#1
どうしてこんなことになったのかはよくわからない。
――“ムシ”の襲来――
狭くなりすぎた地球から、月へと移住を開始したのはもう何十年も前の話だ。
汚染された地球で人間が暮らせるのはドームと呼ばれる小さなシェルターの中だけ。そんな中に増えすぎた人間全員を収容できるはずもなく、いわゆる貧困層はドームを追い出され、実験的に開始されていた月での生活に一縷の望みをかけた。
そしてそれは、月の表面で一つの成功を収める。
常に地球を見ることができ、太陽の光を得ることのできる月の表。しかし、地球の4分の1の大きさの月が人間で埋まるのに時間はかからなかった。力の、金のあるものだけがより便利でより安全な場所を支配していく。ここでもまた追い出された者たちは――陽の当らない月の裏側へと住処を映す。
それがここ、リバース地区だ。
一切の光のない生活の中で得られた赤い目が、リバース出身の何よりの証拠。赤い目は、淡い光を何倍にも増幅して暗闇の中で物を見ることを可能にさせる。
環境に合わせて自らを進化させ、インフラを整え、やっとまともに暮らせることができる――そう思った矢先に出現したのが、ムシだった。まるで平穏になったのを狙ったようだったと、大人たちがいっていたのを記憶している。
上下振動する2枚の翅と、四本の肢。それは時折どこからか現れて、発展した街を喰いつくしていく……。
噂には聞いたことがあった。どこか遠くの街で起こっていることだと、そう思っていた。
しかしあのとき、それは実際に僕の前に現れた。
暗い空をさらに漆黒に覆う無数のムシの巨体。ブブブブ……と動き続ける羽音が耳にこびりついて離れない。それは空を覆いつくしたかと思うと、同時に地面に向かって突っ込んできた。壊れるビル、陥没する道路。それに巻き込まれるようにして、人はごみのように吹っ飛んでいく。ぐちゃ、とかぷち、とか。聞きたくない音がは音にまぎれて聞こえてきた。
どこへ逃げればいいかなんてわからなかった。とにかく僕は友達と一緒にまっすぐに走った。走っても走っても、ムシは途切れない。それどころか、だんだん増えていってる気さえする。
そして、影がさらに濃くなったと思った瞬間――……。
ふり返れば、地面すれすれに降下していたムシがそこにはいた。
走っても、もう無駄だ。
そう思った。
だけど、その時の僕には、もう足を止めるということさえできなかった。
ムシはまるでスローモーションのように僕へ向かって落ちてきた。近づいて、近づいて。透明な翅から起こる爆風に体がふっ飛ばされて、ドォンって耳をつんざく音がして……そこで、僕の記憶は切れた。