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7 それはもしもの夢だった

 肩まである美幸の髪が、ふわりと揺れる。あれ、この子の髪はこんなに長かったっけ、とぼんやりと首をかしげた。

 ソファで私の隣に腰掛ける美幸の髪に手を伸ばせば、「姉さん?」と不思議そうな顔をされた。その声は透明感のある綺麗なソプラノで、違和感がますます強くなる。美幸って、こんな声だったっけ。もっと、確か……よくわからないけど、何か違う、気がする。

 違和感の正体に気づく間もなく、後ろからお姉ちゃんの笑い声が聞こえてきた。

「寝ぼけてるんでしょ、奏海」

「……うーん? そうかも? っていうかお姉ちゃん、なんか久しぶり」

「やっぱ寝ぼけてる。それはもう昨日言ったでしょ」

 そうだっけ。……昨日帰ってきた? そんな気がする。うん、昨日から三日間、お姉ちゃんはうちにいるんだった。

 なんだか急に甘えたくなって、お姉ちゃん、と呼ぶと、お姉ちゃんは私の頭をわしゃわしゃなでてくれた。目を細めてそれを甘受する。ついでとばかりに美幸の頭をなでたお姉ちゃんは、私と美幸をまとめて抱きしめた。

「あら、あんたたち何やってるの」

 お風呂上がりのお母さんが、髪を拭きながら呆れ顔でリビングに入ってくる。あれ、いつの間に夜になってたんだろう。……そういえば最初から? のような?

 三姉妹揃ってえへへ、と柔らかく笑う私たちに、お母さんも相好を崩した。

 幸せなのに、違和感はつきまとう。なんだ、何がおかしいんだろう。変だなぁ。変なことなんて一つもないはずなのに。

 なんだかふわふわする。ああ、幸せだ。ふわふわ、ふわふわ。

「そういえば今日、葵大会なんだって」

 窓から差し込む光。いつの間にか朝になっていた。へえ、そうなんだ、と美幸の話に耳を傾ける。葵ちゃんって誰だっけ。あ、そうだ、美幸の友だちか。

 ――美幸の友だち?

 美幸の口が、無音でぱくぱくと動く。きっと何かを話しているんだろうから、と程よい間隔で相槌を打っていく。

 ――葵ちゃんって誰?

 美幸の友だちだ。だけど、また違和感。

 ふわふわした幸福感が、次第にしぼんでいく。いったい、私は何に違和感を。

 美幸の髪に、再び手を伸ばす。美幸の髪の毛は、胸のあたりまで伸びていた。昨日までは肩だったのに、早いな。

 ようやく、美幸の綺麗な声が耳に入ってくる。頬を染めて、目を輝かせて、何かをしゃべっている。可愛い。出会ったあのときから本当に可愛かったけど、最近ますます可愛くなった気がする。きっと彼氏ができたんじゃないかと、私は睨んでいるんだけど。

「奏海姉さん、私この人と結婚する」

 そう言って美幸が連れてきたのは、一人の男の人。よかった、優しそうな人だ。顔はどうしてかはっきり見えないけど、そう思った。

 おめでとう、と笑顔で祝福して――


 あ、れ。


 意識が浮上する。

 ――美幸って、女の子だった?


     * * *


 はっと、目が覚めた。ぱちぱちと目を瞬いて、状況を把握しようとする。

 部屋。ベッドの上。枕元の時計が示す時刻は、朝の五時半。……夢、か。

 体を起こして、はああと深く息を吐く。膝を抱えて、そこに頭を押し付けた。

 女の子になった美幸は可愛かった。でもお姉ちゃんもお母さんも、そして私も、嫉妬なんて全然してなくて。仲のいい、幸せな家族だった。

 美幸が女の子だったら、とか。……そんなの、やっぱりどうでもいいことだったんだなぁ。


 いつもならあと三十分は寝ているところだが、寝つきが悪い私がそんな短時間で二度寝できるわけもない。仕方ないか、と一度あくびをして、ベッドを下りる。数学の問題一問くらいなら解けるかな。いや、その前に顔洗っておこう。

 物音をできるだけ立てないように、そっと廊下に出る。隣の部屋のドアを少し見つめてから、洗面所で顔を洗った。鏡からは目をそらした状態で、タオルで顔の水気を拭き取り、電気を消して自室に戻る。


 もう夢の中の美幸が、どんな声をしていたか思い出せなかった。あのふわふわ感は夢の証だったんだな、と今ようやくわかった。

 数学の問題集を出し、苦手なベクトルの問題に挑む。先生は得点源にしやすいところだって言っていたが、全然そんな感じがしない。特に立体となると問題を見るだけでげんなりしてしまう。もしも来年美幸からこの範囲を訊かれたときのことを考えて、ちゃんと理解しておきたいんだけど。

 ノートのスペースに三角錐を書き、あくびを嚙み殺しながらしばらく考え込む。……こう、かな。

 方針はあっている気がするのに、どうにも値がおかしくなる。諦めて答えを見れば、単に途中で計算ミスをやらかしていただけだった。あー、もう時間がない。学校行ってから計算し直そう。

 ため息とともにノートと問題集をしまい、立ち上がる。


 ――意外と、ショックじゃないんだなぁ。


 制服に着替えながら、ふわふわしていた夢を思い出す。

 美幸が女の子だったからって、何も変わらない。もしもの想像をして、憧れていた魔法使いになれていた可能性に縋っていて。それを否定されたのに……なんで、こんなに冷静でいられるんだろう。自分への嫌悪感で吐きそうになる、くらいなりそうなものなのに。

 夢はあくまでも夢だと割り切れてしまっている? それとも……それとも、なんだろう。


 ……彼がまったく、関係ない夢だったから?


 いや、それはないか。

 浮かんだ考えを、即座に自分で否定する。……確かに最近、悩むときには必ずといっていいほど彼が関係してはいるけど。でも、そういうことではないはずだ。

 あのシンデレラの劇を見て、私の心がどこか変わったのだろう。きっと、美幸に葵ちゃんという大事な人ができたことも大きい。


 とかした髪をゴムで一つにまとめて、最後に胸元のリボンの位置を調整する。うん、よし。

 一階のリビングに行けば、お母さんがトーストを食べていた。あ、今日はコーンマヨにしたんだ。「おはよう」と微笑むお母さんに挨拶を返し、私もご飯の用意をする。

 朝食はトーストにジャムを塗ったり、目玉焼きを載せたり、ということが多い。今日は甘いものの気分だったので、苺ジャムを棚から出した。


「あ、ねえねえ奏海?」

「……ん、なあに?」


 焼きあがったトーストにジャムを塗りながら、お母さんに視線を向ける。


「美幸って彼女でもできたの?」


 ……どう誤魔化そうか。

 そう考えたのは一瞬だったが、その一瞬の間が答えを伝えてしまったらしい。そっかぁ、とお母さんは嬉しそうに笑った。


「なんか安心しちゃった。和樹(かずき)さんがいなくなってから、あの子って私たちに依存してたじゃない?」

「……そう、だね」


 それがわかっていたから、私も嬉しかったのだ。私が彼のことが苦手でも、それでも葵ちゃんのことが好きだから別れたくないと美幸は言った。家族より大切な人ができたんだ、とほっとしたのだ。


「あとは奏海ねぇ」


 それだけ言って、お母さんはトーストを食べ進める。

 きっとお母さんのことだから、私が人付き合いが下手なことなんてとっくに気付いている。だけど、奏海も早く彼氏を作りなさいだとか、心を許せる友だちを見つけなさいだとか、急かすようなことは言わないのだ。それをありがたく思うと同時に、甘えてしまう自分が情けなくなる。

 ――変わらなきゃ、なぁ。

 とはいえ、何をすればいいものか。もぐもぐと口を動かしつつ考え込む。

 彼氏、なんて想像もつかない。友だちのほうがまだ難易度が低いだろうが、やっぱり怖いのだ。こんな力がばれたら、嫌われてしまうだろうから。


 このトラウマをどうにかしないことには、変わることなんてできない。その『どうにか』が思いつかないから困るのだけど。

 トラウマ……原因を排除……?

 考えた結果、自然に行き着いたのは彼だった。トーストを飲み込んで、ついでに今度はため息も飲み込む。

 そもそも彼が決定打だったというだけで、本当の原因は私自身にある。

 階段から足音が聞こえてきた。


「おはよう」


 目をこすりながらリビングに入ってきた美幸に、お母さんとともにおはようと返す。お母さんはそのままにこにこ嬉しそうに微笑んでいて、ああ……と思う。美幸、ごめん。

 怪訝そうに首を傾げる美幸に、心の中で謝りながら視線を送った。それだけで、眠たげだった美幸の目が見開かれる。


「え、まさか」

「今度家に連れてきてねー」

「……ごめんね」


 諦めたように苦笑いして、美幸はうなずいた。



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