12 人を好きになることについて
人を好きになるというのは、辛いものだなぁと思います。どうも、僕のようなポンコツが人を好きになると、幸せよりも苦しみの方がよっぽど多いようです。
僕という人間は、ポンコツなので、人を好きになると、その人の心が自分に向いているかどうかがとても気になって、嫉妬はするし、わがままになるし、好きな人への甘えなのか、悲しくて怒りっぽくなります。天邪鬼な、冷たいそぶりもします。どうも、僕はポンコツなので、すっきり、素直に人を好きになるということができなくて困ります。なんだか、その人が遠ざかってゆくような、わけのわからない悲しみに包まれているのと、自己の内面がここまで醜かったかとおそろしく思う時があります。
というわけで、現実の僕は、ポンコツということで、これからも、よろしくお願いします。(なんじゃそりゃ)
しょっぱなから、暗いお話だったので、可愛らしい頃の話をひとつ。僕にも可愛らしい少年の頃があったのです。いや、本当ですよ。小学校の頃、それも一年生の頃のお話ですが、その頃、教室にひとりだけ、猛アタックをしてくれた女の子がいました。とても可愛らしい女の子だったと思います。毎日、ふたりで手をつないで、一緒に帰ろう的なやつです。印象が悪くなることを承知で申し上げると、僕はこの時、毎日、この女の子を振り切って走って、逃げていました。ひとりで帰っていました。僕は、この女の子の気持ちが分からず、どうして、束縛するのだろう、手を握るのだろう、と嫌悪しました。おまけに、振り返ると、なんで走って追いかけてくるのだろう、なんで、男子である僕が、無理矢理、女の子たちのグループに合流させられるのだろう、こんなところ誰かに見られたらどうするんだ、と僕は、とても嫌だったのです。
その時、僕はまだ人を好きになったことがありませんでしたし、小一ですと、女の子の方が腕力もあるし、手を掴まれると、意味がわからなくて、こわかったのです。
しかし、さすがに小学校の高学年も過ぎると、自分自身も人を好きになるようになります。あの人、いいなぁと色々思うわけです。それ以降、中学、高校と、人を好きになる機会も増えてきますと、例のポンコツ頭になる機会も増えて、人を好きになることの苦しみがだんだん分かってきました。そこで、ようやく僕は、小学校一年生の頃、自分は悪いことをしたな、と気づくのでした。もしも、自分が好きだと思う人の腕を取って、一緒に帰ろうとしたら、その都度、振り払われて、毎日、逃げられたら、追いかけても、逃げ続けられたら、と思うと……。
筆者にとっては、この思い出は、完全に楽しかった思い出と化しているのですが、あの女の子にとっては、自分の気持ちを理解してもらえずに、ひたすら拒絶されて、傷ついた思い出となったのだろうと思うと、ちょっと、もう何とも申し上げることができません。小学校、高学年の頃、我が恩師が、その女の子の繊細さを心配されていました。ああ、そんな繊細な子だったのか、と知ると、自分はずいぶん人を傷つけてきたものだと思いました。
どうも明るい話に切り替えようとしたら、またしても、暗い話になってしまいました。まあ、小学校の頃のことですから、さすがに当人は忘れているでしょうと思っても、案外、当人は覚えているもので、その女の子も、もしかしたら覚えているかもしれません。
もしも、小学生がこのエッセイを読んでいたら(そんなはずはないけど)こう忠告しておきます。女の子の手を振り払ってはいけません。




