表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
乱世を往く!  作者: 新月 乙夜
第十話 神話、堕つ
167/187

第十話 神話、堕つ⑳

 ラムナール大河、とよばれる川がある。ポルトール西の国境の一部としても用いられているその川は、大陸の中央部サンタ・シチリアナの北部に源を持つ。つまりポルトールは東西をキュイブール川とラムナール大河という二つの大川に挟まれており、その豊富な水によってこの国の農業は栄えてきた。


 まあ、それはともかくとして。以前ポルトールは沿岸地方の開発に力を入れてこなかった、という話をした。その原因の一つとして、ポルトール人の目線が南の海ではなく、東西の大川に向いていたことが上げられる。彼らにとって交易とは、国の東西にあるそれらの川を上り下りして行うものだったのである。


 つまり何が言いたいのかというと、ポルトール人にとってその川を行き来するのはお手の物なのである。そしてその技能は交易だけではなく、補給物資の運搬と言う軍事行動にも発揮された。


 ラムナール大河はサンタ・シチリアナの北部にその源を発している。この大河には多くの支流が流れ込んでいるのだが、その内の一つでかなり大きな支流がアナトテ山の近くを流れている。その支流にあるアナトテ山に最も近い船着場に、今ポルトールの船が十数隻連なっていた。十字軍とアルジャーク軍のために補給物資を運んできたポルトール軍の船団である。


「ランスロー様、十字軍から受け取りの部隊が到着しました」

「了解した。挨拶に行くとするか」


 そしてこの船団を率いているのが、ポルトールの宰相であるアポストル公爵の三男でティルニア伯爵家に婿養子にいった、ランスロー・フォン・ティルニア子爵であった。彼は腹心の部下であるイエルガ・フォン・シーザスと共に補給部隊を率いてポルトールからはるばるやってきたのである。


「そういえばイエルガ、アルジャーク軍の様子は分るか?」


 歩きながらランスローは部下にそう聞いた。巷で話題になっているのは聖女シルヴィアのことだが、そちらには興味がなさそうである。


 今回ポルトールが補給部隊だけとは言え援軍を出すことに決めたのは、ひとえにアルジャーク軍のためであった。つまりポルトールとしては教会のためではなく、アルジャーク帝国のためにランスローらを派遣したのである。


 アルジャーク軍の軍事的な成功の、その尻馬に乗りたいわけではない。そうであるならば実際に戦闘を行う部隊を派遣しなければならないが、今のポルトールにそれは無理である。


 だから今回のこの補給部隊の派遣は、軍事的な判断というよりは政治的な判断に基づくものであった。露骨なことをいえば、アルジャークへの点数稼ぎである。アルジャーク帝国はもはや東の盟主とも言うべき大国であり、その大国と良好な関係を築くことは、そのままポルトールの国益に直結する。


「アルジャーク軍に最大限協力すべし」


 というのが、ランスローが父アポストル公爵より与えられた命令である。だから彼が十字軍よりもアルジャーク軍の動向を気にするのは、ある意味当然といえた。


「聞くところによれば、戦場と定めた平原で演習を繰り返して兵を慣れさせ、そこでアルテンシア軍を迎え撃つ腹積もりとか」


 なるほど納得する一方で、ランスローは残念にも感じた。つまりアルジャーク軍は今現在手が離せない状況で、ここまで物資を受け取りに来る余力はない。無論、邪魔をするつもりはないが、ここまで来て挨拶もしないというのはかえって失礼だろう。


「クロノワ陛下が親征なされていると聞く。一度ご挨拶に伺うべきだろうな」

「では、物資を受け取りに来た十字軍の部隊に同行なさいますか」


 そうしよう、とランスローはイエルガに返事を返す。十字軍などもはや彼の眼中にはない。ランスローにとって重要なのはアルジャーク軍であり、さらにいえばアルジャーク軍が疲弊しないことである。


 アルジャーク帝国は現在、海上交易に力を入れ始めている。そしてポルトールの海は現在アルジャークのものだ。つまりアルジャークの海上交易が拡大すればするほど、ポルトールもその恩恵を受け沿岸地方を発展させていくことが出来るのだ。


 そして、ポルトールの沿岸地方はすべてティルニア伯爵家の領地であり、つまりはランスローの管理下にある。彼にしてみれば、本来自分がやるべき交易の発達をアルジャークが勝手にやってくれるようなものである。


 しかしこの戦争が泥沼化しアルジャークに海上交易を拡大させていく余力がなくなれば、当然のことながらポルトールがその恩恵を受けることもなくなる。いや、こう言おう。ランスローがその恩恵を受けることもなくなる、と。


 ランスローがこの戦争に対して取っている立ち居地はひどく自己中心的である。彼にしてみればアルジャークが勝とうが負けようが、それ自体はどちらでもいいのである。戦局が泥沼化し、アルジャークの主眼が海上交易からこの戦場に移るような事態にならなければそれでいいのだ。


 欲を言えば、大陸中央部におけるアルジャークの影響力が強まればさらに良い。大陸の中央部に船で物資を運ぼうとすれば、ランスローたちが今まさにやっているようにラムナール大河を遡るしかない。ポルトールは、いやティルニア伯爵家の新たな領地は、そのための良い玄関口になるだろう。つまり新たな需要が生まれることに繋がる。


 なんでもかんでもアルジャーク頼りなことに、情けなさを感じることもある。しかしランスローがどれだけ「一人でやる」と息巻いてみたところで、アルジャークは大国としてそこにあるわけで、どうやっても無関係などではいられない。


 ランスローの仕事は伯爵家の新たな領地、つまりポルトールの沿岸地方を発展させることだ。その場所が貿易の拠点としてアルジャークに求められているというのであれば、その利点を生かすのは正しい選択といえる。


(なにしろ、本当になにもないド田舎だからな………)


 ランスローの代だけで例えば王都並みに発展させるためには、アルジャークという強力なパートナーがどうしても必要になる。アルジャークとの関係を強固にしておきたいというのはポルトールという国家全体の思惑なのだろうが、ランスローの場合はより個人的かつ切実にその力を必要としていた。


(早めに終わらせてもらいたいものだな。こんな戦争は)


 かなり自己本位な台詞を心の中で呟く。しかし彼のこの気持ちは父であるアポストル公も同じだろう。この戦争の行く末は、ポルトールにも関係してくる。当事者ではないから間接的になのだろうが、しかしその影響は大きい。戦争自体から得るものは何もないのだから、早く終わって欲しいと思うのは当然だ。


 歩きながら考え込んでいたら、船着場の外れに来ていた。ランスローの視線の先では補給物資の受け渡しが行われている。そこに近づいて十字軍の部隊の隊長に挨拶をし、聖女シルヴィアと皇帝クロノワに挨拶するため同行したい旨を告げると、すぐに了承の返事が帰ってきた。


(まあ、聖女はついでだが)


 とはいえ挨拶しないわけにもいかないだろう。聖女の名声は今や一国の王をも凌いでいる。本命はクロノワだが、しかし聖女を疎かにするわけにもいかないのだ。


(そういえば………)


 とランスローは思った。直接クロノワと会うのは、テムサニスのヴァンナークで同盟を締結したとき以来である。あの時結んだ同盟がこれからのポルトールを形作っていくといっても過言ではあるまい。


(さて、今度の面会ではどんなことが起こるのか………)


 国の行く末を左右するようなことがそう何度も起こってたまるかと思いつつも、心のどこかで何かが起こることを期待しているランスローであった。


**********


「………どうかしたか、ニーナ殿。ボーっとしていたようじゃが………」

「っ!申し訳ありません!シルヴィア様」


 知らぬ間に手を止め考え込んでしまっていたらしいニーナは、覗き込むようにして視界に入ってきたシルヴィアの声で我に返りあわてて頭を下げた。


「そんなに畏まらないで欲しい。そなたはクロノワ陛下の客人。むしろ私のほうが敬わなければならないかも知れぬ相手じゃ」


 冗談めかしたシルヴィアの言葉に、ニーナはますます小さくなって頭を下げた。今彼女がいるのは十字軍の陣内、それも聖女シルヴィア・サンタ・シチリアナのテントである。


 師匠であるイスト・ヴァーレと共にアルジャーク軍の陣内に侵入し、そのままクロノワ・アルジャークのもとに残ったニーナがなぜこのようなところにいるのかと言うと、それはクロノワから聖女シルヴィアの世話係を頼まれたからだ。


「アルジャーク軍もそうなのですが、十字軍にも女性はほとんどいない状態でして。聖女の身の回りの世話をする人がいないのですよ」


 男の将官であれば男の従卒でも問題はないのだろうが、あいにくとシルヴィアは女性だ。着替えなどを含む身の回りの世話を、まさか男にさせるわけにもいかない。今更、と言う気もするがシルヴィアの王女と言う身分を考えれば、これまでの状態のほうが異常であったともいえる。アルジャーク軍にはグレイス・キーアという女騎士がいるが、彼女は近衛騎士団の騎士団長としてクロノワの身辺警護に当らねばならない。


 そこで特に仕事があるわけでもないニーナにお鉢が回ってきた、と言うわけだ。とはいえこれは表向きの理由だ。クロノワはともかく、アルジャークの将軍たちの腹のうちとしては、得体の知れない不審者を皇帝の身辺から遠ざけるべく「聖女の世話係に」と言い出したのであろう。


 それに形式上とはいえニーナはクロノワの客人と言うことになっている。その建前がある限り十字軍も彼女を粗野には扱えず安全は保障されているといえる。まさに“敬して遠ざけた”というわけだ。


 その辺りの事情をニーナがどれほど理解しているかは定かではない。クロノワの言葉通りのことしか理解していなかったはずだが、それは彼女に後ろめたいことがないことの証拠でもある。


 まあ、お偉いさん方の思惑などニーナにとっては埒外である。目下彼女にとって重大なこと、それは目の前にいるのが聖女シルヴィアであるということだ。


 お姫さまである。王女さまである。高貴な方である。やんごとなき方である。ついでにいえば、いやむしろ今となってはこちらのほうがメインなのだろうが、教会の認めた聖女様である。


 つまりシルヴィア・サンタ・シチリアナとは、ニーナ・ミザリにとって正しく雲の上の人なのである。そんな人から「私のほうが敬わなければならない」なんていわれ、いやもちろんシルヴィアの冗談だとは分かっているけれど、ニーナはどう対応すればいいのか分からなくなる。


 イスト・ヴァーレという希代の変人と一緒に旅をしてきたニーナは、他人よりも濃い人生経験をしてきたといえる。しかしニーナはその性質(たち)としてイストのように図太くはなれない。普通とはちょっと言いがたいこれまでの彼女の人生経験は、しかしこの状況に対して答えを出すことを放棄してしまっていた。


 結局、小さくなって謝るしかない。「ああ、小市民だな」と頭の片隅で思うが、そう思えることに少し安心してしまう。


「それで、どうしたのじゃ?」


 分が小市民であることを再確認してそこはかとなく安心していたニーナに、シルヴィアが面白がるような笑みを見える。その目が、どことなく獲物を狙っているように見えたのは、きっとニーナの勘違いだろう。


「いえ、ちょっと考え事を………」


 ニーナはすこし言葉を濁した。とはいえ「なんでもないです」と言ってもシルヴィアは信じてくれなかっただろう。ほんの数日の付き合いとはいえ、ニーナはシルヴィアのそういう気性をよく思い知らされて、もとい、学んでいた。


「なにを考えておったのじゃ?」


 予定調和的にシルヴィアはそう尋ねた。しかし尋ねられたほうのニーナは、少し困ったように曖昧に笑った。


 ニーナが考えていたこと、それは「なぜ師匠は自分を連れて行かなかったのか」ということである。しかしその事について詳しく話そうとすれば、イストがパックスの街を落とそうとしていると、そしてアルジャーク軍がそれを黙認していることも話さなければならなくなる。


(ちょっと前までなら、話したかもしれないけど………)


 しかし状況は随分と変わった。ニーナは街が落ちることで混乱が起きることを危惧しこれまで反対してきた。しかし後始末をアルジャーク軍がやってくれるというのであれば、彼女が危惧するような混乱は恐らく起こらないだろう。


 またアルジャーク軍が撤収し、戦局が泥沼化することを避けられるなら、むしろ落としてしまったほうがいいのでは、と最近では思い始めている。なんだかイストに洗脳されてしまった気がしないでもないが、沢山の人が死ぬような未来を避けられるならそれが一番いい、というのがニーナの考えだ。


 とはいえ、ここまできて何も話さない、と言うわけにもいかない。ニーナは慎重に言葉を選んで口を開く。


「なんだか、力不足だっていわれちゃったような気がして………」


 大まかにとはいえ状況を説明してしまえば、街が落ちた後にシルヴィアがアルジャーク軍のことを疑ってしまうかもしれない。さすがにそれはまずいだろうと思ったニーナは、仕方がないので自分のことだけ話すことにした。


「わたしが未熟だっていうのは分かっているんです」


 イストがニーナを連れて行かなかった理由は、おそらく「足手まといになるから」だろう。「オレの趣味にまで付き合う必要はない」と言っていたのは、嘘ではないのだろうが本音でもあるまい。


 ついていったところで手伝えることなどないだろう。それどころ足を引っ張ってしまうに決まっている。それはニーナ自身分かってはいるのだが………。


「だけど面と向かっていわれると、ちょっと傷つくというか………」

「………それは、とても責任ある態度じゃと、私は思う」


 どこか遠くを見つめながら、シルヴィアはそういった。情熱や誠意、覚悟だけではどうしても超えられない壁というのは、この世に確かに存在する。それを見極めて押し止めてくれる人は、それだけ自分のことを大切に思ってくれている人ではないだろうか。


 シルヴィアは、聖女と言う分不相応な役柄を押し付けられてしまった少女はそう思う。誰かが「彼女には無理だ」とそういってくれていれば、自分はもう少し軽い足取りで戦場に迎えたのではないだろうかと思ってしまう。


「そう、でしょうか………」


 シルヴィアはイストのことを知らないから、多分に美化しているように思える。だけど知らないからこそ、先入観にとらわれず真意を見抜くということもあるかもしれない。


 結局、言葉というのは受け止め方なのだ。好意的に受け取ればすべて箴言に聞こえるし、受け手に悪意があればすべて嫌味や中傷に聞こえる。そう考えると、言葉と言うのは話し手のものではなく、むしろ聞き手のものなのかもしれない。


(まあ、師匠はアレな人だから、変な先入観を持たないほうが難しい気がするけど………)


 それでも、イストはイストなりにニーナの安全のことを考えていてくれたのかもしれない。そう思うと、ニーナの心は軽くなりまた温かくもなった。


「それはそうと、ニーナ殿」


 ニーナの中で答えが出たのを見計らい、シルヴィアは話題を変える。


「ニーナ殿にはこうして世話になったし、なにか礼をしたいと思うのじゃがなにがよい?」


 あいにく今は大したものを持ち合わせておらぬのじゃが、とシルヴィアは少し困ったように笑った。


「そ、そんな!もったいないことです!」


 そういってニーナは恐縮するが、シルヴィアはかまわずに思案をめぐらせる。そしてなにか思いついたのか、はたと手を打った。


「そうじゃ。これはどうじゃ」


 そういってシルヴィアが取り出したのは、銀の髪留めだった。さすがに王族の持ち物らしく、繊細で美しい花柄の細工がなされている。シルヴィアの綺麗な髪の毛にさぞや映えていただろう。


「昔、父上から頂いたものなのじゃが、冑をかぶるようになってからは使う機会も減ってな」


 よければニーナ殿に貰ってもらいたいと言って、シルヴィアはその髪留めをニーナの手に握らせた。


「そんな!頂けません!」

「いいのじゃ。貰ってくれ」


 穏やかな、穏やか過ぎる笑みを浮かべるシルヴィアに、ニーナは何も言えなくなった。手の中にある髪留めの感触が、なぜか彼女を不安にさせる。


(まさか、これは………)


 形見分けのつもりなのだろうか。


 不吉な考えがニーナの頭をよぎる。けれどもそれを口に出して問い尋ねることは、彼女には出来なかった。口に出してしまえばそれが現実になってしまうような、そんな気がしたのだ。


「なぜ、こんなに良くしてくれるんですか………?」


 代わりにそんなことを口にしていた。ニーナが「しまった」と思っていると、少し困ったような顔したシルヴィアが、ニーナの耳元に口を寄せた。


 ――――それは、貴女が一度もわたしのことを「聖女」とは呼ばなかったからじゃ。


 ニーナ以外には聞こえないよう小さな声でシルヴィアは囁いた。それから顔を離し、やはり少し困ったように笑った。


「秘密じゃぞ?」


 微笑みながら片目をつぶり、冗談めかしながら念を押す。確かにこれは秘密にしなければならないことだった。なにしろ、聖女本人が「聖女と呼ばれたくない」と言ったようなものである。知れ渡れば、十字軍の士気に関わる。


 しかしそんなことよりも。


 ニーナの脳裏には先ほどのシルヴィアの表情が焼きついて離れない。短い付き合いでも分かってしまったのだ。


 あれが彼女本来の表情なのだ、と。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ