい。




