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15 君の魔法使い

「奏海姉さん、晃さんと付き合うことになったって本当?」


 家に帰ると美幸が待ち構えていた。……なぜ。いや、普通に考えれば彼が帰ってすぐ、あるいは電車の中で葵ちゃんに報告して、それが美幸まで回ってきたんだろうけど。彼がどれだけシスコンかも理解しているつもりだけど。

 ほんのちょっとだけふわふわしていた気持ちは、一瞬で冷めてしまった。しかも美幸、晃さん呼びに慣れてる言い方だったし。私なんて、さっき初めて晃君と呼んだのに。


「……一応」

「苦手だったんじゃないの?」


 間髪容れず飛んできた質問に、苦笑してしまう。「とりあえず家に上がらせて?」と靴を脱いで、ようやく玄関からリビングへと移動した。


「苦手でも、昔から嫌いではなかったから」


 制服のブレザーを脱ぎながら、さっきの問いに答える。


「嫌いじゃないから付き合うの?」

「……ねえ美幸、心配してくれるのは嬉しいんだけど、さっきから顔が怖い」


 とびっきり綺麗な人から真顔で問い詰められると、かなりの迫力だった。私はそれでも可愛いなぁ、と思うけど、これを受けたお姉ちゃんの彼氏さんはよくあんな、ちょっと困った顔程度で済ませたな。他人事で眺めていたときはその反応が当然のように感じたのに。子猫が毛を逆立てているような、なんて表現まで頭に浮かんだが、今は全然子猫じゃない、と思う。虎とかライオンとか、そういう系だ。

 美幸は無言で自分の頬をむにむに引っ張ると、手を離してふわりと笑顔を浮かべた。


「晃さんの告白、嫌いじゃないからいいかって思っちゃったの?」


 ……なんでだろう、迫力が変わらない。いや、可愛いんだけど。


「そういう適当な気持ちじゃないから、安心して」

「じゃあ、好きなの?」


 美幸が笑顔のままずいっと寄ってきて、言葉に詰まってしまう。思えば本人にも、好きだとは言っていないのだ。彼がいないところで先に言ってしまっていいのか。

 けれど、言わなければ美幸は納得してくれないだろう。

 仕方ないか、と一つ息をこぼす。


「好きだよ、ちゃんと。どこが好きかとかは、その、恥ずかしいから訊かないでほしいな」


 そういうことを含めた告白は、いつか彼に直接したい。いつか、だけど。

 まだ疑わしそうにしていたが、美幸は「そっか、ならいいんだけど」と案外あっさり引いてくれた。


「……そもそも美幸だって、葵ちゃんのこと最初は苦手じゃなかった?」


 密かにずっと訊きたかったことを訊いてみると、美幸は目を見開いた。やっぱりなぁ、と少し笑ってしまう。

 葵ちゃんは可愛いし優しいし、とってもいい子なのだが、美幸はあのテンションの高さが苦手そうだと思っていたのだ。葵ちゃんは私の前では美幸のことを「美幸君」と呼んでいるが、最初に会ったときは「みゆみゆ」と呼んでいたし。


「……あいつ、初対面でみゆみゆ呼びしてきたんだ」

「うわ、すごい。普通、美幸みたいな綺麗な男の子、そんな呼び方しようと思わないよね」

「こっちが嫌な顔してもぐいぐい来るし。恋愛対象としては興味ないから安心してって言われたけど、信じられなかった」

「そ、そうだったんだ」


 そんな始まりから、たった半年で恋人になるって何があったんだろう。美幸が嫌がったせいで、馴れ初めはまだ全然聞けていないのだ。葵ちゃんがうちに来たとき、お母さんが聞き出そうと頑張っていたんだけど……。葵ちゃんも美幸が嫌がることはしたくなかったらしく、結局ただ普通のおしゃべりとお菓子で終わった。

 気になるなぁ、と視線で訴えてみるも、美幸は「これ以上は言わない」と首を横に振った。残念。

 それにしても、こんな完璧な美幸に対して『恋愛対象としては興味ない』って言っちゃえる葵ちゃんすごいな……。先に好きになったのはどっちだったのかだけでも訊きたい。それくらいならいい、かな?


「……美幸」

「…………何?」


 ちょっと顔をしかめる美幸に、申し訳ないなぁ、と思いつつ、問いを口にする。いつもはこんな顔をされたら無理に聞き出そうとはしないが、つまりは今、私は結構……浮かれて、しまっているんだろう。


「先に好きになったのは、美幸? それとも葵ちゃん?」


 沈黙が返ってきた。……うん、なるほど。


「美幸からかぁ」

「……なんでわかるの?」

「なんとなくね」


 さすが姉さん、と美幸は苦笑いする。同時に、少し照れくさそうだった。恥ずかしいだろうことを訊いたのだから当然だが、やっぱりちょっと申し訳ない。

 これ以上は訊かないよ、という意味で笑いかければ、ほっとしたように美幸も笑ってくれた。


「でもそっか、苦手でも……いや、苦手だったから好きになるって、俺も経験してたんだった。晃さんがいい人なのは知ってるし、姉さんを任せるのも心配……ない?」

「疑問系なんだ」

「姉さんが疲れそうなのが心配」


 あー、と返事に困ってしまう。確かにそれは否定できない。

 まあでもどうせ、家族以外の誰といたって疲れるのだ。何年も付き合いが続けば、自然と一緒にいるときに心が安らぐようになるだろう。

 彼に少し強引なところがなければ、こうして交際を始めることもなかった。そう考えれば彼の性格はありがたいし、元から――それこそ、小学生のころから好ましいと思っていたのだ。疲れたとしても、きっと嫌になることはない。


「……葵ちゃんと晃君は似てるし、お互い様だよね」


 だね、と美幸は苦笑した。そして「晃君って呼ぶようになったんだ」とやや不満げだった。どうやらまだ複雑な気持ちがあるらしい。

 本当にこの子は、私たち家族のことが大好きだよなぁ。小さく笑うと、美幸もまた頬を緩める。


「そういえば美幸、まだシンデレラって呼ばれてるの?」


 ふと思い出して、話題を変える。彼について、今これ以上話すことはないだろうし。


「もう呼ばれてないけど……ってなんで姉さんが知ってるの?」

「晃君から」

「……葵が知ってることは全部、晃さんから姉さんに伝わるって思ったほうがいいのかな」

「うーん、どうだろう? 逆はありえるけど、葵ちゃんもそんなに全部話したりはしないんじゃない?」


 私と付き合うことになったのを葵ちゃんに即座に報告した彼と違って、なんでもかんでも兄に言うのは恥ずかしい、と葵ちゃんなら考えていそうだ。


「ねえ、シンデレラ」


 出来心で呼びかけてみれば、「何?」と普通に返された。嫌がらせのつもりではなかったが、ちょっとは嫌そうな顔を見せると思ったのに。

 ひとまず続ける言葉を探す。呼んだだけ、と言ってもいいけど、どうせなら――。



「――私ね、あなたの魔法使いになりたかった」



 以前、言えなかったことを。

 『魔法使い』なんて非現実的な言葉、今までこんなふうに口に出したことがなかった。ついに言ってしまった、という気持ちも相まって、なんだかむずむずする。

 美幸はぱちりと目を瞬いて、それからふっと微笑んだ。


「奏海姉さんはずっと前から、俺の魔法使いだよ」


 空実(くみ)姉さんと母さんもね、と続ける美幸を、気づいたときには抱きしめていた。ぎゅう、と力を込めれば、美幸は優しく抱きしめ返してくれた。

 じんわり浮かんできた涙を、目をつぶってやり過ごす。


 ずっとずっと、憧れていた。憧れることができなくなっても、それでもやっぱり、心の奥底では憧れていたのだ。

 シンデレラを幸せにした魔法使いに。

 王子様と結ばれることが、本当に彼女にとっての幸せだったのかはわからないけど。

 だけど、あの絵本のシンデレラは、王子様と踊っているシーンでは本当に嬉しそうで。最後の笑顔が、本当に幸せそうだったから。

 私の中では、『シンデレラ』はあれが完全なハッピーエンドだった。


 だから、物語をその結末に導いた魔法使いに、憧れたのだ。


「ありがとう、美幸」

「そう言うのは俺のほう」


 ひとしきり抱きしめて、美幸から体を離す。私の目に浮かんでいる涙を見て、美幸は優しく笑った。


「姉さんたちの家族になれて、俺は幸せだよ」

「……また泣いちゃうからやめて」

「そういえば奏海姉さん、昔は泣き虫だったね」


 それは、家族の分まで泣いていたから。……だと思っていたけど、私はもしかしたら、本当に泣き虫なのかもしれない。彼の前で、もう二回も泣いてしまった。

 はは、と笑って誤魔化して、涙を指で拭う。


 美幸の魔法使いになれていた。美幸がどんな意味で『魔法使い』と言ったのかはわからないけど。

 ――奏海姉さんはずっと前から、俺の魔法使いだよ。

 その言葉だけでもう、十分だった。


     * * *


 絵本に積もっていたほこりをティッシュで拭いて、表紙を見つめる。本当はふう、と吹き飛ばしてしまいたかったのだけど、なんとか我慢した。

 やっぱりこの絵、あんまり好きじゃないなぁ。

 読みすぎてぼろくなっているページを、一枚一枚めくっていく。いつから読んでいなかったんだっけ。憧れるのをやめようとしたときから? だとしたらきっと、彼に拒絶されたときからだ。

 最後のページを見て、「ふたりは いつまでも、 しあわせに くらしました。」という文にちょっと笑い、絵本を閉じる。


 ――うん、もう、大丈夫。


 物語の魔法使いに憧れるのは、これで終わりだ。


 そういえば、と思い出す。以前夕方のニュースか何かで、本当に履けるガラスの靴についてやっていた。職人さんがひとつひとつ手作りした、片方だけのガラスの靴。確か結構な値段がしたが、いつか買ってみてもいいな、なんて思う。

 今更シンデレ(お姫様)ラに憧れるわけではないけど。でも真似ごとくらいはしてみたい、と思ってしまう自分に、相変わらずメルヘン思考だなぁ、と一人苦笑した。



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