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3 甘さは消えていく

後半に嘔吐表現がありますのでご注意ください。

「……ミルクジェラート一つ」


 食べられそうなものを注文して、メニューを閉じる。

 復唱する声を聞きながら、私は水に入った氷を無意味に数えた。いち、に、さん、し。あ、終わった。一個ずつ数えなくてもぱっと見でわかるし、もう一度数えたって変わるわけもないが、また一から数える。いち、に、さん、し。いちにぃさんし。


「大丈夫? ぼうっとしてるけど」


 そう言われて、ようやく氷から目の前の彼へと視線を移す。

 どうして彼と、放課後に、ファミレスで、お喋りなんてしなくちゃいけないのか。早く帰りたい。


「大丈夫だよ」

「そう? あ、っていうかアイスだけでいーの? 女子ってパフェとか頼むのかと思ってた」

「今そんなに食べたら、夜ご飯食べれなくなっちゃうから」


 まだ三時半なのに? と不思議そうな彼は、ペペロンチーノを注文していた。それで夜ご飯も食べれるなんて、流石男子高校生という感じだ。お弁当だって食べてるはずなのに。

 すでに汗をかいているコップを両手で持って、ちびちびと水を飲む。できるだけ彼と話す時間は短くしたかった。


 ……そもそも、今日だって昼休みの情報交換はしたのだ。昨日も一昨日も、彼が話しかけてきたあの日から一週間毎日だ。もちろん休日を除いて、だけど。

 別に、美幸のことを話せばいいのなら話題が尽きることはない。昼休みに話す時間なんてせいぜい三十分くらいなんだから、まだ我慢できた。

 しかし、ファミレスだ。よくわからないが、こういうところに来たら普通の高校生は二時間くらいは粘るんじゃないだろうか。空いているこの時間なら、長時間いても店員さんから睨まれることはないだろうし。


 水が半分くらいなくなってしまったので、仕方なくコップを置き、濡れた手をお手拭きで拭く。

 今日は本当は、学校の自習室で最終下校時刻ぎりぎりまで勉強する予定だった。今日の家事は全部美幸がやってくれるということだから、お言葉に甘えて。……なのに、美幸のおかげでできた時間を彼のために使うことになるなんてな。


「さっき、自習室行こうとしてたんだよな? ごめんな、急に誘っちゃったりして」


 それがわかっているならなんで誘うんだろう。申し訳なさそうに眉を下げる彼に苛立ちが募るが、微笑んで首を振る。


「ううん、勉強よりも美幸と葵ちゃんの情報交換のほうが有意義な時間だから、気にしないで」


 適当に口にしてから、あ、確かに、と自分で納得する。普段から勉強はしているから、一日くらいさぼったって何の問題もないのだ。美幸の話をするのはたとえ相手が誰であっても楽しいし、葵ちゃんの話を聞けるのも嬉しい。

 要は、この時間を彼のためだと思わなければいいだけだったのだ。うん、それだけだ。


「今日部活休みだったから、誘うなら今日しかない! って焦っちゃって……悪りぃ」

「気にしないでってば。でも二人でファミレスとか、クラスの人に見られたら勘違いされそうだよね」


 嫌味っぽくならないように気をつけて言うと、「勘違い?」と彼はきょとんとした。ああ、やっぱり深く考えてないのか。

 ちょっとの間考えて、ようやく何のことか思い当たったようだった。目を泳がせる彼の耳は、少し赤い。


「いや、うん、そうだな! ごめん!」

「大丈夫、たぶんそういうこと気にしてないんだなーって思ってたから」


 そう笑えば、彼は黙り込む。彼との会話は少ないに越したことはないので、急かすことなく待つ。

 その間に注文した品が届いた。自分のスプーンを取るついでにフォークとスプーンを彼に渡して、いただきます、と手を合わせる。


「あの、さ。そういうのは意識してなかったけど、仲良くなりたいとは思ってんだよね」


 ……なかよく。

 ぴくりと反応した手は、スプーンをジェラートに突き刺したまま固まってしまった。無言のまま視線を上げて、何か言おうと口を開けて。

 結局いつものように、笑顔を作った。


「私も。もしかしたら、っていうかたぶん、将来親戚になるだろうしね」

「だよな! あれ、ってことは俺は美幸の兄ちゃんになんのか。……それって奥村とも兄弟になるってこと?」


 躊躇いなく肯定したということは、私が「美幸なら」と思うのと同じように、彼も「葵ちゃんなら」と確信しているということなのだろう。予想通りだったような、少し意外だったような。

 そんなことを考えながら、彼の問いに答えを返す。


「ううん、確か違うよ。親等的には、確か従兄弟と同じだった気がする」

「おー、従兄弟か!」


 うなずいて、ジェラートを口に運ぶ。冷たくて甘いそれがじわりと口内に染み込んでいく。

 飲み込むと、吐き気がした。


「これからもたまにファミレスとか誘っていい?」


 やだ。勘違いされそうだよねって言ったの聞いてなかったの。そういうの面倒だし、私はあなたと仲良くなりたくないんだよ。

 そう口にしたかったが、私も仲良くなりたい、と言ってしまった手前、断ることはできない。

 いいよ、と答えれば、彼は嬉しそうに破顔した。

 曇りのない笑顔を見ていられなくて、そっと目をそらす。変わらないな、と思った。変わったような気がしていたけど、本質的な部分はやっぱり変わっていないんだろう。


 もう一口、ジェラートを食べる。

 甘かったはずのそれは、ただ冷たいだけだった。


     * * *


 シンデレラに憧れなかったのは、自分は優しくもなく、美しくもないとわかっていたから。

 魔法使いに憧れたのは、もしかしたら私には他にも特別な力があって、あんなふうに誰かを幸せにできるんじゃないかと思ったから。


 大人は可愛い子どもが好きだ。容姿も性格も父に似ているらしい私は、お世辞にも可愛いとは言えなかった。容姿は言わずもがな。人見知りで、口下手で、笑うのが苦手。

 対して、お姉ちゃんは可愛かった。それに、優しくて世渡り上手。

 私はお母さんもお姉ちゃんも大好きだったけど、少し、辛かった。だって皆、私を見る目とお姉ちゃんを見る目が違う。可愛がり方が、愛し方が違う。


 それでも、お母さんとお姉ちゃんは私を愛してくれたから。

 特別な力があると気づいたから。

 可愛い美幸が、家族に加わったから。


 魔法使い(特別な存在)に――シンデレラに幸せの魔法をかける彼女に、憧れた。




 結局五時過ぎまで、彼と話していた。

 ただいま、とリビングに入れば、エプロンをつけた美幸が迎えてくれた。その可愛さに、ふわっと心が和らぐ。

 癒された、けど。

 不自然にならない程度に早足でトイレに向かう。美幸に気づかれるわけにはいかなかった。口元を手で押さえて、息を止める。

 トイレの中に入って鍵をかけ、膝立ちになる。洗っていない手を口に突っ込むのは少し嫌だったが、思い切って指で喉を刺激する。


「――ぉえっ」


 音は最小限に。何度も波のように襲ってくる吐き気に逆らわずに、便器の中に吐き出す。きもちわるい。酸っぱいような、甘いような、変な味が口に残って、更に吐き気が増した。喉が痛い。鼻がつんとする。

 生理的にこぼれてきた涙を拭うこともできないまま、何も出なくなるまで吐き続けた。

 きもちわるい。頭で考えてることとは全然違うことを言って、笑いたくもないのに笑う私自身が。呪いだ、なんて思って、悲劇のヒロインぶっている自分が。

 気持ち悪かった。


 荒くなった息を整え、トイレットペーパーで涙と口元を拭く。そろそろ出ないと美幸に怪しまれてしまう。

 またトイレットペーパーを切って鼻をかみ、トイレを流す。水の音を聞きながら、はーと息を吐いた。口の中が気持ち悪い。早くゆすごう。

 洗面所で手洗いうがいをしっかりとしてから、少し迷ってリビングに戻る。自分の部屋に行ってもよかったけど、今日の家事は美幸がやってくれたのだ。何も言わずに部屋に行くなんて申し訳ない。


「美幸、今日はありがとう」

「ううん、普段は姉さんのほうがやってくれてるんだし。……具合悪い? っていうか、お腹痛い?」


 トイレにこもっていたのは気づかれていたけど、声は聞こえなかったらしい。ほっとして、「ちょっとね」と曖昧に微笑む。


「今あったかいお茶淹れるから、座ってて」

「……うん、ごめん」


 声を聞くだけで、ささくれだっていた気持ちが落ち着いてくる。

 さほど経たずに渡されたお茶をすすって、一息ついた。心配そうに眉を寄せながら、美幸は失敗したな、とつぶやく。


「今日麻婆豆腐なんだよね」

「えー、食べるよ」

「だめ。刺激物はお腹に良くない」

「良くなくても食べるの」

「また今度作ってあげるから」


 お腹が痛いなんて嘘をつかなければよかった。美幸は料理上手だし、もしそうでなくたって美幸の料理なら無理をしてでも食べたい。せっかく私たち家族のことを思って作ってくれたんだから。

 ちょっとだけでもいいから、といまだ諦めない私に、結局美幸は苦笑いしながら折れてくれた。


「じゃあ、ほんのちょっとだけね」

「やった」


 小さくガッツポーズ。……うん。大丈夫、家ではちゃんと『私』だ。よかった、と小さく安堵の息を吐く。


「あ、そういえば美幸の学校、今週末文化祭だよね?」


 これ以上体調について何かを訊かれないように、話題を逸らす。たぶん美幸もそれに気づいていたけど、そのまま話題に乗ってくれた。


「……うん。けど来なくていいよ」

「え、なんで。劇やるんでしょ? 美幸は出てないって言ってたけど、弟の文化祭は普通見にいくよ」

「普通じゃないからね、姉さん。ほんと、来なくていいっていうか、むしろ来ないでほしいっていうか……」


 もごもごと口ごもる美幸に、これはもしかして、とぴんとくる。キャストとして出るんじゃない? 美幸みたいな綺麗な子がキャストにならないなんておかしいと思ったのだ。客寄せのために、無理やりにでも劇に出させるだろう。

 美幸がクラスで楽しそうにしてるところと、あと葵ちゃんを一目見れたらと思っていたけど。他の楽しみもできちゃったな、と一人笑う。なんの演目をやるかは知らないが、美幸ならなんでも映えるだろう。


「姉さん? 来ないでね?」


 念押しをする美幸に、「行く」と力強く主張する。お母さん、美幸が出ないなら行かなくていいやって言ってたけど教えてあげなきゃ。こんなぎりぎりじゃお姉ちゃんは無理だろうなぁ。残念だけど仕方ない。

 ビデオ撮ってもオッケーかな、どうかな。今週末を思うとわくわくしてきた。土曜と日曜どっち行こう。もし本当に美幸がキャストやってるなら、どっちも行きたいな。とりあえずまずは土曜に行って、あ、時間があれば葵ちゃんにも挨拶しておかなきゃ。


「……せめて奏海姉さん一人で来て」


 はーい、とにっこり笑うと、美幸は困った顔で笑い返してくれた。



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