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13 彼のおかげ、彼のせい

 彼が私のクラスへやってきたのは、その翌日の昼休みのことだった。

 ドアのところから私を呼ぶ彼に、さすがに早すぎないか、と顔を引き攣らせてしまう。いや、いつ来られたって私の答えは変わらないからいいんだけど。

 お弁当の蓋をひとまず閉めて、彼のもとへ行く。昼休みは皆息抜きのためにそれなりに騒がしくしているから、誰も彼の訪問を気にしていないのがありがたい。……それでも、ドアのところで長く立ち話するのはやめたほうがいいかもな。

 久しぶり、と口を開こうとしたら、先に勢いよく言われてしまった。


「久しぶり!」

「う、うん。あの、」

「今日の放課後空いてる?」

「うん?」

「よかった、じゃあ昇降口で待ち合わせな!」

「え」


 じゃ! と去っていく彼を、ぽかんとして見送る。話聞いてなかったよね、今の。なんなんだいったい。放課後空いてるかって、どういうこと。勉強しなきゃいけないだけだから、そりゃあ空いてるは空いてるけど。……というか今、かなり大声だったような。

 はっとして教室内をおそるおそる確認すれば、結構な注目を集めていた。否定したり謝ったりは変な気がして、そそくさと自分の席に戻る。顔が熱かった。

 彼ももうちょっと考えれば、あんな大声でデートのお誘いみたいなこと言えないだろうに。本当に、ほんっとうにもうちょっと自分の言動を考えてほしい。いつもいつも、私が指摘するまで気づかないのはどうかと思う。指摘されて気づけるなら、ちゃんとよく考えれば自分で気づけるはずなんだし。

 ぶつくさと心の中で文句を言いながら、お弁当の蓋をまた開ける。食事を再開してもぐもぐしているうちに、視線はまったく感じなくなった。


     * * *


 六限の授業が終わってすぐに昇降口に向かえば、彼はすでに待っていた。私に気づいて、ほっとしたように頬を緩める。


「急に誘ってごめんな」


 靴に履き替えながら、その誘いを承諾したつもりはないけどね、という言葉は飲み込む。連絡手段はあるのだから、断りたければ断れた。それでもすぐにここへ来たのは、私自身の意思なんだから。「平気だよ」と微笑めば、彼はなぜか表情を曇らせた。

 二人で並んで歩き出す。彼は行き先を告げなかったが、きっといつものファミレスだろう。……今日は久しぶりに、アイス食べようかな。


「昨日、葵が家行ったって聞いたんだけど……」

「うん、いきなりね。一人だったからびっくりしちゃった」

「うわあ、わりぃ! たまーにそうやって暴走すんだよな、あいつ」

「でもそこも可愛いんでしょ?」

「そうなんだけどさぁ」


 苦い顔をしながらも深くうなずく。葵ちゃんが昨日の話を伝えているのだとしたら(伝えていなかったら彼は私のところに来なかっただろうし、伝えているんだろうけど)、葵ちゃんが自分のために行動したのだということは彼もわかっているはずだ。だから怒るに怒れなくて困った、という感じだろうか。

 ファミレスに着くまで本題は切り出さないつもりのようで、彼は「勉強のほうはどう?」と話題を変えてきた。


「まあまあかな。柳沢君は?」

「んー、推薦もらうつもりで、そんなに勉強してないんだよな。こう見えても成績はいいし」

「だとしても、ちゃんと勉強しなきゃ入ってからきついんじゃないかな」

「う、わかってます。夏休みから! 夏休みから頑張るから!」


 葵ちゃんや美幸の話も避けて、そんな何てことのない話ばかり。それでも、苛立ちや不快感は感じなかった。ついにそこまで好きになっていたのか、と今更自覚する。最近は他人と話しても気分が悪くならないし、彼と関わるようになってから私は確実に変わった。

 呪い、とか。

 そうやって自嘲して、自分に『かわいそうなもの』というレッテルを貼って。

 それが今、剥がれかかっているのだ。呪いはほとんど、解かれている。……呪いを強めたのは彼なのに、その彼によって解かれるなんて馬鹿みたいな話だった。


 なんだか、魔法使いみたい。


 いまだにそんな思考しかできない自分に笑いたくなる。

 でも本当に、魔法使いみたいだった。魔法は使えなくても、彼は私の呪いを解いてくれた。まだすべてではないけれど、きっともう、自然と解けていく。

 怖いものはたくさんある。普通の人のように生きるのは、私には難しい。

 だけど彼のおかげで――おかげ、で。



 おかげ。

 おかげって、そんなわけない。そんなわけないのだ。


 彼との会話を続けながら、笑顔の裏で、そう吐き捨てる。

 確かに魔法使いみたいだ。思ってしまったのは事実だし、それは認めよう。彼は私に、魔法をかけてくれた。この先どんな影響が出るかはわからないが、とにかく何かの魔法を。だから私は、家族以外の人たちとも話せるようになってきたし、彼を好きになったのだ。

 でも。

 それが彼の()()()だとは思いたくなかったし、思えなかった。




「それで、勘違いってどういうことか訊いていい?」


 テーブルに案内されてから開口一番、彼はそう言った。緊張しているようにも、怒っているようにも見える顔だった。


「その前に、先に頼んじゃわない?」


 注文もせずに長話をしては、人が少ない時間帯だとはいえ迷惑だろう。了承した彼と一緒にメニューを開いて注文を済まし、「水取ってくるね」と立ち上がる。

 さて、どこまで言おうか。そもそも、この話し合いの目的は何にしよう。『勘違い』について、彼に納得してもらうこと? 彼に嫌われて、私への気持ちを綺麗さっぱりなくすこと? ……できれば親戚付き合いは良好にしたいんだよな。そのためには、過去に私がしたことは言わないほうがいい、のだろうか。

 けれどはたして、曖昧に濁す言い方で彼は納得するだろうか。……してくれるとは思えない。だとすれば、話さなくてはいけないのだろうけど……。


 二つのコップを手に取り、水を入れて、ゆっくりとテーブルに戻る。少しでも考える時間がほしくて水を取ってきたのだが、結局何も浮かばなかった。

 ありがとう、と受け取る彼にうなずきを返しつつ、一口飲む。彼はうつむきがちに視線をコップに固定していた。もしかしてすごく緊張しているんだろうか。話を促してもこないし……これは、私から切り出すべきか。


「ええっとね。説明は難しい、というか、できないんだけど……。私は、柳沢君の気持ちが勘違いだったって言い切れる。思ってるんじゃなくてね」


 行き当たりばったりでいくしかない。でもできるだけ、もう彼を傷つけないように。


「うーん、と……私、ずるしたんだ。だから柳沢君……あなたが私を好き、になってくれたのはそれのせいで、本当はありえないことだったんだよ。きっとあなたも、時間が経ったらなんで私を好きになったのかもわからなくなると思う。私のずるのせいで、勘違いしちゃってるだけだから」


 私が言葉を続けるほどに、彼の顔から表情が消えていった。

 何か言ってはいけないことを言ってしまっただろうか。今までずっと人に嫌われないように過ごしてきたつもりだったが、嫌われないように、というよりは、深く関わらないように、だった。

 だからわからない。

 彼は今、何を感じているんだろう。

 私は、何を言うのが正解なんだろう。

 わからなくて、どんどん焦りが募ってくる。


「あの、ごめんなさい。許されないことした自覚はあるし、本当に申し訳ないと思ってる! けど美幸と葵ちゃんのためにも、私たちは――」

「奥村」


 じっと、目を見られる。逸らしてしまいそうになったのをこらえて、見つめ返す。


「奥村がその『ずる』を説明しない限り、俺は納得したくない。だって俺、奥村のこと好きだし。さっきから奥村、勘違いだったとか、ありえないことだったとか、過去形ばっか使ってるけどさ。俺は今も、奥村が好きなんだよ。……だから、勘違いだって言い切られても、俺はそんなわけないって思う」

「……ごめん」

「謝ってほしいんじゃなくて、ちゃんと話してほしいんだってば」


 無理だ。嫌われる。今度こそ本当に、気持ち悪いと言われてしまう。

 黙り込む私に彼は深いため息をついて、「ごめん」と小さく謝った。


「……正直、告白したときさー。俺、いけると思ってたんだよね。どう考えたって、奥村俺にだけ態度違うし、あんなふうに笑ってくれるし。だから、なんで? って思った。まあ振られといてこう言うと、負け惜しみにしか聞こえねぇかもだけど」


 ぎくりと体が反応する。やっぱり私の態度はわかりやすかったんだろう。もしかしたら私が自覚する前から、彼はわかっていたのかもしれない。けれど、彼にだけ態度が違う、と本人から言われてしまうのはかなり恥ずかしかった。

 打った相槌は裏返って、誤魔化すように咳払いをする。これじゃ動揺しているのが丸わかりじゃないか。驚いたように目を瞬く彼に、失敗した、と呻きたくなった。


「なあ、もしかして俺、合ってた?」

「合ってない」

「そっかそっか、合ってるんだ」


 即答したのに、彼があまりにも嬉しそうに笑うから。

 二度目の否定は、できなかった。


「じゃあ尚更、聞かなきゃ納得できない」

「……言いたくない」

「うん、言いたくないならいいよ。俺はただ納得しないだけだから。どうせ葵と美幸はこれからも仲よくやってくんだろうし、なら俺たちだって関わりなくなんないだろ? 勘違いじゃないってわかってくれるまで、勝手に待ってる。わかってくれて、それでも振られるならそりゃあ諦めるけど」


 じゃあ早く諦めて。勘違いだってこと、あなたがわかってないだけなんだから。


 そう言いたくなったのをぐっと堪える。そんな嫌味なことを、苛立ちのままに言うなんてしたくなかった。これ以上、彼を傷つけたくはない。

 冷静になるために一度水を飲んで、店内を視線だけで見回す。注文が届くのが少し遅い気がする。時間の流れを遅く感じているだけなのかもしれないが、押し切られそうな流れを断ち切っておきたいのに。


「とりあえず、奥村の好きなところを挙げていくとかどう?」

「え、やだ!」


 思わず大声を出してしまって、慌てて口を閉ざす。でもなんてこと言い出すんだ、この人。仮にそんなことができるとしても、恥ずかしくないんだろうか。


「……そんな嫌がられるとやりたくなる」

「やめて」

「でも他に方法思いつかないしなー」

「そもそも、勘違いじゃないって思ってるのが勘違いなんだからね?」

「ううん、それが勘違い」


 平行線になりそうだった。

 ……もう納得してくれなくてもいいんじゃないかな。私がこのまま折れなきゃいいだけの話だよね。

 彼も私も、美幸と葵ちゃんが別れるとはまったく思っていない。出会って半年ほどで付き合い始めたとはいえ、美幸が選んだ子だ。もちろん絶対に別れない保証なんてないが、私たちが「別れない」と言い切る理由は、お互いそれで十分だった。

 美幸だから、葵だから。私たちはそれだけで、二人の関係がこの先も続くと信じ切っている。

 続くのならば、私と彼も親戚付き合いをするしかない。私が折れなければ、近いようで遠いその関係性がずっと続くだけだ。

 けれど、それがいい、ではなくて。

 それでいい、と思ってしまった。


「まず好きなのはー、そうだな」

「だからやめてって」


 少し睨んでも、彼は言葉を続ける。


「美幸、っていうか家族のこと大好きなところ、すっげぇ好き」

「……それはあなたも一緒でしょ」

「うん、だからかもな。でも奥村のほうが、他と家族はっきり分けてるだろ? 家族の話してるときはほんとかわいい顔してる」

「してない」

「こういうときにムキになって言い返すのもめっちゃかわいいしなぁ」

「ねえキャラ違くない?」

「信じてもらおうと必死なだけですー!」


 拗ねたような子どもっぽい言い方に、睨んでさえいられなくなった。必死、という感じはしないけど、そうなんだろうか。

 でも、好きとか可愛いとか、付き合ってもいない相手に気軽に言う言葉じゃないと思うのだ。……あ、本人的に必死なら気軽じゃないのかな。だとしても、やめてって言ったのに。

 「つーか」と彼は人差し指で私をさしかけて、思いとどまったように上に方向を変えると、その状態で手を軽く振った。


「キャラっていうなら、奥村だってそうじゃん。意外と毒舌! 仲良くなれた感じして嬉しいけど、あんまぐっさり言われると傷つくからほどほどにしてくれると助かる」


 ……それは、だって、あなたのせいじゃないか。私と話してて楽しいとか、変なことを言うから。皮肉を言っても、嬉しそうに笑うから。

 返事に詰まったところで、ようやく注文が届いた。ほっと安心して、スプーンを取る。今日はトリュフアイスだ。彼が頼んだのも珍しくデザートで、美味しそうなフレンチトーストだった。

 二人していただきますと手を合わせ、食べ始める。


「とにかく、私はこれ以上説明する気はないからね」

「とか言って、しつこく訊けば結局話してくれんだろうなー」

「……それは独り言?」

「いや? だって奥村、押しに弱いじゃん。初っ端からあんなテンションでいったら絶対引かれる、って思ってたのに、微妙な顔してても一応毎日付き合ってくれてたろ?」


 声をかけられた日のことを思い出す。すごくぐいぐいこられて戸惑ったのだけど……なるほど、彼も自覚はしていたのか。

 でも、絶対引かれると思うくらいならなんであんなテンションだったんだろう。

 私の疑問が伝わったのか、彼が答えてくれる。


「……緊張してたんだよ。ずっと謝りたかったし、できれば仲良くなりたかったし」


 それなら慎重になるのが普通じゃないだろうか。

 彼はフレンチトーストを食べながら、ふと眉をひそめた。


「これ美味いけどあっまい……食べるのちょっと手伝ってくんない?」

「別にいいけど、甘いの苦手?」

「苦手ってほどじゃないんだけど、いっぱいは無理」


 じゃあいつもどおりパスタとか頼めばよかったのに、と思いつつ、新しいフォークとナイフを取り出す。彼のお皿を受け取って、代わりに私のアイスを差し出すと、「えっ」とびっくりされた。

 その反応に少し考えてから、そうっとアイスを私のほうに戻す。


「ごめん、つい。これも甘いし意味ないよね」

「う、うん、だな、でもちょっと、ええっと一口もらっていい?」

「……いいけど」


 首をかしげながらも、また差し出す。にへらっと笑う彼がなんだか怪しい。

 フレンチトーストを口に入れて、確かにこれは甘い物好きじゃないときついかもなぁ、と思った。それなりに甘いもの好きな私でも、丸々一個は食べ切れそうにない。ほんの数口なら美味しくいただけるけど。

 パンの柔らかいしっとりとした食感に、頬が緩む。唇の端についたメープルシロップをなめ、「ありがとう、美味しかった」とお皿を元に戻した。ら、なぜか彼がそっぽを向いていた。


「え、どうしたの?」

「何でもない……。俺も美味かった、ありがと」


 返ってきたアイスはちゃんと一口分だけ減っていた。溶けきる前に全部食べてしまおう、とスプーンに持ちかえてから気づく。

 ――これはいわゆる、間接キスに近いものなのでは。

 間接キスの定義はよくわからないが、これはぎりぎり間接キスではない、と思う。けど、近いものではあるんじゃ?

 視線を前にやれば、彼は普通にフレンチトーストを食べている。……私が意識しすぎなだけなのか。そっか。

 一度水を飲んでためらいを捨て、そのまま平常心をキープしながら食べる。うん、これは間接キスじゃない。よく考えてみると、男女で食べものを交換し合うってカップルっぽいが、大丈夫だ。お互いそんなつもりはないんだから。


「で、話逸らしてごめん。奥村の好きなところだっけ」

「ううん、そんな話してない」

「はは、手強いなーやっぱ」

「それはこっちのセリフです」

「おっ、俺って手強い?」


 やったー、となぜか喜ぶものだから、なんだか気が抜ける。

 気が抜けて、だからつい訊いてしまった。


 ――超能力ってどう思う、なんて、馬鹿なことを。



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