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10 恋になりかけていた何か

 それからというもの、私たちの関係はほんの少しだけ変わった。いや、変わったのは私だけかもしれない。彼の目の前で取り乱してしまったせいか、たまにだが口をすべらせて、皮肉だったり卑屈なことだったりを言ってしまうようになった。

 けれど彼は、今までのように温かな笑顔で言葉を返してくれるのだ。

 ここまで来てしまえば、否が応でも気づかされてしまった。――私の彼への気持ちは、昔のまま変わっていなかったのだと。

 不幸中の幸いと言うべきか、それは本当に昔と変わらず、まだ恋とは呼べない代物だ。それでも彼が自分にとって、少し特別な存在なのだと気づいてしまった。彼と話しても吐き気がなくなった時点で、気づくべきだったのかもしれない。私が“呪い”と名付けていたものは、ほんのちょっとだけ、解けかかっている。

 こんな呪いを誰が解くのか、と悲観していたというのに、いざ誰かに解かれかけると、途端に恐ろしくなってしまう。……なんとも面倒くさい話だった。



 学年末試験も終わり、高校二年生として学校に通うのも残り僅かとなった。

 美幸と葵ちゃんのお付き合いは順調で、この前お母さんの仕事が休みだった日、美幸は嫌々葵ちゃんを連れてきた。その話を聞いたお姉ちゃんが「ずるーい!」と言ったので、今度はお姉ちゃんが帰ってきているときに来てもらう予定だ。


「あーあ、もう高三か。はえーなあ」


 トマトソーススパゲティを巻きながら、彼はため息をつく。

 もうこのファミレスに来るのも六回目だった。結構な頻度で来ているよな、と思うと、彼のお財布が心配になる。


「あっという間だよね。もう周りは受験一色だし」


 今日は午前授業だったので、私も昼食としてカルボナーラを頼んだのだが、初めてアイスやドリンクバー以外を注文した私に彼は驚いていた。私だってお昼なら普通に食べるんだけど。

 まあ、以前までなら、それでも軽いものしか食べなかっただろう。もう彼と話しても吐くことはないなと、そう思ったから今日はちゃんと注文したのだ。


「クラス替え……うー、さみしい」

「毎年あるってちょっと面倒だよね」


 ちらりと視線を向けてくる彼にそう答えると、ちょっとむっとした顔をされた。


「……それもあるけど、奥村とクラス離れちゃうんだなーって」

「まあ、私たち文理違うし」

「同意してくれない!」

「柳沢君ってなんか、めんどくささに磨きがかかってきたよね……」


 私も寂しい、と言わなかったのがお気に召さなかったらしい。呆れて言えば、彼はなぜか嬉しそうに顔をほころばせた。言いすぎたかな、と思うようなことを言ってもこうなのだ。実はMなんだろうか。

 そんな不名誉な疑いをかけられているとは知らず、彼はまた「さみしい」と表情を曇らせる。


「クラス替えがなくたって、どうせ三年になったらこんなふうにファミレスで話したりはしないでしょ」

「俺勉強そんなしなくても余裕な大学行くもん。あ、でも奥村頭いいし、ちゃんと勉強していいとこ行くのか」

「そんなに頭いいってほどでもないけど、うん」


 就職を見据えたら、やっぱり国立の難関大学に行っておいたほうがいいだろう。気を抜かずに勉強し続ければ、何かない限り受かるだろうというくらいの学力はあるつもりだ。


「はあ……。これから一年奥村と全然話せないとか、やっぱさみしい。早く受験終われー!」

「来年は葵ちゃんが受験でしょ。葵ちゃんが構ってくれなくなるほうが寂しいんじゃない?」


 はっ、そうだった! と彼は目を見開く。

 私の場合も、今年を含めて約二年間も美幸とゆっくり話せないのか、と思うとそれは寂しい。口に出しはしないが、今年一年彼と話すことがなくなるのも寂しくはあった。

 ……もしかしたら、今年一年、ではないのかもしれない。私と彼は偶然同じクラスだったからこんなに頻繁に話していたが、大学が離れてしまったら予定だってあまり合わないだろう。だとすると、彼とこうして話すのは今日が最後なのかも。


「……や、でもやっぱ、奥村と話せないほうがさみしいかなぁ」

「それ本気? 柳沢君が?」


 あのシスコンの柳沢君が? という意図が伝わったのだろう。うっ、と言葉に詰まった彼は、何かを考えるように視線を動かす。


「だ、だって葵とは、家で毎日会えるし、話せるじゃん? でも奥村とは、俺から会いにいかないと話もできないだろうし。それがやだってわけじゃないし、もちろん勉強の邪魔しない程度には会いにいくつもりだけどさ」

「……もちろん、なんだ?」


 恥ずかしいことを言っている自覚はあるんだろうか。……ないだろうな、ときょとんとした彼を見て思う。しかし数秒経って気づいたのか、彼はやば、とでも言いたげな表情で、ごまかすように水をあおった。その表情の示す意味は何だろうか。

 まあ、言いたくないことなら無理に追及することでもない。気にせずにベーコンを刺して、パスタと一緒にフォークで巻く。小さめに巻いたのを口に運び、もぐもぐと咀嚼。

 その様子をじいっと眺めていた彼が、なぜかしみじみとしたふうにつぶやいた。


「……奥村って口ちっちゃいよな」


 ……露骨に話を逸らされた気がする。

 それに、食事するところをじっくり見られるのはいい気分ではない。少し眉根を寄せながら飲み込む。


「見られてると食べづらい」

「見てると楽しい」


 私の文句は聞きません、ということだろうか。「柳沢君、図々しくもなったよね」と更に顔をしかめると、「奥村もなー」と彼は楽しそうに言った。私は図々しくはないと思うんだけど。しかし彼に対する態度が変わったのは確かなので、言い返さずにまたカルボナーラを食べる。

 人の食事風景なんて、見ていても楽しくないはずだ。にこにこしている彼がおかしい。これは私の食べづらさを実感してもらわなきゃ、とフォークを一旦置いて彼を見つめる。不思議そうな顔で首をかしげられ、そのまま数秒見つめあった。


「……これめっちゃ恥ずいんだけど、何?」


 視線を逸らした彼に、つんとした表情で答える。


「私がどれだけ食べづらかったかわかってもらおうかなって」

「う、や、ごめん、でもなんかこれ違うかな? ちょっと違うなー?」

「冷めないうちに柳沢君も食べちゃったほうがいいよ」

「えっ、見られたまま?」


 そっちが先にやったのだ、嫌だとは言わせない。むっとしたまま見つめ続けていれば、「勘弁してください」と彼が両手で顔を覆う。そんな乙女みたいな行動が彼に全然合っていなくて、ちょっと笑ってしまった。

 私の笑った声が耳に入ったのか、彼はばっと両手を顔から離す。そして私を見て、「っしゃ」とその手で小さくガッツポーズを作った。


「急にどうしたの?」


 とりあえず見つめられる気まずさは思い知っただろう、と食事を再開することにする。フォークを持って尋ねれば、彼は緊張したように髪をくしゃりとした。


「あー、の、さ」


 うなずきながらカルボナーラを食べる。あ、胡椒がりって噛んじゃった。ちょっと辛い。



「……好きです」



 ごくん、とまともに噛まないまま飲み込んでしまって、反射的に咳き込む。慌ててコップに手を伸ばして水を飲み、まだ咳き込みながらそうっと彼の様子を窺う。

 聞き間違いだろうか。今、ありえない言葉が聞こえた気がする。うん、聞き間違いにちがいない。それか、あれ、ほら、鋤とか隙とか色々あるし、好きって言われたと思ったのは私の早とちりってことも。きっとそうだ。絶対そうだ。だってありえない、ありえない……!

 聞き返そうと口を開いても、声が出なかった。私の意志に反して、顔は勝手に熱を持っていく。

 彼は笑っていなかった。今まで見たことがないような、真剣な顔だった。


「奥村のこと、好きだよ」


 もう一度、今度は私の名前とともに言われた。

 はく、はく、と何度か口を動かして、ようやく言葉を出す。


「い、意味がわかりません!」


 思ったより大きな声が出てしまったが、気にしていられない。


「え、あ、う、あう……えっと、す、」

「好きって言った」

「すっ!」

「あはは、奥村顔真っ赤。めっちゃテンパってるし」


 かわいい、と。彼は甘い声で笑う。思わず震えてしまいそうなほど、甘かった。

 待って、これはどういうことだ。頭が追いつかない。理解を拒んでいる。沸騰しそう。


「今、すごい楽しそうに笑ったから。美幸と一緒にいるときくらい楽しそうに笑ってくれたら言おうって、結構前に決めてたんだよね」


 ……美幸と、一緒にいるときくらい。

 それは、私にとっての彼が、家族と同じくらい大切になってしまったということを示すのだろうか。私が気づくより、彼が先にそのことに気づいたんだろうか。

 落ち着くために更に水を飲めば、気管に入った。げほっげほっ、と咳き込む私に、彼はますます笑った。


「ふ、はは、そんな焦るとは思わなかったぁ」

「あせ、あせって、ない、よ?」

「真っ赤なまま何言ってんの」

「暑いだけ! ここ暖房効いてるから!」

「言い訳くっるしー」


 おちょくっているんだろうか。唸りかけて、あ、と思う。……彼の顔も、赤かった。

 ということは、冗談やふざけているわけではない、のか。逃げ道が塞がれてしまったような気がして、現実の逃げ道であるファミレスの出口に視線を投げる。今日は彼のほうが近いから、逃げられる可能性は低そうだ。いや、逃げる気はないのだけど。

 返事は? なんて、彼は急かしてこない。混乱している私を、楽しそうに、嬉しそうに見ていた。


 ……へんじ。そうだ、返事、しなきゃ。

 止まってしまいそうな思考の中で、だけど一つ、気になることがあった。


「いつから、ですか」

「ん? 好きになったのが、ってこと?」


 こくりとうなずくと、「ちょっと恥ずかしいんだけど」と彼ははにかむ。


「たぶん、小学校のときから?」

「……え?」

「あ、引くなよ! あんなことしといてって思うかもだけど、なんか、あのとき不思議な感じしてさ」


 ――すっと頭が冷えるのがわかった。

 小学校のとき。あのとき。

 あれが、きっかけ。


「ちょっとだけ悲しくなくなったっつーか、ほっとしたんだよなぁ。それがなんでかわかんなくて、奥村にひどいこと言っちゃったんだけど」


 私の様子が変わったことにも気づかず、彼は続ける。


「ぼんやり好きかもって思い始めたのは、確か十月くらい。でもよく考えてみたら、あのときから気になってたのかもなって」


 頬はすっかり熱を失っていた。

 ……ちょっとでも浮かれちゃって、本気にしちゃって、馬鹿だった。なんだ、そうだったんだ。そっちなんだ。

 そっか。

 私にさわられたことで、悲しみが和らいだ。あのとき気持ち悪いと言われたから、嫌われることしか想像していなかったけれど。考えてみれば、その気持ち悪さの正体が彼にはわからないのだ。わかるのは、なぜか安心してしまったことだけ。

 だとしたら。私に恋をしていたからだと錯覚しても、仕方ないだろう。

 勘違いだよ、と言うべきなんだろうか。


 無理だ、と思った。こんな――こんな幸せそうに気持ちを告げる彼に、言えるわけがない。きっと、すごく傷つける。……嫌われて、しまう。

 私だってたぶん、彼のことが好きだ。彼の告白に混乱して、そして浮かれてしまうくらいには、好きなんだろう。恋になりかけていた何かなんて、恋にしかなりえないんだから。


「奥村?」


 ふ、と彼が不安げに私を呼ぶ。

 私が彼を好きになるのは、もはや当然のことだった。

 でも、彼が私を好きになるのは? 私が、力を使ったせい。それはいわば、ずるだった。反則だった。私を好きだと思ったのが高校に入ってからだとしても、きっかけが私の力であった時点で駄目なのだ。

 きっかけがなければ、彼は私なんかを好きにならなかったはずで。


「……ごめんね」


 ただ一言、ぽつりと謝る。

 傷つけたくない、嫌われたくない。そんな、自分勝手な思いを優先してしまう自分に、久々に吐き気を覚えた。――断ればどうせ、傷つけてしまうのに。

 きっと、傷つけたくないのではなく、傷つきたくないのだ。どこまでも私は自分勝手だった。

 私の謝罪に彼は顔を強張らせて、それでもなんとか笑みらしきものを作った。


「ん、こっちこそごめん。困ったよな?」

「こま、ってはないよ」

「あー……だったらよかった」


 沈黙が落ちる。二人して無言で食べ進め、気まずさをやり過ごす。

 カルボナーラを食べきり、水を飲んで一息ついたところで、彼が伝票を取って立ち上がった。


「……もう帰る?」


 尋ねると、まだいたい? と訊き返されてしまった。いたい、というわけではないが、ここで帰ってしまえば彼との関係を修復することはできないだろうと思うと、返事をためらってしまう。壊してしまった私がそんなことを思うなんて、やっぱり自分勝手、なんだろうか。

 結局首を横に振って、荷物を持って私も立ち上がる。いくらだったっけ。財布を取り出せば、彼が手に持った伝票を軽く振ってみせた。


「今日は俺が奢るよ」

「え、私もはら」

「奢らせて」


 やや強い口調でそう言ってから、「困らせちゃったお詫びに」と彼のほうが困ったように眉を下げる。……お詫びというなら、むしろ私のほうが奢るべきなのに。

 でも、断るほうが申し訳なかった。


「……ありがとう」


 会計を済まして、外に出る。

 いつもなら、食べ終わった後も三十分くらいは話していた。奢られるのは嫌だったから、毎回会計は別々にしていた。


「じゃあ、今日は俺、買うものあるからこっちで」


 いつもなら。駅まで、一緒に帰った。

 買いたいものなんてないのに、私に気を遣ってくれたんだろう。……嘘つくの、案外得意なんだな。こんなふうに笑顔で、さらりと嘘をつく。私が気づいていないだけで、実は何度もこんなことがあったんだろうか。


「じゃあね」

「うん、またな」


 もう最後かもしれないのに、交わした言葉はたったそれだけだった。



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