二次創作を書くこと
しばらくはアメブロが怖かった。
彼女たちがブログに飽きてインスタグラムに移行したのを確認して、私はまたブログを書く気になった。
ブログとは自己顕示欲を満たすツールであるのかもしれないが、私は書くことが好きなのだ。
そして、コンプレックスの3つめ、書きたい2次小説があるのに、何もしてないことについて。書きたい書きたいと言いながら、何もしてない。痩せたい痩せたいと言いながら甘いものが我慢できない。自分の自己管理(メンタルも体重もを含めて)、全くできてない。元々嫌いだった自分が、本当に心底嫌いになっていた。
でも、動き始めてみようと思った。
初めの一歩、絵が下手な自分をなんとかする。下手なものでもいいから描く、そして見てもらう。そのために、ゲームの感想用ブログとして放置していたものを、お絵描きブログとして使うことにした。
そして2か月余りが経ち、「小説家になろう」というサイトでエッセイを書いている。人生どう転ぶかわからないものだ。小説家になろうとは思ってない。昔お金に困って、公募ガイドなどを見て何度か投稿してみたが、自分でオリジナルの世界を作り出すことが、楽しくもなかったし、好きではなかったからだ。対して、何らかの評価や賞金やら貰ったのが、自分の過去の話を涙ながらに書いた話とか、バイト先での心の温まる話とか、夫に対して書いたラブレターのようなものだったりした。
私は自分のことを書いた方が、誰かに伝わるんだな、漠然と思った。
実は書きたい2次小説については、最近プレミアのついている昔の資料を密林で集めた。あとはゲームをプレイして全体の流れを頭に叩き込み、書くのみである。
私がまず1番目に書きたいのは薄桜鬼というゲームでオリジナルヒロインを出す小説である。アメブロの方でも『二次元に救われてきたこと』というタイトルで一度書いたことがあるのだが、心が救われないままのキャラの死と言うものが悲しくて仕方なかった。その死に意味がないような気がした。
もちろん、意味のある死を迎えられる人間なんて限られているとわかっているが、彼らは私の目の届く範囲にいて、裏切られたままだったり、自分を偽ることを誰にもわかってもらえなかったり、そんなふうに消えていった。エンディングに、影も形もなかった。
おそらく救いたいのは、キャラを通して見ている自分なのだと思う。心が傷ついたままの死を肯定したくない。肯定してしまったら、私が私でなくなりそうな気がするのだ。
乙女ゲームなどの2次創作や夢小説で人気があるのは、キャラとのラブラブな物語だ。誰かが誰かに惹かれる心理描写がしっかりしてなくても構わない。逆ハーレムと言って、キャラ全員になぜか恋心を抱かれているもの人気がある。文章では、照れていることを///で表現する会話だけのものも公開している人も多い。それは小説ではなく戯曲ではなかろうか、と思うので、他のサイトにお邪魔することはあまりなかった。
そんなわけなので、私の小説はあまり需要がないとは思っていたが、サーチエンジンに登録してみたら、ぽつぽつと拍手してくれる人が現れて、時折クリティカルヒットを受けた人が現れた。そんな人が私に求めるものは、誰それのキャラとのラブラブなお話、ではなく、作者さんの(私)書くものなら何でもいい、だった。何、この全肯定! 私は驚いた。そして、とてつもなく嬉しかった。
今では行方不明になってしまったが、イラストレーターの卵でめっちゃ絵の上手い人が私の小説に挿絵をつけてくれた。彼女は今、どこでどうしているんだろう。元気ならいいのだが。
私が小説家になろうで自分をこんなふうに振り返ることを、誰よりも私が予想していなかった。こんなん読んで楽しいか? と思っていたからだ。でもいいや。誰かに評価を貰う為じゃなく、自分を振り返るために書くのでも。それで誰かが何かを感じれば、それはとてもハッピーなことだから。