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8 私のことを嫌いな人

 私が読んだことのある『シンデレラ』は、子ども向けの絵本だけだった。世界名作なんとか、みたいなシリーズの一冊だったと思う。ひと昔前のアニメ風のイラストは少々好みとは外れていたが、何度も何度も読んだ。

 魔法使いに憧れて、『シンデレラ』が私の特別な物語になってからは、気になって他のシンデレラを調べてみたりもした。足を切るとか目をくり抜かれるとか、そういう残酷なバージョンもあると聞いたから。

 そしたらなんと、グリム童話のシンデレラには魔法使いは存在しなかった。そのときのショックは、今でもはっきり覚えている。


 調べたのは確か、小学三年生のときだったと思う。お姉ちゃんが誕生日に買ってもらったノートパソコンを、たまに使わせてもらっていたのだ。あのころはあいうえおしか打てなくて、他の文字はいちいちお姉ちゃんに聞いていた。

 シンデレラには確か、グリム兄弟じゃない人が書いたものもあったが、“グリム童話のシンデレラには魔法使いがいない”という事実が衝撃すぎて覚えていない。グリム童話版だって、わかるのはせいぜい絵本よりも血がいっぱい出る狂気的なお話なんだな、程度だ。

 魔法使いのいないシンデレラは、私の中で『シンデレラ』ではなかった。私の『シンデレラ』は、幼いころに何度も読んだあの絵本だけなのだ。


 自分に不思議な力があると気づいたとき、魔法みたいだ、と思った。そして真っ先に思い浮かべたのが『シンデレラ』の魔法使いだった。


 ――可愛くて優しいのに、可哀想なシンデレラ。そんな子を助けられる人になれたら、すごいはず!


 私を見てがっかりする人たちだって、きっとすごいと言ってくれるだろう。幼い私はそう考えた。

 美幸に力を使ったことで、私はますます魔法使いに憧れた。自分が『意地悪な義姉』ポジションにいることなんて関係なかった。とにかくこの子を幸せにする魔法使いになるんだ、と思って。

 

 結局、私は魔法使いにはなれなかった。美幸(シンデレラ)は、自分の力だけで幸せを掴んだ。物語はこのままきっと、ハッピーエンドへと向かっていく。

 私がこれからやるべきことは、親友か彼氏でも作って家族を安心させること。そうわかっていても、臆病な私はなかなか決心がつかなかった。

 やめたいと思い続けている彼との付き合いも、ずるずると続けたまま。――ああ嫌い、こんな私、大っ嫌いだ。


     * * *


 湯気を立てるココアにふう、と息を吹きかける。両手で持ったカップから、熱がじんわりと染み入る。外では雪がちらつき始めていて、もうすっかり冬だった。目の前には、ドリアを食べている彼。

 こうして彼とファミレスに来るのは、三度目だった。今日は放課後に文系向けの世界史の講習があり、いつもより帰る時間が遅い。もともとは、彼の部活が休みだとはいえ、待たせてまでここに来るつもりはなかったのだ。なのに世界史の講習を受けると言うと、「じゃ、あとでな!」と笑顔で言われて。

 なんとなく、流されてしまった。


「ドリンクバーだけでいいの?」

「あったまりたかったから。だからってあんまりご飯っぽいもの食べちゃうと、夜ご飯食べられなくなっちゃうしね」


 前回、前々回とアイスを頼んだ私だが、流石にもうそんな冷たいものを食べる気にはなれない。だって雪だ。雪が降るくらい寒いのだ。暑いのは平気だが、寒いのは大の苦手だった。

 単品のドリンクバーは高いが、お小遣いなんて文房具か家族への誕生日プレゼント、母の日くらいにしか使わないから問題はない。自分で働いて稼いだお金ではないのが申し訳なく感じるけれど。

 こくり、甘いココアを飲む。


「……奥村って甘いもの好きなの?」

「うん? 特別好きってわけじゃないけど、好きだよ」


 へえ、そっかー、と彼はなぜか嬉しそうだった。


「じゃあ、今日ずっと縮こまってるけど、寒いのは嫌い?」

「嫌いっていうか、苦手」

「暑いのは?」

「それは別に平気だけど……」


 何が訊きたいんだろうか。葵ちゃんの話を聞けないなら、ここにいる意味がないのに。

 苛々とする気持ちを、ココアの甘さで和らげる。せっかくドリンクバーを注文したのだから、せめて四杯くらいは飲まないともったいない。飲み物のおかわりのために席を立てば、彼との会話時間だって短くできるんだし。

 ドリアを口に運んだ彼はふと視線をどこかに向け、「あ!」と小さく叫んだ。指を差し、少し興奮した様子で私に話しかける。


「なあなあ、あの人ぽっぽに似てね?」


 言われてそちらを向けば、確かに。でっぷりとしたお腹や、割と似合っているあごひげ、なんとなく胡散臭い雰囲気。記憶の中の先生と、今店に入ってきた男の人はよく似ていた。

 そうだね、とうなずこうとして、はたと気づいた。


「……ぽっぽ?」

「ほら、担任だった」


 それは覚えている。しかし、なぜ彼がその話題を()()()で出すのか。

 ぽっぽと呼ばれたあの先生が担任だったのは、私たちが三、四年だったとき。いや、今はそれは関係ない。

 どう考えても、彼は共通の話題として先生の話を出した。――それが示す、ことは?

 心臓が、嫌な音を立てる。


「…………おぼえて、」


 ココアが喉に絡みついたように、声が出ない。固まっているだろう私の表情を見て、彼はしまったとでも言いたげな顔をする。その顔で、察してしまった。

 彼は最初からずっと、私のことを覚えていたのだ。


 とっさに立ち上がってバッグをひっつかみ、早足で出口へ向かう。「あ、おい、ちょっと!」という制止の声を無視して店のドアを開け、外に出た。


 なんで、どうして。


 ココアで温まり始めていた体が冷気にさらされて、コートを忘れたことに気づく。ちらちら舞う雪に、傘も忘れた、と。それから、ドリンクバー代を払っていないことにも。

 だけど今は、そんなことを考えていたくなかった。

 まだ五時前でも、外はもう暗い。雪降る中、駅に向かって走り出す。なんで出てきてしまったのかわからない。どうしてこんなに急いで――彼から逃げようとしているのかも、わからない。


「奥村っ!」


 少しして、追いかけてくる彼の声がした。ちらりと視線を向ける余裕もない。私が飛び出してから彼が出てくるまでの時間を考えるに、会計を済ましてくれたのだろう。たぶん、コートも持ってきてくれた。けれど止まりたくない。お金は後日払う。とにかく今日はもう、彼の前にいたくなかった。今日さえやり過ごせば、あとはどうにかなるような気がしていた。

 走る。

 前から来た自転車にぶつかりそうになって、すみません、と咄嗟に謝る。それでも足を緩めず、滑りそうになりながら走る。ローファーは走るのに向いていない。その走りづらさに苛立って、生まれて初めて実際に舌打ちをした。

 呼吸が苦しい。


「奥村!」


 さっきよりも近い声。どうしよう、どうしよう。追いつかれる。

 鼻や指先は痛いくらい冷たいのに、体の中は熱い。息をするたびに咳き込みそうになった。

 どうにかして彼を撒けないかと、視線を左右に走らせる。


「――あっ」


 つるっと、凍った路面でローファーが滑る。手のひらと膝で着地して、痛みで顔がゆがんだ。……タイツ破れた。

 そして、追いつかれてしまった。


「大丈夫か!?」


 ごめんと謝りながら、慌てて私を引っ張り起こしてくれる。ぐい、と私の手を引っ張る彼の手が、なんだか熱く感じた。

 ……どうして、あなたが謝るの。謝らなきゃいけないのは私なのに。


「あー、破れちゃったな……怪我は? うわ、血ぃ出てる……絆創膏持ってる? 持ってない、よな普通。消毒……もこんなとこじゃ無理だし。ええっと、とりあえず寒いし、これ」


 あわあわと彼が差し出したのは、私のコート。やっぱり持ってきてくれたんだ、と思うと、なぜか無性に泣きたくなった。彼自身もまだコートを着ていなかった。それだけ慌てて追いかけてくれたんだろう。……追いかけさせて、しまったのだろう。


 泣きたくない。特に、この人の前では。

 なのに勝手に、涙が出るのだ。

 じわりと滲んだ視界の中、彼は傘を私の上にさしてくれる。雪が彼の頭の上に降ってきて、白く積もる。傘もささず、コートも着ずに、彼は私を心配してくれている。


「ごめんなさい……っ」

「え、なんで奥村が謝んの?」


 戸惑ったように、彼は目を瞬く。つられて私も瞬きをすれば、溜まった涙がこぼれ落ちた。


「うぇっ!? な、え、どうした!? 痛い!?」


 彼はぎょっとして、私の顔を覗き込んでくる。首を横に振って、セーターの袖で乱暴に涙を拭く。

 謝らなきゃいけない。謝ら、なきゃ。


「ごめんなさい」

「う、ううん、俺のほうこそ転ばせちゃってごめん。ほんとに痛くねぇの?」

「……ごめん、なさい」

「いや、別に気にしてないっていうか、なんで謝られてんのかわかんないんだけど……」

「ごめんなさい」

「お、奥村、なんかさ、えーっと、とにかく着て? 寒いだろ? ……っていうか手まで血ぃ出てるじゃん! ごめん、さっき引っ張ったとき痛かったよな!? ティッシュ、いやハンカチ……持ってない……」


 がっくりと肩を落とす彼に、またごめんなさいと謝る。

 彼は私を、覚えていた。ならきっと、楽しそうに葵ちゃんの話をしながら――私を、恐れていたんだろう。気持ち悪いと思っていたんだろう。笑顔の裏で、私を探っていたんだろう。

 だってあのときの印象は、最悪だったにちがいないんだから。私にさわられた途端に、なぜか悲しみが和らいで。そうとは知らずとも、他人に無理やり感情をいじられて気持ち悪いと思わないはずがない。小学生のときの印象なんて、尚更強く残るだろう。


 彼は私を覚えていない。そう思っていたから、今まで付き合ってこられた。だけどその前提が崩れてしまったら、無理だ。

 私は、私のことを嫌いな人と、楽しく話すふりをできるような強い人間じゃない。


「ごめん、なさい」


 涙と一緒に、言葉まで溢れて止まらない。

 家族どころか、友だちでさえなかったのに。亡くなったお母さんを思って悲しむその気持ちを、一時的にでも奪ってしまった。


 なんて無神経で、なんて馬鹿だったんだろう。

 今更後悔したって、今更謝ったって、もう何の意味もないけれど。――いや、私の罪悪感を減らす、という意味はある。ただそれだけ。ただ、私が卑怯なだけだった。



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