俺も、悩めるお年頃だからさ。
「あら、保育士の仕事に興味あるの?」
「ええ。やっぱりお仕事、大変ですか?」
周は仕事のことをすっかり忘れて、つい正座して話を聞く態度になってしまっていた。
実を言うと進路のことは今でも悩んでいる。
県警もいいけど、子供達の相手も悪くない。
「大変なんてもんじゃないわよ、ねぇ? モンスターなんとかって、ほんとにいるんだから! まったく躾けられてない子供も、ね?」
母親がよくしゃべるせいで娘はしゃべれないのか、元々無口なタイプなのかはわからない。あるいは娘もしゃべろうとしているのだが、反応がトロいため、気の急く母親が先に口を出してしまうパターンか。
警察官だろうか保育士だろうが、変な奴と接する必要があるのは同じことだ。
むしろ犯罪者と対峙する方がよほど神経を使うのではないだろうか。
その時、周が腰帯にさしていた携帯電話が震えた。ヤバい。
「すみません、どうぞごゆっくり!!」
客室を出て通話ボタンを押す。
夕食時は一番旅館業務の中で忙しいことを、知っていたはずなのに……。
『周君、宴会場に来てもらえる?』
宴会場はどこかの会社の社員旅行だったようで、カラオケが始まっていた。
浴衣をだらしなく来た中年おじさんが、若い女性の肩を抱いてデュエットソングを気持ち良さそうに歌っている。昭和の光景だ。
奥から空いている皿とビール瓶を下げて、代わりにデザートの皿を置いて来いという指示である。
ようやく姉の姿を見つけた。どうやらずっと宴会場につきっきりだったようだ。
言われた通りに作業していると、だいぶアルコールが回ってご機嫌になった様子の女性達が声をかけてきた。
「ねぇねぇ、君いくつ?」
「彼女いるの?」
うるせぇな……。
『僕、3歳。彼女は実のお姉ちゃんです』とでも答えてやろうか。
周は内心で舌打ちしながら、愛想笑いを見せるにとどめておいた。
一段落してホッとしていると、お疲れ様と声をかけられた。奈々子だ。
「たいへんだね、弟君。男の子の仲居なんてめずらしいから」
「俺、弟君なんていう名前じゃないですけど」
「あ、ごめんなさい。周君……だよね?」
なんだ、普通にいい人だ。
「……もしかしてうちの姉、変態オヤジとかにセクハラされたりとかしない?!」
年上の相手なのに、ついタメ口をきいてしまった。
「まぁね、たまにあるわよ。けど……そこは美咲さんもベテランだし、あしらいはものすっごく上手よ? それになんていうの? 美咲さん、気品って言うか……気軽に下品な言葉をかけたりできない高貴さがあるのよね」
嬉しくなってしまった周は思わず、キラキラと目を輝かせて奈々子を見つめた。
すると彼女は戸惑ったような顔をした。
その時だ。
廊下の向こうから女性の悲鳴が聞こえた。
周と奈々子は急いでそちらに向かう。
見ると、真っ赤をした顔の禿げあがったオヤジが、若い女性の浴衣の裾をつかんでいるのだった。絡まれていたのはさっき、周が担当した部屋の客だ。
オヤジの方はおそらく団体客の一人だろう。
たまたま廊下を歩いていた彼女に目を着け、ナンパしたに違いない。
アルコールがしこたま入って気が大きくなったのだろう。絡まれている女性の方は恐怖で声が出ないのか、首を横に振るだけである。
周は思い切って女性の肩を抱き寄せた。華奢な身体が腕に飛び込んでくる。
「お客様、どうぞこちらへ……」
奈々子が上手くオヤジの背中を押して、宴会場に戻らせようとする。
すっかり出来あがっているオヤジは若い女性に触れられていることが嬉しいのか、ヘラヘラ笑いながら千鳥足で宴会場へ戻って行く。
ホっとして周は女性を放した。
「大丈夫ですか? 何か、変なことされませんでしたか?」
「……」
ああ、やっぱり基本的にトロいんだな。
女性は顔を真っ赤に染めて周を見上げると、
「あ、ありがとうございました!!」
そう叫んで踵を返す。
が。浴衣のせいで思うように動けなかったらしい。
すてん! っと朱色の絨毯の上で転んでしまう。
名前は宿泊者名簿を見ればわかるだろうが……暫定的に『トロ田ドジ子』と名付けておこう。
ドジ子はよろよろと部屋に戻って行った。