1章6話 自由な外出
6歳になった。
教皇の事件以降、俺はハインラットに剣も学んでいた。
まだ体が小さいこともあり、ちょっとした型と素振りが基本で、あとは体力づくりに庭で元気よく遊ぶだけだった。
のだが、この、庭で遊ぶが辛い。何が辛いって、中身は合計で30歳を越えている。庭でやる事なんて、草むしりかガーデニングぐらいしか思いつかない……友達もいないし……。
たまにイリスがままごとに誘いに来るが、二人でしても役割がいつも一緒なので、微妙な感じになる。
一度、ハインラットとエトナを入れてしたのだが、エトナが微妙な表情のハインラットを見て腹が痛いと笑い続け、イリスもそれに続いて笑うから違う遊びになってしまった。
「ハイン」
「はい」
「外に遊びに行きたい」
剣の素振りをして休んでいるときに、思い切ってハインラットに言ってみる。
「遠乗り、ですか」
「いや、そういう皆でどこかへとかじゃなくて……城下の街に遊びに行きたい」
とにかく外へ出たかった。たまに父や母と森や海へ行ったりはしているのだが、いかんせん大人数で仰々しいのだ。
そして全く自由がない。ラフエル様危ないですよ、そっちは危険ですよ、離れちゃだめですよ……30越えてこの扱いがとにかく辛い。
「わかりました。ですが、まずはゼレス様の許可を頂に参りましょう」
俺は善は急げとゼレスが仕事をしている執務室の扉をたたく。
「ラフエルか、どうした」
ゼレスはキリッとした仕事モードの顔だ。家族だけの時は駄目なお父さんモードだが、仕事をしているときのゼレスは少しかっこいい。
「ラフエル様が、外出したいと申しております」
「外出?」
俺が言い淀んでいると、ハインラットが前に出て説明してくれる。
ゼレスが思案顔になる。
「しかし……バルターに100人ほど付けて……いや、さすがに多いか……20人は……少ないか」
あぁ、駄目なお父さんモードだ。
「父上、内緒で街を見学したいのです。人々がどのような生活をしているのかを」
「内緒で、か。それなら5人ぐらい……少なすぎる……」
「父上!ハインラットもいるのです!それに王子だとバレなければ危険もありません!」
ゼレスがハインラットを呼び、その両肩をがっしりつかむ。
「あぁ、ハインラットよ、お前なら兵100人にも勝るだろう……だが、一人は……エトナ!エトナ!」
「は、はい!」
扉の外に着いてきていたエトナが顔を出す。
「エトナよ、お前は何人分だ!?」
「はっ!?」
「お父様!この二人がいれば大丈夫ですから!」
エトナは回復系の魔法も仕えるし、水と風は中級だ。
「まちなさい、今バルターも呼ぶから」
「バルター将軍はお忙しい身です!おやめ下さい!」
はぁ、駄目なお父さんモードは本当に残念だな……
「くれぐれも、くれぐれも、頼んだぞ!」
「「はい」」
ハインラットとエトナの肩をつかんで、泣かんばかりな表情で頼んでいる。
本当は駄目だと言いたいのだろうが、街で市民の暮らしを学ぶのは悪い事ではないし、俺は普段から勉強や剣術、夜は魔力が切れるまで魔法の練習をしていた。そんな俺の言葉を、無碍には出来ないのだろう。
「行って参ります」
とりあえず今時の市民風の服を用意し、設定を考える。
「ハインラットがお父さんで、エトナは……お母さん?」
「誰がお母さんですか誰が」
「じゃ、じゃあお姉さんで」
親子で名前はラフ、エト、ハインで大丈夫だろうと言うことで、城の裏口から外へ出る。
そして、貴族など比較的裕福な層が住むエリアを抜け、内の城壁の門へ向かう。さすがにここは安全のため、出入り口はここしかない上に、常に歩哨がいて身分のチェックを行っている。
「えっと、ハインラットの身内って事でなんとか」
そういう風にハインラットを先頭に抜けようとする。
「おや、ラフエル王子、珍しいですね」
バレてる。
「あ、はい、その、買い物に?」
「そんなもの言って下されば我々が参りますが」
「いえいえいえ!みなさんは大切なお仕事がありますので!」
そそくさと三人で通り過ぎる。
歩哨二人の目が、とても優しい目をしているように見える。
あぁ、よく分からないけどすごく恥ずかしい……
「とりあえずどこに行きますか?」
エトナがわくわくしたように聞いてくる。
実はあまり考えていなかった。なにせ一度も自分の足で外へ出たことがないのだ。
城の窓から見下ろすか、馬車の中からしか見たことがない街。
目の前に広がるのは、ヨーロッパの古い町並みそのものだ。
道は石畳で舗装され、広場には露天がひしめいており、色とりどりの果物や野菜、魚や肉など、あらゆる生活に必要な物が並んでいた。
とりあえず一番したかったことは……
「あれが、あれが食べたいです」
広場にある露天の一つを指さす。
串に刺した肉をひたすら焼いている店。馬車の中まで届くその香ばしい匂いにどれほど焦がれたことか。
ハインラットが三本買ってきてそれぞれに手渡す。
あれ、他の二人も食べたかった?
「うぅ……おいしい……」
塩と香辛料で味付けがされ、それが炭で焼かれ、燻されていて香ばしい。前世では牛肉の串焼きとか良く食べたのだが、こっちに来てからは、お城の料理人が作る料理しか食べたことがない。というか、何の肉だろう?
なんというか、久々に食べるジャンクフードのような……ちょっと違うか。
あれ、エトナとハインラットはうなずきながら普通に食べてるな。
「エトとハインは、食べたことあるの?」
「私は野営したときにこういう物はよく食べましたな」
「私も姉と諸国を旅していたときは、いろんな物を食べましたよ?」
そういえばそうか。この二人は結構いろいろ行ってるもんなぁ。ちょっと仲間外れで寂しい気もしたが、俺まだ6歳だもんなぁ……
「まぁいっか。次は本とか売ってるお店に行きたいんですが」
そう言ったらエトナに案内されたのが、雑貨屋だった。
鍋やフライパン、スプーンにフォーク、筆記用具に、灯り用のカンテラ。
本が欲しいと言ったのにと思った矢先、雑貨屋の奥、棚の一角に本が並んでいるのを発見した。
50冊ぐらいだろうか、新しい物から背表紙が色褪せている物、中には糸が解れて表紙が取れそうな物まである。
直せよ……
「これだけ、ですか?」
想像より遙かに少なかったせいで、思わず言ってしまう。
店主がこちらを値踏みするような目で見てくる。
「こっちにも少しあるがね」
ハインラットの服を見て、貴族なら売れるかもしれないと思ったのか、自分の後ろにある鍵の掛かった戸棚を差す。
「外においてある物とは何か違うのですか?貴重なものとか?」
「貴重なものと言えば聞こえはいいが、単純に高い物という意味じゃがな」
「見せていただくことは出来ますか?」
「かまわんが、お前さんが見て面白い物があるとは思えんが」
その物言いにハインラットが少しむっとするが、こちらは身分を隠して来ているのだし、まして6歳の子供相手では仕方がない対応といえた。
ぶつぶつ言いつつも後ろの扉に掛かっていた南京錠のような物をはずし、中を開けて見せてくれる。
丁寧な仕事のされた皮表紙の本が何冊か並んでいるが、ほとんど書庫にあったものと同じか、人気のある物語や伝承などであった。
だがその中で、比較的最近の、著者自身が世界を渡り歩いた旅行記があった。
ものすごく中を読みたい。
と思った瞬間、とんでもないことに気が付いた。
お金を持っていない。
それどころか、お金の価値とか、通貨の単位すら知らない……
「ラフ様、欲しい物があるんですか?」
エトナが腰を屈めて小声で聞いてくる。多分俺の表情が凍り付いたことに気が付いたのだ。
「あの、あの旅行記が読みたいと思ったのですが……その、お金が、無くて」
6歳でお金の心配をするのは変な気もするが、中身は30歳越えだ。自分の自由になるお金がないと気が付いた瞬間から、何故かものすごく不安になる。
「店主、この本はいくらだ」
エトナとの会話を聞いていたのだろう、ハインラットが店主に聞いてくれた。高い値段を言われたらどうしようとか思っていたのだが、ハインはその辺無頓着だ。
「金貨1枚だ」
「わかった。貰おう」
「え、え、ハイン?」
ハインラットが腰の袋から金貨を取り出し、店主の座るカウンターの上に置く。
「ハイン、僕はお金を持っていない!」お金を返す宛もない。
「これぐらい大丈夫です」
「はいはい!こちらですね!」
店主が上機嫌で本をわざわざ小さい鞄に入れてハインに渡している。
これ、ふっかけられたんじゃないか、そう思ったがすでに取引は成立してしまっている。
「ありがとうハイン、後で必ず返すように父様にお願いするから」
「いえ、それには及びません」
自分の中のメモに、お金の価値や市場の相場の勉強を書き加える。
今後何かを購入しようとするとき、このままでは損をする気がするのだ。いや、現時点で損をしたかもしれない。
ちなみにさっきの串の値段を聞いたところ、3本で銅貨6枚とのことだった。1本銅貨2枚か。銅貨1枚日本円で50円とか100円位かな?
「さて、次はどこへ行きたいですか?」
「えと、もう少し大きな本屋とか、ありますか?」
「また本ですか?ラフエル様好きですねぇ」
エトナが少しあきれるように言う。未だにお乳欲しがるときがあるのにと小声で加えられた。
ハインに聞かれたら見捨てられそうだからやめてほんと。
「いえ、新しい魔道書があればと思ったのですが、あそこでは売ってないようでしたので」
「あぁ、欲しいのは魔道書でしたか。それはあそこには売ってませんよ」
「どこに売っているんですか?」
エトナは「こっちです」と言って先を歩き、広場から少し離れた一件の店の前で足を止める。
「ここです」
エトナが案内してくれた店は、お城への門近く、とても古びた店だった。おそらく最初の城壁が建てられた頃からある店ではないだろうか。
軒先には干した草?のような物や、動物のミイラらしきもの、袋に入った薬などが並べられている。
店の奥には小さい引き出しがいくつもある箪笥がある。
あ、これは薬箪笥という奴だ。と言うことは、ここは薬屋?
商品を眺めていると、店の奥から店主らしき老人が姿を現す。
その時、俺の体に何かぞわっとする、鳥肌が立つような感覚が通り抜ける。この感覚は覚えている。ケリーの授業で習った魔法を受けたときの物だ。
その魔法の名は「探知」。使用すると指定した範囲内の命持つ物の位置や生命力の他、魔力なども見ることが出来る。対象の情報を先に持っていた場合、個人を特定することも可能だった。
魔力を持たなければ、見られたことにすら気が付かないものだ。
だが単純な魔法のため、警戒して魔力や気を閉じたりしていれば、回避も可能だ。
「これは申し訳ない。最近泥棒がでましてな」
俺が驚いて振り返ると、俺が反応した事に驚いているらしい店主が謝罪をしてきた。
「あぁ、それはまた。警備の者に報告はされましたか?」
俺が聞くと少し微妙な顔をする。
「困っていると言えば、困っているのですが、まぁまた被害にあったときにでも考えますかな」
変な答えだ。まだ盗まれてはいないから、問題はないと言うことだろうか。
「それで、本日はどのようなご用で?」
店主は俺が魔法を使えるものと認識したようで、ハインラットやエトナではなく、俺に話しかけてくる。
「あ、はい、魔道書で良い物がないかと思いまして」
本当は魔法使いとは隠しておきたかったのだが、いきなり探知されるとは思わなかったと言うか、城以外で魔法使いがいるとも思っていなかった。
「ふむ。坊ちゃんの力に合うような魔道書となると……」
店主が奥に入ってごそごそとしている。
「これと、これと、こんな物じゃな」
店主が手に分厚い本を3冊持って戻ってくる。
どれもしっかりした装丁の本だが、1冊は相当古そうな物に見え、後の2冊は近年の物に見える。
「見てもよろしいですか?」
店主が無言で三冊とも差し出してくる。
俺はそれを肯定の証と受け取り、一冊一冊中身を確認していく。
新しい二冊は、火と風の中級後半から上級前半の内容で、最近新しく確立された合成魔法の使用法が書かれていて、大変興味深かった。著者はフェリス・ド・パロとなっている。
パロ?教都アドレアの一部地域にそう言う名があったな。そこの貴族が魔法使いなのか。サインの年数も10年前だ。まだ生きているのかな?
そして古い一冊。これがとても不思議な一冊だった。
内容は光なのだが、扱っているのは火水風土すべてなのだ。そして光。その4属性をすべて合成するとなっている。
ケリーに俺の属性は光だと言われた。だが、ケリーは使うことが出来ないし、城の魔道書にも光の魔法は全く乗っていなかったのだ。
「これ、おいくらですか?」
「新しい物は、1冊金貨4枚、古いのは8枚」
げ、価値観が良く分からないけど、相当高いんじゃ……
ちらっと後ろを振り返ると、ハインラットが難しい顔をしている。
「申し訳ありません、今日はそこまでの手持ちは……」
目を逸らしてうつむくハインラット。いや、そこまで押しつける気はないよ、これがどれぐらいの価値か知りたかっただけで。
「なんならお金は後でも良いがね」
そう言って店主がにやっと笑う。
あ、これバレてる。
そりゃそうか。6歳で魔法が使える上に、高価だと思われる本を前にして、悩むことが出来るレベルに裕福。
俺以外にそんな人間がいないとは言い切れないが、少なくとも俺は聞いたことがない。
「……いえ、後日改めて伺います」
広げていた本を閉じ、店主に帰す。
その瞬間、店主が店の入り口を睨んだかと思うと、手を突きだし何事かつぶやく。
「うあぁ!」子供の小さい悲鳴が上がる。
驚いて外へでると、少し汚れた服を着た俺と同い年ぐらいの少年が、袋を抱えて倒れている。青くて短い髪と、とても綺麗な少し緑の瞳が目を引く。
あ、落としたのは店頭に置いてあった袋だ。
「ふぅ。前にも言ったが、それを持って行ってどうしようと言うんじゃ?」
「くっ!」
何らかの魔法で転ばされたらしい少年は立ち上がると、袋を捨てて走って逃げ出す。
「あ、ハイン、大丈夫だから」
少年を追おうとしたハインを制止する。少し怪訝な顔をしたが、何も言わずに俺の背後に戻る。
「あの少年が、泥棒、ですか?」
「あぁ、ここ1週間、毎日のようにやってくる。昨日は2回来よった」
落としていった袋を拾う。薬のようだが、滋養強壮となっている。
「あー、その」
「被害が出ているわけじゃなし、突き出したりはせんよ。ただ、なぜこの薬を盗もうとしているのか気になっているんじゃが、いつも逃げてしまってな」
店主がこちらの意をくんだのか、受け取った袋を店に並べ直す。
「もし病人に飲ますつもりなら、体に合わない物を飲むと危険じゃからな」
「なるほど」
咎めるつもりで魔法を使っているのではなく、相手の用途が気になっていると。
「わかりました。私が調べてきます」
俺が店主にそう言うと、すごく驚いた顔をされた。だが、少し考えた後に「頼みます」と言った。
「さて、まずはあの子の家に行きましょうか」