第十話 神話、堕つ⑦
「もはやこれが最後の機会なのです!」
枢密院の議場で、ルシアス・カント枢機卿は髪を乱し目を血走らせてそう熱弁を振るったという。アルテンシア半島へ十字軍を送り込む、つまり第三次十字軍遠征を行う最後のチャンスである、とルシアスは声を張り上げる。
「改めて指摘されるまでもない」
その場にいた他の枢機卿たちはそう思ったであろう。仮に第三次十字軍遠征を行うとして、恐らくは今が実行可能な最後の時点であるということは、教会の事情に多少でも明るい者なら誰でも達しえる結論である。
少し余談になるが、第三次遠征を議題として枢密院に提出するという、いわばその遠征の口火を切る役回りをルシアスが演じたことについて少し考えてみたい。
ルシアス・カントは枢機卿となってからまだ日が浅い。グラシアス・ボルカ前枢機卿は第一次遠征失敗の責任を押し付けられる形で枢密院を去ったのだが、彼はその後釜として枢機卿の席につくことになったのである。
ルシアスはもともと「第二次遠征を行うべし」というのが持論の人物であったが、そんな彼が第一次遠征で大敗した後に枢機卿になれたのは、その遠征で利益を得たごく一部の人間の熱烈な支援があったからに他ならない。そんな彼の最初の大仕事が、第二次遠征の唱道であったのは至極当然のことであろう。
しかし十字軍はまたしてもシーヴァ・オズワルドによって敗北し、第二次遠征は失敗した。そしてその敗戦の責任を押し付けられるのは、大声でそれを唱道したルシアス・カント枢機卿、となるはずであった。
しかしルシアスが責任を取って枢密院を去るより早く、教会にとって重大な出来事が起こったのである。それが御霊送りの儀式である。
その儀式の準備のため、ルシアスはしばしの間敗戦の責任を問われることから逃れた。そして各国の要人が神殿の御前街に集まっているのを利用し、第三次十字軍遠征のための根回しを進めていたのである。
そして儀式が終わった後、最初の枢密院の会議でルシアスは第三次遠征を提唱する。彼にしてみれば、それは起死回生をかける一手であった。しかしいかにルシアスがそれを提唱してみたところで他の枢機卿たちが反対であれば、そもそも議題として取り上げられることすらない。
つまり、第三次遠征のための根回しに奔走していたのは、なにもルシアスだけではなかったのだ。テオヌジオ・ベツァイとカリュージス・ヴァーカリーを除く全ての枢機卿が、各国要人の説諭の奔走していたのである。むしろルシアスは敗戦の責任をうやむやにする代償として、彼らから口火を切る役を押し付けられたというべきであろう。
「御霊送りの儀式が執り行われれば、教会の権威は回復するでしょう。そして儀式が成功すれば、それは死後の安寧を保障するものとなります。死すれども神々の住まう園へとたどり着けるのであれば、兵士たちは喜んで殉教するでしょう。そうすればシーヴァ・オズワルドなど恐るるに足りません」
この時、彼らが各国の要人に説いた説諭をまとめれば、このようなものになる。この説諭が各国要人を動かした、と考えるのは少々甘いだろう。各国を第三次遠征に参加させた最大の要因は、教会勢力の結束力の乱れに起因する疑念である。
これまで十字軍の矛先は常にアルテンシア半島であった。腐敗と混乱の最中にあったその半島は、絶好の獲物であるように思えたからだ。しかし今やそこはシーヴァ・オズワルドという英雄によって統一され、一つの強大な国家となった。純軍事的に見て勝ち目の薄い相手であり、実際すでに二度も大敗を喫している。
「わざわざ手ごわい相手に喧嘩を吹っかける必要などないではないか」
そう考えるのは、むしろ当然のことであろう。しかしそうなれば第三次遠征の矛先はどこに向くのか。
「遠征に参加しない、教会に対して非協力的な国を標的とするのではないか」
決して口には出さないが、そんな疑念が各国に渦巻いていた。仮に十字軍の矛先が自国に向いてしまった場合、抗しえる国など一つとして存在しない。どの国も皆平等に国力を低下させており、たとえ神聖四国であろうとも一度踏み込まれれば簡単に国内の蹂躙を許してしまうだろう。そうなれば残されたなけなしの富と物資は全て奪い去られ、後に残るのは荒涼とした大地だけである。
積極的に参加したいわけではない。しかし、参加しなければ自国が危険に曝されるかも知れない。そう考えると、多くの国は消極的にとはいえ第三次遠征に参加せざるを得ないのである。
加えてアルテンシア統一王国に対する恐れがある。統一王国は二三七州の版図を誇る大国である。さらにその大国を率いているのは、英雄シーヴァ・オズワルドである。
もしもシーヴァが大陸中央部へと侵攻してきた場合、一国だけでこれに対抗できる国は存在せず、戦うならば十字軍を結成するしかない。しかしここで第三次遠征に参加しなければ、いざというときに十字軍に参加させてもらえず、あるいは結成してもらえず見殺しにされる可能性がある。
全ては可能性の話だ。しかし自分たちが思いつく以上、他の誰かが同じ事を考えていてもおかしくはない。第三次遠征に参加しなかったがために、十字軍にあるいはアルテンシア軍に狙われることはなんとしても避けなければならなかったのである。
消極的な打算により、各国の思惑は一致し三度目となる十字軍は結成された。次はその矛先を向ける場所を決めなければならない。
身内に造反者が出なかった以上、そこを目標に定めることはできない。となれば教会の影響力が弱い場所を標的にしなければならない。
東は駄目だ。東に向かって進めば、アルジャーク帝国に出くわすことになる。アルジャークまで敵に回すことになれば、教会は統一王国とあわせて東西の雄をまとめて相手にしなければならなくなる。そうなれば教会の命運は風前の灯だ。
それに東で戦っている最中に、西から統一王国が攻めてくるかもしれない。シーヴァが動かない理由は思い浮かばないが、動く理由ならばいやというほど思いつく。だが後方の備えをしておくだけの余力は、もはや教会勢力には残されていない。無防備な背中を襲われれば一巻の終わりである。
であれば背中は襲われる心配のない東に向けておかなければならない。そうなると矛の向く先は西になる。
もちろん、西方には統一王国以外の、教会と関係の薄い国はある。しかしそのような国を標的にした場合、標的にされた国はまず間違いなく統一王国に助けを求めるだろう。統一王国が出てくるのであれば、最初に攻撃を仕掛けた国の分、最終的な敵の戦力は増えることになる。
だが最初から統一王国だけを標的にしておけば、わざわざ十字軍とことを構えたがる国はないであろう。つまり統一王国だけを相手にするのが最も敵が少ない、ということになる。ちょうど良く因縁もあり、宣戦布告の正義には事欠かない。もっともその正義とやらは完全に教会の主観であり、統一王国にしてみればただの言いがかりかそれ以下のやっかみに過ぎないのだが。
こうして第三次遠征の行き先もまたアルテンシア半島に決定された。ただ、これまでの過程において、「果たして勝てるのか」という議論がなされたのかはなはだ疑問である。というよりなされなかった、というのが歴史家たちの一般的な見方だ。とある歴史家が、この時期の教会と各国について、著書の中で次のように記している。
「第三次遠征における教会の目的は、一言でいえば『行動を起こすこと』そのものだったように思える。権威を発揚し、教会はいまだに絶大な権勢と影響力を誇っているということを、大陸中に知らしめることが目的だったように思えるのだ。
逆の見方をすれば、知らしめなければならないほどに教会の権威は地に落ち、その影響力は弱まっていたということである。実際この時期に教会勢力下にあった各国の要人たちが日記などで吐露しているように、それらの国々が第三次遠征に参加したのは攻撃あるいは排斥の口実を教会に与えないためである。さらには教会といかにして手を切るかを模索している国さえもあった。
子供っぽい表現になるが、第三次遠征とは教会が目立ちたいがために始めたことであり、その勝敗は最初から度外視されていた。いや、勝てるという前提で、つまり自分にとって都合のよい結果になると夢想して教会は遠征に邁進していったのである。
ただその遠征に参加し、実際に兵を出す国々の反応は極めて消極的であった。アルテンシア半島へは二度十字軍が派遣され、そして二度大敗を喫している。今まで勝てなかった相手に、戦力がまるで回復していない十字軍が今回三度目の戦いを挑んで勝利を得られるというのは、はっきり言って夢物語の域を出ない。狂信的に旗を振る教会に比べそれらの国々は比較的冷静で、それゆえに悲劇的だった。勝てないと分りきっている戦いに、しかしそれでも兵を送り出さなければならないのだから」
思惑や熱意に多大な差はあれど、こうして十字軍は三度目の結成に向けて動き始めた。しかし第三次十字軍遠征が開始され、この軍がアルテンシア半島に向けて進軍を開始することはなかった。
十字軍が動くよりも早く、アルテンシア統一王国が、シーヴァ・オズワルドが動いたのである。
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「もはや見るに堪えず」
居並ぶ群臣を前にして、シーヴァはそう切り出した。
教会が第三次遠征を行うことを決定し十字軍を集結し始めた、という情報はすでにシーヴァのもとにもたらされている。これは統一王国の大陸中央部における諜報能力が優れていたからではなく、教会が物事を秘密裏に運ぶ当ことをしなかった、もしくはできなかったからだ。
そのせいか、シーヴァは第三次遠征が決定されるまでの一連の流れをかなり詳細に把握していた。教会の思惑や各国のおかれた立場、そしてなぜ統一王国に矛先が向けられたのか。その全てを、把握していたといっていい。
――――見るに堪えない。
シーヴァのこの言葉は、一連の流れに対する彼の感想だ。自らの虚栄心を暴走させもはやまともな判断が出来ていない教会。その教会との関係を断つに断てず一緒に滅亡に巻き込まれていく各国。まともな政治感覚を持っているのかと疑いたくなる。
いや、教会とその勢力下にある国々がどうなろうともシーヴァの知ったことではない。むしろそれらの国々は二度にわたりアルテンシア半島に対して侵略を行った、怨敵とも言うべき相手である。彼らが内輪でもめて自滅していく分には、シーヴァとしても関わる気はなかった。
しかし、その余波とも言うべき第三次十字軍遠征の矛先が統一王国に向くというのであれば話は別である。
神殿の御前街や神聖四国などに潜ませた斥候からの情報によれば、遠征に参加する各国の士気は低い。加えてゼーデンブルグ要塞がある。第三次遠征軍をはね返し追い返すだけならば、何も問題はない。
しかし、もしも教会が第四次、第五次の遠征を計画したら?
むざむざと惨敗を喫するようなことは恐らくない。少なくともシーヴァ・オズワルドという英雄が健在なうちは。またこれらの遠征が短期間のうちに、つまり十字軍の戦力が回復する前に行われれば、統一王国の勝率はさらに上がると見ていい。
しかし、アルテンシア統一王国はまだ建国したばかりの若い国だ。軍を動かすというのは、それだけで大変に金がかかる。復興に力を注がなければならない統一王国は金が幾らあっても足りず、そんな中でたびたび遠征を仕掛けられては内政に十分な力を注ぐことができない。
まあ小難しい話は抜きにして、早い話シーヴァは教会の稚拙な陰謀に飽きたのである。この先ずっと教会からちょっかいをかけられるくらいならば、自分が健在なうちに叩き潰して後の憂いを断っておこうと考えたのだ。
「軍を催し、教会を討つ」
そうと決めたならばシーヴァの行動は速い。十字軍の集結には時間がかかっているようだが、わざわざそれが完了するのを待ってやる理由もない。シーヴァは全国に勅命を下し、統一王国の建国以来初めてとなる遠征軍を組織させた。
その数、およそ八万。これに加えて補給などを担う後方部隊やいざというときに援軍として駆けつける予備部隊などがいて、これら全てをあわせれば全体の規模は十二万程度といったところだろうか。そして遠征軍の目指すのは、教会の総本山であるアナトテ山である。
ただ、例えばアルジャーク帝国などが遠征のたびに実際に戦闘を行う部隊だけで十万以上の、時には二十万近い軍勢を動員していたことを考えると、今回の遠征軍は規模が小さい。しかし、現在の統一王国にとっては、これが精一杯の規模である。国としてまだまだ未熟な統一王国では、これ以上の規模を長期間にわたって維持することはできないと判断したのである。
第二次十字軍遠征の時にはアルテンシア軍は十五万の兵を動員したが、それはゼーデンブルグ要塞に籠って戦えたからであり、同じ規模の軍勢をアナトテ山まで連れて行くことは無理だった。それほどまでに遠征とは困難で金のかかるものなのだ。
だがその軍の兵士たちは素晴らしい。皆、二度にわたって十字軍と戦い、そして勝利を収めてきた精鋭たちである。さらに、総勢五千のゼゼトの民の戦士たちが遠征軍に加わっている。巨人といわれるほどの巨躯とそれにふさわしい怪力を誇る彼らは、遠征軍の中にあって間違いなく最強の戦士たちだ。
そして彼らを率いるのは、言うまでもなく建国の英雄シーヴァ・オズワルドである。彼の手には漆黒の大剣「災いの一枝・改」が握られている。威風堂々と軍勢の前を進む彼に、アルテンシア軍の兵士たちは信仰にも似た信頼を持っている。
そしてそれはゼゼトの戦士たちも同じである。上に立つのがシーヴァだからこそ、未だに確執を抱える二つの集団が協力し合えるのである。余談になるが、アルテンシア半島を統一したのがシーヴァでなければ、ゼゼトの民と友好な関係は築けなかったか、あるいは築くのに百年以上の時間がかかっていたであろうとさえ言われている。まさに彼は歴史が求めた英雄だったのだ。
さらにアベリアヌ公、ガーベラント公、ウェンディス公、リオネス公、イルシスク公という革命の当初からシーヴァに協力していた五人の公爵も、それぞれの軍を遠征軍に加えている。実際には国内に残り内政や補給を監督する公爵もいるので、五人全員が遠征軍とともにアナトテ山を目指すわけではない。しかしアルテンシア統一王国がその総力を挙げてこの遠征を戦うつもりであることに、もはや疑問の余地はない。
「教会はこれまでに二度、この半島に略奪軍を差し向けてきた」
大陸暦1566年7月16日、ゼーデンブルグ要塞に集まった遠征軍を前に、シーヴァは出陣前の演説を行った。兵士たちの士気は高く、自分たちの正義を信じている。いい状態だ、とシーヴァは心の中で思った。自らが率いる軍に頼もしさを感じる。
「そして今また、教会は三度目の略奪を計画している。もはや教会が張り巡らす陰謀を黙って見ていることはできない!」
シーヴァが声を張り上げると兵士たちの中から、「そうだ!」とか「教会を許すな!」といった声が上がる。
「祖国を、そしてそこに秘められた希望と可能性を守るため、アルテンシア統一王国は教会とそれに組する国々全てに対して宣戦を布告する!」
シーヴァが高らかに宣言すると、兵士たちは割れんばかりの歓声をあげた。こうして教会勢力とシーヴァの三度目の戦いは、攻守と戦場を入れ替えて行われることになったのである。
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「いやいや、まったくをもって予想外だよ」
楽しそうに、それでいて嬉しそうにイストは笑った。彼は自分の予想を超える出来事が起こったのが楽しくて嬉しくて仕方がないのだ。
教会が動くとは思っていたし、その動き方が第三次十字軍遠征だったのも予想通りだ。ただシーヴァが動くとは思わなかった。いや、第三次遠征の標的がまたしてもアルテンシア半島である以上、彼がそれにあわせて動くのは分っていたことだ。ただシーヴァが半島を出て、あまつさえアナトテ山を目指すなど思っても見なかった。
「それで、この先どうなると見る?」
「さっぱり分らん」
ジルドの問いに対して、イストはあっけらかんとそう答えた。シーヴァの遠征はあっさりと終わるような気もするし、逆に泥沼にはまり込むとしても不思議ではない。
「ま、一番焦ってるのは教会と神聖四国だろうけどな」
なにしろ歴史が大きく動くことを望み、その願望を予測に混ぜることをいとわないイストにとってさえ、今回の事態は想定外だったのである。攻めることしか考えていなかった教会と神聖四国は大慌てだろう。イストは笑っているが、彼らは悲鳴でも上げているに違いない。
「それにしても、シーヴァはどういう形で決着を付ける気なのだろうな?」
「あ、それはわたしも気になります」
ジルドとニーナの疑問は、教会が国家ではなく宗教組織であるが故のものだ。
例えば相手が国家であるならば、戦争を決着させる形というものには幾つかのパターンがある。それは賠償金や領地の割譲であったり、あるいは完全な併合や属国化という選択肢もあるだろう。人質を取ったり今後の不可侵を誓わせるという手もある。
では教会が相手であればどうだろうか。教会には割譲できる領土はないから、賠償金を請求することになるのだろう。または教会の非を認め、金輪際統一王国に手を出さないという誓約書にサインさせることもできる。
しかし、それでは教会という組織が残ることになる。シーヴァがどこまでやる気なのかは分らない。しかし彼に一度会ったことのあるイストとしては、シーヴァならば徹底的に叩き潰そうとするだろうな、と思っている。ジルドとニーナも、その意見には賛成していた。
「しっかし、教会を完全に叩き潰すとなると、パックスの街を落とす以外になにか方法なんてあるのか?」
教会の教義、信者を集めるための正当性は御霊送りの神話に依存している。パックスの街を落とすことでそれが全て嘘であったことを証明すれば、教会を叩き潰すことはできるだろう。
しかし、シーヴァがその選択肢を知っているとは思えない。たしかにシーヴァのもとにはオーヴァ・ベルセリウスという“根源の摂理”の一端に触れた人間がいる。しかし彼がその結果から逆算して、イストと同じように「空間構築論」にたどり着いているとは思えない。
なぜならば、イストは「空間構築論」にたどりつくためにロロイヤが「狭間の庵」に残した資料を片っ端からあさっている。しかしオーヴァはその資料を見ることができない。イストに比べれば、どうしても解析に時間がかかってしまう。
イストは、現時点においてオーヴァの解析はまだ終わっていない、と見ている。これは勘というよりも、同じ解析をした人間としての推測だ。彼自身ロロイヤの残した資料がなければ、いまだに頭を悩ませて唸っていた自信がある。オーヴァにしてもある程度の予測は立っているのかもしれないが、確証のないものにシーヴァが頼るとも思えない。
では、シーヴァはどうやって教会を叩き潰すのだろうか。いや、シーヴァが本当に教会を叩き潰すことを目的にしているのか、それさえも今ははっきりとしていない。だからこれはどうしても仮にの話になるのだが、シーヴァはどうやってそれを達成するつもりなのだろうか。
「見当もつかない」
イストは正直にそういった。これが国であれば話は簡単だ。政治の中枢を掌握し、国土を実効支配すればよい。法を変えて税を納めさせ、その代わりに国民を庇護すれば以前の政府にとって変わることは可能だ。いやそれ以前に、国を治める資格を持つ者(多くの場合、王族と呼ばれる者たち)を皆殺しにすれば、それだけで国を潰したことになる。
しかし、教会は何度も言うとおり宗教組織である。そもそも宗教組織はどうなれば潰されたことになるのだろうか。神殿を制圧し神子や枢機卿を殺害すれば、大きく力をそぐことはできるだろう。しかしその教えを信じる信者たちがいれば、それだけで教会という組織はまだ存続していることになるのではないだろうか。
実際問題として、宗教組織を人力で潰すことが可能なのか。無論、イストのように教会のアキレス腱を知っていれば可能だ。しかしそれを知らないシーヴァに可能なのか。最後の決め手を運に任せるかのような、そんな不確実な手でシーヴァが動くのだろうか。
「まあいい。この問題で悩むべきはシーヴァだ」
そういってイストは考えるのをやめた。煙管型禁煙用魔道具「無煙」を吹かして白い煙(水蒸気らしいが)を吐き出すと、彼は目を細めて表情を真剣なものにする。途端、彼の雰囲気が変わり、そばにいたジルドとニーナは息を呑んだ。
「だけどまあ、このタイミングでシーヴァが動いたとなると、オレも流れをしっかりと見極めないとだな………」
いつパックスの街を落とすのがもっともインパクトがあるか。それを見誤るわけにはいかない。見誤ったが最後、一切合切を遠征のために利用され、おいしいところは全部シーヴァに持っていかれるだろう。そうなればイストはただの道化だ。オーヴァは爆笑するだろうし、イストに道化を演じる趣味はない。
歴史を創るだの、名前を残すだの、そんなことにイストの興味はない。しかし世紀の一大イベントを起こすのであれば、それに相応しい舞台を見誤りたくはない。十全にすべてを揃えてこそ、やりきったという達成感を味わえるのだ。
(それに………)
それに、パックスの街を落とすことは、当初イストが想定していたよりも大きな意味を持つことになるかもしれない。
シーヴァ率いるアルテンシア軍がアナトテ山の目前まで迫ってくれば、教会は必ずやアルジャーク帝国に、クロノワに援軍を求めるだろう。そして恐らく、クロノワはそれを断れない。
アルジャーク軍がアルテンシア軍に簡単に負けてしまうとは思わない。しかし、完全に退けることも難しいだろう。下手をすれば東西の雄がぶつかることで、戦況が泥沼化してしまうことも考えられる。
イストとしては、それで困ることは何もない。しかし海上交易の発展に力を注ぎたいクロノワは困るだろう。そしてクロノワが困るのであれば、イストとしてもそういう事態は避けたい。パックスの街を教会の権威もろとも地に叩き落すことが、あるいはそのための鍵になるかもしれないのだ。
ゆえにイストは見誤るわけにはいかない。自分が手にしたジョーカーを切るタイミングを。自分が楽しむため、そして友人が困らないようにするために。
(さあて、面白くなってきたねぇ………)
喉の奥を鳴らすようにしてイストは笑う。シーヴァが動いたことで難易度は格段に上がったといえる。しかしそれさえも面白いとイストは思っていた。ギリギリの緊張感。心臓の鼓動が大きくなるたびに頭が冴えていくかのような、あの感覚。
(さあ、どう動く?)
シーヴァ、クロノワ、教会、そして歴史。それらの流れがどうなるのか、イストは見守る。静かに、しかし隙の無い鋭い視線で。自分の一手で、自分が望む展開を得るために。