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乱世を往く!  作者: 新月 乙夜
第六話 そして二人は岐路に立ち
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第六話 そして二人は岐路に立ち⑫

 テムサニス軍が北上していく。


 カレナリアの南の玄関口とも言うべきルトリア砦を通り抜けて、テムサニス軍十五万は北上していく。


 その様子を城壁から苦笑と共に見下ろす人物がいる。ルトリア砦の指揮官、ロフマニス・コルドムである。


「よろしいのですか。将来に汚名を残すかもしれませぬぞ」

「私が汚名を被って砦の兵たちが助かれば安いものだ」


 話しかけてきた副官に、彼は苦笑したままそう答えた。ロフマニスの眼下を往くテムサニス軍の先頭には国旗と共に王旗が翻っており、これが親征であることを無言のうちに物語っていた。つまりこの軍を率いているのは、テムサニス国王ジルモンド・テムサニスその人なのだ。


(やれやれ、妙なことになったな………)


 いや、“妙なこと”というほど事態は複雑ではないのだろう。しかしそれがロフマニスの正直な感想であった。


 時間は少し遡る。


**********


 事の発端は、ルトリア砦がカレナリアの旗を降ろさなかったことだ。

 カレナリアの旗を降ろさないということは、それはすなわちアルジャークと敵対する意思表示である。


 無論、ロフマニスにその意思はない。彼はどこまでいってもカレナリア王国と国王に仕える武将であり、エルネタードが降伏を決意した以上、それに従い剣を置くのが筋だと思っている。


 ではなぜ旗を降ろさなかったのかといえば、アルジャーク軍総司令官クロノワ・アルジャークが言うところの“悪巧み”に加担したからである。


 この悪巧みは、ひどく単純なものだ。作戦などと片意地を張るのも馬鹿らしい。クロノワもそれを承知して“悪巧み”という言葉を選んだのだろう。


 アルジャーク軍はテムサニスに侵攻する際、当然のことながら南に向かわなければならない。この時、ルトリア砦がカレナリアの旗を降ろしていなければ、南進する軍は砦の討伐軍だと多くの人は思うだろう。しかしアルジャーク軍が接近してきたところで砦は降伏し討伐軍は遠征軍に早代わり、というのがその内容である。


 先手を取るための小細工、というのがこの悪巧みに対するロフマニスの評価であった。成功すれば御の字。失敗しても問題が起こるとは思えず、悪巧みや悪戯の域を出るものではあるまい。


(あまり好きではないが………)


 ロフマニスの好みからすれば、こういった小細工は好きではない。自分が作戦指揮官であれば、このような手は使わないだろうと思う。しかし今の彼は敗者の地位にあり、クロノワは勝者の地位にいる。ならばその命令には従う義務があろう。好きでないが拒否反応を示すほどでもない。それに目下彼の最大の目的は、自分が預かっている砦の兵士たちに無駄な血を流させないことで、それと矛盾するわけでもない。短い時間でもそこまで考え、ロフマニスはクロノワに了承を伝えたのであった。


 こうしてロフマニスはクロノワの悪巧みに乗ったわけであるが、彼はその話を自身の幕僚たちのところまでで止めていた。その性質上、あまり多くの人間に知られるのは好ましくないと判断したからなのだが、砦の兵士たちは思いのほか敏感に反応した。


 今ルトリア砦に詰めている兵士の数は一万と少し。アルジャーク軍との決戦に向けてイグナーツが兵士をかき集めたことを考えれば、かなり多くの兵士が残っていると言えるだろう。しかし当然のことながら、たったこれっぽっちでアルジャーク軍と戦えるわけがない。砦に籠もっていたとしても同じである。そんなことは末端の一般兵に至るまで承知しており、それゆえにカレナリアの旗を降ろさないというロフマニスの行動は、彼らの目には自殺行為に思えた。


「いざとなれば私の首を差し出せばよい」


 今すぐに降伏するよう詰め寄る兵士たちに、ロフマニスはそういった。その言葉で指揮官には指揮官なりの考えがあることを知った兵士たちは引き下がったのであった。


 さて、このようにして砦の内部は収まったわけであるが、次の厄介事は砦の外、しかも南の方からやってきた。テムサニス国王ジルモンド・テムサニスの親書を携えた使者がやってきたのである。その内容を簡単に要約すると、次のようになる。


 曰く「ルトリア砦にいる兵士たちを、亡命者としてテムサニスに受け入れても良い」

 この親書を読んだとき、ロフマニスは生まれて初めて笑うのを堪える努力をした。


(なるほどテムサニスからはそう見えるのか………)


 テムサニスからすれば、カレナリアの旗を降ろさないルトリア砦は、玉砕覚悟でアルジャーク軍と戦う決意をしたように見えるのだろう。


 ここで勘違いしてはならないのは、受け入れを申し出たテムサニスの思惑である。彼らを受け入れれば、当然ルトリア砦もテムサニスのものになる。国境の砦をタダで手に入れられるのだ。これは大きなメリットだろう。


 加えてカレナリアは今混乱している。侵略者たちが我が物顔で闊歩するカレナリアを救世主として救い、ついでに十か二十州くらい切り取りたい。そして行軍をスムーズにするためには、ルトリア砦を味方に引き込むのが一番良い。そんな思惑もあった。


「少し考えさせてもらいたい」


 ロフマニスは使者にそう伝え、とりあえずのお引取りを願った。帰っていく使者を見送ったロフマニスはその足で「共鳴の水鏡」がある部屋へと向かい、王都ベネティアナにいるクロノワへと事の次第を連絡したのである。


「そう来ましたか………」


 話を聞いたクロノワは苦笑するようにそういった。彼にしてみれば意図せずして大きな獲物が食いついた、といったところだろう。


「連絡をいただけたのはありがたいですが、貴方はそれでよかったのですか?」


 ロフマニスからしてみればテムサニスと手を組むという選択もあったのだ。テムサニス軍を引き込み、なにも知らずに近づいてくるアルジャーク軍を強襲すれば、緒戦はまず間違いなく勝てるであろう。


「私はカレナリアの軍人です」


 その短い言葉に、ロフマニスはありったけの誇りと気位をこめた。彼のその言葉に、クロノワも満足したように頷いた。


「それで、貴方はどうするつもりですか」

「無論断ります。テムサニス軍が北上するのであれば、戦ってこれを防ぎます」


 ロフマニスが戦うのはアルジャークのためではない。カレナリアのためだ。この状況下でテムサニス軍がカレナリア領内に乱入してくれば、収まりかけてきた混乱に拍車がかかり、安定が遠のくことは目に見えている。


「かりに戦うとして、我々が間に合わなければ全滅ですよ」

「覚悟の上です」


 一瞬の逡巡もなくロフマニスは答えた。その答えを聞くと、クロノワは何かを思案するように顎を撫でて黙り込んだ。


「………汚名を被る覚悟はありますか?」


 より確実に、かつ被害を抑えてテムサニス軍を撃退する方法がある。しかしそのためにはテムサニス軍を騙す必要があるのだが、その騙し方は後の世から顰蹙(ひんしゅく)をかうかもしれない。そしてその騙す役回りはロフマニスなのだ。


「………詳しくお聞かせいただきたい」


 ジルモンド・テムサニスが軍を率いてルトリア砦を通過したのは、その五日後のことであった。


**********


 ジルモンド・テムサニスの親征は順調に進んでいた。不気味ではあるが、順調に進んでいた。


 なにしろそう表現するしかない。これまでに一度も戦端は開かれておらず、ただ歩を進めるしかない。略奪の対象になりそうな町や村はいくつかあったが、住民の大部分は避難しているらしく特に若い娘や子どもは影もない。それに伴い物資も引き上げられているらしく、略奪するのも馬鹿馬鹿しい有様であった。


 結果、テムサニス軍はなにもせずただ前進するしかない。問題が起きているわけではなく順調であることは間違いないが、どこか仕組まれた策略の気配を感じそれが不気味でならない。


(どこで仕掛けてくる………?)


 策略を仕掛けているのがクロノワ・アルジャークであることはまず間違いない。となればどこかでアルジャーク軍の襲撃が必ずある。


(ままならぬ………!)


 これまでに見てきたカレナリア領内の様子は、ジルモンドの思惑がかなり外れたことを意味している。当初彼は混乱に乗じて事を運ぶ腹積もりあったが、整然とした避難の様子からは混乱は見受けられない。先手を取るつもりであったのに、その先手がいつまでたっても取れない。


 遠征そのものは順調である。しかし思惑を外されたジルモンドは、いい様のない不気味さを感じる。


 嵌められたのではないか?嵌められたのであれば、どのように?今自分はどんな状況下に置かれているのか?

 そんな彼の疑問の答えは後方からもたらされた。


 ―――――ルトリア砦が、門を閉じているという。


 それはつまりテムサニス軍の補給路が寸断されたことを意味していた。

「おのれ謀ったな!!」


 ジルモンドはすぐさま軍を取って返した。これはなにも謀られたことに対する、感情的な理由による行動というわけでもない。補給線が寸断されたということは、テムサニス軍にしてみれば生命線を切られたことと同じである。大半が避難しもぬけの殻となっている近くの村や町から略奪したとしても到底足りるまい。ゆえにすぐに対処しなければ軍が干上がってしまい、戦わずに敗北することになる。


 街道を南に進み、ルトリア砦の姿を認めたジルモンドはすぐさま総攻撃を命じた。砦にいる兵士の数は一万と少し。それに対しテムサニス軍は十五万である。恐らく一日とかからずに陥落するであろう。


 ルトリア砦にカレナリアの兵を残しておいたのは失策であったろう。ただ反面彼らがこのような大胆な行動に出るとは考えていなかったのだ。カレナリアはすでにアルジャークに併合され、彼らに帰る場所などないのだから。


 それに、そもそも兵の数が圧倒的に少なかったからこそ、カレナリアの兵を砦に残しておいたのだ。それはつまり敵に回られたとしても、簡単に叩き潰すことができる自信があったということである。失敗はしたが、まだ十分に挽回できる。


 テムサニス軍に攻撃を仕掛けられたルトリア砦は必死に抵抗した。だが、如何せん数が違いすぎる。このままならばそう時間はかからずに落ちる。敵味方を含め、その戦場にいる誰もが始まる前からそう思っていた。


 テムサニス軍有利の戦場の流れが一変したのは、攻撃開始からわずか約三十分後のことであった。

 堂々たる陣容を誇るアルジャーク軍が、テムサニス軍の背後に現れたのである。


 この時点でクロノワの策略が完成したといっていい。

 ルトリア砦はテムサニス軍を通過させてから、その門を閉じ敵の補給路を寸断する。略奪にあいそうな村や街はあらかじめ避難させておき、敵に物資を渡さないようにする。孤軍になったテムサニス軍が目指す場所はただ一つ、ルトリア砦である。この砦を攻略し補給路を再び繋げるのが、状況を打破する最善の方法であろう。幸い戦力差は歴然で、砦を落とすのにさしたる時間はかからない。


 ここまで読めればアルジャーク軍の行動は簡単である。テムサニス軍との距離に気を付けながらルトリア砦を目指せばよい。敵軍が砦に攻撃を仕掛けているその背後を取れば、チェックメイトである。


 ただこの策略には汚れ役が必要であった。ルトリア砦の指揮官、つまりロフマニスがこれに当たる。一度はテムサニスに味方しておきながら、後になって裏切るのだ。正々堂々とはとても言えまい。


 戦場での駆け引きにおいて相手を騙すことは良くあるが、今回の策略は「約束を破る」という類の騙しだ。それさえも良くあることなのかもしれないが、“卑怯”とか“低俗”とか、そういう評価は免れないように思える。

 クロノワの言う「汚名」とはそういうことであった。


 ただロフマニスとしてはなんら恥じるところはない。彼はカレナリアの軍人でありルトリア砦の指揮官であり、彼が守るべきはカレナリアの国民と砦の兵士たちである。クロノワの策略に乗るならばこの二つを高確率で守ることができ、その代償として自分が汚名を被るだけならば安いものだと、本気でそう思っていた。


 軍の最後尾というのは、得てして脆いものである。それは単純に背後という位置関係だけが原因なのではない。そもそも軍というのは前方に精鋭を後方には弱兵を配置する。特に一番最初に敵と接触する先鋒は、強ければ強いほど良い。後ろから襲われることに対する恐怖心は大きいだろうが、弱兵が精鋭に襲われるのだ、脆いのは当然だろう。


 テムサニス軍は崩れた。本来であればそのまま全面壊走となるのだろうが、悪いことに逃走すべき前方はルトリア砦がその行く手を阻んでいる。逃げるに逃げられず恐慌状態に陥った。


 一方ロフマニスはルトリア砦から打って出ることはせず、城壁の上からひたすら矢を射かけ続けた。なにしろ本来弓兵でない兵士にまで、弓を持たせて矢を射させていたというのだからその必死さが窺える。当然狙いなどでたらめで、敵軍の中に落ちればいい、といった程度のものだった。しかしその分矢の数は多く、テムサニス軍の恐慌状態に拍車をかけていった。


 逃げることもできなかったテムサニス軍は、結局ほとんどの者が武器を捨て投降した。投降のみが命を拾うほぼ唯一の選択だったのだ。その内、一人の男がクロノワの前に引き出されてきた。身につけている甲冑の装飾は豪華で、男の身分が高いことを証明している。さらにマントに施されている刺繍は、掲げられた王旗と同じ紋様であった。


「テムサニス国王、ジルモンド・テムサニス陛下とお見受けします」

「お、お前たちはカレナリアだけでは満足できないのかっ!!」


 左右の腕をアルジャーク兵に拘束されているジルモンドは、自由になる舌を必死に回転させた。


「ア、アルジャークは余の国を、テムサニスをも狙っているのであろう!?」


 余の目は誤魔化せぬぞ、とジルモンドは喚いた。彼の言葉には理論的根拠はまったくなく、その場の思いつきに等しいものであったが、偶然にも真実を言い当てていた。


「これ異なことをおっしゃる」


 クロノワはさも驚いたような声を上げて見せた。実際にテムサニス遠征を緻密に計画し、もう少しすれば宣戦布告していたであろうことはおくびも出さない。


「いつ我が軍が国境を破って貴国に侵入しましたか」


 ここはカレナリア領であり、つい先日アルジャークに併合された土地である。そこに侵入してきたのはお前たちで、つまり侵略者はお前たちのほうである、とクロノワは明快に断じた。


 その言葉を聞いてジルモンドはがっくりとうな垂れた。反論する余地がなかったからである。しかし後ほんの数日、彼らがカレナリア領に入るのが遅れていれば、侵略者と被侵略者の立場は逆転していたはずで、そのことを考えるとなんとも皮肉なものである。


 それはともかくとして、ジルモンド・テムサニスは高貴な捕虜としてアルジャーク軍に遇されることとなった。クロノワにしてみれば最高の手札を手に入れたことになり、テムサニス遠征が始まる前から圧倒的な優位を獲得したのである。


 ルトリア砦は引き続きロフマニスに任せることにした。ルトリア砦は国境の砦である。本来であれば彼を解任し、アルジャーク軍の中から適任者を選ぶのが筋なのだろうが、今回の一件でロフマニスは功績を挙げたし、また十分に信頼できる人物であるとクロノワは判断したのだ。自分の都合で汚名を被らせたロフマニスに対する、クロノワなりの配慮だったのかもしれない。


 投降してきたテムサニス兵は武装解除した上で、その周りをアルジャーク軍が囲っている。彼らの処遇は一度カレナリア王都ベネティアナに戻ってから決定するつもりである。解放するにしてもテムサニス政府との交渉があるし、その間はなんらかの強制労働に服させることになるだろう。ただあまりにも劣悪な環境で労働させることはしないよう、関係各所に指示を出しておかなければならないだろう、とクロノワは考えていた。


(これでテムサニス遠征の半分はすでに成りましたね………)


 テムサニスは十五万の軍勢を丸々失い、そのうえ国王ジルモンド・テムサニスを人質に取られているのである。この先、交渉で主権を譲渡させるのか、あるいは改めて軍を派遣するのか分らないが、そう高い壁はもう残っていないと見ていいだろう。


(計画が狂ってしまいましたねぇ………)


 クロノワは苦笑する。確かに計画は練り直さなければならないだろうが、それは「どこまで省略できるか」ということで、厄介な問題に頭を悩ませるわけではない。計画が狂ったとはいえ、事態は良い方向に転がったのであって、それは喜ぶべきことだろう。


 そう、予定は狂った。クロノワにとっては良いほうに。しかしこの狂いが悪いほうに転がっていった者もいるのである。


 アルジャーク帝国皇后、その人である。





第六話は一応次で終わりです。

お楽しみに。

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