第八話 王者の器⑭
結局、シーヴァとジルドの仕合は引き分けで終わった。両者とも武器を失ってしまったのだ。仕方がない。
それに二人ともこの仕合には大いに満足していた。
「久方ぶりに魂が吼えた」
「まことに、心躍る戦いであった」
そんなふうにして、二人は仕合の感想を述べた。決着がつかず、引き分けで終わったことを残念に思っている様子もなく、二人とも純粋な充足のみを浮かべていた。
仕合を終えた後、一同が向かった先は医務室であった。ジルドもシーヴァも、致命傷ではまったく無いのだが傷を負っており、その手当てに向かったのだ。
医務室に入ればそこの主は医者である。さすがのシーヴァ・オズワルドも患者の立場になってしまうと医師に逆らうのは難しい。要塞の医務室の主である初老の女医は、「簡単でいい」という彼の主張を「はいはい」と軽く流し、礫がぶつかって切れた額に厳重に包帯を巻きつけるのであった。
傷の手当が終わると、一同は最初の会議室に戻った。ちなみに衣服が駄目になってしまったジルドは、新しいものを用意してもらえることになったのでそれを受け取りに行っており、今は席を外している。
「さて、聞かせてもらおうか、イスト・ヴァーレ。ハーシェルド地下遺跡に何があったのかを」
そういえばそういう話であった。忘れていたわけではないが、ジルドとシーヴァの仕合の結末があまりにも衝撃的過ぎたせいでなかなか意識がそちらに戻らなかった。
「ハーシェルド地下遺跡に残されていた壁画、そこに描かれていたのはほとんどが『御霊送りの神話』に関するものだった」
イストは、未だ仕合の興奮冷めやまぬ様子ではあったが、表面上は落ち着いてそう話し始めた。
「んで、そのなかにこんなものがあった」
曰く「世界樹の種に光を込めよ。されば園への道は開かれん」
実際には擦れていて読めない古代文字もあったため細かい単語などは異なるかもしれないが、大意はこれであっているはずである。
一見すればこれも今の時代に伝わっている「御霊送りの神話」と大差は無い。使用されている単語は少し異なるかもしれないが、それでも教会の解釈の範疇に収めようと思えば十分に収まる。
「………『光を込めよ』か」
「ご名答」
すぐさまそこに気がつくシーヴァは流石であるといえよう。
ここで言う「光」とは教会の隠語で、魔力を意味している。つまり「光を込めよ」という部分は「魔力を込めよ」と解釈できる。
魔道具職人の観点からすれば、「魔力を込める」という行為は「魔道具を使う」ことと同義だ。この神話の場合、魔力を込める対象は「世界樹の種」であるから、すなわち「世界樹の種」は魔道具である、と考えることが出来る。
「『御霊送りの神話』において、『世界樹の種』は神々が神子に対して与えたもの、ということになっていたな………」
そう呟いてシーヴァは顎を手で撫でた。それを見ながらイストは言葉を続ける。
「『世界樹の種』というキーアイテムが実は人工の魔道具であったとすれば、今までの大前提が崩れることになる」
極論を言えば、「神々が神界の門を開いて人々を迎え入れた」って話自体、なんらかの魔道具を使って人為的に行ったのではないか、と考えることさえ出来てしまう。
御霊送りは遠い過去に神々が行い、そして今なお現世に残された唯一の奇跡である、というのか教会の教えであり、そして信者たちの拠り所なのだ。それが丸っきりの大嘘であるとしたら、教会はその大義名分を失い急速に弱体化するだろう。つまりこの解釈は教会のアキレス腱であるといえる。
しかもハーシェルド地下遺跡はおよそ千年前、御霊送りの神話が誕生した時期の遺跡である。そこから得られる情報は、神話の真の姿に近いといえる。つまりその分だけ信憑性が高くなる。
「これは、言ってしまえば解釈の問題だ」
例えば、これを根拠にイストが「『御霊送りの神話』は嘘っぱちだ」と主張してみても、教会はそれを認めることは決して無いだろう。それに、先ほども述べたとおり、ハーシェルド地下遺跡で見つけた壁画の内容は、今の時代に教会が主張している解釈の範疇に収めえるものなのだ。
「神々からもたらされた『世界樹の種』という鍵を使うためには魔力が必要なのであり、“園”とは神界のこと、そこに通じる“道”とは神界の門のことである」
教会が公式にそう発表してしまえば、多くの信者はそれを支持するだろう。そして教会が基本姿勢を変えない限り、その解釈が御霊送りの真の姿になる。
しかし、それはなんの影響力も無い個人がそう主張した場合だ。シーヴァ・オズワルドという一国の王が(この時点ではまだ王ではないが)そう主張したらどうなるか。その主張は、世の中に対して一定の説得力を持つであろう。
無論、教会は認めまい。しかしこの場合、教会を教義の上で屈服させる必要などない。ようは「教会の教えには嘘がある」と口撃するだけの口実になればいいのだ。
その口実さえあれば、血縁でもなく土地でもなく利害関係でもなく、信仰という一種特別な結びつきによってつながっている教会の信者たちを、そこから引き離すことが出来るかもしれない。
そこまで上手くいかずとも、教会に対して兵を上げ、また敵ではなく味方を納得させるための大義名分にはなるだろう。
「ま、どう解釈しどう使うかはあんたの好きにすればいいさ」
オレには関係ないし、と一通り説明し終わったイストは最後にそう言い放った。無責任なように聞こえるが、実際彼にはどうしようもない。シーヴァ・オズワルドという世界に対して一定の発言力と影響力がある人間だからこそ、その主張するところを人々は聞くのである。
「………仮に、御霊送りが人の手によって行われたものだとして、どうすればそれを証明できる?」
「さあ?祭壇か、それこそ『世界樹の種』をはめ込んだ腕輪あたりがキーアイテムだろうから、そのへんを破壊すれば何か起こるんじゃないのか」
完全な当てずっぽうでイストが答える。この話に関しては推測に推測を重ねているわけで、確かに言えることなど何もない。だがその推測に基づいて行動することは出来る。
話を聞き終わったシーヴァは、何かを思案するかのように顎を撫でた。今回の件に関し、彼が持っている情報が今イストから聞いたものだけということはありえない。情報網を駆使して事前に様々な情報を集めているはずで、それらと今回の話をあわせて今後の方針を決めて行くことになるのだろう。
「なるほど。助かった」
簡単に例を述べるとシーヴァは「話は変わるが」と言って眼の輝きを変えた。それは良からぬ事(イスト主観)を企む者の目で、ろくでもないことを思いついたときのオーヴァのそれに良く似ていた。
「お前は流れの魔道具職人であったな。なにか面白い魔道具はないか?」
オーヴァの弟子であったこと、またジルドが先ほどの仕合で使っていた「光崩しの魔剣」を見たことでイストが優秀な魔道具職人であると確信したらしい。
厚かましい奴だな、と苦笑しながらもイストは「ロロイヤの道具袋」から一本の矢を取り出した。本来鏃があるはずの部分には、鹿の角を加工して作った幾つもの穴が開いている笛のようなものが突いている。
「魔道具『風笛』」
本来の風笛それ自体は魔道具ではない。鏃の変わりに笛をつけたその矢は弓で放たれると、けたたましくも不気味な、笑い声に似た音を立てて飛んでいく。暗い森の中のような雰囲気のある場所で使えば、まるで魔女に呪われたかのように感じ、ともすれば気を失う者もいるだろう。
今回イストが取り出したのは、その風笛に刻印を施し魔道具化したものだ。魔力を込めて放つと、風笛本来の音に混じって人間の耳には聞こえない超音波を発し、動物の平衡感覚を麻痺させるのだ。
よって魔道具「風笛」の音を聞いた者は、ほとんど全て目が回るような感覚を覚えて地面に倒れ、そしてすぐには起き上がることが出来ない。
「個人相手に使ってもいいけど、軍隊相手に使ったらもっと面白いと思うぞ」
「風笛」を打ち込まれた一帯の人馬全てが倒れていくだろう。その光景は想像しただけでも壮観だ。
ふむ、と頷きシーヴァは渡された「風笛」を手の中で回して玩ぶ。それからおもむろに顔を上げ、思いのほか強い視線をイストに向けた。
「ではこれを五百本頼む」
「ごひゃ………!?」
あまりに予想外の注文にイストが絶句する。シーヴァはそんなイストに意地悪な笑みを向け、「最低でもそれぐらいないと軍事的な運用にはたえられない」とのたまう。
「そっちの都合なんて知るかよ!?」
「材料はこちらで用意しよう」
「おい、人の話を………!」
「カッカッカ!諦めい、バカ弟子!」
弟子の苦境に爆笑する師匠。しかし彼の馬鹿笑いはすぐに凍りつくことになる。
「なに、ベルセリウス老も手伝ってくださる」
「は………?ちょ、待てシーヴァ!なんで儂が………!」
「では宜しく頼む」
楽しそうに笑いながらシーヴァが部屋を出て行く。共の三人はなんともいえない表情をしているイストとオーヴァの師弟に、呆れとも同情とも似つかない視線を向けながら主の後を追うのだった。
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ジルドとシーヴァの仕合が行われた三日後、シーヴァ・オズワルドはゼーデンブルグ要塞を出立した。目指すのは半島のほぼ中央に位置し、あらかじめ王都として決めていた「ガルネシア」という街である。
要塞には一万の兵を残してある。十字軍の脅威が去ったにもかかわらず一万の兵を残したことに「過剰だ」という評価をする者もいるが、アルテンシア同盟の時代もともとゼーデンブルグ要塞には常時十万の兵を駐留させていたのだ。それに比べればずっと少ないといえるだろう。
シーヴァとて、恐らくはこの要塞に十万規模の兵を駐留させたかったであろう。この時点ですでに彼が第二次十字軍遠征を予感していたのであればなおのことだ。
しかし、彼は要塞に一万のみを残した。いや、一万しか残せなかった、というべきだろう。それはつまりシーヴァの実情、より大きく言えばアルテンシア半島の実情がそれを許さなかった、ということだ。
アルテンシア半島は荒廃しきっているといっていい。長らく続いた同盟体制の中で領主たちによって血税を搾り取られ、そしてつい最近の十字軍遠征によって止めをさされた。
本当に、今急ぐべきは復興であり、それ以外のところにさく余力など無いのである。そのことをシーヴァは良くわきまえていた。
「我、シーヴァ・オズワルドはここにアルテンシア統一王国の設立を宣言する。アルテンシア同盟を廃し、そこに参加していた全ての領地をアルテンシア統一王国の名の下に再編する。また我はその初代国王となり、愛すべき我が祖国に復興と繁栄を約束する」
大陸暦1565年3月14日、大理石でもなければ優美な彫刻が施されているわけでもない、ただの木で作られた即席の演台の上、シーヴァは高らかに宣言した。
繰り返しになるが、彼がアルテンシア統一王国の設立を宣言し、その王都に定めたのはガルネシアという街であった。しかしこの時のガルネシアは先の戦乱に巻き込まれて焼き払われ、水の確保にも苦労するような場所であった。近くにある「ガルネシア城」という城は無事であったが、こちらも戦乱に巻き込まれて補修が必要であるし、なによりもこの城はアルテンシア同盟成立以前に戦のために作られた城で、王者の居城としての優雅さや壮麗さにはまるで縁が無かった。
反乱の際に彼に協力してくれた五人の領主の一人であり、公爵位を与えられたアベリアヌ公から「王都はガルネシアに」と勧められたとき、当初はシーヴァもこれに難色を示した。
「王都としての機能を求めるならば相応しい都市は他にもある。なぜ、ガルネシアなのだ?」
「今、するべきは早急に力を整えることでしょうか。それとも先を見据えた復興でしょうか」
逆にそう問いかけられるや、シーヴァはすぐにガルネシアを王都に定めたのである。後に彼はこう語っている。
「実情に合わぬ富や力を持とうとすれば、それは搾取になる。逆に復興を優先し国が豊かになれば、富や力といったものは自然と集まってくるものだ」
アルテンシア統一王国の設立を宣言したシーヴァは、同じ演説の中でその国の体制について定めた。それをこの場で発表することができたということは、かなり前もって新たな国の体制について練っていたということを示している。シーヴァが全てを考えたわけではないだろうが、彼が主導したことは間違いなくそれが出来るあたり、やはり彼はただの武人ではあるまい。それは彼が単純に不満を原動力に反乱を起こしたわけではなく、その先に築くべき国家の姿をかなり早い段階から思い描いていたことの証拠なのだから。
まずは反乱の際に彼に協力してくれた五人の領主についでである。シーヴァは彼らに統一王国の公爵位を授け、彼らの領地を安堵し、さらに新たな領地を授けた。この五人の公爵について名前を挙げておこう。
アベリアヌ公、ガーベラント公、ウェンディス公、リオネス公、イルシスク公の五人である。ちなみにこの中ではアベリアヌ公が最年長になり、シーヴァより年下なのはリオネス公だけであった。
この時、シーヴァは抜け目の無い用心を発揮している。それら五人の公爵たちの領地が、決して隣り合わせにならないようにしたのである。そのために飛び地となる領地も出てきたのだが、シーヴァは譲らなかった。
とはいえ飛び地であっても平時であれば何も困ることは無い。名代、あるいは代官を派遣して治めさせ、税を取り立てればいいのである。本当に困るのは領地をまたいで軍を動かすとき、それも国王の認可を得ないでそうするときである。つまりこれは公爵たちが反乱を志したときにたやすく連携させないための予防線なのだ。
アルテンシア半島の版図は全部で二三七州。その内、シーヴァが五人の公爵に与えたのは、全部で四七州である。では残りの一九〇州はというと、シーヴァはこれを全て王の直轄領とした。
アルテンシア半島はこれまで伝統的に大勢の領主たちが乱立する状態であった。多様性がある、と言葉を選べば聞こえは良いが、その反面いわば数多くの“小国”が入り乱れている状態であり、同盟成立以前にはそれが原因となって半島全体が戦火に焼かれていた。
同盟成立以後も、この形態による弊害はあった。互いの領地には不可侵というのが同盟の大前提であったから、複数の領地を貫く大街道というものは存在していない。これまで計画は何度も持ち上がったが、その都度領主たちの利害の折り合いがつかず先送りにされてきたのだ。
また領地境にあったために、開発どころか調査さえも進んでいない山や山地が多くある。これらには各種鉱山も含まれていると期待されており、同盟はこれらの財源をいわば眠らせたままにしていたのである。
シーヴァは統一王国の初代国王としてこの国を復興し、そしてその先の繁栄へと導かねばならない。少なくともシーヴァはその責を己に課していた。
彼が思うに今この国に必要なのは強い王である。強い王が強力なリーダーシップを発揮して、この国を区切ることなく一つの塊として発展させていかなければならない。そのためには民と王の間に入り込み、世襲の領地と権利を主張する貴族というものは彼にとって邪魔でしかない。この点、アルジャーク帝国皇帝クロノワに似ているといえる。
協力してくれた五人の公爵たちが世襲の領地を持つことに否やはない。彼らにしてみればそれは当然の権利であろう。よってシーヴァは公爵のみ領地を持つことを認め、その世襲を許した。
しかし、彼ら以外の貴族が世襲の領地を持つことをシーヴァは認めなかった。このことについて彼は一切の例外を認めず、これまで自分に従ってきてくれた配下の将たちにも領地は与えなかったというのだから徹底している。
ただこの方針はおおよそ歓迎された。多数の領主たちが乱立することによってもたらされた弊害を半島の人々は良く知っており、シーヴァの方針は改革の象徴として受け入れられたのである。
しかし、一九〇州を王の直轄地としたからといっても、シーヴァ一人でその全ての面倒を見ることはまず不可能である。そこでシーヴァは爵位を与えた者をそれぞれの州に派遣してそこを治めさせた。爵位を持っている以上彼らの身分は貴族なのだろうが、領地は持たずその任命及び罷免の権利は王にある。しかもその爵位さえ一代のもので、子供に受け継がせることは出来ない。だから「貴族」というよりも、「中央から派遣された役人」といったほうがその中身を良く表しているといえるだろう。
アルテンシア統一王国には貴族がいるために封建制に思われがちだが、実際のところは強力な中央集権型の国家だったのである。
ガルネシアの朽ち果てた街の中、即席で作られた演台の上からアルテンシア統一王国の設立と国家の体制の大枠について説明し終えたシーヴァはガルネシア城に入り、今はその廊下を歩いていた。先ほど宣言した内容は早馬によって各地に伝えられる。最初から全てが上手くいくとは思わないが、それでも今日この日に統一王国は生まれ、そして歩き出すのである。
「ベルセリウス老………」
廊下を歩いていたシーヴァは、一人の老人が窓から外を眺めているのを見つけた。あそこからはたしか王都に定めたガルネシアの街が見えたはずである。
「何もない。王都と呼ぶにはあまりにも寂しい光景じゃな」
「………ガルネシアはアルテンシア半島の縮図。今は半島全体が荒廃している」
もっとも、その中でも特にひどい場所を選んで王都にした、というところは否定できないが。
「しかし、それでも私はこの国を復興させる。そしてその先に導いてみせる」
未だ使い慣れない“我”という一人称の代わりに、“私”という単語を使っていることに気づいたのは、その場にいたベルセリウス老だけであった。