1章2話 言葉と魔法と
3ヶ月たった頃、俺は天地反転のスキルを手に入れた。首も据わってきたようで、結構自由に見渡せる。
毎日暇があれば体を動かしていた甲斐があったと言うものだ。
だが、若い乳母のエトナは気が気じゃなかったようだ。
ある時初めての寝返りをしたとき、うつ伏せから戻れなくなった時に、息が苦しくなって大泣きしたら、顔を青ざめさせたエトナがすっ飛んできて、姉のケリーを呼びに行った。
普段まず泣かないから、よほど驚いたらしい。
そして5ヶ月がたった頃、4足歩行スキルもゲット。
ドアノブに手が届かなかったから外へは出られなかったものの、部屋の中は完全に俺のテリトリーとなった。
といっても、普段は柵付きベッドという牢獄だが。
この時に鏡で自分の姿を確認したのだが、短い金髪の赤ちゃん程度で、可愛いには可愛いけど、かっこよくなるのかは未知数に思われた。
「奥様、ラフエル様はとても身体能力が優れておいでです。あんな速いハイハイは見たことがありません。将来は立派な方になるに違いありません」
「まぁ!エトナ、私もそうじゃないかと思っていたのよ!産まれてすぐに見せた知的な瞳とか、何か違うな!?って!」
完全に親馬鹿である。正直自分の記憶だと、少し早い程度だし、ハイハイが早いから運動能力が高いとかも聞いたことがなかった。確かに速度は少し気持ちが悪いレベルだが。
そして10ヶ月が経った頃、俺はとうとう大地を制したのだ。そう、二足歩行だ。人類が人類たらしめる第一歩。
両親の喜びようと言ったら無かった。
そして離乳食もすすみ(ケリーにお乳ももらっていたが)、家族との夕食の時、こっそり練習していたあれを披露することにしたのだ。
「ぷぁま」
しまった、噛んだ。
テテュスを喜ばせようと、ママと言おうとしたのだ。
少し緊張して唇が渇いていたのが良くなかったか。
「今、パパと言ったか!」
ゼレスがガタッ!と立ち上がって俺の方へ来る。
違う!お前じゃない!
「マァマ、マァマ!」あわてて言い直す。
おぉ、しゃべっていると、家族全員が取り囲んでくる。
ゼレスがもう一回もう一回とうるさいが、半濁音はまだ少し難しいのだ。
「ぷぁぷ」
それでもあまりにもうれしそうな顔をするので、俺もがんばって言ってみると、胸に抱きしめられて頬ずりされる。
髭がぞわぞわする。
「私は!私は!」
暇があれば俺のそばにいて絵本を読んでくれたり、出ない乳を飲ませようとしていたイリスが、ゼレスから俺をせがんで抱っこする。
「いーす、いーす」
「きゃぁぁぁぁぁ!!!」
イリスが満面の笑みで歓喜の声を上げる。
「俺は!」「僕は!」ミハエルとサラエルが自分も自分もと俺を抱き上げる。
いや、君らの練習はしてないよ?そこまでかまってくれてないでしょ?
イリスはほぼ毎日俺をかまってくれた。おかげで簡単な絵本なら読めるようにすらなっていた。内緒にしているが。
だからお礼のつもりでパパとママの次に練習していたのだ。
「ミ・ハ・イ・ル!ミ・ハ・イ・ル!」
「サーラーエール、サーラーエール!」
君たちはもう少し私を構うように、と言う意味を込めて大声で泣いてやると、少しシュンとした顔で下がっていった。
む、ちょっとかわいそうだから暇があったら練習しといてやるか。
そんなこんなで月日は経ち、テテュスや乳母のケリーとエトナ、イリスなど(ついでにゼレス、ミハイル、サラエル)の家族の愛情を一身に受けたおかげで、2年も経った頃には本も読め、会話も可能になっていた。
「エトナ、これ、読んでください」
「はいはい、ラフエル様は旅行記が好きですね〜」
今はとにかくこの世界に興味があった。中世の世界に魔法の要素。紛うことなきファンタジー。
一応自分でもある程度読めるのだが、まだまだわからない単語も多い。
そしてなによりエトナとケリーはいろいろ旅行したこともあるようで、自分が行ったことがある国が出てくると、実際の話も教えてくれるのがとても楽しかったのだ。
「教都アドレアは、4重にも渡る城壁に囲まれた、綺麗で荘厳な都市ですね〜」
「そうね、中心部も綺麗だけど、私は商業区のにぎわいも好きだわ」
「教会圏の中心なのに、そんなに厳重なの?」
一瞬エトナとケリーが「え?」と言う顔をする。
「敵、いないのに」
俺がそう言うと意味が分かったようで、どう説明しようか思案している顔になる。
「え〜とですね、昔は教会圏もバラバラに分かれていて、お互いに争っていた時が長かったんですよ」エトナが説明してくれる。
「ポラルトもですか?」
「そうですね、だいぶ昔の話ですが、南のパルウェアルと争っていた時もありますね」ケリーが補足する。
なるほどと思う。ポラルトも城壁が2重にあり、お城を中心にしている中心地区と、その周りに広がる商業居住区と城壁で区切られている。俺は中心地区から出たことも、お城から出たことすらほとんどないが。
まず中心地区が先に作られ、その周りに住み着いた人たちを守るために、さらに外周が作られた。
おそらく教都も同じように作られ、広がっていったのだろう。
4重にも渡る高い壁。いずれ見てみたい。
「ラフエル何読んでるの」
午後の早い時間に、いつもイリスはやってくる。
「旅行記、です」
「それ好きよね。でも今日はこっちを読まない?」
そう言ってイリスが差し出した本は、英雄王カーンの物語だった。
神の啓示を受け、その奇跡の力を使い困っている人を助け、悪い竜を退治して教都アドレアを建国した男。カーンが啓示を受けた神が、今の聖家族教会の大元になっている。約400年前に実際にあった話とされている。
男の子が好きそうな本を選んで持ってきてくれるあたり、本当にイリスは優しい子だと思う。姉でなかったら結婚したいぐらいだ。
「ラフエルも三歳になったら守護神を決めるんだから、よく考えておかないとね」
考えてと言ってはいるが、イリス的には父神を信仰して、かっこいい騎士になることをそれと無くお勧めしてくる。グイグイ押しつけてこないのもかわいいと思う。
他に母神に兄弟神、老神がいる。
俺自身にはこれと言って決めたものはなかったのだが、何となく父神より兄弟神の方が良いような気がしていた。春を司り、子供の成長を見守る神様だからだろうか。
そんな緩やかな日々を送っていたある日、書庫の奥に鍵のかかった扉があることに気が付く。
「イリス姉さま、この奥は何があるのですか?」
「さぁ、何かしら?鍵がかかってるわね……あ」
イリスがドアノブをガチャガチャと回していると、ノブの取っ手がぼろっと取れる。
「……扉は開いたわよ?」
しばらくイリスと取れた取っ手を眺めていたが、後で謝ることにして恐る恐る中に入る。
「く、暗いわね」
イリスが少し怖いのか俺の手をぎゅっと握ってくる。
中は少し狭かったが、窓が無く薄暗い。
机と椅子が置いてあり、ランプに火を入れると、周りの状況がよく見えるようになった。
「書斎、かしら?ちょ、ちょっとラフエル離れないでよ」
壁一面に書架がしつらえてあり、そこに明らかに表の書庫とは趣の違う種類の本が集められている。
しっかりした皮の装丁は、古さを表すように所々こすれ、色は深みを増している。
手の届く本を一冊手に取ってみる。
「ちょ、ちょっと大丈夫?……意外に怖いもの知らずよね、ラフエルって」イリスは俺の服をぎゅっと握っている。
これは……まだまだ読めない単語が多いからはっきりとしたことはわからないのだが、何もない所から力を引き出す方法が書かれている。
……魔法だ。
話には聞いていた。英雄王カーンの物語にも、導くものとして魔法使いが登場している。それに、教都には魔法を習うための学校もあるとエトナも言っていた。
まじか。ここにある本全部がそうなのか?
お、俺にも、使えるのか?
「ちょっと?ラフエル?ねぇ、ラフエル!」
肩を揺さぶられて意識が戻ってくる。あぁ、本に集中してた。
「ねぇ、もう出よう?なんかここ怖い」
いつも自分の前ではお姉さんぶっているイリスが、歳相応の女の子の様に怖がっているのは新鮮だ。
しかしどうしたものか。鍵がかけられていたのは高価な本だからなのか、それとも外に出すのをはばかられるからなのか。
このポラルトは豊かではないものの、古い歴史のある国だ。カーンの物語にも国名は違うものの、この国の原型が出ている。何年前の話かはわからないが、その頃から集められたものだとすれば、かなりの蔵書になるのではないだろうか。
「ねぇ」動こうとしない俺の服をイリスが引っ張る。
「うん、ドアノブ壊したこと、謝らないとね」
俺たちは部屋に戻ることにしたが、イリスに見つからないように「初級」と書かれた本を外の書庫の中に隠した。
「じゃぁ、夜ご飯の後に、一緒に謝ろうね?」イリスが少ししょんぼりして帰っていく。
鍵のかかった部屋に入ろうとしたことを、怒られると思っているのだろう。
実際俺もどうしたものか悩んでいた。この世界での魔法の扱いは、使える人もいるけど、役に立つのはごく一部、程度だった。
まぁ、使えるかどうかは試してからと、こっそり書庫に戻り、初級と書かれた本を開く。
……とりあえず序章が長いから読み飛ばす。これを書いた人物は相当昔の人で、魔法を体系化した初めての人物だったようだ。最初は何が大変だったこれが大変だったと、自分がいかに苦労したかの愚痴の序列だったのだ。
まず始めに、一番最初に試しなさいとしている、明かりを作る魔法を試してみる。この魔法でその人の適性などがわかるらしい。
なになに?全力で明かりをイメージする?
へ?それだけ?
どうもそれで生まれる明かりの強さ大きさ色などで、属性や魔力の大きさなどが分かるらしい。
まぁいいややってみよう。
目を瞑り、部屋の中が明るくなるイメージを持つ。明かり明かり。やっぱり明かりはLEDだよな。効率といい明るさといい、実家もどんどん取り替えてたし。
頭の中でイメージした光。その光を全方位にまんべんなく強く大きくしていき……おや、なんだか瞼の向こうがまぶしい……
「うお!」
目を開けてびっくりした。目の前にものすごく強くて大きい真っ白な光が浮かんでいる。LEDのライトを正面から見たような強さで、直視できない。
まずいまずい!消し方消し方。あわてて本を読み直す。
なになに?この魔法は明かりのない迷宮などに挑むときは大変便利で、一度出せば12時間は消えません。
「消えないのかよ!!!」
いかんいかん、本を投げたりしてはいけない。
もう少し読み進めてみる。
え〜っと、光の色が赤なら炎、青なら水、緑なら風、茶なら土に適性があるらしい……この明るさでこんな色が付いていたら、目がおかしくなりそうだ。
いやいや、そうじゃなくて、LED色の適性は何色なのよ。聖とか良いものじゃないのか?
次に大きさについてですが……
LED無いし!白い光とかそういう形ですら載ってないし!
いやまて、まだあわてる時間じゃない。
大きさは、ろうそくの明かり程度なら、初級までで、たいまつなら中級、と。たいまつ所じゃないよなこれ。
少し大きめの焚き火もあれば、上級を目指せるでしょう。
「うっ」自分の明かりの大きさ見ようとして、目がチカチカする。イカでも呼んでるのかこれ。
とにかく光を背にして今の状況を整理する。適性は不明。でも大きさは明らかに上級のそれを越えているはず。
直視できないから、まぶしいだけで小さい可能性もあるが……LEDライトってものすごく光るところ小さかったよな……
というか、これどうすんだよ!お昼過ぎて2時間は経ってるから、3時ぐらいだろうか?
夜中の3時までこの明るさ!?絶対ばれる……
知らない振りをして移動しようとしたら、後ろから光が一定の距離で付いてくるし……ずっと後光が差してる人のようだ。
「きゃぁ!これは何!?ラフエル様!?」
エトナの声だ。あぁ、ばれた……
「エトナ、どうしたの――これは!」
ケリーの声がする。
「エトナ、扉を閉めて!」
まぶしそうに光を背にして、ケリーが俺の横に来る。
「これは、ラフエル様が出されたのですか?」
「……はい」
「ラフエル様、消すことはできますか?」
「ごめんなさい、消し方が分からないです……」泣きそうになってきた。
「心をお静めください。いいですか?目を閉じて、光を遮るように、扉を閉める様なイメージを持ってください」
俺は言われるがまま、部屋の扉を閉めて光を閉め出すイメージを描く。
すると、瞼の上からでもまぶしかった光が、急速に姿を消す。
「これを読まれたのですね?」
「……はい」
ケリーは思案するような顔をした後つぶやく。
「これはまずいわ」
俺は、終わったと思った。