外伝 ロロイヤの遺産5
「それにしても、本当にこれからどうするかしらねぇ……」
シラクサの民族衣装を纏った黒髪の少女、カスイは思案するようにそう言った。ところ変わって、ここはガルネシアにある一軒の宿。喫茶店で思いのほか話し込んでしまった三人は、ジルドの勧めもあって今日はガルネシアで宿を取ることにしたのだ。そして宿の一階にある食堂で夕食を取っているとき、今後どうするかについての話を切り出した。
「ふむ。おぬしたちは世界樹の森を探しているのであったな」
正確には世界樹の森に隠されたロロイヤの遺産を探しているのだが、まあ細かいことは言いっこなしである。まずは世界樹の森を探し出さなければいけないことに代わりはないのだから。
「そうです。でも、誰も知らなくって……」
そう言ってソウヒは苦笑した。姉であるカスイが船酔いで使い物にならなかった船旅の間、ソウヒは船乗りたちに世界樹の森のことを聞いて回っていた。だが誰一人として場所はおろか話を聞いたことのある者さえいなかったのだ。
ここまで来ると、ロロイヤが遺した記述のほうが嘘だったのではないかとさえ思えてくる。しかし嘘だと思って諦めるには、彼の遺産はあまりにも魅力的だった。
「ま、ロロイヤの言う『世界樹の森』が、本当に世界樹の森である保障なんてないけどね」
どこか突き放すようにしてカスイはそう言った。つまり、ロロイヤの言う「世界樹の森」が世間一般には「世界樹の森」とは呼ばれていないかもしれない、ということだ。
「だが森ではあるはずだ。まさか海であるはずもない」
「まあ、そうでしょうね」
ジルドの下手な冗談にカスイは少しだけ笑って応じた。
「だけど曰く付きの森なんて、それこそうんざりする位あるよ」
ソウヒが顔をしかめながらそう言った。やれ悪霊が出る森だの、やれ魔女がいる森だの、やれ竜が住む森だの。船乗りたちは世界樹の森は知らなかったものの、さまざまな森の話を聞かせてくれた。しかし、話として聞く分にはそれなりに面白いが、本当かどうかも分からないそれらの森を、しかも本当だったとしても目的地かどうかは分からないそれらの森を、しらみつぶしに探索していくと言うのは考えただけでもうんざりしてしまう。
「やっぱり情報が必要ね」
カスイはそう言った。しかしそれが最大の問題でもある。集めるだけなら、情報はいくらでも集まるだろう。しかし、価値があって信憑性の高い情報と言うのは、やはりそれ相応の筋から出なければ入手できないものなのだ。
「情報屋か……。あいにくとそちらにはあまり伝手はないな……」
ジルドはすまなそうにそう言った。そしてもちろん、シラクサから出てきたばかりであるカスイとソウヒにも情報屋のアテなどない。
「あとは、そうだな……。国家レベルにでもなれば、様々な情報が集まってくるとは思うが……」
「国家レベルかぁ……。しかも一般に出回っていない情報となると、やっぱり中枢に近い人よねぇ……」
口で言うのは簡単だが、そのような人物に会って話を聞くというのは大変に難しい。いや、はっきり言おう。カスイとソウヒでは無理だ。彼らの父親であるイスト・ヴァーレか、あるいは一緒にいるジルド・レイドであれば人を選べば可能かもしれないが、シラクサから出てきたばかりのこの二人では絶対に無理である。門前払いされるのが関の山だ。
腕を組みながら視線を天井に向け、カスイは「う~ん」と頭を捻る。そうやって考え込んでいると、しばらくして彼女は「あっ」と言って目を見開いた。
「アテ……、ある、かも……?」
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「ジルドさん、お世話になりました」
「ありがとう、助かったわ!」
翌日の朝、宿の前でカスイとソウヒはそう言ってジルドに頭を下げた。二人の服装は昨日までのシラクサの民族衣装ではなく、普通のローブだった。ジルドから「その格好は目立って危険だ」と忠告してもらったのだ。
「うむ、二人とも気をつけてな」
ジルドは穏やな笑みを浮かべながら二人にそう言った。彼とはここで別れる予定だ。道場で弟子たちを教えている以上、二人と一緒に旅をして長期間家を空ける事はできないのだ。
「また統一王国に来ることがあったら、遠慮なく頼りなさい」
「ありがとうございます。ジルドさんも、シラクサの父に手紙でも書いてみてください」
「そうだな。分かれてそれっきりだったが、書いてみるか……」
それからもう二言三言言葉を交わしてから二人はジルドと分かれた。目指すのはカンタルクだ。ただカンタルクは内陸国なので、まずは船でポルトールのサンサニアを目指すことになる。出発地点はもちろんルティスだ。
「ふ、船? 船旅……!?」
「そうだよ、姉さん。今ごろ気づいたの?」
「船はイィィヤァァ!!」
「さあ行こう、姉さん」
嫌がる姉をソウヒは問答無用で引っ張って歩く。二人は無事に船に乗ることができた。まあ、一人はあまり無事ではなかったが。
二人がたどり着いたサンサニアは明るく陽気で快活な雰囲気の街だった。海に面した南向きのなだらかな山の斜面には沢山のブドウの木が植えられている。このブドウから作られるサンサニアのワインは名品として知られている。
ポルトールという国は、北に位置する内陸国カンタルクと因縁の関係にあり、そのせいなのか沿岸地方が軽視され開発が遅れていた。その沿岸地方を発展させたのが、当時まだ子爵だったランスロー・フォン・ティルニア侯爵である。
ポルトールの沿岸地方は、すべてティルニア侯爵家の領地である。だからこれらの地方を発展させた最大の功労者は間違いなくランスローその人なのだが、しかしティルニア家だけの力で発展させたわけではなかった。そこにアルジャークの存在があったことは、歴史家たちも認めるところである。
つまりサンサニアもアルジャークの交易拠点の一つなのだ。領地を管理する侯爵家の主、つまりランスローがポルトールの宰相位についていることもあり、現在アルジャークとの関係は非常に友好的である。「彼が宰相位にあった期間がアルジャークとの最大の蜜月であった」と言われているほどだ。
とはいえ、カスイとソウヒの目的地はサンサニアではない。二人はそこで一晩だけ宿を取ると、すぐにカンタルクに向かって北上した。
カンタルクへ向かう途中、二人はパートームという街に立ち寄った。この街には「ドワーフの穴倉」と「エバン・リゲルト」という二つの魔道具工房がある。そのため、この街はポルトールにおける魔道具生産の一大拠点になっていた。
そして、「ドワーフの穴倉」にはカスイとソウヒの知っている人がいた。イストがまだ根無し草だったころに弟子だった、ニーナ・ミザリである。
「わあ……! カスイちゃん!? 大きくなったねぇ……」
突然の来客が師の子供たちであることを知ると、ニーナは驚いたがそれ以上に喜んだ。彼女はイストがシラクサに腰を落ち着けてからも、しばらくの間彼に師事していた。そのため赤ん坊の頃のカスイを知っているのだ。ソウヒのほうは生まれる前に故郷に帰ってしまったが、音沙汰のなかったジルドとは違い定期的に手紙のやり取りをしていたので、彼が生まれたことを知っていた。また同じ理由で、カスイとソウヒもニーナのことを知っていて、まだ見ぬ姉弟子のことを慕っていた。
「さ、入って入って!」
そう言ってニーナは二人を家に招きいれた。そしてお茶の用意をして、三人はしばし雑談に興じた。
「『世界樹の森』かぁ……。ごめんね、聞いたことはないわ」
二人がシラクサを飛び出して旅をしている理由を聞くと、ニーナは残念そうな顔をしながらそう言った。彼女は件のロロイヤの覚書きを読んだこともなく、そのため世界樹の森について聞いたのもこれが初めてだった。
「う~ん、残念……。あ、でも気にしてないから」
少し慌てた様子でカスイはそう言った。それに対し、ニーナは「分かっているわ」と穏やかに返す。彼女は余裕のある、大人の女性になっていた。イストにいじられて右往左往していた頃の面影は、もうほとんどない。
「ニーナさんはお父さんのところで修行していた頃から、義肢の研究をしていたんですか?」
「ええ、そうよ」
カスイの問い掛けにニーナはそう言って頷いた。彼女の工房「ドワーフの穴倉」は義肢、つまり義足や義手の魔道具の専門工房として知られている。ほかに義肢を扱っている工房はなく、現在は「ドワーフの穴倉」の独占状態だった。
「でもなんでこの街でやろうと思ったんですか?」
ソウヒの疑問はある意味で尤もだった。この街にもう一軒「エバン・リゲルト」という魔道具工房がある。これだけ近くに商売敵がいると、色々と軋轢が生まれるのが普通だ。特に魔道具工房には機密が多い。そのため同業他社がすぐ近くにいると、非常にピリピリとした空気になってしまうのだ。
「そうねぇ……。最初の頃は、色々と大変だったわ」
歴史としては「ドワーフの穴倉」の方が古いのだが、そこには触れずニーナは当時のことを思い出して苦笑した。
ニーナが「ドワーフの穴倉」で仕事をし始めた頃、「エバン・リゲルト」との関係はよく言って相互不干渉だった。ニーナは腕の立つ職人で、彼女を直接に害するようなことをすれば国の怒りを買うだろう。露骨な営業妨害をするのも同じだ。そもそも「エバン・リゲルト」は「ドワーフの穴倉」をそれほど脅威とは見ていなかった。
なにしろ、経営の規模が違う。加えて、ニーナの作る魔導義肢は「エバン・リゲルト」の作る魔道具とはまったく分野が違い、そこまで目くじらを立てる必要がなかったのである。お互いに干渉せずにいれば、特に問題は起こらなかったのだ。
そんな二つの工房の関係が一触即発の状態になったのは、ありきたりな人間関係が原因だった。
ニーナは結婚している。「どこか適当な貴族の側室に」という話もあったが、本人が嫌がったために無理強いされることはなかった。腕の立つ魔道具職人というのは、勝手に生まれてくる貴族よりはるかに価値のある人材なのである。それで、誰と結婚したのかと言うと、トレイズ・サンドルという魔道具職人だった。ただし、彼は「エバン・リゲルト」の職人である。
二人の恋仲が噂され始めた頃、二つの工房の関係は一気に悪くなった。表立った動きはなかったものの、「エバン・リゲルト」ではニーナに対する誹謗中傷がひっきりなしにささやかれた。要約すれば「ウチの機密を盗むつもりか」という内容だったが、それには恐らく腕でかなわないことへの嫉妬も含まれていたのだろう。ニーナが女で、トレイズが男であることも、誹謗中傷がひどくなる原因だった。
つまりニーナとトレイズの間には大きな壁があったのだ。身分の壁ではない。立場の壁である。そして二人がそれぞれ自分の工房に拘る以上、その壁を乗り越える方策はなかった。ない、はずだった。
その壁にいとも簡単に風穴を開けて見せたのは、ニーナの父であるガノス・ミザリだった。
『カイゼルを呼んで来てくれ』
ある時、ふらりと「エバン・リゲルト」に現れた彼はかつて一緒に働いたことのある兄弟弟子に面会を求めた。「エバン・リゲルト」の職人たちは当然色めき立ったが、まさか殴って追い返すわけにもいかない。しぶしぶ、カイゼルを呼んできた。その間、ガノスが工房の中に入らないよう厳重に監視されていたことは言うまでもない。
『ガノスか。どうした?』
工房の外に出てきたカイゼルの顔は渋かった。なにしろ彼はニーナが子供の頃は彼女を可愛がっていたし、さらにトレイズは彼の弟子である。今の二人を取り巻くよくない状況に、彼なりに心を痛めていたのだ。
『実はな、「ドワーフの穴倉」はニーナに任せることにして、わしも「エバン・リゲルト」に雇ってもらおうかと思ったのだ』
『……………………………はあ!?』
たっぷり十秒以上呆けてからカイゼルはようやく声を上げた。そんな彼の様子を、ガノスはニヤニヤしながら見ている。
ガノスが「エバン・リゲルト」で働く。その話自体は、目新しいものではない。むしろ「エバン・リゲルト」は開設当時からガノスを腕のいい職人と見込んでスカウトを続けてきた。ニーナが修行から戻ってきてからは彼女も勧誘している。
しかし彼らは自分たちの工房である「ドワーフの穴倉」に拘った。それにニーナが戻ってきたことで「ドワーフの穴倉」の経営は持ち直している。だから勧誘しているとはいえ、ガノスがそれに応じるとは誰も思っていなかったのである。
『ど、どういうつもりだ……?』
裏があるとか、そんなことはまったく考えていなかった。ただガノスの意図を図りかねて、カイゼルはそう尋ねた。
『わしが「エバン・リゲルト」に移れば、「ドワーフの穴倉」は魔導義肢専門の工房になる。まったく畑違いなら軋轢も起こるまい』
それを聞いてカイゼルは「なるほど」と思った。ニーナとトレイズが付き合うとなにがまずいのかと言うと、それはもちろん機密漏えいの恐れがあることだ。だがその機密が双方にとって意味のないものだとしたら? 二人の間を隔てる壁は、もう壁ではなくなるのだ。
カイゼルの動きは早かった。すぐさまガノスを「エバン・リゲルト」に迎え入れる準備を整えたのである。彼が腕のいい職人であることはよく知られていて、上のほうの判断も早かった。
当初面白くなかったのが「エバン・リゲルト」で働いている職人たちである。だがその不満も、ガノスが「ドワーフの穴倉」で作った魔道具のレポートを持ち込んだことで解消された。もちろん、ニーナが作る魔導義肢については持ち出さなかったが。ともすれば命よりも大切なレポートを公開することで、ガノスは「エバン・リゲルト」のなかで大きな信頼を勝ち取ったのである。
ここまで来ると、ニーナとトレイズの仲をとやかく言う者はほとんどいなくなっていた。二人は二つの工房から公認を得たような形でお付き合いを重ね、そして無事に結婚したのである。
二人が結婚したことは二つの工房にとっても益になった。大変珍しいことに、二つの工房の間で技術交流や人材交流が生まれたのである。今では当初の相互不干渉さえも嘘であったかのような友好的な関係である。
「……まあ、そんなことがあったのよ」
ひとしきり話し終えると、ニーナ・ミザリ改めニーナ・サンドルは気恥ずかしさを隠すように苦笑した。
「へえ、面倒くさいのね。結婚って」
身も蓋もないカスイの感想に、ニーナは苦笑を深くした。確かに面倒くさかった。だがそれ以上に今は幸せだった。
「カスイちゃんは結婚しないの?」
「興味ないわ」
「……ヒスイさんも大変ね」
「……? なんでお母さんが大変なの?」
「教えてあげない。自分で考えなさい」
本気で頭を捻っているカスイを、ニーナは微笑ましさの中に少しだけ嘆息を混ぜて見守った。その表情は、まるで手のかかる妹を見守る姉のようだった。
さてその晩、トレイズとニーナさらに彼らの子供たちも交えて夕食の楽しい一時を過ごすと、次の日カスイとソウヒはカンタルクを目指して旅立った。目指すは王都ブレイスブルグ。訪ねる人はフロイトロース・フォン・ヴァーダー侯爵。カンタルクで魔道具に関わる一切を取り仕切る、魔導卿である。
ニーナと〈エバン・リゲルト〉を巡るお話は「第四話 工房と職人」になります。
よろしければそちらもどうぞwwww