第四話 工房と職人⑫
素体にあわせて最適化された魔法陣や術式を「魔導回路」とよぶ。剣を魔剣にするためには、そこに魔導回路を刻み込まなければならない。これはこの世界の一般常識であり、魔道具製作についてなにも知らない子どもたちでさえ知っている。
刻み込む作業は「刻印」と呼ばれるのだが、ではどのように「刻印する」のかといえば、細工用のナイフを用いてチマチマと、というわけではない。というより術式は複雑すぎて手作業では刻み込めない、といったほうが正しい。
魔法陣は素体に対し、直接刻み込むのだ。
魔法陣の基本は円である。その形が魔力を巡らせるのに最も適しているからだ。その円の外側にもう一つ同心円を描く。そしてその帯の部分に「刻印するための魔法陣」を描く。次にその二つの魔法陣の中心に刻印を施す素体を置く。剣であれば中心に突き立てるのが一般的だ。大きな素体の場合、三重の同心円を用意し、一番内側の円の中に素体を置くのが良いとされている。
準備が整ったら、一番外側に描かれている「刻印するための魔法陣」を発動させると、後は自動的に魔導回路が刻印されていく。ちなみに「刻印するための魔法陣」というのは広く知られており、専門書を紐解けばすぐにその知識を得ることが可能だ。
「とまあ、これが一番基本的な刻印式工法だな」
とは言え、刻印する魔導回路が一つだけということはほとんどない。
例えば「炎を自在に操る」ためには、炎を「発生させる」回路と「操作する」回路の二つが必要になる。だが通常一つの魔道具に二つ以上の魔導回路を刻印することはしない。魔導回路が二つ以上あると、魔力を流したときにそれぞれが干渉しあい、最悪の場合暴走に至るからだ。
「そこで必要になるのが………」
「合成、ですね」
ニーナが答えると、イストは、その通り、と言って説明を続ける。
合成とは、呼んで字の如く「二つ以上の魔法陣を一つに合成すること」だ。ただし回路を一つに合成するのは理論段階ではなく、実際に回路を刻印する段階で、である。
例えば三つの魔法陣を合成するとする。その場合、まず三つの魔法陣を個々に用意する。次に三つの魔法陣を大きな円の中に収める。最後に円の内側の空白部分に刻印するための魔法陣を書き込めば準備は完了。円の中心に素体を置き、刻印用の魔方陣を発動させればよい。
準備は簡単だが実際の刻印作業は、魔法陣が一つのときと比べて格段に難しい。職人たちが言うとことの「バランスを取りながら」行う必要があるのだが、これがなかなか感覚的な作業で、例えばイストは「水が澱まないように流す感じ」というし、その師であるオーヴァ・ベルセリウスは「天秤をつりあわせる感じ」と言っている。そのためこの技術のコツを他人に教えるのはとても難しい。
そういわれたニーナは腕を組んで、むむ、と唸った。
「なにかセオリーみたいのってないんですか」
「そうだな、一般に魔法陣を小さくすると刻印しやすくなると言われている」
それゆえに魔道具職人たちは、図面と睨めっこしながら少しでも無駄を削ることに心血を注ぐ。
「イストと同じですね……」
工房の二階に設けられた部屋に行けば、彼はいつも机に向かってペンを走らせているか、部屋に散乱した資料を読み漁っているかのどちらかであった。そうやって少しでも魔法陣を簡略化し、工房に下りてきては「光彩の杖」を使って試し、またさらに簡略化するという作業を繰り返していたのだ。ただいつも「無煙」を吹かしていたせいか、なぜか緊張しきらないのが常であった。
「ま、術式も固まってきたし、そろそろ刻印するかな」
イストとしては何気なく呟いたセリフであろうが、ニーナは勢い良く反応した。読んでいた資料(とはいっても内容は理解できていないし、そもそもイストの講義を聴いていたため字面を眺めていただけであるが)から物凄い勢いで視線をイストに移す。
「見学していいですか!?」
「ん?別にいいよ」
熱意溢れるニーナに、イストは「無煙」を吹かして資料を眺め、気のない返事をする。ニーナは手を叩いて喜んだ。そんな彼女の様子を、イストは面白そうに眺めていた。
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工房におりて準備をしていると、なぜかガノスもその様子を見ていた。どうやらイストが刻印を施すと察したらしく、こちらもまた見学を申し出てきたのであった。
イストが鞘から刀を抜くと、その刀身にはつい先日まではなかった古代文字が刻み込まれていた。
「闇より深き深遠の……?」
刻まれた古代文字はそう読むことができる。どういう意味なのかとニーナが頭を捻っていると、イストがさっさとネタばらしをした。
「ただの飾りだよ」
見た目も大切ってことさ、とイストは笑った。
ニーナは知らないがことだが、この呪文は初代アバサ・ロットであるロロイヤ・ロットが残したものだ。他の三つの呪文も含め、あるいは深い意味があるのかもしれないが、それは今日までは伝わっていない。
イストや彼の師であるオーヴァは、ロロイヤへの敬意も合わせ魔道具の装飾にこれらの呪文を用いることがよくあった。
さて、とイストは呟き集中を高めていく。右手には抜き身の刀を、左手には「光彩の杖」を持っている。集中が高まるにつれて彼の目からはあらゆる感情が剥がれ落ちていき、感情のない乾燥した、しかし何事にも動じない精神状態へと移行していく。
(刻印にもあの杖を使うのか………)
予想していたこととはいえ、ガノスは唸った。
通常刻印する魔法陣は地面に描くか、あるいはすでに描かれている紙か石版を使う。イストの仕事ぶりを脇から見て、彼が優秀な魔道具職人であることは十分に分っている。だから彼が刻印に「光彩の杖」を使うのも何か意味があるからなのだろうが、生憎とガノスには閃くものがない。
(さて、お手並み拝見………)
好奇心がうずく。こんな感覚は久しぶりだ。
イストは刀の切っ先を工房の石畳につけ固定した。そして「光彩の杖」に魔力を込め、刻み付ける術式をイメージする。
刀の刃を囲むようにして現れた魔法陣は三つ。
一つ目は「強化」。刀身の強度を上げ、折れたり曲がったり、さらには刃毀れしたりするのを防ぐ術式だ。
二つ目は「切断」。これは刃物の切れ味を鋭くするための術式だ。ちなみに槍などに施す術式で「貫通」というものがあるが、これは字面が違うだけで中身は「切断」とほぼ同じだ。
そして三つ目が「干渉」。これは言葉で説明するのが難しい。相手の魔力に「干渉」しさまざまに邪魔をしたりするというものなのだが、如何せんイメージが漠然としすぎており、製作者のイストでさえこの刀は持ち手を選ぶだろうと思っている。しかしその一方で然るべき使い手にめぐり会えば、歴史に名を残す名刀になるだろうとも思っていた。
三つの魔法陣の外側にさらにもう一つ円が描き出され、その内側の空白部分に刻印のための術式が描かれていく。
刻印のための最終準備が整った。ここから先が本当の意味での勝負。失敗は許されない。仮に失敗したとすれば、一度溶かして成型しなおすほか刻印した術式をキャンセルする方法はない。そうなれば全てが水の泡だ。
イストの集中がさらに高まる。凄まじい集中力は時間の感覚を歪ませる。今の彼は一秒でさえ一日の如くに感じ、また逆に一日さえ一秒の如くに感じるだろう。
イストは「光彩の杖」を操作し、描いた術式をゆっくりと刀身に沿わせて動かしながら刻印を施していく。
(そんな方法があったのか………!!)
目の前の光景に、ガノスは殴られたような衝撃を受けた。術式を動かしながら刻印を施す理由は分らない。そもそも「刻印作業は術式も素体も動かさずにおこなうもの」という既成概念があり、ガノスも含めて一般の職人はこのような技法は思いつかないだろう。
魔法陣は切っ先の少し手前で止まり、そして消えた。イストは、ふぅ、と一息つき脱力した。作業時間はおよそ三十秒。しかしたったそれだけの時間だったにも関わらず、極度の緊張を強いられていたイストの顔には大粒の汗が幾つも浮かんでおり、また彼自身息が荒い。それでも大仕事を終えた彼の表情は晴々としていた。
「刻印用の魔法陣を動かしていたが、その理由を聞いても良いか」
最後の保護処置をしているイストにガノスが疑問をぶつけた。
「素体と魔法陣の両方を固定したまま刻印を施すと、魔導回路は均一に刻まれず粗密ができてしまう」
そうなると魔力の流れに少なからずムラができるのだ、とイストは言う。そこで魔法陣を動かしながら刻印することで、魔導回路の粗密を均一にするのだという。ただ素体のほうを動かそうとすると手ぶれで狂ってしまうので、「光彩の杖」で制御が可能な魔法陣のほうを動かしているそうだ。
「でもまあ、両方固定してやったほうが簡単なのも事実だ。最後の最後に失敗してたんじゃ、目も当てられない」
保護処置の終わった刀、いや魔刀とでも言うべきか、ともかく今まさに完成した魔道具をイストは鞘に収めた。
「その魔道具、名前は決まっているんですか?」
ニーナが尋ねると、イストは頭を振った。
「まだ決めてない。ま、そのうちな」
後にこの魔道具はとある剣士の手に渡り、その剣士が名前をつけることになるのだが、それはまた別のお話である。