第四話 工房と職人⑪
さすがにパオの中で立ち会うわけにもいかず、シーヴァたちは外に出た。
「本当に仕合をなさるおつもりですか」
ヴェートが心配そうに近づいてくる。アルテンシア半島の人間にとって、ゼゼトの民への恐怖や不信感はそう簡単に拭えるものではないのだろう。
(それは向こうも同じだろうが)
シーヴァは横目に少し離れたところにいる三人のゼゼトの民を見た。まさしく先ほどウルリックが言ったとおり、双方同じこと、だ。
「仕合にかこつけて閣下を殺害するつもりでは………」
それはシーヴァも考えている。だが、彼のうちにはウルリックに対する奇妙な信頼感が既に芽生え始めていた。この男ならそのようなことはするまい、ということではない。彼ならば命を狙うにしても堂々とやるであろうということだ。
「ウルリックが立ち合いの中で何を見たいのかは分らん。が、やれという以上やるしかあるまい」
胸のうちのその“信頼”をシーヴァはヴェートには言わなかった。確証があるわけではないし、こういうものは自分が確信していればよい。
「ですが………」
未だに心配そうな副将の肩に、シーヴァは手を置いた。
「ヴェートよ。そなたの上官はこのようなところで死ぬ男か?」
なんら理論的な説得ではなかったが、彼女を安心させるにはそれで十分であった。
「いえ。閣下はこのようなところで倒れるお方ではありません」
シーヴァとヴェートが話しているのを横目に、メーヴェは父親に詰め寄っていた。
「親父殿!これはどういうことだ!?あたしたちはなにも聞いていないぞ!」
怒髪天を突く(風に髪があおられているのでそうみえる)勢いで彼女はウルリックに詰問する。
「言っとらんのだから知らなくて当然じゃ」
ウルリックは飄々と娘を受け流した。そのまま突然立ち会えと言われたガビアルに視線を移す。
「エムゾーの族長殿…………」
彼の様子には少しばかりの戸惑いが見られる。ただし戦うことに関してではない。ゼゼトの民で、しかも戦士である以上そこに戸惑うとこなどありえない。ガビアルはただ自分にどんな役回りが求められているのか、図りかねているのだ。
「ガビアル………」
ゼゼトの民の中でも屈指の戦士の名を呼び、横目でシーヴァを窺う。
「殺してええぞ」
それを聞き、メーヴェは目を見開いた。そしてガビアルは壮絶な笑みを浮かべるのであった。
雪原でシーヴァとガビアルはそれぞれ剣を手にして向かい合った。シーヴァが手にしているのは愛剣たる魔剣「災いの一枝」だ。漆黒の大剣で、片刃の刃には黄金に輝く古代文字が印字されている。
「天より高き極光の」
この場に古代文字が読める者がいれば、印字された文字をこのように読んだであろう。
一方ガビアルの剣も、片刃の大剣であった。いや鉈を大剣のサイズまで大きくしたもの、といったほうが正しいかもしれない。刃は分厚く、切っ先は垂直になっている。
「最初に言っておくが、俺は全力でやる。そのつもりでいろ」
ガビアルが不敵な笑みを浮かべながら、シーヴァにそう宣告する。それを見てシーヴァはガビアルが自分を殺すつもりでいることを察した。とはいえそのことに危機感は感じない。ヴェートがそうであったように、シーヴァ自身も己の力と力量を信じている。
何も言わずシーヴァは「災いの一枝」を構えた。ガビアルもそれに倣う。
睨みあいは数瞬。
先に動いたのはガビアルだった。雄たけびを上げながらシーヴァに迫り、分厚い大剣を振りかぶり真正面から振り下ろす。切り裂くためというよりは押しつぶすためのその一撃を「災いの一枝」で受けとめた瞬間、シーヴァは凄まじい圧力を全身に感じた。彼は柔らかく膝を使いその圧力を上手く逃がしながら、ガビアルの一撃を捌く。
上からの力と下からの力が拮抗する。ギチギチと刃がこすれる音が雪原に響く。
この拮抗に先に焦れてきたのはガビアルのほうであった。自慢の怪力で押し切れないことに苛立っているのか、顔がゆがんでいく。一方シーヴァはどこまでも無表情で、そのくせ眼だけはどこまでも鋭い。それがさらにガビアルを苛立たせる。
ガビアルの集中が、一瞬途切れる。その瞬間、シーヴァは膨大な魔力を愛剣に喰わせ、その威を解き放った。
「黒き風よ……!」
黒い魔力の奔流が「災いの一枝」から放たれる。解き放たれた黒き風はその威を十分に発揮し、ガビアルの巨体を五、六メートル向こうに吹き飛ばした。
「これでよいのかな?」
シーヴァはウルリックに問いかける。ウルリックはなにも言わない。代わりに吼えるようにして声を上げたのはガビアルであった。
「ふざけるな!!」
全身に雪をつけながら、巨躯の戦士は吼える。その眼は怒りで血走っている。
「そんな卑怯な勝ち方、俺は認めぬぞ!」
「卑怯?」
面白がるようにシーヴァは笑った。彼が何をさして“卑怯”と叫んでいるのか、彼は当然承知していたがあえて問いかける。
「なにが卑怯なのだ?」
「その剣だ!」
雪を振り払いながらゼゼトの青年が立ち上がる。自分はその魔剣に負けたのであってお前に負けたわけではない。その魔剣が強いのであってお前が強いのではない。そんなことをガビアルは叫んだ。
「ふむ。ではこの『災いの一枝』、お前が使ってみるか?」
そういってシーヴァは「災いの一枝」を彼の方に放った。その行動に三人のゼゼトの民は一様に驚いたが、最も驚いたのはガビアルだろう。自分の前に突き刺さった漆黒の魔剣を恐る恐る引き抜いた。
「・・・・・いい、のか?」
彼の声には先ほどまでの勢いがない。明らかに戸惑っていた。シーヴァは、かまわん、と言って、自身はヴェートから剣を借りた。こちらは魔剣ではなくただの剣だ。
剣を構えるシーヴァを見て、ガビアルはひとまず考えることを止めた。シーヴァがなぜこの魔剣を自分に使わせるのか、その腹のうちは分らない。
(だが殺してしまえば同じだ………)
そのための最高の道具は、今ガビアルの手の内にある。その魔道具「災いの一枝」に彼が魔力を込めたその瞬間……。
「!?」
突然視界が回った。貧血を起こしたかのように四肢に力が入らず、ガビアルは思わず膝をついた。
(終わったな………)
膝をついて青い顔をしているガビアルをみて、ヴェートはそう断じた。シーヴァのあの魔剣「災いの一枝」は確かに強力な魔道具である。だがその力を発動するには膨大な魔力を喰わせる必要があるのだ。しかも一度魔力を込めると、あとは半強制的に魔力を吸い上げるという厄介な性質(ともすれば致命的な欠点)を持っている。そのため魔力量の少ないものや、量はあっても訓練を受けていないものが使おうとすると、全身の魔力を根こそぎ喰い尽くされ今のガビアルと同じ状態、いやともすれば死に至る危険さえある。あの魔剣「災いの一枝」を自在に操れる人間を、ヴェートは自身の上官以外知らない。
冷や汗を流して荒く息をして動けないでいるガビアルに、シーヴァは剣を持ったまま近づいていく。
「お前は先ほどこう言ったな」
自分はその魔剣に負けたのであってお前に負けたわけではない。その魔剣が強いのであってお前が強いのではない、と。
「ではその魔剣すら使えないでいるお前は何だ?」
シーヴァの言葉に嘲笑が混じる。それを聞いたガビアルは血走った眼を彼に向けた。死よりも嘲笑と侮辱を、彼の誇りは許さない。
歯を食いしばり、立ち上がる。漆黒の大剣を両手で構え、そしてガビアルは吼えた。
「オ、オオ、オオオオオオオオオ!!」
ありったけの魔力をガビアルは「災いの一枝」に喰わせた。彼の魔力を喰い尽くし魔剣はその威をシーヴァに向かって発動する。放たれた黒き風はしかしまともに狙いをつけられてはおらず、そのほとんどはただ雪原をえぐり雪を巻き上げるだけで、シーヴァには届かなかった。
舞い上がった雪が風に吹かれてどこかへ行き、シーヴァの姿が現れる。
「見事」
短くゼゼトの青年を賞賛する彼の頬には、赤い線が一筋走っている。発動させることさえ難しい「災いの一枝」を使ってガビアルが放った黒き風は、確かにシーヴァに届いたのだ。
だがそれをガビアルが見ることはなかった。ありったけの魔力を「災いの一枝」に喰わせた彼は、力尽きて今は雪原に倒れてしまっていた。死んだわけではない。気絶しているだけだ。
「さて、ウルリック殿。こういう結果になったが?」
立っているシーヴァと、倒れてしまい少しも動かないガビアル。勝敗は明らかだった。それを見てエムゾー族の族長は満足そうに頷いた。
「シーヴァ・オズワルドよ、そなたを信用にたる誇り高き戦士と認めよう」