俺はただ、自分に素直なだけだよ
それから周は掃除用具を持って、玄関に向かった。
靴脱ぎを箒で掃いていると、
「あら……坊や?」
夏の時にも何度か見かけた中年の仲居が声をかけてきた。周のことを「坊や」と呼ぶのが非常にうっとおしかったのを覚えている。
「また手伝いにきてくれたの? えらいわねぇ」
確か節子とかいう名前だった。どこか内臓でも悪いのではないだろうかという顔色をしており、若い頃はいろいろ無茶をしたのよ、などと言っていた。
彼女は姉の味方だろうか敵だろうか?
それによって態度を変えるつもりだ。
「節子さん、202号室のお花がないって!」
今度は若い仲居。奈々子とか呼ばれていたような気がする。
彼女は確か、姉と親しくしていたはずだ。
そして彼女は、なぜかまじまじと周を見つめてきた。
「……何ですか?」
「ううん、そっくりだなぁと思って。美咲さんに」
そう言われて嬉しくない訳がない。
「さー、今日は予約がいっぱい入ってて忙しいわよ!!」
いい人だ……単純な周はそう思って、彼女の後ろ姿を見送った。
さて。次は何をしたらいいだろう?
周は女将を探して旅館の中を回った。
少し離れたところでワゴンを押しながら歩いている姉が見えた。
彼女の着ている着物は他の仲居達と少し違っていた。もしかして、チームリーダーのような立場にいるのだろうか。
もしあのまま駿河が姉と結婚したら、彼は警察官としての仕事をどうしていたのだろうか? 定年になったら旅館業に専念するのか、あるいは……。
自分で選んだ職業ではなかったと彼は言った。
そしてふと我に帰る。
なんで俺、あいつのことばっかり考えてるんだ……?
※※※※※※※※※
班長、と前触れもなく友永が傍にやってきた。
「どうした?」
聡介はハンコを押す手を止めて顔を上げた。元生活安全課にいた部下は神妙な顔つきでいきなり妙なことを訊いてきた。
「まさかとは思いますけど、正月ぐらいは休めますよね……?」
「……さぁな。年末年始は強盗事件が増えるっていう統計はあるが」
すると彼はげんなりした顔をした。
「何か予定があるのか?」
「まぁ……一日だけですが」
「心配するな。よほどでかいヤマでも起きない限り、当番でなければ休めるさ」
「班長は、娘さん達に会いに行ったりしないんですか?」
痛いところを突かれた。実は去年も年末年始に大きな事件があって、娘達からさんざん『お正月ぐらいはこっちに来てよ』と言われていたのに、かなわなかった。
結局、和泉をはじめ、むさ苦しい男達と一緒に除夜の鐘を聞いたことを思い出す。
その後も事後処理に追われ、年が明けて半月以上経ってからようやく、娘達に会いに行ったという苦い記憶が甦る。
「……もし何か大きなヤマを抱える羽目になったとしても、隙間を見つけて抜けるぐらいはかまわん。その代わり、連絡だけはすぐ取れるようにしておけよ?」
「さっすが班長! ありがとうございます!!」
彼は嬉しそうに自席へ戻って行った。
それにしても。
和泉の『外出』がずいぶん長い。
そしてふと思い出す。彼は今まで一度だって、正月だからといって親族に会いに行ったりしたことがない、と。
彼の母親は天涯孤独の身だったらしいから無理はないとして、父親の方はどうだったのだろう? 一度も話を聞いたことがない。
ふと部屋の入り口に人影が見えた。
誰かと思えば、組織犯罪対策課の坪井課長であった。
「聡さん、ちょっとええか?」
彼は聡介よりも2つ下で、警部補に昇進した際、受けた研修で一緒だった。
身体も声も大きく、豪放磊落という言葉がぴったりくる。外見だけで言えばそれこそ、どちらが暴力団関係者かわからないほど強面であるが、中身は気さくなおじさんである。
「ああ、どうかしたしましたが?」
「今夜、何か予定あるか? なければちょっと付き合って欲しい」
一瞬だけ考えた。
和泉のことが気になって、できることなら今夜あたり、ゆっくり話そうかと思っていたからだ。
しかし坪井の表情を見ていると、なんだか深刻そうに見えた。
「……わかりました。では、あとで」
何となく予測はついた。