【番外編5】秋吉さんと未来ちゃん2(秋吉さん視点)
「早く大人になりたいな」
ある日、そんな事を未来が呟いた。
未来の家は母一人、子一人。
父親は借金を残していなくなったのだと、未来の母で同僚でもある若槻さんからは聞いている。
「そうしたら、母さんを助けられる。それにわたしが嫁にいけば、母さんの負担も減るだろうし」
何故そう思うのか訪ねた私に、未来はそう答えた。
未来は、自分が母親の負担になっていると思いこんでいる。
母親である若槻さんは、未来を負担だなんて全然思っていないというのに。
彼女らしい考え方だと思った。
自分が嫁にいけば、家が助かる。
対象が国である違いはあっても、前世でも未来は同じ選択をしていた。
自分を犠牲にしても、大切な人のために何かをしようとする。
私は彼女のそんなところが心配で、同時にそういう優しい部分を愛おしく思っていた。
「生まれ変わってもあなたは、誰かのために結婚をするつもりなのですか?」
けれど、私の口から出てきたのは。
未来を非難するような言葉だった。
●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●
未来が戸惑っていた。
別れて後に一人で思い返して、何で口にしてしまったのかと思う。
けれど、どうしても言わずにはいられなかったのだ。
前世で政略結婚を選んだエリシアは、幸運にも王子と恋仲になれた。けれど、それは結果論にすぎない。
今度こそは、誰かのためでなく自分の幸せのために生きて欲しかった。
本当に好きな人と幸せに。
あの時、叶えることのできなかった幸せを掴むために、未来はきっとここにいる。
そして私は、前世の主であるエリシアが叶えられなかった願いを、この世界で実現させるために存在しているのだから。
そう思えば思うほどに、自分の矛盾が明るみに出る。
未来にはもう王子がいる。
二人の幸せを願う気持ちに嘘はない。
けれど、未来が王子に惹かれてしまうんじゃないかと思うと、胸が焦げ付くように苦しくなるのだ。
それが私の望みのはずだ。
そのために生まれ変わってきたはずなのに。
「何を今更迷っているんだ、私は」
呟いたその言葉は、誰にも聞かれることもなく風に溶けた。
●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●
今日は未来とスーパーの特売に行く日だった。
そんな大切な日に限って、仕事が長引いてしまうなんて、本当についていない。
しかも、携帯電話を家に忘れてきてしまっていた。
未来が心配して待っているに違いないと、急いで小学校まで走る。
校門前に立つ未来の姿を見つけて声をかけようとしたら、未来が男に頭を撫でられていた。
遠慮なく撫でるその手に、未来も気持ちよさそうにしていて。
私ですら、未来の誕生日に髪留めをプレゼントした時に少し触っただけだというのに、これはどういうことなのかと、怒りにも似た感情がこみ上げてくる。
未来の頭を撫でている男を確認しようとして固まる。
知り合いだった。
前世で未来の婚約者だった、大国の王子。
今世では私の大学の先輩だったけれど、まさかと思う。
小学校の先生になったとは聞いていた。
けれど未来の学校だったなんて。
そんな運命のようなことが、ありえるのかと愕然とした。
「なんであなたがここにいるんですか」
気づけば体が勝手に動いていた。
未来を王子から奪い取るようにして、私の方へと引き寄せる。
二人は驚いた顔をしていたけれど、そんな事に構っている余裕はなかった。
「あれ、お前秋吉? 久しぶりじゃん!」
私に気づいた王子は、何故かやたらと楽しそうだった。
こっちは気が気ではないというのに。
「俺あれから先生になったんだよ。しかし、まさか秋吉と俺の教え子が親戚だったとはな。まさかとは思うけど、まだお前前世だとかなんだとか言ってるの?」
「それは……」
今が未来を王子に紹介するタイミングだ。
けれど、さっきのアレを見て紹介する気にはなれなかった。
二人はすでに親しげな様子だった。
王子は前世の記憶がないから、未来が姫だと気づいていない。
けれど、もし前世の事を話して、二人が惹かれあってしまったら。
想像さえあまりしたくない自分がいた。
王子は姫と結ばれるべきだ。
私は目の前の彼に、何度も言い聞かせていた。
自分で言ったことだ。応援するのが筋だろうし、それが正しい形だ。
わかっている。
でも今の私は、それができそうになかった。
未来の側を、例え王子にだって譲りたくない。
譲れないのだと、そう気づいてしまった。
「若槻、このお兄さんな前世を信じてるんだ。俺も前世の知り合いだとかいいだして、それで仲良くなったんだけどさ。皆から変な奴扱いされてるけど、基本的にはいい奴だから、これからも仲良くしてやってくれな」
彼に前世のことを持ち出されて焦る。
とっさに未来の手を引いた。
「余計なお世話です! 先輩に付き合ってられません!」
突き放すような言葉を彼に浴びせれば、目を見開いて、それから少し笑った気がした。
今まで何と言われようと「王子」としか呼ばなかったのに、とっさに先輩と言ってしまったのは。
彼が未来の「王子様」ではないと、強調したかったからなのかもしれなかった。
●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●
私が去り際に「王子」ではなく「先輩」と呼んだことに、彼は――瀬尾はきっと気づいたことだろう。
そういう聡い奴だ。
未来が私の姫だということに感づいて、今頃面白がっているに違いない。
それでも構わない。
例え相手が前世の王子だろうと、私はもう未来を誰かに譲る気はなかった。
王子と結ばれることが、前世のエリシアが望んだ幸せ。
けれど、彼女の騎士としてそれを叶えることよりも、自分にとってもっと大切なことを今世で私は見つけてしまった。
私にハンカチを差し出してくれた、優しい女の子。
未来がくれた言葉に、私がどれだけ救われたことか。
若槻さんから話を聞くたびに、好ましく思う気持ちは積もっていって。
見守るうちにどんどん惹かれて行った。
母親に負担をかけないよう、小さな体で懸命に頑張ろうとする姿が愛おしくて。
手料理を作ってくれるのが幸せで。いつの間にか私のために茶碗が用意されていた時、それが特別なことに思えた。
距離がどんどん縮まって。
私に見せる顔が増えていくたび、どんどん欲深くなっていく自分がいた。
これから先も、未来の隣を歩くのは自分がいい。
幼い未来が大人になっていく姿を、一番側で見守っていたい。
そのポジションが、例え特売セールの荷物持ちだとしても一向に構いはしない。
ただ、この繋いだ手を自分から離す気は、もうこれっぽっちもなかった。
●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●
「秋吉さんと瀬尾先生知り合いだったんだね。瀬尾先生とは前世でどんな関係だったの?」
未来の家で、遅れたことを謝るとそんな事を尋ねられた。
少し悩んでから、ライバルだったのだと答える。
「前世ではライバルでも今は違うんだから、そんなにツンケンしちゃ駄目だよ。瀬尾先生、人をからかうところはあるけどいい人だよ」
未来に瀬尾への態度をたしなめられてしまった。
確かにあれは大人げなかったとは思うけれど。
「……今も関係はあまり変わらないと思うんですけどね」
小さく呟いた言葉は、未来には聞こえなかったようだった。
「それで、なんで先輩に頭をなでられていたんですか?」
自分の気持ちを確認したところで、気になっていたことを尋ねる。
無意識に声が硬くなっていたのか、未来が少し驚いたような顔をした。
話を聞けば、近々授業参観があるらしく、それで瀬尾と話していたらしい。
母親に負担をかけたくないという、未来の優しい心遣いはわかる。
しかし、それでどうして瀬尾が未来の頭を撫でることに繋がるのか。
そこだけは全く理解できなかった。
出席できないであろう若槻さんの代わりに、私が行く約束を取り付ける。
それから、未来の頭を撫でた。
未来は少し戸惑った様子だったけれど、大人しく撫でられてくれた。
柔らかな髪を愛でながら、彼女にこうやって触れるのが、自分だけの特権であればいいのにと願う。
触れることで、瀬尾の痕跡を未来の中から消してしまいたかった。
●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●
「秋吉さん、来てくれたんだ!」
授業参観の日。
教室に現れた私に、未来が嬉しそうな顔をした。
「姫の晴れ舞台に、私がこないわけがないでしょう?」
「秋吉さん大げさだよ。でもなんか嬉しいな。授業参観に誰かがきてくれるの、初めてだから」
感動したような声で、未来がそんな可愛いことを言う。
思わず抱きしめたくなる衝動に駆られたけれど、ここはぐっと我慢した。
「いいなぁ、未来ちゃんのお父さん超カッコいい!」
「秋吉さん、格好いいだって」
未来は友達にそういわれて、少し照れたように私に笑いかけてくる。
こういう風な会話が夢だったのかもしれない。
大きな子供がいる歳でもないし、できればお父さんという部分を否定して欲しかったけれど。
私が褒められて喜んでいる未来を見るのは、悪い気分じゃなかった。
チャイムがなり、授業が始まる。
瀬尾は教師姿がなかなか様になっていた。
未来を教えられるのなら、私も教職についておけばよかったと思う。
大学の時に高校と中学の社会教師の資格を一応取ったが、初等教育となるとさらに取らなければならない講座が多かったため、断念していた。
惜しい事をしたかもしれない。
「若槻、93ページから読んでくれ」
「はい」
瀬尾に指名されて未来が席から立ち上がる。
すらすらと朗読するその声につい聞きほれていたら、瀬尾と目があった。
にいっと笑ったその顔は、俺に感謝しろよと言わんばかりだった。
●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●
授業参観が終わり、保護者は体育館で校長からの話やPTAの話会いがあるらしかった。
それに出席してから校門で待っていたが、未来がなかなか来なかったので教室へ出向く。
未来は、瀬尾とふたりっきりで話をしていた。
「瀬尾先生は秋吉さんの前世の話、信じてるんですか?」
「俺は信じてる、かな。なんとなく前世ってある感じがするんだよな。あいつがいうには俺って、前世で大切にしてたウサギを殺されたらしくてさ。それで今でもウサギが苦手みたいだし」
未来の質問に瀬尾が答えている。
どうやら内容は前世の話らしい。
前世の瀬尾である王子・アレンは、ウサギが苦手だった。
けれど、それを今の瀬尾に私は言っただろうか。
あまり覚えがなかった。
大方、飲み会の時に酒で潰されて、喋ってしまったんだろう。
そんなに酒が弱いというわけでもないが、いくら飲んでも酔わない瀬尾のペースに合わせて、何度か記憶が飛んだことがある。
そんなことよりも、瀬尾が余計な事を言い出さないうちに、未来を教室から連れ出した方がよさそうだ。
「でもさ、前世で若槻が姫さんってことは、俺と昔」
わざと瀬尾の声を遮るように、音を立てて勢いよく教室のドアを開ける。
「あれ、秋吉。まだ帰ってなかったんだ?」
白々しい声で瀬尾が驚いたふりをする。
いつからかは知らないが、私がいることに気づいていたんだろう。
「えぇ。一緒に帰ろうと思って、校門で待っていました。なかなかこないので、迎えにきました」
挑むような調子で口にする。
短くはない付き合いだ。瀬尾がこの状況を面白がっているのが、手に取るようにわかった。
本当に喰えないやつだと思う。前世であんなに可愛らしかったアレン王子と、同一人物だとは思えなかった。
●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●
「秋吉さん、瀬尾先生がいるとちょっと変になるよね」
瀬尾と別れてから、未来にそんな事を言われた。
自分でもわかっていたので謝る。
「ですが、姫にはあの人にあまり近づかないで欲しいのです」
けれど、わがままだとわかりつつ、そんな事を口にすれば未来は首を傾げた。
「なんで? 瀬尾先生良い人だよ?」
未来の中で瀬尾の評価は高いようだ。
わかってはいたが、その事に苛立つ。
私の知らない時間を、未来と瀬尾が共有しているというのがたまらなく悔しかった。
瀬尾は前世からの知り合いで、大学時代も世話になった。
あぁ見えて面倒見がよく、彼がいなければ私は大学内で孤立したままで、この世界に馴染むことすらできなかっただろう。
感謝はしているのだけれど、それとこれとは別だった。
「近づくなと言われても、担任の先生だしね」
そう言われて、ようやく自分が変なことを口走っていたと気づく。
少し考えればわかることだ。
こんなのは、自分らしくなかった。
感情が制御できない事なんて今までなかったのに、未来といると時々こうなってしまう。
「友達がここのソフトクリーム凄く美味しいっていうから気になってたんだ」
未来に謝ってソフトクリームを奢れば、私の隣で美味しそうに食べ始めた。
その姿を目を細めて眺める。
それだけで、幸せな気分になれた。
この世界に生まれ落ちた私には何もなくて。
ただ姫に会える日を望んで、淡々と生きてきた。
私以外に、誰も前世を覚えていないこの場所。
一度手放してしまえば、大切な過去がすぐに消えてしまいそうで。
それが恐ろしくて、頑なになった。
前世を守るために、この世界のモノを否定した。
姫の存在にしがみ付いてないと、自分が保てなかった。
気づけば無表情で面白味もない男になっていて。
感情も凍って行って、どうすれば人と上手く接することができるかわからなくなっていた。
なのに、未来がそこにいるだけで、こんなに簡単に感情を動かされる自分がいる。
彼女が笑えば自分も嬉しくなるし、悲しそうな顔をすればこちらまで苦しくなる。
前世の私はこの感情を知っていたかもしれないが、今の私は実際にそれを体験するのは初めてで。
いつだって、どうしたらいいかわからなくて、戸惑う。
「秋吉さんも味見してみる?」
そうやって未来は無邪気に、ソフトクリームを差し出してくる。
一口食べれば満たされたこの気持ちと同じように、甘い味がした。