バカ言ってんじゃないよ
「姉さん、どうしたの? 何かあった?」
賢司を迎えに行くとスーパーで別れてから、周は帰ってきた美咲の顔色が優れないことに気付いた。
兄も一緒だった。
兄はやはり具合が悪いようで、無言の内に部屋に引っ込んでしまう。
「うん、いろいろありすぎて……」
「旅館の方で何か、トラブルあったんだろ? 詳しいことは知らないけどさ」
「そのことなんだけど……」
美咲が言いかけた時、携帯電話が鳴りだした。
ビアンカだわ、と姉が応答する。
『はぁい、美咲!! 今、平気?!』
姉の友人でドイツ人女性は、とにかく声が大きくて元気だ。
大丈夫、と言いつつ美咲はリビングから出て行ってしまった。
餌をくれ、と猫達が集まってくる。
取り残された周は、とりあえず食事の支度をすることにした。どういう理由なのか知らないが、賢司は姉の作ったものを食べない。
だから最近はもっぱら周が料理をすることにしている。
まさか、毒を盛られることを心配していたりしないだろうな? バカなことを考えるなとでも言うかのように、三毛猫が足元で抗議の声を上げたような気がした。
考えすぎか。
どうでもいいけど、どうして女の人っていうのはああも長電話なんだろう。
というかLINEとかメールとかじゃなくて、電話でというところがいかにも機械音痴の姉らしい。いい加減、電子機器に慣れた方がいいんじゃないかと周は時々思う。
以前テレビで見たのだが、どん底の経営状態を見事に立て直した箱根かどこかの温泉旅館では、IT技術を駆使し、電子機器で業務全体を管理したことが秘訣だったという。
それはそれで資金がかかりそうなもんだけどな……と、思いながら見たことを思い出す。
周がすっかり夕食の用意を済ませた頃に、美咲が申し訳なさそうな顔で台所に戻ってきた。
「ごめんね、すっかり長話しちゃって。すぐ後に、お母さんからも電話がかかってきたものだから」
「いいよ、別に」
むしろ、そういう友達ができたことが良かったと思える。
「そうだわ周君、冬休みの間のお手伝いの件なんだけどね……」
足元で猫が鳴きだした。
「はいはい、ちょっと待ってろよ」
周は戸棚に手を伸ばして猫の餌を取り出した。
「確かに年末は忙しいから、手伝ってくれるのはありがたいって言っていたわ。でも、猫ちゃん達をどうするかっていうのがね……宴会もあるから、日帰りは難しいのよ」
「賢兄に任せればいいじゃん」
すると美咲の表情が曇る。
「……もしかしたら周君、私の代わりに行ってもらうことになるかもしれない」
「そんなに、具合悪いの?」
「年明けに検査入院ですって。だから……」
そういうことか。
いったいどんな病気だと言うのだろう?
ぼんやりしていたら、餌を持っている手を引っかかれた。
まったくこの茶トラは。周が餌を皿にあけると、賢司が部屋から出てきた。
確かに顔色が悪い。
賢司は気だるそうに歩きつつ、ソファに腰を下ろした。
「あのさ、賢兄。俺、冬休みの間……姉さんの実家の手伝いをしようと思うんだ。行ってもいいよな?」
そんな暇があるなら勉強しろ、とでも言われるのかと思いきや、
「……好きにすればいいよ」
意外な返答だった。
「君ももちろん、行くんだろう? 美咲」
そう問いかけられた姉は少し戸惑った顔をした。
「……そうしたいけど……」
「実家に帰りたいんなら、行けばいいじゃないか」
コーヒーを淹れてくれないか。兄はそう言って新聞を広げた。
「……旅館の方が、年末年始が忙しいから手伝って欲しいって。でもそんな調子のあなたを置いてはいけないし……」
「だったら僕が君の実家に行こう。一緒に猫も連れて行けばいい。そうすれば、君も心おきなく働けるだろう?」
「……え?」
「正月にお嫁さんの実家に行くのは、ごく普通のことだろう? べつに旅館の方に泊めろなんて言っていない。まさか実家に泊まらせてもらうのに料金を取る訳じゃないだろうね」
意外な申し出に姉と弟は顔を見合わせた。
何となくだが、これから何か変わるかもしれない……そんなふうに感じた。