第九話 硝子の島①
「あ、師匠!島が見えてきましたよ!」
青く澄み渡った空の下、南の海を走る帆船の船首に立つニーナがそう声を上げた。彼女が指差す水平線の先には、確かに島影が見えている。
オルレアンのナプレスで依頼していた刀を受け取り「万象の太刀」を完成させた後、イストたち一行はさらに東に足を伸ばし、アルジャーク領となったテムサニスの南端に位置する貿易港カルフィスクからシラクサへ向かう船に乗った。二十日ばかりの船旅をへて、今ようやくシラクサが見えてきたのである。
より正確に言うならば、ローシャン島とヘイロン島が見えてきた、というべきだろう。ちなみに大きいほうがローシャン島で、小さいほうがヘイロン島である。「シラクサ」とは本来ローシャン島の北に位置する港の名前である。ただ、ここが大陸に対する玄関口の役割を果たしているせいか、この地域一帯が「シラクサ」という名称で知られるようになっている。
「シラクサはガラス工芸が有名だな。あと、『シラクサ酒』っていう美味い酒がある」
ちなみにこの「シラクサ酒」という名称も大陸向けのものであり、地元の人はただの「酒」としか言わない。
「師匠はお酒のことばっかりですね………」
真っ先に酒のことを話題にしたイストに、ニーナは呆れた。その上イストは「酒豪」とか「うわばみ」といえるほどに酒に強いわけではない。飲めば飲んだだけ酔う質で、かつてオリヴィアと一緒に旅をしたときには、キャラバン隊のメンバーに潰されて吐いたこともあった。
「いいんだよ。うまいものはうまい。なあ、おっさん」
「うむ。楽しみだな」
ジルドも良く酒を飲む。「酒豪」というべきはむしろ彼のほうで、イストが潰されても彼は顔を赤くすらしていなかった。「酒のストックが切れるのが早くて困る」とイストは大仰に嘆いていたが、酒飲みの友が出来たことはまんざらでもない様子だ。なお、ジルドは一人でちびちびやるタイプだ。
「ところでおっさん、ここまで来て今更だけどさ、なんで一緒に来たんだ?」
シーヴァ・オズワルドとの仕合で「光崩しの魔剣」を贈ったときの約束はすでに果たされている。もっともその仕合で「光崩しの魔剣」は砕けてしまったのだが、その代わりとすべき「万象の太刀」はすでに完成し今はジルドの腰間にある。ジルドがイストたちと一緒にいるべき理由は、もうないはずであった。
「『万象の太刀』の対価を払わねばならないだろう?」
「そりゃ、あの仕合だけで十分だよ。それくらい驚かせてもらった」
このやり取りは、実は船に乗る前にもやっている。
別にイストはジルドが一緒に来ることを嫌がっているわけではない。むしろ心強いと歓迎している。
しかし、彼ほどの腕前ならば仕官の口など沢山あるだろうし、また宮仕えをする気がなくとも大事をなすだけの才覚は十分にあるだろう。イストの、いやアバサ・ロットの直感がそれを保障している。
そんな彼が世の中のゴタゴタに表向きには関わる気のない自分の隣にいることを、イストは少なからず不思議に思うのだ。
「ふむ、実は最近、ワシも気になっていることがあってな」
「それは?」
「イストよ、“四つの法”は教会と関係しているのではないか?」
ジルドがそういった瞬間、イストは彼にしては珍しく目を見開いて驚きをあらわにした。
「驚いたな………。なんでそう思うんだ?」
「大陸がゴタゴタしているこの時期に、わざわざシラクサに行こうとお主が言い出したから、かな」
ジルドはイストがアバサ・ロットであることを知っている。アバサ・ロットは世の中のゴタゴタに表向き関わることはしないが、眼鏡にかなう人物がいないかとその動きを注意深く観察しているのだ。また気に入った人物がいれば、たとえ戦場の最中であろうとも魔道具を渡しに行き、その魔道具によって状況が一変するということが多々あった。
つまり世の中のゴタゴタというのは、アバサ・ロットにとっては品定めをする絶好の機会であり、にもかかわらずイストがそこから遠ざかるということにジルドは引っ掛かるものを感じたのだ。
「やれやれ………、おっさんは鋭いな………」
「それじゃあ、本当に“四つの法”は教会と関係しているんですか!?」
そんなことは露ほどにも考えていなかったニーナが詰め寄る。
「シラクサに着くまでまだ時間があるし、話しておくか」
そういってイストは煙管型禁煙用魔道具「無煙」を取り出し、口にくわえて吹かした。「フウ」と白い煙(水蒸気らしいが)を吐き出してから、彼はおもむろに話し出した。
「まずは“四つの法”について、だな」
アルテンシア半島のガルネシアにいた時、イストは“四つの法”の一つについて解析を進めていた。“四つの法”の一つ一つが何かしらの術式を構成していることはもはや明白であったが、解析を進めるうちにイストと彼の師匠であるオーヴァは、古代文字によって綴られたこれら四つの文言が相互に関係しあってなにか「大きなもの」を表していることに気づくようになった。
「すべてを解析したわけじゃないからこれは憶測でしかないけど、オレは空間系の理論じゃないと思っている」
それはつまり初代のアバサ・ロットであるロロイヤ・ロットが得意とした、空間拡張系や亜空間設置型の魔道具を作るための理論だ。アバサ・ロットの工房が収められた「狭間の庵」をはじめとするこれらの魔道具については、作品自体のレポートは残されているがそこに至るまでの基礎理論が何も残っていない。イストはその基礎理論にあたる部分の集大成こそが、“四つの法”なのではないかと考えたのだ。
奇しくも“四つの法”を残したのは他ならぬロロイヤ・ロットであり、それが彼の仮説に妙な信憑性を与えている。
「仮にそうだとして、それがどう教会と関係してるんですか?」
教会は宗教組織である。今は肥大化して政治的な発言力さえも有するようになっているが、その組織の専門はやはり宗教のはずだ。それが魔道具の、しかも今の世では恐らくアバサ・ロット以外作ることの出来ない空間系魔道具の基礎理論とどう関係しているというのか。
「ハーシェルド地下遺跡の発掘を手伝っていたとき、『御霊送り』の神話の話になったのを覚えているか?」
あの時、
「仮に神話が人の手で起こしただとして、どういう魔道具を使えば可能か」
という話をした。
そしてその時イストは、
「空間系の魔道具が一番有力かな」
と答えた。
もっともその時はイストもそのような魔道具を作れるとは思えなかった。なぜなら「狭間の庵」の資料室に残されているのは魔道具として完成した理論だけで、そこにさらに手を加えて発展応用させることが出来ないからだ。
しかし、“四つの法”が基礎理論であれば話は違ってくる。
設置すべき亜空間のパラメータを任意で設定できるならば、「パックスの街を神界に引き上げた」という神話を人の手で行うことも不可能ではなくなる。
「だけど“四つの法”を完成させたのはロロイヤなんですよね?どうして教会がそれを知ってるんですか?」
「ロロイヤがこれを完成させたのは、恐らくパックスの街だ」
パックスの街が神界に引き上げられる前、そこには大規模な総合学術研究院があり、そこでは術式の研究も行っていた。ロロイヤが“四つの法”を完成させたのは、恐らくは彼がそこに在学していた期間中であり、その成果を研究院にも残していったとすれば、教会が“四つの法”について知りえた可能性は十分にある。
「つまり『教会は“四つの法”を用いて亜空間設置型の魔道具を作り、その亜空間内にパックスの街を丸ごと収めることで神話を捏造した』というのがお主の仮説か」
「そうなる」
仮にこれが真実だとすれば、教会としては是が非でも隠し通さなければいけないであろう。『御霊送り』は神話でなければならず、神々がこの世に残した最後の奇跡でなければならない。そうでなければ信者を繫ぎ止めておくための信仰の基礎が瓦解することになり、それはすなわち教会という宗教組織の瓦解を意味している。
「危険思想の持ち主として教会に狙われるのを避けたかったか、あるいはあのままシーヴァのもとにいて『仮説の証明』を手伝わされるのが嫌だったのか、そんなところか」
イストがいきなり「南の島に行こう!」と言い出した理由を、ジルドはそんなふうに表現した。そしてイストは苦笑しながらもそれを否定しない。
「全ては仮説だよ。どこが正しくてどこが間違っているか、それはこれから確かめる」
それに寒いアルテンシア半島に嫌気が差して温かい南の島に行きたくなったのが最大の理由だ、とイストはふんぞり返った。それをみたジルドとニーナが呆れたように苦笑を漏らす。そんな二人の様子を見てイストは満足げな笑みを浮かべた。
「それに仮説どおりだとしたら、分んないことが二つある」
教会の主張するところによれば、生きたまま神界の門をくぐることができるのは、神子とその後継者だけである。しかし魔道具という仕掛けがあるのであれば、技術的にはそのような制限を設ける必要はないはずだ。さまざまな思惑や事情はあるにせよ、もっと門戸を広げておいたほうが色々と利用しやすいはず。
「『御霊送り』が人の手によるものだとしたら、わざわざそんな制限を設ける理由が分らない。別の言い方をすれば、なぜ神話という形にしたのか分らない」
「ふむ。もう一つは?」
教会が空間系の術式の基礎理論を持っているとしたら、なぜその理論を使って魔道具を作ることをしないのか。空間系の魔道具は非常に便利であり、それを作って販売すればかつて聖銀で得ていたのと同じかあるいはそれ以上の利益を稼ぐことが出来るだろう。なぜそれをしないのか分からない。
「あと、仮説どおりだとしたら、面白くない確定事項がある」
「………それは?」
「亜空間設置型の魔道具は、設置した亜空間を維持するために常時魔力を消費する」
そしてその魔力量は設置した亜空間の大きさに比例するという。イストが身につけている「狭間の庵」程度の大きさであれば何も問題はないが、街を丸ごと一つ収めるような巨大な亜空間であれば話は違ってくる。
「魔力っていうのは生命力と同義だ」
そのような巨大な亜空間を維持するために魔力を消費し続けるということは、すなわち命を削ることに等しい。
「千年、千年だ。千年間それを承知で続けてきたのだとしたら、教会の闇は深いぞ」
イストが吐きだした白い煙(水蒸気らしいが)は風にさらわれてすぐに消えていく。心地よいはずのその風に吹かれても、今聞いた話への嫌悪感はなかなか消えてくれず、ニーナは無意識にお腹の辺りをそっと撫でた。
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「お役に立てず、申し訳ない」
そう言ってアズリアは中年の男に頭を下げた。男の名はセロンという。ガラス工房「紫雲」の工房主で、エルカノが「親方」と言っていた男である。
エルカノから話を聞いた次の休日、アズリアは早速「紫雲」に向かいセロンの相談事について話を聞いてみたのだが、結局彼女のにわか知識では彼の役には立たなかった。
ただ当然といえば当然である。アズリアは魔道具を使う側の魔導士であり、作るための知識には疎い。そんな彼女にまで白羽の矢を立てなければいけないほど、セロンたちは行き詰っていたのである。
「いえ、こちらの都合です。お気になさらずに」
セロンのほうも最初から過大な期待はしていなかったのだろう。とり立ててショックを受けた様子はない。ただ、次にどうすればいいのか皆目見当がつかず、その点については悩んでいた。
セロンと話をしていた「紫雲」を後にしたアズリアは、少し迷ってから繁華街のほうに足を向けた。何もせずに帰ろうかとも思ったのだが、今日がせっかくの休日であることを思い出し、少し羽を伸ばそうと思ったのだ。それにシラクサに来てから休みは今日が初めてで、街の雰囲気を感じておきたかった。
人通りの多い繁華街を、ガラス越しに店の中を眺めながらアズリアは歩く。シラクサがガラスの生産地だということはアズリアも以前から知っていたが、そのことを証明するかのように商店の窓という窓にガラスがはめ込まれている。
しかもそのガラスが皆大きいのだ。たとえばカンタルクの王都フレイスブルグなどでは大きな商店や商会しか使えないような大きな窓ガラスを、ここシラクサではごく普通の商店でも使用している。そのせいなのか通りは華やかで開放的な雰囲気だった。
商店はやはりガラス製品を扱った店が多い。しかしその他にも、例えば米から作られたシラクサ酒を扱っている店があったり、地元の人たちは今でも日常的に着ている民族衣装を売っている店があったりする。シラクサではごく普通の風景なのだろが、ここに来てまだ日が浅いアズリアには異国情緒が強く感じられた。
石が敷かれた、港に通じる道をアズリアは歩く。その道を歩いているのはシラクサの人たちだけではない。アズリアのように大陸から来た人たちも、まばらながらその道を歩いている。今日初めて街に繰り出したアズリアは知りようがないが、これでも大陸から訪れる人々の数は増えたのである。そしてこの先さらに増えることを、地元の人々は期待していたしまた確信もしていた。
大陸から来ている人たちを見分けるのは、至極簡単である。なにしろ服装が違う。シラクサの人が日常的に着ている民族衣装は、ロングコートに似た筒型の長衣を帯で締め、袴を履くスタイルだ。だからアズリアにとっていわゆる“普通の服”を着ている人たちが、大陸からの客人であるとすぐに分る。
だからその三人組も、大陸から着たのだということがアズリアにはすぐに分かった。そして思わず眉をしかめてしまったのは、恐らく顔を知っているその人物にあまりいい思い出がないからだろう。
「む………」
「ん?ああ………、奇遇だな。こんな所で会うなんて」
煙管を吹かすその姿は、相変わらず憎らしいほどに飄々としている。こうしてアズリア・クリークとイスト・ヴァーレはいっこうに劇的でない再会を果たしたのだった。
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「少し話をしないか」
そう誘ったのは、アズリアのほうだった。
大陸で言うところの「カフェ」に入った四人は通り出された席に座り、席代替わりに飲み物を注文した。初顔合わせの三人が簡単な自己紹介を済ませると、飲み物が運ばれてきた。それに口をつけて喉を潤すと、アズリアはまずイストに視線を向けた。
「それで、なぜお前はここにいる?」
「おいおい、オレはもともと旅から旅への根無し草だぜ?どこにいようとも不思議はないだろう?」
「ここに来た目的を聞いたのだがな………。まあいい」
もとより火の粉が自分に降りかからない限りは、アズリアはイストのたくらみに関わる気はない。それでも「くれぐれも妙な騒ぎを起こすなよ」と釘を刺すことは忘れなかったが。
「オレはともかく、お前さんはなんでシラクサに?」
今度はイストがアズリアに聞く。根無し草の自分はともかくカンタルクにいたはずのアズリアがここにいるなんて、なにかよほど大きな変化があったとしか思えない。
「どこから話したものか………」
アズリアは腕くみをして少し考え込んだが、結局事情を知らない二人に配慮してことの最初から話すことにした。それはつまりイストとの出会いからである。
話を続けるうちにジルドは面白がるような笑みを浮かべ、ニーナは呆れたようなため息を漏らし師匠であるイストに非難の視線を向けた。
「うちの師匠がご迷惑をおかけしました………」
「いや、実際弟のフロイトは歩けるようになったわけだし、魔弓も貰ったからな。その点は………」
感謝している、といいかけたアズリアだが、イストの面白がるような視線に気づいて言葉を切った。
「その点は?」
「………なんでもない」
どうにもこの男には素直に礼を言う気になれないアズリアである。しかもそのことに罪悪感を覚えない。その原因は専ら相手側にある、というのが彼女の主張だ。
「それよりも、クロノワに会ったんだな」
「ああ。海軍にお誘いを頂いた。まさかお前と陛下が友人同士だとは思わなかったぞ」
今の時代、クロノワという名前で陛下という敬称をつけるべき人物は一人しかいない。すなわちアルジャーク帝国皇帝クロノワ・アルジャークである。イストの意外すぎる人脈に、ニーナのみならずジルドまでが目を丸くしている。
「どこで知り合ったのだ?」
「クロノワが十五までは帝室と関係なく過ごしていたことは知ってるよな」
その頃、つまり彼の姓名がアルジャークではなくまだミュレットであったときに知り合ったのだ、とイストは説明した。
「宝物庫に盗みに入って捕まった、とかじゃないんですね………」
安心しました、とニーナは心の底から安堵したように息を吐いた。そんな弟子をイストは心外そうに軽く睨む。
「馬鹿だな。オレが盗みに入って捕まるわけがないだろう」
「入ったことはあるんですか!?」
ニーナはこの世の終わりが来たかのような顔をするが、イストが素知らぬ顔で「いやないが」が否定すると、脱力してテーブルに突っ伏した。
「………苦労しているのだな」
「………はい、とてもぉ………」
頬をテーブルに押し付けて脱力するニーナの肩をアズリアが軽く叩いて慰める。元凶であるところのイストはその様子を、恐らくは意図的に、「無煙」を吹かしながら無視した。
「それで?こんな馬鹿話をするために呼び止めたわけじゃないんだろ?」
イストがそう促すと、アズリアのほうも表情を改めた。
「ああ、実はつい先ほど魔道具素材のことで相談を受けてな………」
セロンを始めとするガラス工房「紫雲」の面々が取り組む、ガラスの魔道具素材の話をアズリアはイストにした。
「へぇ………」
話を聞いたイストは、面白がるような、しかし少々物騒な声でそう呟いた。見れば目も少し細くなり鋭くなっている。
「面白いこと考える奴がいるな」
「生憎わたしでは力不足だったがな」
というよりも畑違いだったといったほうがいいだろう。アズリアは純粋な魔導士、つまり魔道具を使う側だ。実の父であるビスマルクのもとにいたころ、魔道卿になるための教育の中で魔道具素材についても少々勉強したが、それにしたって素材そのものよりもそれに関係する経済的な分野が主だった。
「お前なら相談に乗れることもあるんじゃないのか、と思ってな」
「オレは素材屋じゃないんだがな………」
「だがわたしよりは適任だろう?」
そういわれるとイストは肩をすくめた。確かに魔道具職人であるイストならば、アズリアよりも魔道具素材について詳しいだろう。まあ、畑違いであることは変わりないが。
「無理にとは言わないが、気が向いたら足を向けてみてくれ」
「あいよ」
「それともう一つ………、『流れ星の欠片』のことなんだが………」
言いにくそうにして、アズリアは申し訳なさそうな顔をした。
「………製法を、もう一度教えてもらえないか?」
彼女が言う「流れ星の欠片」とは、イストが贈った魔弓「夜空を切り裂く箒星」につがえる専用の矢のことだ。ちなみに魔道具である。
その製法は「夜空を切り裂く箒星」を贈った際一緒に渡したはずなのだが、その製法が書かれた紙はカンタルクの王都フレイスブルグの私室に置きっぱなしだという。
「オルレアンで捕虜になって、そのままシラクサに来たからな………」
今更カンタルクに戻ることも出来ないし、そうなると製法を回収することもできない。「流れ星の欠片」はまだストックがあるが、基本使い捨ての魔道具であるため、今ある分を使い切ってしまったらそれで終わりになってしまう。
アズリアは普通の魔道具職人にとって魔道具の製法がどれほど大切かを十分に知っている。それゆえそれを寄越せというのは流石に気まずいらしい。
しかし魔道具職人ではあるが普通ではないイストは、そんな心配をあっさりと飛び越える。
「ん、いいぞ。あとで海軍のお前さん宛てに送っとく」
「い、いいのか?」
あまりに軽い返事で、アズリアのほうが戸惑う。しかしイストが頷くのを確認すると、すぐに表情が明るくなった。
「そうか………。か………」
「『か?』」
イストが面白そうにアズリアの顔を覗きこむ。
「………なんでもない」
アズリアはバツが悪そうに顔をそらした。やはり礼だけは素直にいえなかった。
――――ちなみに。
後日、アズリアの元に
「アズリア様へ、愛を込めて」
と書かれた手紙が届く。
差出人の書かれていないその不気味な封筒を開けると、中には「流れ星の欠片」の製法が入っていた。声を立てて笑うイストを思い浮かべ、アズリアは思わずその製法を握りつぶしてしまった。
さらにその封筒のことが海軍の中で噂になってしまい、アズリアはしばらくの間同僚たちから「男ができたのか」とか「ファンができたのか」などとからかわれることになる。
素直に感謝しなくて正解だった、とアズリアは思った。