あいつ、どこかで見た気がする
寒い。
瀬戸内海に面した広島であっても、冬は寒い。雪の降る日だってある。
賢司は大丈夫だろうか。こんな寒い日に外に出て。
周は無言で隣に座る兄を見た。今日はそれほど顔色が悪い訳でもない。
何か話しかけようかと思ったが、やめておいた。
今、周達は宮島へ向かうフェリーの中にいる。
なんとなく、ぐるりと周はまわりを見回した。
冬休みだからか、小学生ぐらいの子供を連れた家族やカップル、外国人観光客の団体、母娘と思われる2人連れなど彼らが全員、姉の旅館の客ならいいのに、なんてことを思う。
ふと周は、すぐ近くで一人の若い男がカメラを構えているのに気付いた。
誰を撮るつもりだろう? 姉か?
時々本人の了承を得ず、勝手に写真を撮る輩がいる。
姉さん、と周は美咲のコートの袖を引っ張った。
「……どうしたの?」
あれ、と視線だけでカメラ男に注意を向ける。
「あら……? あの人、確か……」
「知ってるのか?」
「ううん、知らないけど……一度見かけたことがあるわ」
「どこで?」
「ほら、この前『白鴎館』に泊まったでしょう? あの時、バイオリニストの女性を追いかけてた人……」
思い出した。
確かにそんなことがあった。無礼な男だと記憶に残っている。
「新聞記者さんか何かかしらね?」
男がレンズの向きを変えた。カシャ、カシャと連写の音。
「どっちにしろ、気をつけろよ? もし変な奴だったら……」
周はこそっと姉の耳にそう告げた。
間もなく宮島へ到着します、とアナウンスが流れる。
忘れ物がないかを確かめてから降りる準備をする。
ぞろぞろと観光客達が一斉に出口へ集まった。
荷物があるため一家は車でフェリーに乗っていたので、車の置いてある場所へ向かう。猫達も荷台にいる。
美咲に車を取りに行ってもらい、周は賢司に気を遣いながら、駐車スペースへ向かおうとした。
その時。
きゃあっ、と女性の悲鳴が聞こえた。
何があったのかと声のした方を見ると、若い女性が転んでいた。どうやら外国人団体客に押されて突き飛ばされたらしい。
外国人団体客はまったく気付いていない様子で、大きな声であれこれしゃべりながら船を降りて行く。
よく見ると、つまずいた女性の荷物らしきものがあちこちに散らばっていた。転んだ拍子にカバンの中身をぶちまけてしまったようだ。
「賢兄、一人で大丈夫?」
「……僕はそんな重病人じゃない」
兄がスタスタと一人で歩き始めたのを見届けてから、周は女性に近づいた。
化粧ポーチやハンカチ、その他にも細々としたたくさんの荷物を拾うのを手伝いつつ周は、どうして女の人はこうも荷物が多いんだ……と思った。
「はい」
これで全部だろうか?
「あ、ありがとうございます!!」
受け取った女性は泣き出しそうな顔で周を見つめてきた。
まだ若く、おそらくそれほど自分と年齢は変わらないだろう。
「マリちゃん、大丈夫?」
連れと思われる中年女性が近付いてきた。お母さん、と呼びかけたから母娘だろう。
「どうもすみません、ありがとうございました」
上品そうな中年の婦人が周に頭を下げる。
「いいえ、どうぞお気をつけて」
周は車の方に向かった。