豚の豚たるゆえん 2
絵の模写に疲れたので、なろうにやってきて気軽にエッセイを書き散らすなう。
さて、私が初めて(?)豚になったのは、遥か昔の小学生低学年の頃である。それまではあばら浮くくらい痩せてた。子供としては普通だった。
私の母方の祖母は料理が上手だった。一人しかいない孫が可愛かったのだろう、あれ食えこれ食えと、美味しいものをたっくさん作ってくれた。群馬県民にはそういうところがある。
そんな祖母の元に育った母もまた、料理が上手だった。結婚する前に、働きながら料理の学校を夜間で卒業して、調理師免許を取ったくらいだ。
料理研究家の栗原はるみさんをご存知だろうか。あと、今は亡き小林カツ代さん。母はそのふたりの味を気に入っていて、ふたりのレシピの美味しいご飯を毎日作ってくれた。4人前の分量を、父と母と私の3人で食べるのだ。まぁ、一人前は軽くオーバーする。一人っ子だった私は、誰を争うこともなく好きなだけ食べられた。
母は私が小学生の頃、自営業の父を助けて働いていたので、私は帰って来ては一人、母が作っておいてくれたおやつを食べた。ケーキ、パン、ハンバーグサンド(これおやつか?)、加えて市販のお菓子もたくさん買っておいてくれた。菓子パン、ポテトチップス、エンゼルパイ、仕事関係で貰う洋菓子、クッキー、ゼリーにアイス。何でもあった。私はこれも好きなだけ食べた。
小学一年生の頃、初恋をした。その子はとてもよく食べる子だった。誰よりも早く給食をおかわりに行く姿に惚れた。私は彼に負けじと給食をおかわりした。振り向かせる方法として完全に間違っていることなど気づかずに、彼に張り合うように給食を3回くらいおかわりした。
こんなふうにして私は肥満児になった。子豚の誕生である。ぶーぶー。
初恋の彼は小学2年生になるころには転校してしまって、私は初めての恋を失い、代わりに大量の体脂肪を得た。切なくて、彼の名前を当時飼い始めた犬につけた。
たけゆき君、今どうしていますか。私は変らずに太っています。大豚になっています。
中学生になった。制服が特注になったが気にしなかった。気にしろよ!!
ちょうどその頃、家庭内で色々あって母はうつ病になった。そのころの食事はどうしていたのかあまり記憶がないのだか、自分で作るか、生協で届いたものを食べるか、父が買ってきたカップラーメンを食べるか、祖母が作ってくれたお惣菜を食べるとかだったと思う。
高校生になり給食がなくなると、段々と病状を回復させてきた母がお弁当を持たせてくれるようになった。冷凍食品など全く使われていない、友人に羨ましがられるような美味しいお弁当だったが、私は時折、それを家に忘れた(それは帰宅してからちゃんと食べて、夕食にのぞんだ)。
高校の学食はとても美味しかった。チーズオムライスのハヤシライスがけが一番人気で、私はたれ付けからあげ丼などもとても好きだった。ライスコロッケなんてものもあった気がする。高校の前には和菓子屋があり、そこのいちご大福がとても美味しかった。
私は母の料理を手伝ううちに、自然と料理が得意になった。中でもお菓子作りが大好きだった。作っては食べ、作っては食べた。
高校生と言えば色気づく年頃であるのに、男子の目が気にならなかったかって?
気にならなかった。なぜならそこは、女子のパラダイス、女子高だったからだ!
大学進学を目指して勉学部活に励む優等生ばかりの高校で、私は英語クラブの幽霊部員になり、帰宅しておやつを食べながらひたすらゲームをした。2次元万歳。
でも一度だけ、高2の夏休みくらいに本気でダイエットを試みた。
自分で作ったバランスの良い食事を摂り、夕飯は当時流行っていたビール酵母ヨーグルトのみ。
ダンスダンスレボリューションというゲームで毎日300キロカロリー消費するまで踊り、1時間の犬の散歩を1日2回、お風呂にも1日2回、計2時間漬かって汗を流した。夏休みをフル活用して1か月5キロのペースで落とし、結果的に18キロのダイエットに成功した(それでもまだぽっちゃりだったけど)。
夏休み明けに私を見た友人は、「痩せたね~」と言ってくれた。
そうでしょうそうでしょう、私はやればできるのだ。妙な自信がついた。
それがよくなかった。
高校卒業時、私の身長は162㎝まで伸び、体重は60キロを割ったり割らなかったりしていた。