第五話 傾国の一撃⑦
「解せないという顔じゃな、アズリアよ」
からかうようなウォーゲンの声で、アズリアは我に返り顔を上げた。その視線の先には面白そうに微笑んでいるウォーゲンがいた。
「仕事も一段落着いた。なんぞ聞きたいことがあるなら言ってみるがよい」
ウォーゲンの声は穏やかだった。部下があれこれとでしゃばったり疑問をさしはさんだりすることを嫌う者もいるが、彼はそういうタイプの上官ではない。むしろ話せる範囲内のことは全て話し、部下たちに明確な目的意識を持たせるのがウォーゲン流だった。それはアズリアも良く知っている。
「ではお聞きしたいのですが………、マルト王子を交渉の相手役に指名することには、どんな意味があるのでしょうか?」
アズリアがそういうとウォーゲンは、ふむ、と呟いて顎の無精ひげを撫でた。
「まず、ポルトールという国の権力構図がどうなっているか、分るか?」
「たしか、貴族たちが二つの派閥に分かれてしのぎを削りあっているとか」
アポストル公を中心とする文官貴族の派閥と、ラディアント公を中心とする軍閥貴族の派閥が対立していることは他国の、しかも大して政治に興味のないアズリアでも知っている。それほどに有名な話だ。
「そうじゃ。そしてアポストル公はシミオン王子を、ラディアント公はラザール王子をそれぞれ担いでおる」
もっともシミオン王子は既に戦死しているので、アポストル公が今現在担ぎ上げているのは、シミオン王子の嫡子であるマルト王子だ。
「今回、摂政に就任し交渉を申し込んできたのはラザール王子じゃ。つまりラディアント公の派閥が現在優勢、ということじゃろう」
「そこまでは分ります。ですがそこでなぜ…………」
なぜ、マルト王子の名前が出てくるのか。
「ラザール王子の名前で交渉を申し込んできたからと言って、実際にかの人がその席に着くことはないじゃろう」
実際に交渉を取り仕切るのはラディアント公であるはずだ。つまりラザール王子の名前を使ったのは、王族という血筋を使って対外的な体面を保つためと、どちらの派閥に主導権があるのかをはっきりさせるためである。
「ラディアント公の思惑としては、交渉をまとめた功績を盾にラザール王子を王座に付ける、といったところじゃな」
「それでなおのことこちらからマルト王子を指名したとしても、相手にされないのではないのでしょうか?」
それに相手に言われて交渉役を変えていては国家の面子に関わるだろう。「ポルトールの交渉役はカンタルクが決めるのか」と、まともな政治感覚を持っているものならば必ず反対する。
「さよう。普通ならば突っぱねられる」
ウォーゲンもそれを認めた。
「ではなぜ………?」
困惑顔のアズリアを見てウォーゲンはニヤリと笑った。
「さて、ここで問題になるのはアポストル公じゃ」
これまでの派閥抗争で優位に立っていたのは、シミオン王子の義理の兄であるアポストル公だ。それが、シミオン王子が戦死したことで事態が急転する。あれよあれよ言う間にラザール王子が交渉の顔役になり、事態の主導権をラディアント公の派閥に持っていかれてしまった。
国王の義理の兄として絶大な権力を手にするまで後一歩というところだったのに、最後の最後で大逆転負け。面白いはずがない。
「そんなときにマルト王子を交渉役に指名されたら、アポストル公はどう思うかのう?」
「どうって………、分りません」
「『カンタルクがマルト王子を次期国王として認めた』。そう主張することができると、こう考えるのではないかな」
「あ…………!」
実際にカンタルクが国家としてマルト王子を次期国王として認めているのか、それ自体は実はどうでもいい。アポストル公にとって重要なのはそう解釈できる、ということなのだ。そうすればマルト王子を担ぐ派閥として、事態に関与する余地ができる。
その先の思惑は、固有名詞を入れ替えればラディアント公とほぼ同じであろう。すなわち、
「交渉をまとめた功績を盾にマルト王子を王座に付ける」
ということだ。
「ですが、それをラディアント公が認めるでしょうか………?」
「認めるわけがないじゃろうな」
さも当然、といったふうにウォーゲンは答えた。こちらを試すような、それでいてからかうかのような彼の声音に、アズリアは困惑を深める。
「結局のところ、なにが目的なのですか?」
「結局のところ、内戦を起こさせるのが目的じゃ」
ウォーゲンは悪戯を成功させたような、そんな楽しげな調子でそう言った。だが言われた内容は衝撃的だった。ウォーゲンは続ける。
「交渉をまとめた派閥、そこが次の王を決める。それを分っておるから、双方とも決して引くまい」
そうなれば自然と対立は深刻化し激化していく。カンタルク軍の側からそれを煽ってやれればさらに良い。その果てにあるのは武力衝突、すなわち内戦だ。
「内戦が起これば、後はこちらのものじゃ」
互いに潰しあうのを傍観し、残ったほうを叩いて漁夫の利を得るもよし。どちらか一方に肩入れして、新政権に対して影響力を持てるようにしてもよし。内戦を戦っている隙に国境際の土地を切り取ってもよし。無数の選択肢があると言えるだろう。
「ですが、そう思惑通りにいくでしょうか?」
こちらの思惑通りにポルトールが踊ってくれる保証などどこにもない。アポストル公にしろラディアント公にしろ、政に関わっている以上この状況下で内戦を起こすことがどれだけ愚かしいことか、重々承知しているはずだ。
「さそいに乗ってこないならばそれでもよい」
こちらは一言伝えただけで、失うものなど何もない。突っぱねられても普通の交渉を行うだけだ。
「ブレントーダ砦を落とした以上、国境際の五~十州を割譲させるのはそれほど難しくあるまい」
もともとゲゼル・シャフト・カンタルクの虚栄心から始まった遠征だ。勝ったという体裁さえ整えば陛下も満足するだろう、とウォーゲンは考えていた。
さらに言えば交渉自体は決裂してもいい。そうなれば改めて軍を進め、自らの手で土地を切り取ればよいのだから。
「深いお考えあってのことだったのですね………!」
アズリアに尊敬の眼差しで見られ、ウォーゲンは年甲斐もなく恥ずかしそうにするのであった。
**********
「ふむ………」
ポルトールへの遠征に向かっているウォーゲン・グリフォード大将軍から届いた、途中経過の報告書を読んだゲゼル・シャフト・カンタルクは不満そうな声を漏らした。
「大将軍はどういうつもりなのだ?」
報告書には、ブレントーダ砦を落としシミオン王子を討ち取ったこと、その遺体は既に砦の明け渡しを条件に返還したこと、さらにポルトールとの和平交渉に入るつもりだ、ということが書かれていた。
シミオン王子の遺体の返還など、どうでもよい。遺体や首をさらして敵の戦意を挫くという手もあったが、ゲゼル・シャフトは死体には興味がない。だが和平交渉は別だ。砦を落としたということは、今カンタルク軍の目の前に広がっているのは、阻むもののないポルトールの土地だ。なぜ切り取ろうとしないのか。
「こうも早期に交渉を始めるなど、ウォーゲンはなにを考えている?」
ゲゼル・シャフトの視線が報告を持ってきたウォーゲンの副官である、モイジュ・フォン・ハルゲンドに止まった。そのミドルネームが示すとおり貴族の家柄で、そのせいかウォーゲンなどからは「硬い思考をする」と言われている。ただ一般的な話をすれば、彼の物の考え方は貴族としてはごくごく普通だし、まともであるとも言える。ウォーゲンの影響を受けているウィクリフなどのほうが、貴族の中にあっては異端的であると言えるだろう。
モイジュは、「アポストル公とラディアント公の派閥対立を煽り、激化かつ深刻化させることで内乱を誘発する」というウォーゲンの策略を手短に説明した。
「わざわざラザール王子に摂政という肩書きを与えたことを考えますと、ポルトールの次期王位継承者は未だ正式には決まっていないものと思われます」
モイジュの説明を聞いても、ゲゼル・シャフトは不満そうだった。
「大将軍も迂遠なことをする。もっと直接的に侵攻を図ればよいものを」
「この交渉において、カンタルクが損をすることはありえません。陛下が望まれるだけの成果が得られなければ、大将軍はすぐにでも兵を動かされるでしょう」
ゲゼル・シャフトはまだ不満そうである。そこでモイジュはこの策略におけるウォーゲンの最大の狙いについて語った。
「大将軍がおっしゃるところによると『うまくいけばポルトールを属国化することができる』と………」
「なに?ポルトールを属国にとな」
「はっ」
ゲゼル・シャフトの声の調子が変わった。
仮にポルトールを完全に併合してしまえば、その国土や臣民について最終的に責任を被るのは国王たるゲゼル・シャフト・カンタルクである。
しかし併合せずに属国としてしまえばどうか。その国土や臣民について責任を持つべきはポルトールの王であり、カンタルクの国王であるゲゼル・シャフトは完全に無責任でいられる。
つまり責任を取ることなく、ポルトールからその富を存分に搾り取ることができるのだ。考えようによっては完全に併合してしまうよりも征服者側にとって都合がよく、また悪質であるとさえ言えるだろう。
「そうできれば確かに最上の結果よな」
ゲゼル・シャフトの声が弾みだした。
因縁の敵国を併合するのではなく属国とする。ポルトールの民は我が奴隷となり、ポルトールの王がこの自分の前に膝をつくのだ。そうなればどちらの国が格上であるか、一目瞭然ではないか。そしてこのゲゼル・シャフト・カンタルクは、国史上初めてポルトールという国を完全に屈服させるのだ。彼らには誇りある滅びすら与えない。
(言わなければ良かったか………?)
ゲゼル・シャフトが己の虚栄心を際限なく肥大化させていく様子を見ながら、モイジュは己の判断の正否を決めかねていた。
ゲゼル・シャフトの様子を見る限りウォーゲンの方針に許可が下りるのはまず間違いない。そういう意味では彼の判断は正しかったといえる。しかし「属国化うんぬん」は最大限うまくいった場合であって、そうならない可能性も十分にある。そうなった場合、ゲゼル・シャフトの期待に沿えなかった仕官や兵士たちが、断罪されるようなことにはなるまいか。そうなってしまえば彼の判断は間違っていたことになる。
「大将軍には、このままやるように伝えよ」
興奮が窺える声で、ゲゼル・シャフトはそう勅命を下した。モイジュは短く返答すると、深く頭をたれた。
(こうなってしまっては、もはや私の手には負えぬ………)
無責任かもしれないが、後はウォーゲン・グリフォード大将軍の手腕に期待するだけだ。
「ああ、それと………」
苦い思考にはまりかけていたモイジュを、ゲゼル・シャフトの声が現実に引き戻した。その声は先程よりも幾分冷静になっている。
「大将軍の隷下にある軍のうち、歩兵五万を新兵と入れ替える」
「それは…………!!」
言われた内容にモイジュは呆然とした。今回ウォーゲンが率いているのはカンタルク軍の中でも精鋭と呼ばれる兵士ばかりだ。それを新兵と入れ替えるという。訓練を始めて間もない新兵が、精鋭と同じ働きができるわけもないから、兵の数は同じでも実質的には戦力ダウンである。最前線の戦力を増やすどころか減らすとは、一体ゲゼル・シャフトはなにを考えているのか。
「交渉ごとがメインであれば、大将軍も暇であろう。新兵の鍛錬などして時間を潰すがよかろう」
「………承りました。そのようにお伝えいたします」
まさか一副官の身分で国王に意見するわけにもいかない。モイジュは静かに頭をたれた。しかし彼の胸のうちには微かな安心が芽生えていた。
派遣した軍が独立し牙を向くという事態は、為政者にとっては常に想定すべき悪夢である。ウォーゲンの当面の活動は交渉ごとであり、軍を直接動かすことは少ない。であるならば万が一ということも、とゲゼル・シャフトは考えたのだろう。大将軍に限ってそのようなことはありえないとカンタルクの軍人ならば誰もが知っているが、あえてやって見せることで将来同じような事態が起きたときに、前例をもってけん制することも思惑のうちなのだろう。このような判断ができる辺り、ただ虚栄心が強いだけの愚王ではない。
(思ったよりも冷静でおられるようだ………)
このような冷静な判断が下せるということは、仮にポルトールを属国化できなかったとしても、そのことが理由で断罪を受けることはないだろう。モイジュはそう考えるのであった。
腹黒い思惑が好きです。
だから今回は書いていて結構楽しかったですwww