第四話 工房と職人⑨
魔道具素材の良し悪しを定めるパラメータとして「魔力導伝率」というのもがある。これは素材がどれだけ魔力を通しやすいかを表すパラメータで、水の導伝率を1として、これを基準としている。もっとも一般的な鉄の導伝率が0.98であるため、職人たちはこちらを目安にすることが多い。
さて、導伝率が1の金属板があったとしよう。ここでいう「導伝率が1」とは「金属板全体の導伝率の平均値は1」ということである。つまり金属板をいくつかに区切って見てみれば、導伝率にはばらつきがあるのだ。「星屑の砂」を使った際に見える魔力のムラや澱みは、この導伝率のばらつきが原因である。
このばらつきを最大限整えるのが、魔道製作における基礎中の基礎、「下準備」と呼ばれる作業である。
下準備を行えば素材の導伝率を上げることができる(ただしどれだけ上がるかは職人の腕によるところが大きい)。また下準備をしたかしないかで、術式がスムーズに発動できるなど、魔道具の性能そのものにも影響してくる。
ゆえに魔道具職人はまず、この下準備の作業を徹底的に叩き込まれるのだ。
下準備は極めて地味な作業である。
素材に「星屑の砂」を水に溶かして塗り、魔力を込めてその流れを可視化する。そして流れのむらや澱みに、指から直接魔力を流し込んで矯正していくのだ。
言葉で書いてしまえば簡単だがこの作業、実はとてつもなく時間がかかる。トレイズが過去におこなった下準備で最も時間がかかった時には、なんと一週間もかかった。そしてこれこそが、魔道具が大量生産できない最大の理由であった。
今、トレイズの目の前でイストがその作業をおこなっている。その雰囲気にトレイズは呑まれていた。
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イストは左手に刀を持ち、魔力を流し込んでいく。青く光る刀身、そこに浮かぶ澱みの一つに右手を沿え、人差し指からゆっくりと魔力を流し込んでいく。人差し指を沿えた部分だけ青い光が強くなる。
スッとイストの右手が刀身に沿って動いた。その時にはもう澱みはなくなっている。
(たった一回で・・・・・!)
トレイズの場合、どんなに集中しても一つの澱みを矯正するのに、同じ作業を四・五回は繰り返さなければならない。実に分りやすく技量の差を見せ付けられ、彼は愕然とした。
冬の、息を吐けば白くなるような気候ながら、イストは今大量の汗をかいている。激しい運動をしているからではない。彼の凄まじい集中力が全身に熱を生じさせ、汗が吹き出しているのだ。
頬をつたい顎から落ちていく汗にイストは気づかない。いや、そもそもこうしてトレイズたちが脇で見ていることや時間の経過でさえも、今の彼にとっては意識の外のことなのだろう。
一心不乱に右手を刀身に沿えて魔力を流し込み、澱みやムラを一つ一つ丁寧にならしていく。
一つ一つの所作は、イストが熟練の職人であることを証明している。その妥協を許さない姿勢は、彼の職人としての意識の高さとプライドを物語っている。
自分が今までどれだけぬるい態度でこの世界にいたのか思い知らされ、トレイズは爪が手のひらに食い込むほどほど強く拳を握り締めた。
「凄まじいな」
「ガノス」
気が付けば工房主であるガノスが近くに来ていた。
「『決して妥協するな』。かつて父にそう言われたことがある」
ガノスの言葉にカイゼルは頷いた。彼らの師は、確かに口癖のようにそういっていた。その言葉の意味を理解していたつもりではあったのだが。
「彼の仕事を見ていると、その意味が良く分る」
それっきり、誰も喋らなくなった。その場にいる全員が、場の雰囲気にのまれ食い入るようにしてイストの仕事を見つめていた。
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結局、四時間立ちっ放しだった。
お昼の時間はとうに過ぎているが、空腹を訴えるものは誰もいない。その場の緊張感が空腹を忘れさせていた。
「すごい………」
ニーナがポツリともらしたその呟きに、トレイズは無言でしかし激しく同意した。未熟ではあるが魔道具職人である以上、その思いはニーナよりも強くあるいは嫉妬にさえ似ているかもしれない。
彼らの目の前には青く輝く刀がある。その輝きにはもはや一点のムラも澱みもなく、全体が均一に光っている。まさに「完璧」な下準備だ。
「焼き付けをするから、目をつぶっていろ」
作業を開始してから初めてイストが口を開いた。
彼の言う「焼き付け」とは、下準備を終えたその状態を保存しておくための作業だ。これをしておくことで、この先再びムラや澱みが現れるのを防ぐのだ。コツは大量の魔力をできるだけ一瞬のうちに流し込むこと。
目を閉じて待っていると、青白い閃光が一瞬だけ輝いたのが目蓋の上からでも分った。魔道具製作の経験のある者は、その光の強さからイストがかなり大量の魔力を流しこんだことを察した。
ふう、とイストは白い息を吐いた。そして裸の刀を再び布に包んでいく。それを見て、周りで見物していた面々もそれぞれに息をつき、緊張から脱したのであった。
「腹が減ったよ」
鳴いた腹の虫は、さて誰のものであったか。
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腹が減ったよとイストに言われたニーナは、すでにお昼の時間を随分と過ぎていることにようやく気がついた。慌てて家に戻り、急いで遅い昼食の支度をする。
焼いたベーコンをパンに挟み、後は具沢山のスープでも作ればいいだろう。テキパキと食事の支度をしながらも彼女が考えているのは、先ほどまで見ていたイストの仕事の様子だった。
(あの目。お祖父ちゃんの目に良く似ていた…………)
一点のムラもなく青く輝く刀身は確かに綺麗だったが、それ以上に彼女が惹きつけられたのはイストの目であった。作業に一心不乱に没頭する彼の目は、幼い頃に見た工房で仕事をしている時の祖父の目に驚くほど良く似ていた。憧れた魔道具職人の姿が、そこにはあったのだ。
「弟子に、してくれないかなぁ………」
無意識とはいえ自分が呟いたその言葉に、ニーナは驚いた。だが口に出してしまったその願望はすぐに彼女の胸の内に根を下ろし、瞬く間に大樹へと成長してしまった。そしてその大樹はいつの頃からか積み上げてきた堤防を少しずつ侵食し、塞き止めていたはずの夢を溢れさせようとする。
(ダメ…………!)
イストの弟子になるなど、出来るはずもない。彼は流れの職人だ。ここに腰を落ち着けることなどしないだろう。彼から教えを受けようとすれば、一緒に旅をして回ることになる。そうなればこの家は、父は、工房はどうなるのか。
無視しようとするにはあまりに大きくかといって叶えられそうもないその夢を、ニーナは必死に心の奥底に押し込めようとした。
トレイズは今「エバン・リゲルト」の近くにある馴染みの食堂で、遅い昼食としてサンドイッチをパクついている。師匠であるカイゼルがガノスとなにやら話しこんでいたため、一言断ってから先に帰ってきたのだ。
(どうにも力が入りきらないな……)
こうして馴染みの店でよくたのむメニューを食べているというのに、どうにも現実感が薄く、まるで夢でも見ているかのようだった。この感覚を無理にでもたとえるならば、まるで・・・・・・、
(まるで酔っているようだ)
実際自分は酔っているのだろう。先ほど見たあの光景に。
「滅多に見られないものが見られる」
そういった師匠の言葉は正しかった。確かにあの光景は衝撃的で、トレイズが少なからず持っていた職人としての自負やプライドを木っ端微塵にしてくれた。
「ただの下準備なのにな………」
あるいは単純作業であればこそ、衝撃が強いのかもしれない。努力さえすれば同じところにたどり着けるのではないかと、そう思ってしまう。
「不可能じゃ、ないよな………」
なにしろあれはただの下準備で、誰もができる単純作業なのだ。時間さえかければ、同じ仕事をするのは決して不可能ではない。
必要なのは集中力と根気、そして妥協を許さない態度。これらは先天的な才能でなければ、後天的に身につける技術でもない。ならば誰にだって、できるはずだ。
体に力が戻ってくる。
こうしてトレイズは職人として明確な目標を一つ、見つけたのであった。
恐らく気を利かせたのだろう。先に戻りますと断りに来た弟子の背中を、カイゼルは見送った。
「彼はお前の弟子か」
隣にいたガノスがポツリともらした。
「ああ、まだまだ未熟だが、将来は有望だ。今日のこともいい刺激になっただろう」
確かにいい刺激になっただろう。ただしトレイズだけでなく、既に魔道具職人としてメシを食っているカイゼルとガノスにとっても、イストの仕事は刺激的で衝撃的だった。
「そうだな。腕のいい職人だろうとは思っていたが、いや想像以上だった」
ガノスは少しばかり興奮した様子だった。
ふと、会話が途切れた。
「お前、この先どうするつもりだ」
短いその言葉に、カイゼルはありったけの思いを詰め込んだ。
先の見えた工房にいつまで拘っている。その腕をいつまで錆付かせているつもりだ。娘のニーナのことはどうする。
「わかっている」
ガノスは短く答えた。カイゼルはなおも言い募ろうとしたが、彼の顔を見てやめた。いつの頃からか張り付いていた疲れや影が薄くなっている。
「なあ、カイゼル」
「なんだ」
「また、魔道具を創りたくなったよ」
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その日の晩、工房に小さな明かりが付いているのをニーナは見つけた。覗いてみるとイストがあの刀の刃をためつすがめつ眺めていた。刀には既に柄と鍔が取り付けられており、彼の足元には鞘もあった。
「なにをしてるんですか?」
「ん?ああ、ニーナか」
イストはニーナの姿を確認すると、すぐに視線を刀に戻した。
「なんつうか、『声』が聞こえないかと思ってね」
「声?」
「そう。陶器師にしろガラス職人にしろ、熟練の職人たちはみんな素材の『声』を聞く」
どうしてそんなにも素晴らしい作品を作れるのかと問われると、彼らは皆口を揃えてこう答える。曰く「自分はこういう形を作ろうとしているのではない。土が、ガラスがなりたいと言っているその形をなぞっているに過ぎない」と。
「もちろん生き物ですらない土やガラスが実際の声を上げるなんてことはありえない」
だがしかし、職人たちが五感を通して素材から受け取るその情報は、あたかも意志を伝える声であるかのように彼らには感じられるのだ。
「面白いと思わないか?」
イストはニーナを見上げて笑った。
「……イストも、その『声』が聞こえるんですか」
「その域に達するのはなかなか難しい」
そういってイストは苦笑する。
「ただ、こうやって素体を眺めていると、これだって術式を閃くことがある」
そういうときは結構満足できるものが出来る。そうイストは言った。それがきっと彼に聞こえる「声」なのだろう。
イストが刀を鞘に納め、さらに布を巻いていく。
「閃いたんですか?」
「ん。だいたい固まった」
そういってイストは立ち上がった。
「イスト………」
二階の部屋に戻ろうとする彼の背中に、ニーナは思わず声をかけてしまった。その直後にはしまったと後悔している。
「ん?」
「あ、いや………。おやすみ、なさい」
かろうじてそれだけを口にする。イストも、おやすみ、といって二階に上がっていく。その背中を見送ってから、ニーナは一人ため息をついた。弟子にしてくれ、なんてとてもいえなかった。
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