3 映画の思い出
前々回、趣味の一つとして映画を挙げた。幼稚園の頃から小学生の頃まで、僕は映画監督になりたいなどということを周囲に語っていた。ところが、なぜ当時の僕がそんなのことを思っていたのか、自分でもよく分からない。幼稚園生の頃、どんな映画を見て、そんなことを思ったのか。今から思うと恥ずかしい。
小学生の頃に、夢中で見たのは、やはり『スターウォーズ』『ジュラシックパーク』『インディージョーンズ』と言った、ルーカスやスピルバーグの映画の数々だった。それと1933年制作の『キングコング』が図書館の棚に置かれていたので、好んで借りて見ていた。この作品を幼少期に観ていたことから、僕は白黒映画への抵抗がなくなった。後は図書館で『猿の惑星』を借りてよく見ていた。この二つの映画のせいで、僕は猿に対して恐怖を抱くようになった。いや、この二つだけではない。あるミステリーの名作を読んだことも猿をおそろしく感じはじめたきっかけであった。ちなみに映画ではないが、ウルトラセブンのゴーロン星人も怖かった。
夜になると、普通の子どもがシーツをお化けと思って怖がるところを、僕は「猿が来る」と思って、夜を怖がっていた。
あとはSFというと『バック・トゥー・ザ・フューチャー』を見たことぐらいだろうか。それ以外には、クレイアニメーションにハマって、レイ・ハリーハウゼンの『シンドバット 七回目の航海』を好んで観たりと、極めて健全な趣味だった。
中学生の頃になると、黒澤明の映画の夢中になった。特に『用心棒』はよく見ている。一番感動したのは『生きる』だったが、毎回見る度に感動が薄れてゆくので、感受性が豊かだった中学生の頃に見たまま封印した方が良かったと今では後悔している。あの当時は「何のために生きているか」という問いが生じ始めたばかり、それがようやく深刻になってきていた時期で、しかも、現在よりも悩み方が純粋だった。それで『生きる』は、衝撃をもって迎え入れられたのだが、自分自身が腹黒くなったせいか、今ではあまり感動できない。
何はともあれ、僕にとって一番面白いと思う映画というのは『用心棒』に他ならない。中学生の頃に、黒澤映画の七割を見たのだと思うが、一旦、そこで落ち着いた。それ以降、マイブームは四度ほど訪れていて、その度に好きな作品を中心に見直したりしている。だいたい、この当時はレンタルショップで一本借りると三度は見ていた。しかし、今は集中力が減ったせいなのか、一本借りたら一回だけ観て返してしまう。それどころか、疲れていて、一本も見きれない時がある。以前は画面から目を離さないで、じっと見ていたのに、今では他に気が散って仕方ない。困ったものだ。
中学生の頃というのは、何か小学生の頃に芽生えた興味が、形になり始める時期でもある。また何かと不安定で、その代わりに感受性が豊かな時期でもある。ミステリーと黒澤映画というのが、この頃の僕を支えていたようだ。思想的な影響は、黒澤映画から来るものの方が大きかった。
あとは原作を読んだ後に、市川崑監督の映画化した『犬神家の一族』を観た。大野雄二さんが作曲したテーマ曲も好きである。ミステリーとしてどうとか言うのではなく、映画として純粋に好きである。最初に制作されたバージョンと作り直したバージョンがあるけれど、僕としては断然、最初の方が良いと思っている。
市川崑監督の作品は、この頃に『炎上』やら『ビルマの竪琴』やら『細雪』やらを観ているが、どれも原作の方が良いのではないかな、とは思いつつも、映画としてのクオリティーの高さに驚いている。
小津安二郎の映画は、むしろ高校の頃に見た。『東京物語』の印象が鮮明である。それと共に、山田洋次監督の『男はつらいよ』は、僕の好きな映画ランキングでは、かなりの上位の傑作で、先輩に尋ねられた時につい二位と言ってしまった。二位かどうかは分からないが、柴又の雰囲気、渥美清様、志村喬様の名演や人を感動へと導く自然な演出など、圧巻である。……と言っても、そんなに沢山観ているわけではなくて、今でもたまに借りて、好きな作品を増やしている状態。僕が傑作と言ったのは、第1作と第2作のことである。
チャップリンやらキートンにハマったのもこの時期。とにかく名作を漁って観るようになっていた。
チャップリンは『街の灯』が一番好きで、何度か観ている。はじめてチャップリンを観ようとしている人がいたら、『街の灯』か『黄金狂時代』のどちらかをお勧めするだろう。学校の授業で『ライムライト』を観せてもらったことがあるが、僕自身は既に観ていたので良いとしても、周りの生徒の反応はいまいちだった。その点を踏まえて、僕は、多少なり感動を求める人には『街の灯』を、本当にお笑いを楽しみたい人には『黄金狂時代』を勧めるようにしている。ただ、もっと現実的で、社会問題に関心のある友人は『独裁者』や『モダンタイムス』を評価していたようである。
高校生ならば当然であるが、ブルース・リーとジャッキー・チェンにハマった。僕には、アクション映画マニアでジャッキー・チェンのファンである友人がいたので、新聞紙でヌンチャクをつくった。屋内で一緒に遊んだら、破壊力がわりとあった。だから、僕はストローと黒いガムテープを使って、軽くて安全なものに作り直した。
ブルース・リーは作品数が少ないので、わざわざどれが良いなどと選ぶ必要もないが、ジャッキー・チェンはやっぱり『酔拳』と『プロジェクトA』が一番好きだった。全部観ているわけではないから、詳しいことは何とも言えない。そこはジャッキー・チェンのファンである友人に聞いてほしい。
ちなみに大学時代になると、茨城からやってきた友人が『戦場のメリークリスマス』を紹介してくれて、今でもそれが僕のバイブルとなっている。戦争映画というと『戦場にかける橋』など、忘れられない作品が多いのである。実際にはわりと筋を忘れている。まあ、忘れたところで見直すという楽しみもある。
それと『シンドラーのリスト』や『プライベートライアン』は、軍事オタクの友人の勧めと先生の紹介で、この時期に立て続けに観させて頂いた。すごい名作なのだが、3時間ほどもある映画は、作品の構成が……なんというか、感覚的な表現で恐縮だが……飽和している気がして、満足できない。僕は、基本的に映画は起承転結で観ているので、今、どこにいるのか分からなくなる。ちょっと『吾輩は猫である』を読んでいる感覚に似ている。
黒澤映画でも『七人の侍』より『用心棒』を僕が選ぶのは、そのせいかもしれない。
その頃の僕は『ローマの休日』などを観る一方で、ヒッチコックの『めまい』や『サイコ』といったサスペンス映画もようやく見始めたところだった。最高傑作は『めまい』だと思うけれど、『ダイヤルMを廻せ!』も、純然たるミステリーといった感じがして好きだった。
サスペンス映画とミステリー映画の定義が、僕にはいまいち分からないのだけれど、同じものとして語るならば、1974年の『オリエント急行殺人事件』もミステリー映画として非常に魅力的だったと思う。中学生の頃、『ナイル殺人事件』を観て、俳優がポアロらしくないと不満に思っていたのだが『オリエント急行殺人事件』の方はかなり好ましく感じられた。
大学時代に観た映画で、特に素晴らしかったのは『ニューシネマパラダイス』だ。多少しつこいと感じられるほどの感動もので、関係ないかもしれないが、そこからはイタリア人の気質を感じた。音楽がまた良かった。
ここまで語ってお気づきだと思うが、僕はどうも古くさいものが好きらしい。例えば、ディズニー映画では『白雪姫』と『ファンタジア』が一番好きなのだ。僕はルーツに価値を感じる元祖主義者(?)なのだろうか。
例えば、『白い巨塔』は、一番古い山本薩夫監督の映画を観てしまうし、結果的に後の方が洗練されていると感じていても、リメイクと思うと興味が失せてしまう傾向にある。
きりがないので、映画の思い出もここらで終わりにする。