旅と歴史なら知ってるけどな
「あ、言い忘れたけど俺……こういうもん」
座卓の上に置かれた名刺を見る。しかし肩書きを見ても何がなんだかわからない。
「旅まるっていう雑誌、知ってる? 日本全国の観光地ガイドを扱ってるんだけど」
全然知らない。
知らないが、ストレートにそう答えると失礼だろう。
こういう場合、何て言うんだっけ……?
すると若い男は苦笑しながら、
「ま、マイナー出版社のマイナー雑誌だから」
周はすみません、と、とりあえず謝っておいた。
その時、携帯電話の着信音が鳴り響いた。
男が応答する。
初めは銜え煙草で応答していたが、どうやら大事な相手らしい。
半分ほど残っている煙草を揉み消し、いきなり立ち上がって部屋の奥へ歩いて行く。
手で口元を覆い隠しつつ、小声で何か話している。
「ねぇ、彼女いんの?」
若い女が懲りずに声をかけてくる。
「ええ、まぁ」
周は頭に姉のことを思い浮かべながら答えた。
「だよね~、可愛い顔してるもん」
ああ、そうだ。忘れていた。周はポケットからメモ帳を取り出した。
「お飲み物はいかがなさいますか?」
「あたしコーラね。リュウちゃんは……」
女は連れの男を見た。彼はまだ通話中である。
「ビールでいいんじゃない?」
かしこまりました、と返事をしてから周は部屋を出た。
懐石料理にコーラかよ……と思いながら。
はぁ~……。
思わず、大きな溜め息が出た。
変なカップルだ。
しかし、旅行雑誌の記者だと言っていた。この旅館も宣伝してもらえたら、集客アップにつながるのではないだろうか。
あとで女将に相談してみよう。
それから周が注文のあった飲み物を部屋に運び、ドアノブに手をかけた時だ。
内側からものすごい勢いでドアが開いた。
こぼれる!!
周が慌てて身体を避けると、さきほどの雑誌記者の男が飛び出してきた。
しかし相手はこちらに一瞥くれることもなく、真っ直ぐにロビーの横へと走って行く。
なんなんだ……?
驚きつつ部屋の中に入る。
今の衝撃でお盆の上に少し飲み物がこぼれたが、まあ仕方ないだろう。
周が飲み物を座卓の上に置くと、記者の連れの若い女が突然、手を握ってきた。
「ねぇねぇ、いくつ? LINEやってる?」
なんだこの女。
「申し訳ありませんが、次の仕事が控えておりますので」
周はさりげなく、かつきっぱりと手を離して、さっさと部屋を出て行った。
胸の内では罵詈雑言を呟きながら。