これで良かった
若尾は、と重森は話を続ける。
吐き捨てるような口調に、彼の被害者に対する感情を垣間見た気がした。
「……確かに、奴に直接の原因はなかったかもしれん。そもそもの要因は……この女じゃ!!」
そう言って彼は、沼田亜美を指さした。
すると。
「あ、あの子達が勝手にやったことよ。私は何もしていない!!」
あの子達、とはおそらく手下にしていた少女達のことだろう。
和泉は訊ねた。
「沼田亜美さん。その時、あなたは現場にいましたか? ……いたんですね? 黙って玲奈さんが溺れるのを見ていた……」
すると彼女は激しく首を横に振る。
「まさか、死ぬなんて思わなかったの!! それに、あの時は竜一だって一緒にいたんです……!!」
和泉の脳裏にはその時の様子が映像となって浮かんでいた。
波に飲み込まれ、必死で助けを求める少女。
歯を見せて嘲笑う、沼田亜美とその手下達。
何もせず、ただ見ていただけの若尾と影山。
「……重森玲奈さんがもはや、助からないとわかった時、父親に頼んで事実をうやむやにしましたね? そして父親は、親しい……というよりも利害関係の一致している警察官と共謀した。そうしてその後、あなたは何事もなく過ごしてきた訳です」
誰も、何も言わなかった。
批判の言葉も、謝罪や後悔の言葉も。
「しかし。一方の奈々子さんは……長い間、罪の意識に苦しみました。あの時、玲奈さんと一緒にいれば……そう、自分を責め続けて」
和泉は重森を見つめた。
今は目を閉じて黙っている彼の妻も。
「重森さん、奈々子さんを責めないでくださいね」
すると。
「……奈々ちゃんは、何も悪いことしとらん。ちゃんとわかっとるけぇ」
奈々子の目に涙が浮かんだ。
彼女はそっと袖で目元をぬぐう。
よかった。これで彼女もやっと、過去の呪縛から逃れることができるだろう。
「さて、まだ明かしていないことがありますよね?」
和泉は聡介と坪井課長の顔色を見た。
2人とも黙りこんでいる。
「重森さん、いつから支倉と連絡をとるようになりましたか?」
「沼田のオヤジが死んでからすぐ……向こうから連絡してきよった」
重森は俯き、それでも続ける。
「初めの餌は『金』じゃった。ワシの父親が亡くなって一人になった母親の病状が悪化して……良い設備の整った病院に入れてやりたかった」
この年代にはありがちな事情だ。
和泉は何も言わず、続きを促した。
「今にして思えば若尾が狙ったスクープっちゅうんは、ワシがヤクザとつるんどるいう、スキャンダルの方じゃったかもしれん。警察官の不祥事は、マスコミの喜ぶ格好のネタじゃけんな」
そうだろう。
和泉は胸の内で同意を示す。それから、
「奥様の貴代さんが、白鴎館で働いていたのは偶然だったのですか?」
「……ほうじゃ。玲奈のことがあってからワシらは上手く行かんようになって……別れた方がお互いのためじゃ、そう言って貴代は家を出て行った。でも……ほんまに偶然じゃろうな。ワシは支倉とあの旅館で何度か会った。その時、客室係としてやってきた貴代と再会したんよ」
夫と別れた後、彼女は宮島に身を寄せ、仲居として生計を立てたと言うことか。
「憎み合って別れた訳じゃない。ただ、玲奈っちゅう鎹を失くして、お互いの歯車が噛み合わなくなったちゅうことじゃな。それでも。別れてもやっぱり、忘れられんで……ワシは貴代にほんまのことを全部、話した」
重森は愛おしげに別れた妻を見つめた。
「そうしたら。玲奈の復讐をしよう、と貴代が言い出した。玲奈を死に追いやったのは、この女……そして父親、大石じゃ。あの支倉とつながりができたのは、玲奈がワシらに復讐せよ、と言っているに違いないと……」
変わって恨みの籠った射貫くような視線で、彼は沼田亜美を見た。
「上手くすればワシの不祥事を大石に擦り付け、組を解体させ……できる限りのことはしよう。そう決めた」
浅はかな考えだ、と批判するのは容易い。
だが、彼らにとっては一大プロジェクトだったに違いない。
失うものはもはや何もない。
そういう人間がいざという時、どれほど強くなれるかを和泉は知っている。
「……あの事件の夜、支倉から港に薬が届くという情報をもらった。ワシは若尾に連絡した。二度とない大スクープをとるチャンスじゃ、ちゅうてな。その時には貴代も一緒におった。奴はノコノコやってきて、その場面写真を撮り始めた。何も聞いていなかったらしい、奴の舎弟達は、危機感を覚えたんじゃろうな。一斉に若尾に襲いかかった。そうして……しばらくして奴は動かなくなった」
その時の光景が脳裡に浮んだ。
恐らく賊は複数いたに違いない。
遠慮も何もなく、シャッターを切る若尾。
何ごとか、といきり立つならず者達。
鉄パイプ、角材、あるいは他の何か。武器になるものを何でも手にし、自分達を脅かすであろう存在を暴力で消していく。
そして……。
「遺体を海に投げ込んだのが、あの逮捕されたヤクザ者じゃ」
そういうことだったのか
「これが、あの晩にあったことのすべてじゃ」
重森はそう締め括った。