第四話 工房と職人③
シーヴァ・オズワルド、という人物がいる。
この人物が何を成したのか、ここでは書かない。読み進んでいただければ、いずれ筆を執る機会もあるだろう。
だが、この時代の歴史書を紐解くと、必ず彼の名前を目にする。ゆえに彼を舞台に登場させないことには、この物語も前に進まない。
彼を舞台に上げるにあたり、とりあえず彼の出身地であるアルテンシア半島について記述したいと思う。
アルテンシア半島はエルヴィヨン大陸の北西に突き出る形で位置している半島である。半島の先端の緯度はアルジャークよりも少し北に位置し、その付け根はオムージュやモントルムよりも南にあり、大陸の中央部にも近い。アルテンシア半島が巨大な半島であることは分かっていただけよう。
アルテンシア半島の歴史は悲惨である。
もっとも歴史書からさして独創的でもない言葉を引用するならば、
「歴史は流血のインクで記されている」
ということになる。だがそれでもアルテンシア半島における「インク」の量が他と比べて群を抜いていることは、多くの歴史家たちが認めている。
アルテンシア半島における「インク」の量が多くなるのは、多くの都市国家が乱立する頃からである。これらの都市国家はそれぞれが一州から多くとも五州程度の領地を支配し、それぞれ独自の文化を育んでいった。
支配単位が複数あれば、流血の交渉がもたれるのは、歴史としてはごく自然な流れである。
アルテンシア半島の版図は二三七州。この広大な版図の中で七十人強の領主たちが互いに鎬をけずり合ったのである。この頃の歴史を紐解けば、一日のうちに複数の戦場で流血がなされている事例を数多く見つけることができる。
どこかの村が消えてなくなった。どこそこの街が火の海になった。食料庫が襲撃を受けた。境界線があちらにこちらに書き変わった。これらのことはごくごく日常的なことであった。
アルテンシア半島の悲劇は続く。
この土地があるいは独立した島であれば、そのうち英雄が現れ統一を成し遂げたかもしれない。しかし残念なことにこの土地は大陸にくっついた半島であった。
半島の南や南東から、侵略者が押し寄せてきた。領地拡大と言う国家の欲望の前では、混乱をきたしている半島など格好の獲物でしかなかった。加えて、半島と言う地理的な立地は大陸とは異なる文化が育つ土壌となりうるが、アルテンシア半島の場合もそうであった。そして人は異文化に対し、時として想像を絶する蛮行をもってのぞむことがあり、それはこの半島において現実に行われた。
アルテンシア半島を脅かす侵略者は、大陸側からのみやってきたわけではない。
半島の先端のさらにその先に、ロム・バオアと呼ばれる大きな島がある。この島は冬が長く、土地がやせているため、穀物は育たない。同じ北国でもアルジャークなどは土地が肥沃で夏になれば奇跡のように実りを産するが、そのことと比べれば不幸な島であると言えるだろう。
だがそのような島でも人は住んでいる。大陸の人々が蛮族というところのゼゼトの民である。彼らは狩猟民族であった。
一般的な話であるが、狩猟民族や遊牧民族の直接的な収入源は動物の肉や毛皮である。では彼らが主食として肉を食べているかと言えば、実はそうではない。彼らの主食もまた穀物なのだ。ではその穀物をどうやって手に入れるかというと、早い話が肉や毛皮と物々交換するのである。
ゼゼトの民もまた同じであった。彼らは狩猟によって得た肉や毛皮をアルテンシア半島に持ち込み、そこで穀物などと交換していた。
そんな彼らが、大陸側からの侵略とほぼ時を同じくして、略奪を活発化させたのだ。
理由は幾つか考えられる。
まず第一にこの半島における混乱は彼らの目にも好機と映ったのだろう。略奪ならば思うままに欲望を遂げることができる。人の理性のたがは外れやすい。
加えて混乱により穀物を得ることができなくなったとも考えられる。穀物を手に入れなければ彼らとて餓えるしかなく(肉ばかり食べていてはすぐに獲物がいなくなってしまう)、それを避けるためにはあるところから奪うしかない。
こうしてアルテンシア半島は南北双方から侵略を受け、その混乱と惨状たるや悲惨なものであった。ここの領主たちが足並みを揃えることなく、個々に対処を試みていた時期はとくにそうであった。
ことここに至りついに、アルテンシア半島の領主たちは団結という選択に踏み切ることとなる。アルテンシア同盟の結成である。この同盟に参加した領主は当初十三人で、最終的には五十六人にまで増えた。
同盟の締結により状況は好転した。
細かい記述は避けるが、侵略軍の中で最も兵力が多かった(十三万五〇〇〇人と記録されている)軍を打ち破ったのを皮切りに、アルテンシア同盟軍は各地で勝利を積み重ねていった。
同盟軍が強いと見るや、侵略者たちは内輪もめを始めるようになった。彼らの目的はあくまでも侵略と略奪で、奪う相手はなにも同盟軍でなくともよかったのだ。
混乱に付け込み、付け込まれる関係は、ここにおいて逆転した。侵略者たちはあれよあれよと言う間にアルテンシア半島から追い出されたのである。
残るは蛮族のみである。もっともこちらはすぐに終わった。混乱が収束するのと比例するように、ゼゼトの略奪隊はなりをひそめていったのである。
侵略者はいなくなった。しかしアルテンシア半島の人々の心には大陸人とゼゼトの民への言いようのない恐怖が残っている。その恐怖は克服されねばならず、彼らはそのために行動を起こした。
大陸側に関しては半島の付け根に堅牢な要塞を築き、いわば半島の出入り口に栓をした。この要塞はゼーデンブルグ要塞といい、なんと常時十万の兵を駐在させ大量の兵糧を抱え込んだ大要塞であった。
ゼゼトの民に対しては、要塞を築く場所が問題となった。彼らの略奪隊はいわばゲリラであり、不特定多数の場所に出現する。半島内のどこか一箇所に要塞を設けたとしても意味がない。設けるのであればロム・バオアに設けなければならない。
同盟軍は兵を催し、ロム・バオアに出兵した。そして破竹の勢いでロム・バオアの南半分よりゼゼトの民を駆逐し(多くのゼゼトの民は北のほうに逃れた)、そしてそこにゼーデンブルグ要塞と同規模の要塞である、パルスブルグ要塞を建設した。これによりアルテンシア同盟は、半島とロム・バオアのあいだの制海権を獲得し、ゼゼトの民を北へと追いやったのである。
これだけの事業を、侵略によって痛めつけられたアルテンシア半島の人々がやってのけたのである。いかに彼らの恐怖が深刻であったが、慮ることができる。
二つの大要塞に守られて、アルテンシア半島はようやく侵略者から解放された。領主たちも同盟の必要性を重々認識しており、内輪もめもひとまずは収まった。こうして半島に住まう人々は安息を手に入れたのである。