第三話 糸のない操り人形⑩
アズリア・フォン・ヴァーダーのもとにイスト・ヴァーレと名乗る怪しい流れの魔道具職人(これさえも彼の自己申告でしかないが)が再び現れたのは、最初に会ってから三日後のことであった。場所は最初と同じで、湖のすぐ近くだ。
「また来たのか」
彼女の言葉は刺々しい。
イストは三日前と変わらず、煙管型禁煙用魔道具「無煙」を吹かしては白い煙(本人の自己申告によれば水蒸気)を吐き出している。その飄々とした姿は、理由もなくアズリアの神経を逆なでする。きっとこの男に慣れることはあっても、好きになることは決してないだろう。
「いや、来なきゃ魔道具渡せないし」
そういって彼は木箱を放った。受け取ってみると、アズリアの手のひらになんとか収まるくらいのサイズの木箱だ。開けてみると、中には直径が一センチくらいの黒い球体が五つ、そして折りたたまれた紙が一枚入っていた。この場にリリーゼがいれば、イストがあの洞窟で見せた、ペイントボールに良く似ていると気づいたことだろう。実際、それをもとに作った魔道具だった。
「魔道具『糸のない操り人形』。体に貼り付けて使うタイプの魔道具で、魔道具を動かすことで結果的にそれを貼り付けている体も動く、って訳だ。まぁ、細かい説明はそっちの紙に書いておいたから、後で見てくれ」
「・・・・・ずいぶん速いな」
三日前、自分と会った後に彼がフロイトの下を訪れたことは、フロイト本人から既に聞いている。魔道具を作り始めたとすればその後からだろう。とすれば今自分の手のひらの上にあるこの「糸のない操り人形」は三日足らずでつくられた事になる。
アズリアは魔道具製作に関してはまったくの素人であるが、それでも三日足らずで一から魔道具を作ることが異常である事は容易に想像が付く。
「いったろ、それほど難しくないって」
そういってイストは肩をすくめただけだ。まるで、この程度なんでもない、と言うかのように。
ため息をつく。
(どうやらこの男に一般常識は通じないらしい・・・・・)
そう思い、さっさと意識を変える。
「この魔道具、いくらだ」
まさかタダということはあるまい。少々、いやかなり強引な押し売りではあるが、これでフロイトの足が治る、いや動くようになるのであれば多少高くともそれだけの価値はあるだろう。
しかし、イストは軽薄に笑いながら首を振った。
「いや、金なんて要らないよ。てか、金取ったら違法じゃないのか」
ここの法律なんて知らないけど、と彼は続ける。
カンタルクのみならず、多くの国で魔道具の売買は規制されている。イストはこの国で魔道具を売買する許可など持っていないから、ここでアズリアから代金を受け取れば、それは確実にアウトだ。
「オレはそれでもいいが、お前はまずいんじゃないのか」
魔道卿という、このカンタルクにいるすべての魔導士を統率し、またその規範となるべき存在を目指している彼女が、法を犯してしまうのは確かにいささか問題がある。
だが、お金さえ取らなければそれは売買には当たらないから、当然法を犯すこともない。まるで屁理屈だ。というより魔道具をタダで誰かに譲るなんて、よほど親しい間柄でなければ誰も想定していないだろう。
「だが、な・・・・・」
まったくの無償というのは気が引ける。「タダより高いものはない」とも言うし、なによりこの男に貸しを作っておくと、あとで法外なリターンを要求されそうだ。
「だがまあ、代金の代わりというか、聞いてみたいことはある」
「・・・・・なんだ?答えられるものと、答えられないものがあるが」
この男が自分に何を聞きたいと言うのだろう。接点などないに等しいし、自分個人に興味があるようにも見受けられない。ヴァーダー侯爵家令嬢に聞きたいことがあるのかもしれないが、毎日訓練漬けだったためか、あいにくと社交界には疎い。
(まあ、もとより貴族の社交界など、興味はないが)
あんな、笑顔の仮面の下で剣を研ぎ策謀を巡らせるような世界など、こちらから願い下げだ。誰もかれもうわべは綺麗に着飾っているが、腹の中は真っ黒でどろどろとした欲望をその身に充たしている。
「高貴な血、選ばれた民」
その考えそのものがどれだけ醜いものか、彼らは恐らく一生理解できないだろう。いや、理解しようとはしないだろう。
自身の生まれのせいでもともと貴族嫌いであったが、このおよそ一年半の間にその思いはさらに強くなった。
アズリアが自身の貴族嫌いの思考にはまりかけたとき、イストの声がして彼女は意識を目の前の男に戻した。
「なに、簡単なことさ」
そういってイストは「無煙」を吹かす。ふう、と白い煙(本人の自己申告を信じるならば水蒸気)を吐き出し、こちらを見た。
その目には、まるで試すかのような色がある。
(さて、どんなことを聞かれるのやら・・・・・)
内心、身構える。
「きちんと考えたかなってね」
何を、と言おうとしてすぐに思い至る。恐らくは三日前、イストが去り際に残したあの言葉のことだろう。
『フロイトロース・フォン・ヴァーダーの足が動くようになるとはどういうことか、一度良く考えてみることだ』
「なんだ、そのことか」
思ったよりも軽い内容で、肩の力が抜ける。
「うむ。いちおう結論めいたものは出たぞ」
「へぇ、是非聞かせてもらいたいね」
イストの目に好奇の色が混じる。面白がっていることが傍目にも良くわかった。ただ、それが本心なのかはよく分からない。この辺がこの男を好きになれない理由だろう。
(この男の意図は、どうにも読みにくい・・・・・)
まあ、そのあたりの観察はこの際だから横においておくことにしよう。その先、この男とさらに接点があるとは思えない。
そう考え、アズリアは己の結論を口にする。
「わたしはフロイトに負い目を感じている。フロイトの不幸の上に今のわたしがあるように感じるからだ」
相変わらず煙管を吹かすイストから視線を外し、空へと上げる。
「だからあの子の足が動くようになったとき素直に、純粋に喜んで上げられないような気がした。まるで自分が負い目から解放されたことを喜んでいるかのようで」
今日も空は青く澄み渡っている。木陰に吹く風は乾燥していて爽やかだ。
「だけどこれは別々の問題なんだ。あの子の足が動くようになることと、わたしの負い目云々は。だからあの子が歩けるようになったら祝福してあげたいと思う」
そう、これが結論だ。
「まあ、わたしの方はおいおい考えるさ」
少々、照れくさい。照れ隠しに苦笑いを浮かべながらイストの方を見る。彼は、
「・・・・・何を、笑っている・・・・・」
思わず、声に険がこもる。
イスト・ヴァーレは笑っていた。声を押し殺しながらも、確実に彼は笑っていた。しかも気持ちの良い笑い方ではない。どこか嘲笑が混じっているように感じるのは間違いではないはずだ。
自分が精一杯考えた結論を、嗤われたのだ。
「なにが可笑しい!」
思わず、怒鳴る。それでもイストは嘲笑を引っ込めようとはしなかった。
「なぁ、本当に何も考えていないのか?」
「考えたさ!考えただろう!?」
そうだ。わたしはちゃんと考えたはずだ。自分の気持ちと向かい合って、心の黒い部分をちゃんと見つめたはずだ。
なのに、この男は、わたしが何も考えていないと言う。
「考えていないのならそれはそれで別にいいが、まあオレはオレの楽しみのために教えてやるとしよう」
彼はまだ笑っている。しかしその笑みがひどく酷薄なものに変化したように思われた。瞳に宿る光もまた、面白がるようなものからアズリアの心を暴くかのようなものに変わる。
そして、彼は告げた。
「フロイトロース・フォン・ヴァーダーの足が動くようになったら、はたしてノラ夫人やヴィトゲンシュタイン伯はなにを思い、どう動くのだろうなあ?」
「・・・・喜ぶ、のだろう・・・・?」
返答の声が小さく弱い。見たくないもの、聞きたくないことを突きつけられようとしていることを、本能的に感じる。
「そう喜ぶだろうな。で、喜んでどうする?」
「・・・・・喜んで、喜んで・・・・・、」
言葉が詰まる。ノラ夫人やヴィトゲンシュタイン伯が喜んでその後どう行動するのかは、あの時考えても分からなかった。いや、考えたくなかったのだ。
心臓の鼓動が激しくなる。手のひらや背中に、嫌な汗が出てくる。
「分からないのか?それとも考えたくないのか?ならオレが言ってやる」
彼の口調は変わらない。だがアズリアはまるで剣の切っ先を突きつけられたかのように感じた。
「有象無象の貴族でしかない奴らは、まず間違いなく自分たちの直接の血縁であるフロイトロース・フォン・ヴァーダーを次の魔道卿にしようと画策するだろうな」
「・・・・・それが、何だと言うのだ・・・・」
魔道卿は血筋によって決まるものではない。それはアズリア自身、体に叩き込まれて分かっていることだし、それはノラ夫人やヴィトゲンシュタイン伯とて同じはずだ。
「同じじゃないさ。言っただろう?奴らはどこまでいっても有象無象の貴族でしかない。目の前にチラつかされた魔道卿という権力を諦めるなんて、できやしない、いや考えもしないだろうさ」
「・・・・・っ」
反論できない。そして否定も。自分自身が貴族嫌いであるためか、イストの言うことはどうしようもなく真実であると思ってしまう。
「で、だ。フロイトロース・フォン・ヴァーダーを次の魔道卿にするために、奴らは何をするだろうなあ」
「・・・・やめろ・・・・」
その先は、聞きたくない。
「奴らはこう思うだろう。『まず目の前の邪魔な障害物を取り除かなくては』と」
「やめろと言った!」
しかし、彼は言葉を続ける。
「すなわち、アズリア・フォン・ヴァーダーという目の上のたんこぶを、な」