黙っていてごめんなさい
スーパーで買い物をしていると、もう年末なのだなとしみじみ感じる。
今日は周も一緒に来てくれた。
美咲が弟と2人並んで野菜売り場を歩いていると、急に彼は言った。
「……なぁ、旅館の経営って何日まで?」
「毎年大晦日の午前中で終わって、大掃除をして、それから夜になると従業員が集まって忘年会をするの。年明けは2日から営業するのが決まりよ」
ふーん、と大根を手に取って見たりしながら周は呟く。
「俺も手伝いに行こうかな……」
「ほんと?! 女将が喜ぶわ。伝えておくわね」
美咲は早速携帯電話を取り出して里美に連絡しようと思ったが、それを邪魔するかのように着信音が鳴る。珍しく賢司からだ。
こちらから何か報告がある時にやりとりをするぐらいなのに。
今から帰るから、迎えに来いということだ。
やはり具合が悪いらしい。
美咲は時計を見た。
今からならまだ、直接行けば病院の受付時間に間に合う。
「周君、賢司さんが具合悪いから迎えに来いって。後をお願いしてもいい?」
「うん、わかった」
先日、病院で診てもらった時には特に何も言われなかった。そしてその後、彼は何事もなかったかのような顔をしてしばらく出勤していたのに。
美咲はスーパーを出て指定された場所に向かった。
実を言うと果たして賢司の職場がどこにあるのかを、美咲は知らない。
ただ、通りに面したわかりやすいところで待っていると言っていたので、迷うことはなかった。
ビルの壁に凭れるようにして立っている賢司は、ひどく顔色が悪い。
美咲は運転席を降りて、彼に近寄った。
「ねぇ、大丈夫?」
「……触らないでくれ」
ムっとしたが、美咲はかまわず彼の脇に滑り込み、肩に担ぐ。少し熱があるようだ。
「病院に行くわよ」
「行かなくていい」
「ここなら市民病院の方が近いわね」
「行かないと言ってるだろう」
「運転手は私よ」
賢司を後部座席に座らせ、運転席に戻った美咲は、迷わず市民病院への道を走り出した。
病院に到着する。
先日、安芸総合病院で診察を受けた時は、特に何かの病名を告げられることはなかったが。
車から賢司を引きずり下ろし、どうにか受付を済ませた時に、美咲は少し離れた場所に和泉がいることに気づいた。
どうしたのだろう? 彼も顔色が悪い。
自分一人か周が一緒なら、迷わず声をかけた。
しかし、あまり話しかけないで欲しい、という様子が見てとれたので、黙っていることにした。
名前を呼ばれて、賢司が診察室に入っていくのを見届けたあと、今度は里美が歩いているのが見えた。
「お母さん?!」
美咲は思わず、走り寄って声をかけた。
里美も驚いている。
「どうしたの、何があったの……?」
里美はやや躊躇した後に、
「……朋子さんが……」
話を聞いた美咲は言葉をなくした。
「そんな、どうして……!?」
里美は首を横に振る。
「社長には?」
「もちろん、話したけど……」
「来ていないのね?」
無性に腹が立った。
「私が連れてくるわ!!」
「待って、サキちゃん!」
美咲、と呼ばれて振り返る。賢司だった。
「終わったから、あとは会計と薬を頼む。僕は車に戻るから」
そうだ、こちらも放ってはおけない。
里美にはまた連絡する、と言い残して美咲は、待合室のベンチに戻った。
車に戻ると、賢司は助手席に座ってぐったりしていた。
「お医者様はなんて?」
「……検査入院が必要らしい。来週はもう、病院が休みだから、年明けに来いって。もし……命に関わるような病気だったら嬉しい? 僕が死ねば、君は……」
病人の頬を叩くほど美咲は嗜虐的ではない。
しかし溢れる怒りをどうすることもできず、代わりに彼の口を手で塞いだ。
「生きて家に帰りたかったら、黙っていて」
それでもやはり口だけは元気なようだ。
「……さっき、女将さんがいたようだけど、何かあったの?」
「……あなたには関係ない」
美咲は前を向いたまま答える。
「関係なくないよ。僕はいわゆる、あの旅館の株主だ。そういえば、会計士を頼んだそうだね。女将さんから聞いたよ。和泉さんの友達だって?」
「……ええ」
賢司は深く溜め息をつく。
「君は僕に何も言わないで、勝手に決めるんだね」
あなただって、周君の将来を勝手に決めてるじゃない。そう言いかけて思い止まる。
なんとなく、その言葉にどこか寂しさのようなものを感じたからである。
「ごめんなさい」
すると彼は何も言わなくなった。