第十話 神話、堕つ③
「ふむ………」
御霊送りの儀式が行われる会場、そこに用意された自分たちアルジャークの使節団の席を見て、ストラトスは小さく頷いた。
(そう悪い席ではないな………)
最も良い席はさすがに神聖四国の面々が独占している。先日招待されたアヌベリアスもそこにいる。
次によい席には、教会勢力下の国々の王族たちが座っている。ストラトスたちの席はその次だ。
アルジャーク帝国と教会はこれまで繋がりが薄い。加えてストラトスは皇族でもないただの一文官でしかなく、その上個人的に教会とパイプがあるわけでもない。
それにも関わらず三番目によい席が与えられたということは、はっきりと破格の扱いだ。それだけ教会がアルジャークを重視しているということだろう。
(しかしだからといって何かあるわけではないが………)
教会とは距離を置く。それが現状でのアルジャークのスタンスだ。教会が本格的に泣きついてくるまでは、アルジャークの方から手を出すことはまずない。
ストラトスは無言で足を組む。その視線の先にあるのは、御霊送りの祭壇だ。儀式はまだ始まっていないが、湖をのぞむ会場に詰め掛けた人々がその開始を今か今かと待ちわびている。
ストラトスは一つ頷くと、思考を切り替えた。これから行われるのは御霊送りの儀式、教会の主張するところによれば現世に残された最後の奇跡である。ストラトス自身としては胡散臭い眉唾物だと思っていたのだが、それでも目の前で見られるのであれば興味深いことに変わりはない。
ならば小難しい政治や思惑の話は少し忘れて、この儀式を楽しませてもらうことにしよう。ストラトスがそう思った矢先、楽士隊のラッパが鳴り響き喧騒に包まれていた会場が数瞬で静かになった。
会場が静かになると、祭壇とは別に設けられた壇上に一人の男が登った。枢機卿の一人であるテオヌジオ・ベツァイである。
演壇に立ったテオヌジオは、教会の教義や御霊送りの神話について三十分ほど話をした。そして彼と入れ替わって別の枢機卿が壇上に立ち、そしてまた話を始めた。ただし今度の話は、およそ儀式とは関係のない、生々しい政治の話であった。
全ての枢機卿が話し終え、そしてその次に神聖四国の重臣たちが国王に代わって挨拶を述べ終わったのは、開始から三時間以上が経過してからのことだった。
(ようやく終わったか………)
最後の挨拶が終わると、ストラトスはまわりに気づかれぬようそっとため息をついた。彼はほとんどすべて右から左に聞き流していたが、それでも中身のない話を長時間聞き続けるのは疲れるものだ。
こういう場は権威を誇示するために用いられることが多いが、今回はその典型であろう。しかしストラトスにしてみればことさら誇示しなければならないことが、逆にその権威の失墜を如実に表しているように思えた。
(さっさと終われ………)
うんざりし始めたストラトスがそう願っていると、ようやくこの儀式の主賓があらわれた。
神子マリア・クラインとその後継者であるララ・ルー・クラインである。
割れんばかりの拍手と楽士隊の演奏によって迎えられた二人は、先ほどまで中身のない演説が行われていた壇上へ上がる。そしてマリアがそっと手を上げると、鳴り響いていた拍手がピタリと止んだ。
神子マリア・クラインの話は、やはり当たり障りのないものだった。しかし解釈次第によっては、アルテンシア統一王国とシーヴァ・オズワルドを非難しているともとれる箇所が幾つもある。
マリアが読み上げている原稿は、彼女自身が作成したものではあるまい。枢機卿の一人か、あるいは枢密院の意向を受けた人物が書いたのだろう。そこには教会こそが至上でありそれに楯突くなどけしからん、という態度がありありと表れている。
(恐らくは意図的にそうしているのだろうが………)
意図せず、無意識のうちにそういう文章を作っているとすれば、それは教会全体がその傲慢な精神で凝り固まっていることを示している。
(しかし、なんと言うか………。統一王国も大変だな………)
ストラトスはそっと苦笑をもらした。一方的に攻められてそれを撃退したら、今度はけしからんと非難される。統一王国にしてみれば、たまったものではなかろう。宗教組織というのは、往々にして自らの価値観以外は認めないものらしい。
「今後とも、エルヴィヨン大陸の人々の上に、神々の恩寵がありますように」
神子の演説はそんな言葉で終わった。しかしストラトスは知っている。恩寵を願うその同じ口で教会は戦争と流血に祝福を与え、虐殺と略奪に免罪符を与えてきたことを。その事実を知る者からすればどんな言葉を並べられても、それは嘘で塗り固めた薄っぺらなものにしか聞こえなかった。
マリアが演壇から降りると、ララ・ルーもそれについていく。どうやら彼女のほうは、演説はまだしないらしい。彼女が話をするのは、神界の門の向こう側で神子となりこちらに戻ってきてからだ。
神子が演壇から真っ直ぐに御霊送りの祭壇へ向かう。聴衆は一様に立ち上がり、ある者は敬礼して、またある者は手を組んで祈りを捧げながらそれを見送った。
誰一人として喋らず、緊張が漂う。ストラトスは周りの空気に影響されるような可愛げのある精神構造はしていないのだが、そんな彼であってもこの雰囲気に当てられて心臓の鼓動が大きくなったように感じられた。
静寂の中、ついにマリアとララ・ルーが祭壇の上に立つ。祭壇の上に立ったマリアはしばらくの間、眼下に広がる湖を眺めていた。
(ヨハネス様、貴方はあの時、なにを考えていらっしゃったのですか………?)
先代の神子であり、そして恋人でもあったヨハネス。最後に此処に立ったとき、彼はなにを考えていたのだろう。
マリアがふと視線を横にやると、ララ・ルーと目があった。彼女はあの時のマリアと同じように期待に目を輝かせている。
やりきれない後悔と罪悪感が、マリアの胸のうちで荒れ狂う。
(きっと貴方も、こんな思いを抱かれたのですね………)
ララ・ルーの視線から逃れるようにして、マリアは視線を観客に向けた。居並ぶ人々の視線が全て、今マリアに集中している。それを感じながらマリアは優雅に一礼する。そしてそれから左手につけた神子の証である腕輪を掲げ、そこで赤い光を放っている「世界樹の種」に魔力を込めた。
その瞬間、祭壇から光が溢れマリアとララ・ルーの姿をかき消した。その光が消えると、祭壇の上にもう二人の姿はなかった。
一瞬の静寂の後、雷鳴にも似た喝采が湧き上がる。現世に残された最後の奇跡、御霊送りが今ここになされたのである。
そして、これが歴史上最後の御霊送りの儀式であった。
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神界の門の向こう側には、神々の住まう桃源郷があるという。その話をララ・ルーが初めて聞いたのは、はたして何時のことだったろうか。ララ・ルーは神殿では色々な人に可愛がってもらって育ったから、たくさんの人からその話をしてもらった覚えがある。
ただ、不思議と母親であるマリアからその話をしてもらったことはない。いや、ねだればしてくれたのだが、マリアのほうがその話を選んでするということはなかった。
今思えば、本当に不思議なことだ。
マリアは神界の門の向こう側へと渡り、神々の住まう桃源郷を見てきた大陸でただ一人の人間のはずである。自分がそこで見聞きしたことを、愛娘であるララ・ルーにさえも話さないというのは、マリアを知る人間にしてみれば不思議なことであった。
ただ、幼かったせいもあるのだろうが、ララ・ルーは不思議には思わなかった。いや、気にかけなかった、と言ったほうがいいだろう。とはいえ子供にそこまでの機微を要求するのも酷な話であろう。
子供であったララ・ルーは、ごく純粋にその桃源郷に思いをはせていた。そらは青くて光に満ちており、野は色とりどりの花で埋めつくされて、きっと甘い香りがするのだろう。輝く沢山の宝石が沈んでいる湖。神々の住まう荘厳な神殿。きっと何もかもが想像できないくらいに素晴らしい場所なのだろうと、そう思っていた。
だと、言うのに………。
「なに、これ………」
目の前の光景に、ララ・ルーは言葉を失った。神界の門の向こう側には引き上げられたパックスの街があるはずだった。しかし、これは決して街などではない。
眼前に広がっているのは、一面の廃墟だ。しかもただ建物が崩れて廃墟になった、というふうには見えない。まるで壊れたのは建物ではなく大地そのもののような、大地が引き裂かれたとき一緒に建物も壊れたかのような、そんなふうに見えた。
空を見上げると、そこにあったもの異様な光景だ。空は、黒い。暗いとかそういうレベルではなく、ただただインクをぶちまけたかのよう黒い。そのくせ、この空間内が暗くて何も見えないということはなく、むしろ曇の日程度には光がある。ただ、その光がどこから発せられているのか、さっぱり分らないが。
幼い頃からララ・ルーが思い描いてきた桃源郷は、そこにはなかった。木々は枯れ果て命のみずみずしさは欠片も存在しない。腐った生ゴミを放置したような悪臭が当たり一面に漂っていて、鼻に痛い。神々の住まう桃源郷というよりは、人も住まぬ魔境と呼んだほうが相応しい光景だ。
「お母様………、これは、一体………」
どういうことですか、と続けようとして結局その言葉が形になることはなかった。振り返ったその先で、マリアは崩れた壁に手をついて体を支え、もう片一方の手で口元を押さえている。彼女の口元からは、赤いものが滴り落ちていた。
「お母様!!」
「近づいては駄目よ、ララ。血が付いてしまうわ」
思わず駆け寄ろうとしたララ・ルーをマリアは制した。それから適当な瓦礫に腰を下ろし、周りを見渡した。
「変わっていないわね………、ここは………」
感慨深げに、マリアは呟いた。そしておもむろに視線をララ・ルーのほうに向ける。マリアのその強い光を宿した視線に、ララ・ルーは思わず息を呑んだ。
「色々と聞きたいことは沢山あると思います。でも、まずは私の話を聞いて」
ちゃんと全部説明するわ、とマリアは弱々しい笑みを浮かべた。ララ・ルーが強張った顔で頷くのを見ると、マリアは語り始めた。
「全ての始まりは、ロロイヤ・ロットという一人の学生が書いた、卒業論文でした」
千年前、パックスの街には総合学術研究院があり、そこには当時大陸で最先端の知識と技術、そして頭脳が集まっていた。当時すでにかなりの勢力を持っていた教会がパトロンとなることで、その研究院には大陸中から人材が集まったという。
当然そこでは魔道具やその術式理論に関する研究も行われており、また将来の技術者を育成するという観点から学生の教育も行われていた。
素人、というのは存外馬鹿にできないものだ。その分野に関する通説や常識を良く知らないから、突拍子もないことや的外れなことを良く言う。しかし、素人が停滞した状況に風穴を開けてブレイクスルーを起こすことは、ままある。また完全な素人でなくとも、科学者が専門分野以外に手を出して、そこから新たなアイディアを得るということは良くある。
ロロイヤ・ロットが魔道具術式理論の分野で素人であったかは、議論が分かれるところだろう。なんにせよ、彼がずば抜けた天才であったことは疑いようがない。
なにしろただの学生が、その在学中にまったく新しい理論体系を確立して見せたのである。その集大成こそが、彼が卒業する際に提出した「空間構築論」であった。
最初、研究院の教授たちはこの論文を本気にはしなかった。ロロイヤのペーパーテストの成績は芳しいものではなかったし、普段の生活でも奇行が目立つ生徒だったからだ。
まともな食事は三日に一回で、それ以外は菓子をつまむだけ。部屋は本と資料で埋め尽くされて足の踏み場もない。気に入らない人間には徹底的に近づこうとせず、仮に向こうから近づいてくるならば遠慮の欠片もない暴言を浴びせた。
かといって友人がいなかったわけでない。ロロイヤにも気の置けない友人というのは確かにいて、彼らに対しては自分の作った魔道具をタダで譲ったりもしていた。ただ、そういう行動が魔道具目当てでロロイヤに近づく人間を増やし、彼の奇行と人間嫌いに拍車をかけていったという面がある。
まあそれはともかくとして。最初、ロロイヤの「空間構築論」は変わり者の学生が描いた夢物語だと思われていた。しかし卒業論文であるからには、読んで内容を評価しなければならない。そして読み進めるうちに、その論文に対する評価は瞬く間に変わっていったのである。
そこで論じられていることには矛盾がなく、またその内容に理論の飛躍は見られない。しかしそれでも「どうやら正しいらしい」という結論しか出なかった。そこに書かれていた理論はあまりにも斬新で、教授たちの理解を超えていたのである。
仕方なく、教授たちはロロイヤ自身にその論文を説明させることにした。ロロイヤは面倒臭そうにしながら淡々とその論文を説明したという。
それを聞く教授たちはまさに顔色を失っていた。彼らは、この短期間にまったく新しい理論体系が生まれたことに唖然とし、それを成し遂げたのが一介の学生であることに呆然とし、そして自分たちがそれを理解できないことに愕然とした。
研究院はロロイヤに対して卒業後もここに残って研究を続けるようにしつこく勧誘したが、彼はそれをすべて一蹴した。実際、卒業証書を手にした後、わずか十二時間でロロイヤの足取りは跡絶えている。早い話が逃げたのである。この後、歴史の中でロロイヤの名前が聞かれることはない。その代わり、この時期から“アバサ・ロット”という伝説の魔道具職人が現れることになる。
「こうして、研究院には彼の書いた論文『空間構築論』だけが残されたのです」
ロロイヤが卒業した後、研究院では彼の残した「空間構築論」が研究の一大テーマとなった。一介の生徒がすでに完成させた理論を改めて研究するというのも変な話だが、実際そうなったのだから仕方がない。そしてその論文の存在は、研究院のパトロンである教会にも知られることとなる。
当然のことであるが、教会は宗教組織である。よって物理的な真理の探究や技術の開発といったことにはあまり興味を示さない。彼らの興味の主眼は「どうすれば教会をもっと強大にできるか」である。
そしてそのための道具として目をつけたのが、ロロイヤの「空間構築論」であった。その論文の内容を一言で要約すれば、
「いかにして空間は存在しているか」
となる。そしてそこから発展させていけば、仮想的な空間を人工的に作り上げることも可能である、と記述されていた。
小難しい理論は蹴り飛ばしその結論だけを理解した教会は、とある壮大な計画をぶっ立てる。
「それこそが、『人造神界計画』」
――――人造神界計画。
簡単に言ってしまえば、「限られた人間しか入れない、特別な空間を作ろう」という計画である。人工的に桃源郷を作ろうとした、と言い換えてもいい。
この時代、大陸のあちこちで戦禍が巻き起こっていた。教会のお膝元であるパックスの街は比較的安全だったが、それ以外の地域に住む人々は、比喩でもなんでもなく何時自分たちが戦争に巻き込まれるのか、と怯えていた。またすでに巻き込まれている人々は何時この苦しみから解放されるのか、と絶望の底で泣いていた。
教会が「人造神界計画」を打ち出したのは、そのような人々を哀れに思い救いたいと思ったから、では決してない。特権階級だけが住むことのできる桃源郷を作り出し、それをエサにして大陸中の富豪や貴族たちから多額の寄付をせしめる。それこそが真の目的であった。
実際、この時代において桃源郷という言葉の持つ魔力は抗いがたいものがあった。度重なる戦火のせいで土地や国だけでなく、人心までもが荒んでいた。
心穏やかに生を全うできる、美しい場所。争いのない、静かで平穏な場所。
一言で言ってしまえば、それは救いだ。人々は救いを求めていた。仮にどこか力のある大国が「人造神界計画」を打ち出したとしても、人々はそこに救いを求めはしなかっただろう。教会という俗世からは離れている(ように見える)宗教組織がその計画を打ち出したからこそ、人々はそこに救いを求めたのだ。
準備が進められる中で、この計画は「神々の力を用いた奇跡である」ということになった。あからさまに魔道具を用いていると公言するよりも、人知の及ばない奇跡であるということにして置いた方が、教会の権威が増すのではないかと考えられたのだ。
そしてその“設定”を浸透させるために、それらしい神話が捏造された。これが今の世に語り継がれる、「御霊送りの神話」の原型である。
もっとも、その神話は実際の計画をそれらしい言葉で表現したもので、まったくの嘘とは言い切れない。ただ、ばれない嘘というのは何割かの事実を混ぜておくものだし、聞き手を意図的に誤解させようとしていたという点ではやはり嘘だろう。
捏造された神話が流布されるその裏で、「人造神界計画」を実現させるための技術的な開発が進められた。ロロイヤの残した「空間構築論」の解析と理解に学者たちは三年の月日を要し、その理論を利用して亜空間設置型の魔道具を実際に作り上げるまでにさらに五年を要した。
サンプルが作られて実験と検証が繰り返された。「空間構築論」を解析した時点で、その論文の範囲内では巨大な亜空間を用意することしかできない、ということはわかっていた。まあ、必要なものはその都度外から補給してやればいいか、と結論が出たとき誰かがこんなことを言い出した。
「その亜空間の中に、街を一つ収めようじゃないか」
それは必須の条件のように思えた。その中で生活していくには、基盤となる大地がどうしても必要になるように思えたのだ。
なにしろ桃源郷を謳っているのである。なに不自由ない生活ができたとして、その中に潤いがなければ人はそこを桃源郷とは感じはしまい。美しい植物が必要だし、愛らしい小動物もいるだろう。そうなればやはり、全ての基盤となる大地が必要になる。
亜空間の中に収める街は、パックスの街に決定した。それも当然の流れである。教会が自由にできる街はその当時そこしかなかったのだから。
パックスの街をどうやって丸ごと亜空間の中に収めるかが検討された。試行錯誤の末どうにかそのメドが立つと、教会はついに「人造神界計画」の発動を決定したのである。
ロロイヤが総合学術研究院を卒業してから、およそ十五年後のことであった。