ラッキーとはこういうことなのか
「何か……?」
「いえ。若尾様、ですね。少々お待ちください」
斉木は事務所に引っ込む。
駿河は相方に声をかけ、ロビーに設置されているソファに腰かけた。
「もしかして、刑事さん?」
頭上から女性の声がした。
顔を上げると、この旅館の制服を着た中年女性がすぐ傍に立っていた。
「あなたは……?」
年齢は、生きていればおそらく自分の母親ぐらいだろう。皺はやや目立つものの、顔立ちそのものは決して悪くない。
「こないだのニュース、見たわ。殺されたって言う人、私が担当した客室の人だったのよね」
駿河は思わず立ち上がった。
「詳しいことを教えていただけますか?」
予想外だ。まさか、向こうから名乗り出てくれるなんて。
もしかしてこういうのが『ラッキー』というのではないだろうか。
「あれは確か……26日の夜のことよね。旅行雑誌の取材で宿泊しに来る客がいるからって、特別扱いしろ、って周知があって……」
仲居の女性は向かいに腰かけると、質問をするよりも先に話し出した。
そこへ斉木が戻ってきた。彼は仲居が刑事達と向かい合っているのを見ると、
「貴代さん!! あなた、何をやってるんですか?!」と、金切り声を上げた。
しかし仲居の女性はどこ吹く風、といった様子で、
「警察に協力するのは市民の義務ですから」
「か、勝手なことをしないでください!!」
声がひっくり返っている。彼は何を焦っているのだろうか?
思わず駿河はこの仲居の肩を持つ気分になっていた。
「……何か、我々に知られてまずいようなことをしているのですか?」
すると。
斉木は顔を歪め、気まずそうにその場を去ってしまった。
バカねぇ、と仲居は自分の雇い主である若旦那に向かって、侮蔑の笑みを浮かべた。
恐れを知らないのか、あるいは自暴自棄になっているのか。
何にせよ思いがけない情報源だ。
「恐れ入りますが、あなたが担当なさったという宿泊客は、この男性で間違いありませんか?」
駿河は被害者の顔写真をテーブルの上に乗せた。
「ええ。間違いないわ。私、一度見た顔は忘れないの」
「何か印象に残っていることはありますか?」
貴代さん、と呼ばれていた仲居は少し考えた様子を見せた後、
「この人、この業界では悪名高い【荒らし】だったみたいよ?」
「荒らし……?」
駿河は知っているか? という意味を込めて、傍らに座っている飯島の横顔を見た。
視線に気付いた若い刑事はしかし、知らない、という様子で首を横に振る。
「荒らしっていうのはね」仲居は煙草を取り出し、火を付けようとしてライターを探し始めた。
残念ながら駿河に喫煙の習慣はないため、ライターを持っていない。
すると。思いがけず相棒が灰皿のすぐ傍に置いてあったマッチを擦り、火をつけて彼女の煙草に近付けた。
「要するに、金を積まれて記事を書く奴のこと。奮発すれば、実際以上の宣伝文句を謳ってくれて集客アップ。逆に、ライバルの店を徹底的に叩く……針小棒大に些細なトラブルをおもしろおかしく記事にして雑誌に載せる……そういうジャーナリスト崩れね」
細い煙草から漏れる煙が目に沁みる。が、駿河は我慢して質問を続ける。
「なぜ、そのことにお気づきになったのですか?」
「……だって若旦那が、この写真の人と話し合ってるのを何度も見たもの。ちらっと聞こえた会話から、なんとなくね」
駿河は思わず、今は姿の見えない斉木晃の顔を思い浮かべた。




