20 京都旅行について1
外を見ると、雨は降りそうもありませんでした。それでも、新幹線の窓から見える空は、白くぼやけて見えました。
その日の朝、僕は京都へと向かう新幹線の座席に座っていました。隣には、祖母の姿がありました。網棚の上のビニール袋には、穴子のお弁当と、海鮮のお弁当が入っていました。
この日、僕は四度目の京都旅行に出かけました。はじめて出かけたのは、大学の頃のことで、ひとり旅でした。思い返してみれば、それは、ひたすらお寺をめぐって、帰ってくるだけの忙しない旅でした。
大学の頃の、はじめての京都旅行では、一日目に、徒歩で、西本願寺、京都国立博物館、三十三間堂、清水寺、建仁寺をめぐり、二日目に南禅寺、永観堂の前を通って、銀閣寺、金閣寺、龍安寺、仁和寺をめぐり、三日目に宇治の平等院、東福寺、東寺をめぐって帰ってくるというスケジュールでした。わけが分からないぐらい、ハードな予定でした。しかし、僕はもう京都旅行はこれっきりだと思っていたので必死だったのです。そうでなくても、閉所恐怖症的で、乗り物恐怖症的な僕は、あまり閉鎖的な乗り物には乗りたくないし、遠出もしたくなかったのですが、それよりも、京都に行きたいという気持ちの方が強くなって、無我夢中で、新幹線に飛び乗ったのでした。
その頃、僕は大学の史学科に通っている学生でした。周囲は、歴史のうんちくを語り合う人間ばかりで、何か知らないことがあると、大変気まずい思いをしたものでした。京都に一度も赴いたことがないというのも、僕にとっては、非常に恥ずかしい事実でした。それは、僕が仏教史にスポットを当てて調べはじめてから、その気恥ずかしさが増していったのです。どうにも、京都に赴れたことがないのが、恥ずかしくてたまらず、その事実をそっくり隠すか、仏教史に関心があること自体を、人に言わないでおこうと思ったものでした。
だから、一回目の京都旅行というのは、本当に勉強が目的で赴いただけのものでした。
しかし、京都旅行も、四回目にもなると、もうそんな忙しない旅行はしたくないのです。ゆったりとした、風情豊かな旅を望むものです。
今回の僕というと、仏教や歴史の関心は減っていて、京都は源氏物語の舞台だなぁ、というぐらいしか頭にありませんでした。最近の僕は、小説のことばかり考えているような人間ですから、新幹線の中でも、「夏目漱石の「こころ」は、奥さんが一番可哀想だ」などと、京都とは関係のな話題を、祖母に喋っていました。
僕は、この時、本当に「こころ」の先生に我慢ならなくて、Kとの友情は後回しにしてほしい、と不満でした。
しかし、新幹線でそんな話をしていると、あらためて、何年か前に、「恋は罪悪ですよ」という先生の言葉が胸に刺さって、文庫本を伏せた自分のことが思い出されて、妙に神妙になりました。
それにつけても、新幹線というものは頭の回転が良くなるらしく、文学の話題はなんとなく数珠繋がりに出てくるのでした。ちょっとすると、志賀直哉の「暗夜行路」の話に移りました。
皆さまは、僕が祖母についていけない文学の話題を一方的に喋っていたなどと思っては勘違いです。祖母は、文学好きです。小説家の講演会をよく聞きに行くような、粋な祖母なのです。だから、これは別段、普通の話題だったのです。
実を言うと、祖母もそうですが、母も文学好きでした。だから僕は、祖母の家に訪れた際、本棚に残された「赤毛のアン」などの背表紙を見て、これの何が面白いのだろう、と疑っていたものでした。
中学校の頃、僕は横溝正史、高木彬光、江戸川乱歩の三者を神と崇めておりましたし、純文学には関心がなかったのです。そのくせ、純文学が原作の映画は、「風と共に去りぬ」でも何でも、好んで見ていたのですから、食わず嫌いというものです。
皆さまは、全く京都の話にならないとお思いでしょうが、これはあくまで僕の日記なので、このような脱線があることをお許しください。
志賀直哉の「暗夜行路」のラストの情景描写は、情景描写の中の王様に当たるでしょう。それはそうなのですけど、僕の中では、志賀先生の「雪の日」という短編のことが頭から離れずに、ぐるぐると廻っておりました。
さて、富士山が曇り空の中に影絵のように映っていたのを見て、僕はちょっと不思議な気持ちになりました。
車内で食べた穴子弁当も、コーヒーもとても美味しかったです。
京都駅に着いたのは、十一時半頃のことでした。京都タワーがとても明るく、天を突き上げるように建っています。
とても、清潔な風が吹き、なんだか、落雁のような甘い香りが漂ってくる、とても心地よい空気の駅前です。
下水の匂いがしないところが、東京との違いです。
それで、京都タ◯ーホテルに赴き、荷物を預けます。この辺までは、前回の旅行と同じです。
これから、金閣寺への旅が始まるのです。僕は、にわかに緊張していました。




