笑いやがったな?
周はとりあえず今日一日、旅館業に専念した。
予約表を見る限り、明日はそれほど予定が詰まってはいない。
もう上がっていいと言われて、周はまず風呂に行くことにした。ふと時計を見ると、昨日よりだいぶ早く終わったようだ。
そろそろ冬休みの宿題もしないといけない。
早めに風呂から上がって姉の実家に戻る。
兄は大丈夫だろうか……?
周が玄関のドアを開けると、猫達が走って出てきた。
「ただいま。賢兄は?」
猫が返事をする訳もないが、周は2匹を腕に抱えて2階へ上がった。
どうでもいいがこの家には人の気配がない。女将はいつも旅館の方に泊まり込みだと聞いたが、社長はどうしているのだろう?
「賢兄、いる?」
客間の襖を開くと、賢司は持参したらしいノートパソコンを炬燵の上に広げていた。
「何してんの……?」
「仕事だよ。どうしても今年中に終わらせないといけない、やりかけがあってね」
無理すんなよ、と言ってからパジャマに着替える。
「そういう君は、宿題は大丈夫なのか?」
実を言うとあまり大丈夫ではない。
「今からやるところ」そう答えて、周はカバンから道具を取り出した。
賢司の向かいに座りこんで参考書を広げる。
とりあえず苦手な数学から始めよう。
そう思って取りかかったが、しょっぱなからつまずいてしまった。
「どうしたの?」
「……最初の問題からわかんねぇ」
茶トラ猫がくすっと笑ったような気がした。気のせいだ。
「どれ? 見せてごらん」
周は兄の前に参考書をずいっ、と差し出した。
しばらく彼は無言で問題を読んでいたが、
「これはね……」
さすがに現役薬品研究者だ。理系に強い。そういえば学生時代、常に成績はトップだったという話を聞いたことがある。
それから急に、懐かしさを覚えた。
子供の頃はよくこんなふうに勉強を見てもらった。あの頃は、兄が自分をどう思っているのかなんて考えたこともなかった。
時々わからなくなってしまう。
優しいのか、そうじゃないのか。
「……聞いてるかい? 周」
「うん、聞いてる!!」
いけない、集中しないと。
聞いてないね、と笑いながら賢司はもう一度最初から説明してくれた。
不明確だったところがクリアになったら、後はすらすら進めることができた。
「終わったー!」周は両腕を伸ばして溜め息を着いた。
「君のお母さんは理数系に強い、才女だったそうだよ」
突然、賢司がそう言った。
知らなかった。
「ふーん、じゃあ俺はそういうところは似なかったんだ」
その遺伝子はかなり欲しかった。
「美咲も普通の両親の元に産まれていたら……もしかしたら、僕と同じ仕事をしていたかもしれないね」
考えてみれば美咲がどれぐらいの学力なのか周は知らない。話している限り、少なくとも頭の悪い女性ではないことは確実だが。
もし兄の言う通り、美咲がごく普通の家庭に産まれ育って、理系に進み、藤江製薬に就職していたとしたら。
そうして兄と姉はごく普通に出会って、恋に落ちて……。
自分はこの世に存在しなかったかもしれないけど。