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1 始まりのきっかけ

 初めて見たとき、なんて可愛い子なんだろうと思った。天使の輪っかを作るつやつやの黒髪は、私のぼさぼさ頭とは大違い。鼻は高く、目はぱっちりとした二重で、肌は白く、頬は薔薇色。とにかくとにかく可愛くて、綺麗だった。


『み、みゆき、です。よろしく、おねがいします』


 よろしくね、と返した私に、ほっとしたように向けてくれた笑顔を今でも覚えている。

 義父の連れ子だったその子は、母と姉、私にもすごく懐いてくれた。義父が亡くなってからも、家族四人で慎ましく、でも仲良く暮らしてきた。

 母は私たちを養うために働いていて、姉はパティシエになる夢を叶えるために毎日頑張っていて。家の仕事は、何年か前から基本的に私と美幸の役割だった。


奏海(かなみ)姉さん? 具合悪い?」


 食器を洗いながらぼんやりしていると、美幸が心配そうに近づいてくる。大丈夫、と笑みを返して、洗い物を再開した。

 意地悪な継母、意地悪な義姉二人。優しい実父は再婚後亡くなって、かわいそうなシンデレラは継母たちに意地悪される。

 そんなシナリオに、少し憧れていた。実際は、そんなことにはこれっぽっちもならなかったのだけど。お母さんは優しいし、お姉ちゃんだって優しい。私も美幸のことをすごく可愛がっている。


 でも、もし。もしも。

 お母さんもお姉ちゃんも意地悪で、美幸が――男の子じゃなくて、女の子、だったら。シンデレラみたいな展開に、なってたんだろうか。

 出会った頃、彼は女の子と見間違うほど可愛かった。今だって可愛いし綺麗だけど、今はちゃんと男の子らしい綺麗さになっている。

 そのことに不満なんて覚えるわけがないけれど。……どうして美幸は男の子なんだろう、と思ってしまうことがある。


 女の子だったら、もしかしたら……本当に万が一の可能性だけど、お母さんとお姉ちゃんはその美しさに嫉妬して、意地悪をしたかもしれない。そうなっていたら、私も一緒になっていじめただろう。

 そして、傷ついて泣く彼に姿を変えて近づくのだ。『お嬢さん、泣かないで。今から私が、君に魔法をかけてあげよう』。そんな、芝居じみた言葉とともに。

 とびっきり綺麗な服を着させて、ガラスの靴を用意して、さあ行っておいで、と背中を押す。舞踏会なんてやってないけど、しっかり者の美幸なら変な男になんか捕まらず、素敵な男の子と恋に落ちて幸せになるはずだ。めでたしでめでたしで終わる、完全無欠のハッピーエンド。

 それは全て、私の妄想でしかないけど。

 残念なことに、私に魔法なんてたいそうなものは使えないのだった。


「姉さん、さっきからほんとぼんやりしてるけど……熱あるんじゃない?」


 額に、美幸のひんやりとした手が当てられる。……きもちいい。


「やっぱりちょっと熱いよ」

「そう? 美幸の手が冷たいだけだよ」


 わずかに顔をしかめる美幸は、私がこんなことを考えていると知ったらどう思うだろうか。

 たぶん、というか絶対、馬鹿にすることはない。だって彼は、すごく優しいのだ。せいぜい、姉さんはロマンチストだねと微笑むくらいだろう。それがわかっていても口に出さないのは、単に私が臆病なだけだった。

 食器乾燥機のタイマーを回してから、手を洗ってタオルで拭く。よし、これで今日のお仕事は終わり。お母さんがお風呂上がったら私も入って、そしたら明日の予習だ。

 あ、でも美幸先入りたいかな。


「お風呂、先入る?」

「姉さん先に入りなよ」

「ならお言葉に甘えて。まあ、お母さんが上がるまであと四十分はあるけど」

「だね」


 二人してくすりと笑って、ソファに一緒に座る。お母さんはちょっと、お風呂が長い。


 美幸が家族になったのは九年前で、お義父さんが亡くなったのは七年前。私より一つ年下の美幸は、今高校一年生だ。

 ついでに言えば、お姉ちゃんは製菓専門学校を一昨年卒業して、今は地方の洋菓子店で働いている。私だけ専門学校なんか行ってごめんね、とお姉ちゃんはいつも申し訳なさそうにしていたけど、父やお義父さんの残したお金もあったし、家族みんなでお姉ちゃんの夢を応援したのだ。パティシエとして働くお姉ちゃんはきらきらしていて素敵なので、夢が叶ってよかったなぁ、と心から思う。


 それにしても、と隣に座っている美幸をまじまじと見つめる。


「……美幸、最近更に綺麗になったよね」


 彼女でもできた? と半ば冗談のつもりで尋ねると、「あー……」と微妙な反応が返ってきた。


「え、うそ、ほんとに?」

「……空実(くみ)姉さんと母さんには内緒にして」

「それはいいけど、え、え、彼女か。美幸についに。そっか……そっかぁ」


 顔を赤くしてそっぽを向く美幸に、生温かい視線を向ける。もう九月だし、美幸も高校生になって半年が経った。少し早い気もするが、そろそろそういうことになってもおかしくはないだろう。高二の私は特に何もないけど、まあ、私みたいな奴を好きになるのは相当な物好きだろうから仕方ない。そもそも、恋愛をするつもりもないのだから。

 話を終わらそうとしたのか、美幸はテレビを点けた。その手からリモコンをそっと奪って電源を切り、微笑んでみせる。


「……姉さん」


 困ったように眉を下げる美幸が少し可哀想になったけど、口止め料代わりにいくつか質問するくらいは許してほしい。

 ねえ、と言う自分の顔が、かなりにこにこしている自覚はあった。それでもあえて表情を取り繕わないのは、そのほうが美幸の口が軽くなるだろうから。……といいつつ、普通ににやけ顔を抑えることができないだけなんだけど。

 大好きな弟の彼女だ、気にならないわけがないし、嬉しくないわけがない。


「どんな子? 名前は?」

「……柳沢(やなぎさわ)(あおい)。同じクラスで、少林の子」

「へー、少林なんだ」


 美幸の通う高校は、結構少林寺拳法部が強いと聞いたことがある。

 柳沢、という名字が少し引っかかったが、まあ気にしなくていいだろう、とスルーしておく。今はとにかく、葵ちゃんという子の話を聞きたい。


「かわいい?」

「……まあ、うん」

「付き合えて幸せ?」

「そりゃあ、好き、だし。ごめん姉さん、もうそれ以上はやめて……」


 ギブアップ、と両手を上げる美幸に、はーい、とあっさり引き下がる。ほんのちょっとだけど聞きたいことは聞けたから、満足だ。

 付き合えて幸せか、という問いに、彼はそりゃあ好きだし、と答えた。言葉が続いていたとしたら、幸せに決まってるでしょ、という感じだろうか。

 ……幸せ、か。

 やっぱり美幸はシンデレラじゃないし、魔法使いがいなくたってちゃんと自分で幸せを見つけるんだ。


「私ね」


 そのまま、口は止まってしまった。美幸の不思議そうな顔に、「やっぱりなんでもない」と首を振る。

 こんな願いは、口に出すものじゃない。

 ――あなたの魔法使いになりたかった、なんて。

 とうてい魔法とは呼べない力しか持たない私が、魔法使いになれるはずもないのに。


     * * *


 人を癒す力がある、と言えたら格好もつくのだろう。治癒魔法の使い手なんて、登場する物語次第では引く手数多だ。

 けれど私の“これ”は、そんないいものではない。そもそも、魔法が存在しない現実世界において、魔法はただの恐怖の対象にしかならないだろう。よくて信仰の対象……いや、それよりはまだ恐怖のほうがいい、のだろうか。


 自分の持つ力に気づいたのは、随分昔。きっかけは、幼稚園の年中のときに父が亡くなったことだった。

 あのころの私は、死というものを理解はしていても、やっぱりまだよくわからなくて。父が死んだことより、お母さんとお姉ちゃんが悲しんでいることのほうが悲しかった。笑おうとしても泣いてしまうお母さんに、どうにかしていつもみたいに笑ってほしくて、ぎゅっと抱きついたのだ。

 そしたらなんだか急に悲しくなって、わんわん泣き喚いてしまった。悲しくて悲しくて、頭の中がぐちゃぐちゃで、何が悲しいのかわからなかった。

 母は慌てて私をあやしてくれて、それから久しぶりに、明るく笑ってくれた。


 その出来事から徐々に気づいていった。悲しみ、怒り、緊張、痛み、疲れ。そういったものを、私は他人から自分に()()ことができるのだと。条件はその人にふれること、そして私が望むこと。

 お母さんもお姉ちゃんも、「奏海とくっついてるとなんか癒されるのよねー」と言ってくれている。私の力は、家族にはまだばれていなかった。


 魔法、とは呼べない。

 ただ癒すことができるのならそう呼んでもいいのかもしれないが、私の場合は、自分自身にそれを一時的に移しているだけだ。完全に消し去るわけではないから、その場しのぎにしかならない。……なんて中途半端な力。

 お義父さんが亡くなったとき、美幸にもこの力を使ってしまったけど、私が何もしなくたって美幸なら自分でまた立ち上がれただろう。それでも癒したのは、少しの間でも美幸の塞ぎ込む姿を見たくなかった私のエゴだった。

 泣き止み、あどけない顔で眠った美幸を見てすごくほっとした。

 お母さんもお姉ちゃんも、美幸も、私の力でほんの少しでも楽になってくれた。――私の力のおかげで。


 そう勘違いしたのが間違いだった。



『気持ち悪い!』



 得体の知れないものを見るような目で拒絶されたあの日が、今でも忘れられない。

 同じような境遇の男の子に同情して、つい肩にさわって願ってしまったのだ。この子の苦しみを取り除きたい、と。結果、みるみるうちにその子の恐怖は膨れて、手を弾かれてしまった。友だちでさえなかったのだ、私にさわられたくらいでなぜ気持ちが落ち着いたのかわからず、怖かったのだろう。

 そして、気持ち悪いと吐き捨てられて、それっきり。学年が上がる前に、彼は転校した。

 悲しみだけでなく恐怖まで自分に移ったから、しばらくは人にさわるのが怖くなった。まともに話せるのも家族だけになって、家族には随分心配をかけた。


 ……その男の子と高二で再会したときは、運命というものを割と本気で恨んでしまった。

 まあその子は、私のことなんてたぶん忘れている。再会してから一言も話してないし。


 ――と、油断していたのだけど。


奥村(おくむら)美幸の姉ちゃんってお前?」


 違います、と即答しなかったことを、誰かに褒めてもらいたい。



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