しばらく1人にしてもらえませんか
こんなことを言うと叱られるが、今は少しばかり父の視線が鬱陶しい。
心から自分を愛し、気遣ってくれていることは充分過ぎるほど理解している。
でも、自分にそんな資格があるのだろうか? そんなふうに思ってしまう時もある。
あのまま傍にいたらきっと、今までずっと隠してきた真実を打ち明けてしまうかもしれない。
嫌われたくない。
軽蔑されたくない。
あの人にだけは絶対に、知られたくない過去がある。
日頃はほとんど思い出すこともないのに、今になってそのことが頭の中をぐるぐる回るのは、あの仲居頭のせいだ。
自殺を図り、意識不明のまま生死の境を彷徨っている横領犯。
死なせてたまるものか。
あいつのせいで苦しめられたすべての人達に土下座させ、謝罪させるまでは。
喫煙の習慣がない和泉は、ちょっと息抜きというと、廊下の突き当たりにある自動販売機横のベンチでぼんやりすることにしている。
長時間一人になりたい時は、県警本部を出て大通りを渡り、本通り商店街を歩いて、路地裏にある喫茶店に居座るのが決まりである。
何かあればすぐに電話がかかってくるだろう。
和泉はそう考えて【フマーレ】という店名の喫茶店の奥で一人コーヒーを啜っていた。
この店は知る人ぞ知る、というわかりにくい場所にある。
だから、滅多に同じ職場の人間に出会うことはないのだが……。
カランカラン、とベルが鳴り、2人組の男性が入ってくる。
彼らは和泉の座っている席のすぐ隣に腰かけた。
「おい、あの話聞いたか?」
「ああ、聞いた。いよいよ本格的にあぶり出しみたいだな」
「やっぱりあれか、内部告発?」
「じゃろうな。つーか、どうせ氷山の一角だろうに……」
スーツ姿のサラリーマン2人組は、そんな話をしていた。
どこの会社の人間だろう?
一人が煙草を取り出して火を着けた。
「……俺はさぁ、坪井課長のこと尊敬しとるんよ。あの人、保身第一の他の上司と違ってちゃんと部下のことを守ってくれるけぇな」
坪井課長。組織犯罪対策課の課長ではないだろうか。
聞き覚えのある名前に反応して、和泉は思わずその2人組の男性をちらりと見た。
どこかで見たことがあるような気がする。
「まぁな。けど……ことが大っぴらになれば……」
「そうなると、あれか? 【とりあえず人事】」
やはり同業者らしい。
【とりあえず人事】というのは県警内で何か不祥事が起きた際、まさにとりあえず適当に人を動かしてしまえ、という応急処置のことを言う。
県警に長く勤務する人間であれば大抵が知っている単語である。
銀行員と同じだ。彼らは比較的短期間の内に異動する。
同じ人間が長い期間、同じ部署にいると横領事件が起きやすいからだ。
この店も今日が最後だな。
和泉は伝票を取って立ち上がった。
結局、いっそのこと県外にでも出なければ一人にはなれないのかもしれない……。
店を出る直前、微かに耳に入った名前があった。
「……シゲさん……まさかな」