絶対に
がたん、と音を立てて立ち上がったのは賢司だった。
「……なら、親族の犯した罪の後始末をあなたがつけるということですね。ぜひ、そのようになさってください」
どうしたことか、彼はふらふらと出て行こうとする。
「賢司さん、待って!」
美咲は慌てて立ち上がり、彼の後を追いかけた。
「どこへ行くの?」
なんとなくその背中を見ていて、たとえようのない不安に襲われた。
「どこって……君の家に帰るだけだよ」
「なら、私も一緒に帰る」
「別にいいよ。まだあのお婆さんから、いろいろ聞きたいことがあるんだろう?」
「今は……あなたを一人にできないわ」
「仕事はいいの?」
「……おかげさまで、少しぐらいサボっても支障が出ないほどの忙しさよ」
これは本当だった。
まったく仕事がない訳ではないが、最盛期に比べればかなり余裕がある。
「それとも、私が一緒だと何か都合が悪いのかしら?」
返事はなかった。
横領犯が誰だったのか判明したのはもういい。
しかし、美咲にはまだ引っかかることがあった。
あれは朋子1人の仕業だったのか?
しばらく2人で歩いていると、不意に賢司が言った。
「あんな衝撃的な重大発表を聞いたっていうのに、ずいぶん冷静だね……」
確かにそうだ。
美咲は自分でも驚いていた。
そしてがっかりもしている。浅井先生は受け持ってくれた教師の中でただ一人、美咲を他の生徒達と変わらず扱ってくれた。むしろ良くしてくれたかもしれない。
でもそれはきっと、公平や正義ではなく、ただの罪滅ぼしだったのだ。
私が真面目に、いい子にしていたからじゃないんだわ。
先生の言うことを良く聞いて、きちんと勉強するんだよ。美咲を育ててくれた父親代わりの人は、いつもそう言った。だから一生懸命勉強した。
そうして努力してきたから、先生に親切にしてもらった。報われたのだ、という喜びがあったのは確かだ。
悲しくなってきた。
どんなに頑張っても結果が出ないことだってあるのだ、と思い知った気がした。
「彼女達を憎んでる?」
ふいに賢司からそう問いかけられ、美咲は自問自答した。
人生で初めて、心から愛することができた人と出会い、結婚の約束をした。
何もなければ今頃は彼の妻として、幸せに暮らしていたかもしれない。
そのうち子供が生まれて、母親になって……。
それらすべての、ごく普通とも言える【権利】を美咲から奪ったのはあの女達だ。
憎んでいない訳がない。
滅多に笑わない彼に、あなたのことが好きだと伝えた時の笑顔を思い出す。
念願だった刑事になれた、と嬉しそうに教えてくれた時の表情も。
努めて感情を顔に出さないあの人が、頬を赤く染めて、指輪をくれたあの日のこと。
彼と共に過ごした、思い出の日々が次々と甦る。気がつけば目頭が熱くなり、涙がこぼれそうになった。
美咲は慌てて首を横に振った。
昔のことはもう、考えちゃダメ。
決めたのだから。
この男の前でだけは絶対に泣かない、と。




