1章5話 聖者の嘘
教皇が奇跡の起きた場所に祈りを捧げにくる、その時に事件は起こった。
大通りを馬に乗ってパレード中、教皇が何者かに狙撃されたのだ。幸い矢は教皇を外れ、馬に当たったのだが、馬が暴れ落馬して足を骨折したのだ。
教皇は巡礼を切り上げ、治療のため教都に戻っていった。
「どうしたものか」
ゼレスが大広間で頭を抱えている。1段下がったところには、バルター将軍と息子のハインラットが片膝を付き、頭を垂れている。
バルターは50を越えたことを感じさせない、がっしりとした体格の威厳のある男だった。髪の毛と蓄えられた髭が真っ白なせいで、年齢より老けてみられていた。
そして息子のハインラット。今年で21歳になる長身で細身の体に、肩まで伸びている黒髪が印象的な整った顔立ちをしている。額に残る傷も、精悍さをましこそすれ、整った印象を損なうことはなかった。
「申し開きのしようもありませぬ。ここに至っては、いかなる罰でも受ける所存」
そう言ってバルターは首を差し出す。息子のハインラットも、父に習い首を出す。
「うぅむ……」
俺の目から見ても、ゼレスがとても悩んでいるのがよく分かる。
それも当然だった。バルターの家系はポラルトの南、パルウェアと隣接するウェンデールを治めていた。
過去にパルウェアが攻めてきたとき、真っ先に対応するのがウェンデール。領地と共にその重責を引き継いできていた。
そして教会圏と帝国との戦いの時、バルターはその能力を遺憾なく発揮して功績を称えられた。そして15歳という若さで参戦していたハインラットも、数々の首級をあげその武を教会圏に轟かせていた。
代々忠実にポラルトに仕え、ゆくゆくはハインラットがその地位を次ぐのは明らかであった。
ゼレスの心情的には罰金程度か、僅かな領地の没収程度で済ませたかった。
だが、相手が悪い。教会のトップが暗殺されかけた。半ば成功していた。
その警備を任されていた者をその程度の罰で済ませれば、教会からどのような攻撃を受けるかも分からない。
最低でも、バルターの首……ゼレスの苦悩が手に取るように見える。忠臣を失いたくないのだ。
「お父様」
意を決して俺はバルターの前に立ち、ゼレスの方を見る。
「ラフエル、下がっていなさい」
「いいえ、下がりません」
「子供は部屋に戻っていなさい」
少しいらだったように言う。ゼレスが俺にこんな言い方をしたのは初めてかもしれない。
「お父様、昨夜、アプロテ様が私にこう言ったのです「忠実なる者を救いなさい」と。私はそれを、バルターとハインラットの事だと確信いたしました」
ゼレスが俺の言葉にはっとする。
「アプロテ様が……真なのだな?」
「はい」
ゼレスの目に希望の光が宿ったように見え、深く考え始める。
本当は嘘だ。昨日はぐっすり寝ており、夢すら見ていない。
だが、それがなんだというのか。巡礼の旅で刺客に襲われ命を落としそうになる。その時点でその教皇に加護は薄いのではないか。
いや、逆に考えれば、骨折程度で済んで神様ありがとうかもしれない。
どちらにしろそんなくだらない理由で長年に渡る仲臣を失ってはならない。
そこで考えたのが、家族教会の神であるアプロテの名だ。幸い俺は奇跡が認定され、一部で聖者と呼ばれている。
教会が崇める神が二人を救えと言ったと、聖者が言っている。それだけでも減刑の理由になると思ったのだ。
長く目を瞑っていたゼレスの目に、涙が溢れる。
「バルター・ド・ウェンデール。領地の一部減封の上、息子ハインラット・ド・ウェンデールと共に、アプロテの聖者に仕えることを命ずる。騎士階位はバルターは5位から3位へ、ハインラットは3位から1位へ降格とする。以上だ!」
「「ははっ!」」
バルターとハインラットが、頭を上げ、俺を見つめる。
「ラフエル様、此度の恩、このバルターとハインラット、命で返させていただきまする」
二人がが俺に臣下の礼を取る。
「僕はただ、アプロテ様の声に従っただけだから」
そう言って笑うと、バルターが泣きながら抱きついてきた。
後になって知ったのだが、俺が嘘を言っていたのは、父とバルターにはバレバレだったらしい。何でバレたんだろ。
この事件以降、ハインラットは常に俺の近くに控えるようになる。
恩を感じて俺に尽くしてくれるのはいいんだけど、エトナにお乳を貰い難くなってしまった……
ゼレスの場合
ラフエルにはいつも驚かされる。
初めて魔法を使ったのは3歳になる前だったか。
書庫から持ち出した魔道書を読み、一人で使っていたという。
私の血筋に魔法使いがいたという事にも驚いたのだが、独学でとか、どれだけ頭がいいのかうちの子は。
そして4歳の誕生日だ。
兄弟神、娘神の祝福を受けているという。
もうね、本当にどれだけなのか。将来兄たちとの間に軋轢が生まれるのではないかと、心配になるレベルなのだが、今の所仲良くしてくれているようで私としては大変ありがたい。
というか、長男ミハイルに至っては「ラフエルが王位を次ぐなら、喜んで補佐しよう」と言い出す始末。
サラエルも「ラフエルなら国を盛り立ててくれるかもしれないね」とか言っているし……野望を持てとは言わないが、少し弟を溺愛しすぎていないだろうか。馬鹿兄貴達である。
そして今回の事件である。
我が国で教皇が襲撃される。しかも、街の中で、である。
警備を任せていたバルターは領地没収の上地位の剥奪か、最悪その首まで取らなければならないか。
命は取りたくなかった。それ所か、バルターを失うなど、我が国にとってどれほどの損失か。
悩んでも悩んでも答えなどでなかった。もし軽い罰で済ませたりすれば、教会に攻撃する口実を与えてしまう。教会圏も一枚岩ではないのだ。
そんな時、いきなりラフエルがアプロテから神託を受けたという。忠臣を救えと。
私は一目見て悟った。ラフエルは神託など受けていない。
何故なら、ラフエルの目が左上に泳いでいる。嘘をついたときの癖なのだ。
この子は、バルターとその息子、果ては父である私を救うために、すべてを理解した上で、一芝居打っているのだ。4歳の我が子がだ。
隠れてエトナにお乳を貰い、スカートを魔法でめくる、大人びてはいても、まだまだ子供だと思っていたのだが。
おそらくこの決定に教会は渋い顔をするだろう。だが、表だって声を上げることも出来ない。協会が認定した奇跡を起こした者。その本人が恩赦を求めたのだ。神の声として。
私は、本当にこの子はアプロテ様から遣わされた聖人なのかもしれない、そうも思った。
そうであるならば、出来る限りのことをしようと思う。
いや、たとえ聖人じゃ無かったとしても、ラフエルはラフエル。
私のかわいい息子だ。