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14 泣き虫な負けず嫌い

 口を滑らせた、と思った。ぱちり、と目を瞬く彼に、今更何でもないとは言えなかった。

 超能力ってどう思う? なんて、そんな曖昧な質問、彼だって返事に困るだろう。しかも唐突すぎたし。

 気まずい沈黙を、私から破ることもできない。適当でもいいから何か答えてくれないかな、と彼からそっと視線を逸らす。

 私の力は、超能力と形容していいのかもわからないものだ。普通でないのは確かで、しかし『超能力』とまではいかない、気がする。


 もしも。

 もしも、彼が「超能力なんて気持ち悪い」と言ったら。

 そう考えるだけで、つきりと小さく胸が痛む。気持ち悪いと、もう一度彼から言われてしまったら、どうしたらいいんだろう。平静でいられる自信がなかった。

 彼は少し考えた後、首をかしげた。


「……なんで急にそんな質問なんかわかんないんだけど、奥村が超能力者なの?」


 息が一瞬、止まったような気がした。


「なっ、んで、そんな話になるの?」

「だって今の流れでそんな質問されたら、そうなのかなーって思わない? なんだ、ずるって超能力のこと?」


 違う、とも言えずに、ただ呆然と彼の顔を見つめる。きょとんとした彼のことが、理解できなかった。

 なんだって、なんだ。どうしてそんな軽い言い方なんだ。私がもし超能力を使えたとしても、ずるがそのことだったとしても、どうでもいいみたいな。……そう、彼は思っている?

 わからない。わからない!


「そうだって、言ったら?」


 乾いた口で、また問いを重ねる。


「んー……。もしそうなら、なんで奥村は俺の気持ちが勘違いとか言うのかなって。ずるでもなんでもねぇじゃん。そういう力があったとしても、奥村がその使い方間違える気しないし。えーっと、なんだ、あれだ、俺が奥村を好きになったのは、そうなるべくしてなった? って感じ?」


 どうして、どうしてそんなこと言えるんだろう。

 私は力の使い方を間違えた。間違えたのに――その被害者の彼が、なんで。ずるじゃないって、じゃあなんなのだ。私が彼にしたことは、なんだったんだ。他人の感情を操って好きになってもらって、それがずるじゃなかったら、なんだっていうんだ。

 私が間違えないという、彼の信頼はどこから来る? 私の取り繕った上辺? そんなのを信じるなんて、馬鹿すぎる。

 つん、と鼻の奥が熱くなる。視界が滲む。

 彼の前だと、どうして私は泣き虫になってしまうんだろう。


「ずる、だったんだよ」


 声が震えた。


「あのとき、私が大丈夫かって訊いたとき、あなたはほっとしたって言ったでしょ? あれはね、私があなたの悲しみを奪ったからなの。あなたがお母さんのことで悲しんでるのを知ってて、勝手に奪ったの。特に関わりもなかったくせに、あなたが悲しんでるのを見たくないって思っちゃって、それで……っ!」


 心臓が痛い。ぎゅうっと、誰かに握られているみたい。悲鳴を上げたくなった。

 ぼろぼろと、汚い涙が流れる。

 ああやだ、やだ、汚い。しんでしまいたい。

 こんなところで泣くなんて彼に迷惑だと、冷静に訴える私がいて、だけどやっぱり涙は止まらなかった。とりあえず笑えばなんとかなるだろうか、と笑ってみようとしても、顔がただ歪むだけだった。……そういえばそうだった。泣きたいときに笑おうとすると、涙って止まらなくなるんだった。


「ごめんなさい……」


 彼はどんな表情をしているだろうか。今度こそ、面倒臭い奴だと、気持ち悪い奴だと、愛想を尽かしただろうか。

 言いたくなかったのに。言うつもりなかったのに。――嫌われたく、ないのに。

 袖で乱暴に涙を拭っていると、奥村、と彼が私の名前を呼んだ。それと同時に、青い四角いものが差し出される。……布。青い、ハンカチ?


「今度は持っててよかった。あ、あとティッシュもちゃんと持ってる! から、それで涙拭いたら……ほら、これで鼻かんで」


 ハンカチをつい受け取れば、ごそごそ何かを漁る気配がして、ポケットティッシュまで押し付けられる。

 いや、私、ハンカチもティッシュも持ってるんだけど。出す余裕がなかっただけで。


「落ち着いたらさ、もっと詳しく教えてよ」

「……ばか」

「えっ、奥村から直接的な悪口初めて言われた!」


 なんで嬉しそうなんだ、この人。そしてなんで、私は今馬鹿なんて言ってしまったんだろう。いや、確かに彼は馬鹿だと思うんだけど。

 ハンカチとポケットティッシュで止まりかけていた涙は、それで完全に止まった。目に残った涙を瞬きで落として、借りたハンカチでおそるおそる拭う。

 鮮明になった視界に、彼の笑顔が映った。

 やっぱり理解ができなくて、思考を止めたままティッシュで鼻をかむ。あ、人前なのに思い切りかんじゃった。我に返って、横を向いてそうっとかみ直す。


「ありがとう」


 ハンカチとティッシュを返すときも、彼はにこにこしたままだった。

 変に冷静になってしまったな、と息を吐く。また取り乱してしまったのが恥ずかしいし、なんだか悔しい。


「それで、奥村はどんな力があんの?」


 彼は純粋に疑問に思っているようだった。


「他人の負の感情、っていうか。悲しいとか苦しいとか、そういうのを自分に移せるだけだよ」


 今までずっと秘密にしてきたこと。なのにあっさり、言ってしまった。あまりにもあっさりとしすぎていて、今のは本当に私が言ったのかな、と疑いたくなる。というか、私が心の中で答えてしまっただけなんじゃないか?

 なんて思っていたが、彼が「移す?」と驚いた顔をしたことでそれは否定された。


「消すんじゃなくて、移す?」

「うん。変な力だよね。しかもさわってるとき限定だし、私が相手のそういうのを引き受けたいって思わなきゃだし、ほんと中途半端」

「……移すってことは、その相手が楽になっても、奥村がつらくなっちゃうってこと?」

「そう、だね。もう慣れたけど」


 私の答えに、彼は黙り込む。

 やっぱり気持ち悪いと感じたんだろうか。不安がぐるぐると私の中を満たしていく。そもそも、こんな話をすぐに信じてくれるわけがないのだ。


「……うーんと、まだ信じきれてはないんだけど、本当だったとして。それ、慣れちゃだめだろ」


 予想外の言葉だった。

 ぽかんとする私に、彼は顔をしかめる。


「えー。っていうか、ええ? 奥村がそれでいいならいいんだけど、いやよくないんだけど、やっぱ奥村がつらくなっちゃだめだろ。うん、だめだよ。そんなの奥村が傷つくだけじゃん」

「だけって……で、でも、相手の悲しみとかはなくなるし」

「だからって奥村が人の分まで悲しんでちゃ意味ないじゃん?」


 ……意味がない。意味がなかったのだろうか、私がしてきたことは。ほんの一時でも、家族が楽になってくれれば嬉しかった。他人の感情が入ってくる気持ち悪さなんて、家族の笑顔を見れば耐えられた。

 だけど、意味が、なかったんだろうか。


「今まで色んな奴にその力使ってきたの?」

「……ううん。家族、と、あなただけ」


 家族かぁ、とつぶやいた彼は、ふと何かに気付いたように動きを止めた。


「……家族と、俺だけ?」

「……拒否されたけど」

「マジで!? 俺そんな昔から、家族と同じ扱いされてたの!? 何それめっちゃ嬉しい……って悪い、喜ぶのは後にする。あと、もう一回謝る。ほんとごめん」


 喜んだり真顔になったり忙しいな。

 私のほうこそごめん、と謝罪を返すと、今度はむすっとされた。


「あのときのごめんってそういうことだったんだな。奥村、俺は悪くないとか言ってたけど、全面的に俺が悪いじゃん! 俺最悪じゃん!」

「え、ううん、私が悪いんだよ。すっごい無神経だった」

「いや俺のほうが無神経だろ……。誰が聞いても奥村じゃなくて俺が悪い」


 それはあなたの感覚がおかしいんじゃ、とは思ったが、これ以上言い合ってもまた平行線になりそうなのでやめておいた。それでも、彼自身から『全面的に俺が悪い』なんて言われてしまうと、少し救われた気持ちになってしまう。単純だった。

 私が許されないことをしたのは事実だ。けれど、彼が許してくれるのなら、それだけでふわりと心が軽くなる。


「でも家族だけか……。なら、俺が口出しするほうがだめだな。意味ないとか言って悪い」

「柳沢君、さっきから謝ってばっかりだよ」

「これが謝らずにいられるかって感じなんだよ! ……ってやった、名前呼びに戻った」


 あ、と口元を押さえる。意識して最初のころのようにあなた呼びをしていたのに、つい。

 そういうのも気づかれていたんだなぁ、と思うと、なんだか気まずかった。


「あああああ、ほんっとごめんな……。奥村は俺のこと罵っていいと思う、むしろ罵って」

「……柳沢君、それは誤解を生む発言だよ」


 この流れでもちょっと引く。罵ってって、普通言わないだろう。彼も指摘されてから気づいたのか、「ほんとだ」とちょっと笑った。

 ……罵る、か。そこまではさすがに、できないけど。

 あのときに思って、燻っていたものを、吐き出してもいいだろうか。どこまで言っても大丈夫なんだろう。


「あ、言っとくけど、もし奥村にその力があっても……って、あるよなぁ。色々納得だもん。まあそれは置いといて、やっぱずるじゃないよ。ずるどころか、普通に奥村の魅力じゃないの? いや、魅力とか言うのこっぱずかしいけどさ。たぶん奥村が思ってる以上に俺、奥村のこと好きだし、嫌いにならないだろうなーって自信あるよ?」


 照れくさそうに笑う彼に、きゅん、とときめいた気がした。あくまでも気がしただけだと主張しておく。

 私の不安を即座に消し去った彼は、自分がどれだけのことを言ったのか気づいていない。色んな感情が混じって複雑な表情を浮かべる私に「ん?」と不思議そうだった。


「……じゃあ、言わせてもらう」


 おお、と彼は真面目な表情で座り直した。


「まず私は、怒ってました」

「……うん」

「私が無神経だったのはわかってるけど、それでもあのときショックだった。あれから人とまともに話せなくなって、家族以外とまともに付き合わなくなった」


 こんなことを今更言ったって、仕方ないのに。

 嫌いにならない、という彼の言葉に縋って、口を動かし続ける。


「……誰かと仲良くなるのが、怖いんだよね。あのとき別に私、柳沢君と仲良くなかったでしょ。それなのに力使っちゃったから、じゃあ友だちだったら? って。友だちが悲しんでるところなんて見たくないもん。でも力を使ったら、柳沢君みたいに拒絶されるんじゃないかって思うと、怖い。

 好きな人に嫌われるなんて、もうやだ」


 遠回しに彼が好きだったと言ったようなものだったが、気づかれた様子はない。


「私ね、あのとき本当に悲しかった。柳沢君は気持ち悪いってすごい怯えて、その恐怖まで伝わってきちゃって。

 しばらくしてから、せっかく助けてあげようとしたのに、なんて思ったりした。もともと人付き合いは得意じゃなかったけど、柳沢君の――せい、で、もっと怖くなったから」

「……」

「美幸たちの話をするようになって、毎日苦痛だった。頑張ってたけど、やっぱり気持ち悪くて、帰ってから吐いたりもした」


 どんどん彼の顔が強張っていく。罪悪感を刺激してしまうような言い方をしているから当然なのだけど、申し訳なくなった。

 吐いたこととかは別に言わなくてよかったかも、と思っても、今更言い直すことなんてできない。


「でも、柳沢君と話すようになって、だんだん大丈夫になったの。人と話すのとか、笑うのとか。完全に大丈夫、ではないけど、少なくとももう吐いたりはしないと思う。柳沢君のせいで悪化したけど、柳沢君のおかげで治ったから、まあプラマイゼロってことで。気にしないでね」

「いや気にするよ!?」


 耐えきれなくなったように突っ込みを入れて、彼は思いきりうなだれた。


「ごめん、めっちゃごめん、ほんとごめん……。うっわ、ほんと……ほんとごめん」

「……嫌いになった?」

「その発言の意味がわかんないんだけど! え、今のでなんで嫌いになんの……? むしろ俺が嫌われるだろ!」

「一時期は世界で一番苦手だったよ」

「追い打ちやめて!」


 一時期は、と言ったのに。苦手だった期間のほうが長いから、一時期、という表現はふさわしくないかもしれないけど。

 落ち込む彼の姿がなんだか可愛くて、ふっと笑ってしまった。

 今まで怖がっていたのはなんだったんだろう。こんなことを言ったら絶対嫌われると思っていたのに、「なんで嫌いになんの?」ときた。それこそなんで、だけど、柳沢君だもんなぁ。

 そんなことを考えていたら、彼はがばっと顔を上げた。


「その話を聞いた上で、図々しいけどもっかい言う!」


 もう一回、とはなんのことだろう。なんとなくちゃんと聞かなくては駄目な気がして、姿勢を正す。


「好きです、付き合ってください」

「…………ごめんなさい?」

「疑問系!? え、俺振られたの、どっちなの!?」


 とりあえずで返した答えはお気に召さなかったらしい。――付き合ってください、って。つまり私は今、交際を申し込まれたのか。返事をしてから理解するなんて順番が間違っているけど、なる、ほど?

 ……なんで私はまた告白されたの?


「えっと、私、前にもごめんって言ったよね?」

「うん。でもそれは俺の気持ちを勘違いだって思ってたせいかなって思って、もう一回告白してみました」

「……今の話聞いてわかっただろうけど、私すごいめんどくさい奴だし」

「話聞く前からわかってたから大丈夫」


 それはそれでちょっとショックだ。


「あと、私たち受験生だし」

「付き合い始めるだけなら今でもいいんじゃない?」

「……いや、でも、ほら、」


 他に言い訳を探して目をさまよわせる私に、彼は「あーもう!」と叫ぶ。


「断るなら『あなたのことなんて好きじゃないから』とか言っとけばいいんだよ。でもほんのちょっとでも俺のこと好きなら、付き合ってほしい」

「わ、たし、付き合ったとしても柳沢君のこと楽しませられないだろうし」

「一緒にいるだけで楽しいって言ってんじゃん」


 え、言ってただろうか。言ってないと思うんだけど。いや、話すのが楽しいとは言ってたか。

 うろうろと視線があちこち忙しい。あとは、あとは何があるかな。彼が納得してくれそうな理由。


「そうやって理由探すくらいなら、はいかいいえではっきり答えてほしいんだけど」

「……い」

「俺のこと好きですか?」


 いいえと答えようとしたら即座に質問をぶつけられて、反射的に口をつぐんでしまう。

 ……その質問はずるい。


「好きですか? はいかいいえで!」

「……悔しい」


 渋面で、絞り出した答えがそれだった。いいえって言ってやりたい。すごく言いたい。

 けれど、はいとも言ってないのに、彼はぱあっと顔を輝かせた。


「マジで!? マジで!?」

「私は悔しいとしか言ってません」

「実質はいじゃん! わあああやったやった!」

「あんまり大声出さないほうがいいと思います」

「あ、そっか、迷惑だな。じゃあちっちゃい声で、やったー!」


 声を潜めて喜ぶ彼とは対照的に、私はため息をつきたかった。

 なんだか猛烈に悔しい。私って案外負けず嫌いだったんだな、と今更ながらに気づいた。他人とあまり関わってこなかったから、自分のそんな面さえ把握できていなかったらしい。


「へへ、奥村が俺の彼女」

「……その言い方、ちょっと気持ち悪いです」

「えっ、ごめん。っていうか、さっきからなんで敬語……」


 ちょっとした意趣返しのつもりだった。

 しかし彼が情けなく眉を下げるものだから、素直に負けを認めざるをえない。


「ところで、かにょじょ……になったら、何をするべきかな」

「噛んだ」

「噛んでない」


 むっとする私に、彼は笑う。ちょっと噛んだくらいスルーしてくれればいいのに。


「手ぇ繋いで帰るとか?」

「……それはまだ早いと思う」

「じゃあえーっと……キスとか」

「かなり早いと思う」

「う、言ってみただけですー! 奥村はどんなことしたいの?」


 正直、恋人、になったからといって、やりたいことは特にない。そもそも付き合うのだって乗り気なわけではないのだ。でもなってしまったからには、何かしらしなくてはいけないだろう。

 恥ずかしくないこと……難易度が高くないこと……。

 考えて、「あ」と一つ思いつく。


「右手、出してくれる?」

「うん? 何すんの?」


 不思議そうな顔をしながらも、彼はフレンチトーストの皿を避けて、テーブルの上に右手を置いてくれた。

 それを、そうっと両手で握る。びくりとした彼は、私の固い顔を見て何かを察したように黙ってくれた。

 家族以外の誰かにさわるのが怖かった。特に、彼にさわるのが怖かった。

 けれど今なら、大丈夫だと思ったのだ。


 彼の手は、当たり前だけど私よりも大きい。少しひんやりとして感じるのは、私の平熱が高いせいだろうか。

 深呼吸をして、願う。意識する。もし今彼が何か負の感情にあたるものを抱いているのなら、それを私に移したいと。


 ――伝わってくる感情は、何もなかった。


 そのことに、心の底からほっとした。なんだか彼は緊張した表情をしているが、私に何も伝わってこないということは悪い意味での緊張ではないんだろう。

 握るときと同じように、そうっと彼の手を放す。


「ごめんなさい。試すようなこと、しちゃった」

「……ああ、そういうことか。それで、俺が奥村のこと好きだってちゃんとわかってくれた?」


 数瞬して、合点がいったように彼は言う。そしてそんな質問をしてくるものだから、ふいっと目をそらしてしまった。


「そういうのはわからないけど、嫌われてないのはわかったよ」

「安心した?」

「……うん」


 お互い、もう謝らなかった。

 彼は残っていた数口分のフレンチトーストを食べきって、伝票を取った。「今超嬉しいから奢りたい!」と頑として譲らない彼に苦笑いする。

 彼が会計してくれるのを待って、一緒にお店を出る。

 三月のあの日、お店を出てからすぐに別れた。けれど今日は、以前のように、当然のように、並んで駅までの道を歩いていく。


「……奥村さん」

「……なんでしょう」

「手、繋いでもいいでしょうか」

「そういうのは訊かないものだし、まだ早いって言いました」


 しょんぼりする彼にちょっと申し訳なく思わなくもなかったけれど、まだそういう恋人らしいことはできそうもなかった。その代わりにできることは。


「……(あきら)君?」


 何かを話しかけていた彼を見上げ、首をかしげる。これくらいが今の私の限界なのだが、彼はどう思うだろうか。

 顔は口を開けたまま固まっても、彼の足は止まらない。まあ、文句は言われなかったからいいか、と視線を前に戻して隣を歩く。


「……奏海、ちゃん」


 しばらくしてぽつりと聞こえた声に、小さく笑う。


「晃君がそう呼ぶと、ちょっとチャラく聞こえるね」

「じゃあ奏海!」


 やけくそのように叫ぶ彼に、今度は私が何も言えなくなってしまう。

 なんだろう、なんか、ちょっと。心臓に悪い気がする。ここでやめてほしいと言うのも空気を読めてないし、受け入れるしかないんだろうか。

 でも、むずがゆいというか、どきどきするというか……。下の名前で呼び捨てにされるなんて、お母さんとお姉ちゃんくらいだったんだよなぁ。きっとまだ慣れてないだけなんだろう。そう思っておこう。


 結局、「うん」とうなずくしかなかった。



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