4 ずっと前から、知っていた
土曜の昼過ぎという時間で、なおかつ小さな駅だというのにそれなりに人がいるのは、やっぱり高校の文化祭があるからだろう。改札付近の邪魔にならないところで待ちながら、人の流れをぼんやりと眺める。おそらく中学三年であろう、制服姿の子が多い。
土曜日、文化祭。美幸に言われたから、本来ならば一人で来るはずだった。
それなのに、だ。
――彼と行くことになってしまった。どうしてこうなった、と大げさに天でも仰ぎたい気分だ。
いや、まあ。……どうしても何もなく、単純に私が間違えた。
美幸と葵ちゃんについて話していれば、当然文化祭の話題だって出る。奥村行く? と訊かれて、素直にうなずいてしまったのが間違いだったのだ。じゃあ一緒に行こうぜ、という流れを防げなかった。
……ファミレスのときも思ったけど、これってどうなの。もはやデート? やだなぁ。変な格好で美幸に恥をかかせるわけにもいかない、といつもよりはオシャレしてるし、彼のために気合を入れてるとか勘違いされなきゃいいな。向こうにデートって気はさらさらないだろうから大丈夫だろうけど。
電車の音が近づいてきた。たぶん時間的にこの電車じゃないだろうな、と思いつつも駅構内に視線をやる。しばらくして、階段を下りてくる彼の姿が見えてきた。あれ、早い。
彼は私にすぐに気づいて、少し目を見開いて足を速めた。
「えっ、わりぃ、待たせた!?」
「ううん、待ってないよ」
このやり取りもデートじみていて嫌だなぁ。私が後から来ていればこんなやり取りをする必要もないのだろうが、待ち合わせで人を待たせるほうが嫌だったから仕方ない。
「というか、あなたも早いでしょ。まだ待ち合わせ二十分前だよ」
「待たせちゃ悪いと思って早めに来たんだよ! くそ、負けたー……ごめん」
「私もさっき来たばっかりだから。五分前くらい?」
具体的な数字を言えば、まだ疑るような目をしながらも一応は納得してくれたようだった。
そして、何かに気づいたように私の頭から足まで視線を往復させる。……じろじろ見られるのを喜ぶ趣味はないんだけど。言いたいことがあればはっきり言えばいいのに、なんて完全に『お前が言うな』というようなことを考えて、ショルダーバッグの紐を握る。
「せっかく二人とも早く来たんだし、こんなところで止まってないで行こう?」
「あーうん、そう、だな」
歯切れの悪い返事に首をかしげながら、彼と一緒に歩き出す。いつもはあまり履かない少しヒールのあるサンダルのせいで、普段と視線の位置が違って変な感じだ。
五センチほどのヒールを履いて、ようやく彼の肩に頭のてっぺんが届く。……私が小さいわけではない。一般的に見て彼は標準よりは少し背が高いし、私が小さいわけじゃ、ない。
「腕つかまる?」
慣れないヒールでぎこちなく歩く私に、彼は肘をちょっと折り曲げて出してくれる。……いや、そんな恋人みたいなことやらないよ? この人って、そういう基準みたいなものがゆるゆるなんだろうか。
大丈夫だと断ると、彼はどことなく残念そうに腕を戻した。
彼から聞いた話だと、やっぱり美幸は劇に出るらしい。何の劇をやるのか、どんな役をやるのかは当日の楽しみに取っておこうと思って聞いていないけど。
それから、葵ちゃんも出ると聞いているので今日の劇は本当に楽しみだ。お母さんお姉ちゃん、ごめんね。私は一人で……一人じゃないけど一人で楽しんでくるね。
いつもどおり美幸と葵ちゃんの話をしながら、二人の高校へ向かう。最寄りの駅から五分ほどという、あまり彼と話していたくない私にとっては嬉しい距離だった。
カラフルに装飾されている門を抜け、受付に並ぶ。友だち同士で来ている中学生を見て、なんだか初々しく感じた。私もつい数年前までは中学生だったのに、なんでこんなふうに感じるんだろうなぁ。
受付でもらったパンフレットを開いて、美幸のクラスの出し物を確かめる。ええっと、1-Bだったはず……。
パンフレットを辿っていた指が止まる。綺麗にレタリングされたタイトルと、舞台幕、ガラスの靴のイラスト。
「……シンデレラ、やるんだ」
意図せず、言葉が漏れた。
だとしたら絶対、美幸は王子様役だ。あんなにかっこいい子をそれ以外の役にしたらもったいない。
――見たくないな。
そう、思ってしまった。
たった三十分の、所詮高校生の劇だ。衣装も舞台も台本も、全部が『高校生の劇』だろう。
それでも見たくなかった。
だって、美幸がシンデレラなんかじゃないって、突きつけられてしまう。自分で思い知るのと外から突きつけられるのは、まったく違う話だった。
「配役、絶対びっくりするぜ」
なぜかドヤ顔な彼に、動揺を悟られないように気をつける。
「でもシンデレラなんて、シンデレラ役と継母、義理の姉、魔法使い、王子くらいしかいなくない?」
「うん。けどな、絶対びっくりするよ」
「ふーん? まあ、美幸も葵ちゃんも出るなんて、それだけでもう楽しみだけどね」
ああ、見たくないなぁ。楽しみだったはずなのに、一気に憂鬱になってしまった。せっかく美幸が頑張るというのに、これじゃ姉失格じゃないか。
パンフレットを閉じて、気持ちを切り替える。
大丈夫、美幸がシンデレラじゃないなんて、私が魔法使いじゃないなんて、ずっと前から知ってるんだから。
だから、大丈夫。美幸のためにも、ちゃんと劇を楽しもう。
「劇までちょっと時間あるね。他のクラス見てみる?」
つけてきた腕時計を見せて訊けば、彼は「んー」と考える。
「劇の前に葵たちと話せるなら、そっちのほうかいっかな。まずは1-B行かねぇ?」
「おっけー、じゃあ行こっか。一年生の教室は……四階みたいだね」
持ってきたスリッパに履き替えて、校舎の中に入る。文化祭独特の賑やかさに、少し心が落ち着いた。この調子で、シンデレラを楽しく観劇できますように。
脱げそうになるスリッパに四苦八苦しながら、階段を上る。自分のスリッパが見つからなくてお母さんのを借りてきてしまったのだが、やっぱり大分大きい。
「……転びそうになったらつかまっていいからな?」
私の様子を見かねてまたもそう言ってくる彼に、「大丈夫!」とさっきよりも強く返してしまった。どことなく微笑ましそうに見てくるので、お母さんのスリッパだから大きいのだと説明すると、更にその視線が微笑ましそうになる。……何なの、もう。
美幸のクラスのドアは閉まっていた。中に結構人がいる気配はするし、準備中、ということなのかもしれない。どうしようか、と話していたら、がらっと半分ほどドアが開く。
「あ、やっぱお兄だ!」
嬉しそうに笑った女の子が、私を見て固まる。……これは、勘違いされてそう。
「……え? お兄の、か、彼女さん、ですか……!?」
「違います」
即答すると、彼女はほっとしたように「ですよねー! うん、お兄が私に言わずに彼女作るわけないし」とうなずいた。彼がとてもシスコンだということは、この子もわかっているようだ。
……葵ちゃん、でいいんだよな。
シスコンである彼の話では可愛い可愛いとばかり表現されていたし、聞かされるエピソードも微笑ましいものが多かったから、ふわふわした可愛い子だと思っていたんだけど……。可愛いというよりは、綺麗な子だった。そういえば、少林寺拳法部なんだっけ。最初からそういうイメージを持つべきだったのかもしれない。
私より十センチは背が高く、手足はすらりとしている。すごく男装が似合っていて――男装?
そこでようやく、頭が状況を飲み込んだ。葵ちゃんは男物の服を着ていた。金の糸で装飾された白い服と、赤いズボン。その格好はまるで、王子様みたいだった。
戸惑っていると、彼がにやりと教えてくれる。
「葵、王子役なんだよ」
「……え、じゃあ美幸は?」
美幸たちが演るのはシンデレラ。他に男役なんてない、はずだ。
「うちのクラス、男女逆転シンデレラやるので、みゆみゆ……えっと、美幸くんはシンデレラ役ですけど、お知り合いですか?」
首をかしげる彼女に、今度は私が固まる。……みゆみゆ、という呼び方もびっくりしたけど、シンデレラ役って、どういう。
葵ちゃんが男装して王子役ということは、美幸も女装してシンデレラをやる? 美幸が、シンデレラを、やる。
――私じゃない魔法使いに、魔法をかけてもらうんだ。
ああ、めんどくさい。なんてめんどくさい奴なんだろう。結局、なんでも満足しないんじゃないか。
いつまでも夢見がちで、シンデレラのお話なんかに自分を重ねて。とっくの昔に、魔法使いになれないって、私に誰かを幸せにする力なんかないって、気づいたのに。
笑みが顔に貼りつく。早く答えなくてはと思えば、口が勝手に動いた。
「初めまして。奥村奏海っていいます。一応、美幸のお姉ちゃんなんだけど……私のこと、聞いてるかな?」
「……かな、奏海さん、って、うわ、下のお姉さんですね!? 美幸君からお噂はかねがね! お聞きしています! 柳沢葵です、よろしくお願いします!」
「ふふ、こっちこそよろしくね。聞いてたとおり可愛い」
「っ馬鹿兄貴が過剰に言ってるだけですからね! 話半分……三分の一くらいに聞いたほうがいいですよ!」
げし、と彼の足を軽く蹴りながら葵ちゃんは力強く言う。「いてっ」と言いつつも、蹴られた彼は嬉しそうだ。……やっぱり相当シスコンだな。見た感じ、葵ちゃんのほうも彼のことを大好きではあるみたいだけど。
私たちの会話が聞こえたのか、教室の中が「え、美幸君のお姉さん!?」「一緒に柳沢の兄貴来てるっぽい」と一気にざわざわと騒がしくなる。クラスの子の兄弟が来れば気になるのは自然なことだろうけど、それでも騒がしいと感じてしまうほどになるのは、きっと美幸と葵ちゃんが人気者だからなんだろう。
……よくよく聞けば、クラスメイトの兄と姉が付き合ってる!? みたいな騒がれ方だけど。やっぱり一人で来るべきだったな。
開いたドアの向こうから、色んな子がひょこひょことこちらを窺ってくる。
私はこの瞬間が、少し苦手だった。お母さんの娘、お姉ちゃんの妹、美幸の姉。そんな立場の私は、綺麗で優しくて素敵な三人とはまったく違う。
だから皆、私を見てがっかりするのだ。
昔からそうだった。
「あ、そうだ、美幸くんいるー?」
彼がドアに手をかけ、中を覗き込む。彼のおかげ、というわけではないが、教室内の子たちの様子が見えなくなったのでほっとする。
「ほら呼ばれてるぞ!」というクラスの子の声と、嫌がって抵抗する美幸の声。葵ちゃんがすでに衣装を着てるってことは、美幸もそうなんだろう。
ただキャストをやるだけじゃなくて、女役だったから観にきてほしくなかったのか。それがようやくわかってちょっと申し訳なかったけど、知っていても私は来ていただろう。シンデレラをやる美幸は見たくないけど、同時にすごく、見たいから。
「……どうも。奥村美幸です」
「おー! 初めまして、柳沢晃です。葵がお世話になってます!」
「ちょっとお兄、恥ずいからやめて!」
しぶしぶ出てきた美幸を見て、息を呑む。
緩くカールされた金色のウィッグは、不思議なくらい似合っていた。そして、誰か女子が施したのかナチュナルなメイク。もともと中性的な綺麗な顔立ちだということもあって、すごく可愛い。骨格なんかは誤魔化しようがないが、それでも十分素敵な女の子に見える。
着ているのはみすぼらしいワンピースだった。……つまり今、美幸は魔法をかけられる前のシンデレラで。
「……姉さん?」
美幸の声にはっと我に返り、つっかえそうになった言葉を無理やり吐き出す。
「ごめん、美幸が綺麗すぎてびっくりしちゃった。すっごい可愛いね。シンデレラ役だって知ってたら、お母さんとかお姉ちゃんにも教えてたのになぁ。残念」
「だから教えなかったんだよ」
「けち。でもほんと、可愛い」
じくりと胸は痛むけれど、それでもちゃんと、美幸の前だから笑えた。隣でなぜか彼が「えっ」と驚きの声を上げる。
何か変なものでも見たのかと彼のほうに視線を移せば、彼が見ているのは私だった。
「どうかした?」
「……や、なんでも、ない」
なんでもない、という反応ではない。でも別に気になるわけではなかったので、深くは追求しないことにした。
言葉を交わした私と彼に、美幸はすっと目を細める。
「姉さん、葵のお兄さんとどういう関係なの? 二人が知り合いだなんて知らなかった」
……そういえばこの子は、自分のそういう話をするのは嫌がるくせに、お姉ちゃんに彼氏ができたときには事細かに訊いていた子だった。彼氏さんが家に来たときには、警戒するように色々探って。とはいっても子猫が毛を逆立てているような可愛らしいものだったので、彼氏さんだってちょっと困った顔をするだけだったんだけど。
つまり、美幸も立派なシスコンなのだ。愛されてるなと感じられるのは嬉しいが、今はそれが恨めしかった。
友だち、とは言いたくない。しかし知り合いと言うには、私たちは二人で過ごしすぎている気がする。……ああでも、この関係性に明確な名前をつける必要はない、かな。
「もともと同じクラスだったんだけど、美幸と葵ちゃんが付き合い始めてから話すようになって。ごめんね、実は美幸のこと話す代わりに葵ちゃんのこと聞いてたんだ」
私の言葉に美幸は「え」と目を丸くし、葵ちゃんは「お兄そんなことしてたの!?」と彼を睨みつけた。
「奏海さんに変なこと吹き込んでないよね!?」
「んなことするわけねぇだろ。ただお前がどんだけかわいいか話してただけだっつーの」
「それが変なことだって言ってんの馬鹿兄貴!」
「何が変なんだよ! いいじゃん、こんくらいの自慢」
「恥ずいからや、め、て!」
徐々に微妙な顔になっていく美幸をよそに、葵ちゃんと彼の口論が始まる。内容が微笑ましい。
そちらよりも美幸の反応のほうが気にかかって、口論にかき消されないように近づいて名前を呼ぶ。
「美幸、どうかした?」
「……姉さんが葵のお兄さんと仲良くなるのはいいことなんだろうけど、大丈夫?」
「うん? 大丈夫って、何が?」
「だって姉さん、あの人のこと苦手じゃない?」