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6 目をそらした

 大分前から、悩んでいることがある。それは、実の父のことをなんて呼べばいいかわからない、ということ。私にとってお父さんと呼ぶのはお義父さんだけで、けれどもうパパと呼ぶような歳でもない。

 父のことは好きだった。もう薄らとした記憶しかないが、不器用で、でも優しい人だった。父の膝の上で、静かな声で読まれる絵本を眺めるのが好きだった。

 ――好きだった、はずなのに。

 今はもう、素直に好きだと言えなかった。そうなってしまったのは、いったいいつからだっただろう。


 私は父に似ているらしい。見た目も、可愛げのない中身も。お母さんもお姉ちゃんも綺麗なのに、と憐れまれるのには慣れていた。……慣れていても、言われたことは私の中で積もっていった。

 父に似ていると言われるのが嫌で、そう言われないように頑張った。父が貶されているようで。私たちを育ててくれているお母さんが、貶されているようで。

 見た目はどうにもならない。化粧をしてみようとしたこともあったが、まだ若いんだからやめなさい、とお母さんから止められてしまった。せいぜい見苦しくない程度に、肌荒れなんかに気をつける程度だった。

 けれど中身は、本質的に変われなくたって、どうにかなるから。取り繕うことができるから。

 頑張った、のだ。


 所詮は、付け焼刃だった。小学四年生までは、私には特別な力があるのだと自惚れていられたから、人に嫌われないように振舞うのもそれほど苦ではなかった。

 だけどあの日から――初めて人に本気で拒絶された日から、駄目なのだ。家族の前以外、どう振る舞えばいいのかわからなくなった。どうにか話して、笑って、それでも決して心を開かない私に、大抵の人は自然と離れていく。


 なのに。

 どうして、彼は離れていかないんだろう。


     * * *


 十月も半ばを過ぎ、肌寒さを感じる日が増えてきた。気づけば彼と昼休みに話すようになってから一ヶ月以上が経過していた。葵ちゃん検定というものがもしあったとしたら、私はたぶん二級くらいなら取れると思う。最近では普通の世間話も多くなってきて、彼との時間がますます苦痛だった。


「美幸、まだシンデレラって呼ばれてんだってさ」

「あはは、長いね。じゃあ葵ちゃんも王子って呼ばれてるまま?」

「や、葵はもう全然呼ばれてないっぽい。美幸の場合は本人がすげー嫌がってるらしいから、周りが楽しんでんじゃない?」


 こういう話題ならまだ楽しいのだが、「昨日のあの番組見た?」だとか「こないだのテスト、古文やばくてさぁ」なんて話になると、笑顔が少し引きつるのが自分でもわかる。きっと彼も気づいているだろうに、なぜか会話を続けるのだ。それとも、もしかして気づいていないんだろうか。そこまで鈍感だとは思えないのだけど。

 このままだと、美幸たちの話をしている最中でさえ態度を取り繕えなくなりそうで怖かった。


 ……そろそろこういうのやめよう、って言うべきかな。私としては、もう十分葵ちゃんのことを知ったつもりだ。私たちが付き合ってるって勘違いしている人もいるみたいだし、このまま話していたって私にメリットがない。

 人付き合いをメリットデメリットで考えては駄目だとわかってはいても、メリットがなければわざわざ苦手な人と話すなんてこと、したくはなかった。


「それにしても、美幸シンデレラ役似合ってたよなぁ。姉弟だし、奥村も似合うんじゃない?」

「……いや、似合わないよ?」


 そういえば、美幸と血の繋がりがないって話したことなかったっけ。自分から言うようなことでもないから、これからも別に言う気はないけど。

 しかし、冗談にしてもそんなこと言わないでほしい。イラッとする。美幸がシンデレラ役似合うのは当然にしても、私も似合うんじゃない? とか私のどこを見て言えるんだろうか。

 私の苛立ちに気づかず、彼はなおもにこにこと楽しそうだった。


「似合うって。奥村って細いしちっちゃいし美幸よりも――」

「ちっちゃくない」

「……へ?」


 ぽかんとする彼に、しまった、と思う。つい即座に言い返してしまった。

 わざとらしく咳払いでもしようかと悩んでいる間に、彼がいきなり吹き出した。そのまま声を抑えてくくくっと笑い続ける。……ねえちょっと。何がそんなにツボにはまったの。そんなに私がムキになったことがおかしいのか、それとも単に私を馬鹿にしているのか。

 どうしたのと訊くのもなんだか癪で、彼の笑いが止まるのを待つ。

 思えば彼は、いつも楽しそうだな。もしかしたら、それも私たちが付き合ってるって勘違いされる理由なのかもしれない。


「ごめん、く、はは、なんかおかしくて。ちっちゃいの気にしてんの?」

「……悪いですか」

「いや全然。あー、笑った、そっか、ちっちゃいは禁句ね」


 やっぱり馬鹿にされてる気がする。これは流石にむっとした顔を隠さなくてもいいだろう。普段の鬱憤も込めてちょっと唇を尖らせて睨めば、収まってきていたはずの彼の笑いが更に激しくなった。

 別に、小さいのを気にしているわけじゃない。というか、小さくないし。高二の平均身長より九センチ低いだけだ。だから気にする必要もないのだ。


「……そんなに面白い?」


 唸るような声になってしまった。だってずっと笑ってるんだもん、そりゃあムカつかないわけがない。


「や、おかしいってそういう意味じゃないない。なんつーか、奥村もちゃんと怒ったりするんだなって?」


 笑った顔のまま、彼は小さく首を傾げた。

 疑問符をつけられても、なんて答えればいいんだ。

 ちゃんと、と彼は言った。つまりは、もうほとんどばれているということなんだろう。私が表面上の付き合いしかしていないと。不本意ながら一ヶ月『親しく』してきたのだから、それは別段おかしくもない。……なんだ。結局は、彼も離れていくのか。


「あとついでに言っちゃうとさ、奥村ってほんと美幸のこと好きだよなぁ。文化祭のとき、すっげぇ楽しそうに笑っててびっくりしちゃったもん。元から美幸のこと話すときは楽しそうだったから、美幸のこと好きなんだなーとは思ってたけど」


 ……最初に話しかけてきたとき、私が美幸のことを可愛がっている、と言い切っていたのは、どうやらそういうことらしい。そんなにわかりやすかったのか。

 睨むことさえできなくなって、ふいっと彼から視線を逸らす。するとようやく、彼は笑うのをやめた。


「あー、ごめん。別に普段笑ってないってわけじゃなくてさ。……うん、ごめん、とにかく奥村にもシンデレラ役合うと思うんだよねー。私服かわいい系だったし」


 なるほど、と納得する。文化祭の日、やけにじろじろ見てきたのは、私の私服が意外だったから、らしい。

 彼の目はどこかおかしいのかもしれない。私は家族からの『可愛い』なら甘んじて受け入れるが、他人からのその言葉を受け入れない程度には、自分の容姿をわかっているつもりだ。手入れをしても姉のようにさらさらにはならない癖っ毛に、病的とまではいかないにしても細すぎる体。化粧していないから、地味な顔を繕うこともできていない。

 そこまで考えてから、あ、と気づいて、猛烈に恥ずかしくなった。……彼は別に、私が可愛いとは一言も言っていないのだ。私服が可愛い系、と言っただけで。


「……とにかく、私にシンデレラとかは似合わないから。魔法かけられる前のぼろぼろの格好ならまあ、わかるけど」


 口にしてしまってから後悔した。求められている以上に自分を卑下するなんて、人に嫌われる原因になるのに。たとえ相手が彼であっても、誰かに嫌われてしまうのは耐えがたい。

 ……嫌われたくないなら、もっとその気持ちにふさわしい態度を取るべきだ。少なくとも、笑顔で会話している裏で、心の中で相手を悪く言ったりしてはいけない。自分の中の矛盾に気づいてはいても、どうにもできなかった。

 視線を下げ、それを誤魔化すようにスカートのプリーツを指で直す。


「えー、そんなことないだろ。……ってしつこくして悪い、話変えるか」


 彼はそう言うと、昨日葵が作ってくれた飯が美味かったんだ、なんてあっさり話題を変えた。ほっとして彼の言葉に相槌を打つ。

 ……ほっと?

 それは一体、何に対してなんだろうか。嫌な話が終わったから? きっとそうだ、と思うのに、そうじゃない、と感じる私もいた。だったら、なんだろう――。


「え」

「うん? どうした?」

「な、なんでもない」


 どくどくと心臓が速くなる。いや、だってそんな、まさか、そんなわけ。そんなわけ、ない。

 相槌を打つことさえままならなくなって、うろうろ視線をさまよわせる私を、彼は怪訝そうに見つめる。「なんでもないから」となんとか返して、心臓を落ち着かせようと小さく深呼吸する。

 私は彼のことが苦手で、彼と話す時間が苦痛で、美幸のことがなければ縁を切りたいとまで思っていたはずだ。そのはず、だから。そんなわけがないのだ。


 普通に話を続けてくれるんだ、とか。まだ私から離れていかないんだ、とか。


 そんなふうに安心するなんて、ありえない。もしそうだとしたら、まるで私が彼との時間を楽しんでいるみたいじゃないか。……家族以外と親しくしたいとも思わないのに。

 思っていない、はずだ。

 だって、こんなに怖いのだから。誰かから拒絶されることが、嫌われることが。それを悪化させた原因が、彼なのだ。

 だから、違うはずだ。


 全部に『はず』がついていることからは目をそらして、私は無理やりそう結論付けた。



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